十九日目 タルトタタンと封筒

 放課後の廊下をとぼとぼと歩く、見覚えのある背中。

 私はそれを追い越して階段を下りた。

「おい! 無視か!」

 背後から声をぶつけてくる。

「人聞きの悪い。普通に歩いているだけだけど。……何?」

 振り返り言った私の言葉に、緩士ひろとは怯んだ。しかしすぐに何段飛ばしかで隣りに並んで、ぐっと顔を覗き込む。

「もしかして怒ってる?」

「別に。どうしてそう思うの? 心当たりがあるの?」

 顔は見てやらない。

「いや、それは……まあ、なくはないけど、」

「けど?」

「そこまで怒ることかなあとは思う」

 踊り場を過ぎさらに下へ。

 緩士はタタタっと駆け下りて立ちはだかった。

 こちらを見上げる。

 私はそこでようやくしっかりと視線を合わせた。わざと、睨みつけるような強い視線をぶつけた。しばらくは緩士の方もぐっと眉間に皺を寄せてこちらを見ていたが、埒があかないとでも思ったのか、ふうっと息を吐いてから降参した。

高田たかだのことだろ」

「怒ってはない。呆れてるだけ。そんなことしてたらクリスマスに間に合わないんじゃないの」

「でもあれは仕方ないというか」

「どうして高田さんちのケーキじゃ駄目だったの」

「ダメってわけじゃなくて、ただ俺は――」

「何?」

「お前だって、あそこのケーキうまいって言ってたじゃないか」

「意味がよくわからない。おいしいから何?それは『彼女』よりも大事なこと?」

「それは……まあ、そこについては俺も悪かったとは思ったけど」

 何とも歯切れの悪い。

「振られちまったものは仕方ないだろ」

 緩士はそれ以上の討論を拒んで背を向けた。

 私が階段を下りきるのを待って、そこから一緒に歩き出す。

 高田さんが前向きな答えを用意していたことに、緩士はまったく気づいていないようだった。振られることに慣れすぎていて、どうせケーキの一件がなかったとしても同じ結果になったのだとそう思い込んでいるのだろう。

 今回ばかりはそうではなかったのに。そうと知っているだけに、もどかしくて仕方がなかった。

 もしも私がここで高田さんの言葉を伝えたら、緩士は何か行動するのだろうか。緩士が動いたら、高田さんは考え直すだろうか。

 そんなことを考えているとはつゆ知らず、緩士の意識はすでに次へと向かっている。

「マジでもう日にちないな。俺、どうしたらいいんだろ」

 ぶつぶつ言いながら指折り何かを数えている。その指一本一本に候補の顔浮かんでいるのだろうと思うと、彼のために真剣に考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

「どうしたらいいと思う?」

 あっけらかんとした顔で意見を求めてくるから、

「さあね」

 と、なんの糧にもならない言葉を返した。

 案の定、「冷たいなあ」とか「もっと優しくしてくれてもいいのに。俺、傷心なのよ?」とか、鬱陶しいからみ方をしてくる。

「ちなみに今日は、アップルパイは?」

「そんなに都合よくあると思うな」

「ないの?」

「今日はタルトタタンをつくるって言ってた」

「お。それはそれで好物! さすがおばさん」

 緩士は上機嫌だ。

 今回こそは慰めるためのお菓子など必要なくなると母に言って家を出てきたというのに……。緩士とそろって帰宅したときに母がどんな顔で迎えるか、ありありと目に浮かぶ。

「少しは悔しがりなさいよ」

 私が言うと緩士は不思議そうな顔をこちらに向けた。

「何を悔しがるんだ?」

「何をって――」

 高田さんと付き合えたかもしれないこととか、連敗記録を更新してしまったこととか、そんな中で私の母は緩士が振られると信じてお菓子を作って待っているだとか。

「いろいろあるでしょ」

「いろいろあるか?」

 はっきり言わなければどれにもたどり着かないようで、緩士は何のことかと首を傾げた。

 その首が再度、反対側に傾いたのは、生徒玄関にたどり着いたときのこと。

 緩士は自分の下駄箱の前でぴたりと立ち止まり、しばらくそのままでいた。

 どうしたのと聞く前に、困惑した面持ちをこちらに向けた。

 そして言うのだ。

「これは……何だ?」

 指差した先、緩士の靴の上に綺麗な色の洋封筒が置かれていた。




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