四日目 橋本さやか③
友人たちが心配してる。
いや、純粋な心配だけじゃない。この顔は、どちらかというと好奇心が勝っている顔だ。
一人じゃ心配だからついて行こうかと言う。
何かあったときのために、誰かに場所を教えて行った方がいいとの助言もある。
「何があるって」
私はあきれ返っていた。
ひとつひとつに返事をするのも億劫になり、「大丈夫だから」と一言だけ残して教室をあとにする。さすがにあとをつけるような人間はいなかったようだ。角を曲がったところでしばらく隠れてみたが、追っ手の姿は見られなかった。
私は人の目を気にしながら、
三階の端の部屋。
端というより『奥』という呼び方のほうが相応しいその場所は、少子化のあおりを受けて空き教室となった部屋だった。
「演劇部の練習場所なの」
先に教室に入っていた橋本さんが言った。
練習場所ならばそのうち誰かが来ることもあるのではないかと尋ねると、彼女はゆっくり首を横に振った。
「秋に三年生が引退してからは私ともう一人いるだけだから」
「そのもう一人がふらっと現れたりは?」
「今日は塾の日だからだいじょうぶじゃないかな。それに鍵もかけられるし」
プラスチックのタグがついた鍵をひらひらさせる。そういうときのいたずらっぽい顔まで可愛らしい。
「それで、話って」
私は彼女に招かれるまま、窓側に置かれていた椅子に腰掛けた。向かい合う形で彼女も腰を下ろす。やわらかに微笑んではいるが、どこか寂しそうというか悲しそうというか。橋本さんは困ったようにも見える表情で言葉を探していた。
「あのね。
「ごめんなさい。私が広めてしまった。それで迷惑かかったって話だよね」
座ったばかりだったが、これでは誠意が伝わらないだろうと跳ね上がるようにして立ち上がった。勢いをつけすぎて、ガタンと椅子が傾く。
その音に驚いたのか、それとも私の発言にか。橋本さんは目を丸くしてしばし言葉を失った。
何度か瞬きをして、それからようやく話し出す。
「それは、初耳」
「え?」
思いがけない反応に、今度は私が驚く番だ。
「私に苦情を言うために呼び出したんじゃないの?」
恐る恐る尋ねると、彼女はぷっと吹き出した。
「暮木くんのことは聞いたけど、それはまったく違うルートからだから。だから植月さんが謝ることじゃ全然ないよ」
ぶんぶんと手を振る。
「あ。こういうのやると、あざといって言われちゃうんだった」
えへへと笑う。
「そんなことないよ。私はカワイイと思う。橋本さんの、なんていうか雰囲気に合ってると思う」
「そうかな……」
ありがとうと口では言うが、私の言葉は橋本さんにとって嬉しい言葉ではなかったようだ。笑顔にほんの少しの影が差す。
それに気づかぬフリをして、私は息を整えた。
「苦情じゃないなら、私に話って何」
振り出しに戻る。
橋本さんは「ええとね」とはにかむように言ってからそっと私の手を握った。
向かい合い、両手で両手を包み込む。
ぱっちりとした瞳で見つめられると、妙な緊張感が生まれた。
「お願いがあるの」
表情とは裏腹に、その一言は思いのほか力強かった。
「暮木くんの私への告白、やめさせてくれないかな」
瞬時に顎を引き気にならない程度の上目遣いへと転じたのは、無意識のものだったろうか。橋本さんにこんな表情をされては、思わず「はい」と言ってしまうだろう。
しかしそうはいなかい。
「付き合う気がなければ断ればいいだけの話でしょ。どうして私を呼び出してまで事前にやめさせようとするの」
橋本さんの手が離れた。
彼女は自分の膝に手を置き、姿勢を正して私を見つめる。
「そうなるよね」
「そうだね。気になるから」
私が言うと、橋本さんはふうっと長く息を吐いた。
「わかった。ちゃんと話す。話すけど、軽蔑しないでね」
彼女はそう言って寂しそうに笑った。
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