十四日目 高田栞奈⑤
十六時過ぎから始まった『トロワ・スール』でのお手伝い。まだ一時間くらいしか経っていないのに、その間だけで
お客さんとの関係。商店街の人たちとの付き合いの深さ。家族へ向ける愛情と、私や緩士に対する気遣い。
一年のときから感じのいい子だとは思っていた。誠実で朗らかで。『爽やかな好青年』という言葉はこの子のためにあるんじゃないかと思ったほどだ。――とクラスで言ったら「女の子に『青年』だなんて失礼だよ。
私の中で高田さんは、確かに爽やかな好青年だった。
今日はそこに家庭的な親しみやすさが加わった。
「あ。袋、なくなりましたね」
焼き菓子を二、三個ずつ詰めていた透明な袋が空になっていた。どこかに在庫があるかとお母さんに尋ねると、裏の倉庫にあるから取ってくると言う。
「いや、私、接客はできないので」
一人残されてしまっては困ると言うと、今度は高田さんを呼ぼうとする。彼女はこの一時間の間に厨房と店頭と、近所へのお使いへとせわしなく動きまわっているのだ。何かあるごとに呼びつけては気の毒だ。
「いいのよ、いつものことだから」
「でも、私に行かせてください。……難しくなければ大丈夫なので」
私が言うとお母さんはフフフと笑って、
「じゃあ、おねがいしようかしら」
袋の置き場所の簡単なメモを書いてくれた。
「ちょっと面倒なんだけどね。うちの隣の眼鏡屋さんの横に抜け道があってね。そこを通ると裏の通りに出るの。出てすぐのところ、右手に乾物屋さんの建物があるから」
何年も前に店をたたんだ老夫婦から、一階の店舗部分を倉庫として借りているという。
開錠のための暗証番号を聞き、袋の置き場所を記したメモを手に裏通りの倉庫に向かった。
高田さんのお母さんが丁寧に教えてくれたおかげで、途中の道でも倉庫内でも迷うことはなかった。
棚と段ボールが整然と並べられた室内の一番奥。透明な収納ケースの引き出しから目当てのものを取り出してすぐに戻ろうとした。
だけどガチャリとドアが開き二人が入ってきたせいで、そこから出るタイミングを失った。
そんなことをする必要はないのに、私は咄嗟に棚の影に隠れていた。
二人の声がした。
「あれ? 電気つけっぱなしだ。いつからだ?」
高田さんはそう言い電気代の心配をしている。
「それで何持っていけばいいんだっけ」
緩士の声は弾んでいた。こういう場所に入ると、宝物を探しているような気分になってついワクワクしてしまう男なのだ。
二人はがさごそと箱の中を探ったり、引き出しを開けたりして必要なものをそろえているようだった。
私のいる場所からは彼らの姿が見えない。
二人からも、棚の影に隠れている私の姿は見えないだろう。
点呼を取るように集めたものを確認しながら、「ごめんね」と高田さんが口にした。
「お試し期間ってさ、本当はもっと、こう、二人きりで何かしたりするものなんだろ?」
それなのに、と口ごもると緩士は
「全然!」
と声を上げた。
「手伝いは大変だけど、楽しいよ。高田のいろんなところ見れるし。いやあ、一年のときから知ってるのに、意識して見ようとするとまだまだ気づくことってあるんだな」
「なんだよ、それ」
すこし照れたような声だ。
「期待外れだった?」
「いや。高田を選んだ俺、見る目あるなあって感心してた」
冗談っぽく言った高田さんに対して、緩士の方はどこまで真剣なのかわからない言葉で返す。
「『選んだ』って、近いって理由だけで私にしたんだろ」
高田さんが笑う。
でもその笑い声はすぐに消え、一瞬の静寂が差し込んだ。
ごくりと喉を鳴らしたのはどちらだっただろう。
その音のあとに緩士の咳払いが響いた。
「手当たり次第みたいに思われてるかもしれないけど、俺、好きだなと思えるやつにしか『彼女になってくれ』って言ってないよ」
少し拗ねたような口調で緩士が言う。
その言葉は高田さんにどんな風に届いたのだろう。高田さんは「えっと、」と言葉を探していたが、やがて晴れやかな声で言った。
「そうか。ありがとう。私もさ、付き合うってことがどういうことかまだよくわからないけど、だけど暮木のことはちゃんと見ようと頑張ってるから」
「頑張らないと、見れないわけ?」
「そうじゃなくて! 真摯に愚直に、暮木と向き合おうという決意表明だ。この数日の間だけでも『ああ、こういうやつだったのか』ってたくさん驚かされてるよ」
高田さんの声は弾むような声だった。その言葉にのせた感情は顔を見なくたって、しっかりと届いてくる。
それなのに緩士は、
「その驚きは、いい驚き? それともそうでもない感じ?」
なんてことを尋ねる。
橋本さんはハハハと笑って倉庫のドアを開けた。
「どうだろうね。でも、暮木と一緒にいるのは悪くないなって思ってるよ」
さあ急いで戻るよ、と高田さんは緩士を部屋から追い出す。緩士の方はまだ何かしらを聞き出したい様子だったが、うまい具合にはぐらかされたようだ。
去り際に、点けっぱなしだった電気は消された。
暗くなった倉庫の中で私は、カチャリと閉まる鍵の音を聞いていた。
「そうか。よかった」
そう呟いて、自分の声に滲んだ感情に戸惑った。
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