五日目 橋本さやか④

「着ぐるみ着たことある?」

 突拍子もない質問だった。

 そのあとに続いたのは、橋本はしもとさんのバイト体験談だった。

 春先にイベント関係のバイトでよく知らないキャラクターの着ぐるみの中に入ったのだという。暑くてクサくてというイメージがったが、実際に入ってみるとそれよりも気になることがあった。

「小さいのぞき窓みたいのがあってね、私はそこからみんなを見てるの。ちょっと見えにくいくらいでいつもと変わらないんだけど、向けられる視線は全然違って」

 キャラクターの目がついている場所とは別に、操作する人の視界を確保するためののぞき窓がある。それは極力目立たないように作られているから、そこから覗かれていることなど気にしないのが当然だ。

 だというのに、橋本さんはそれが不思議で仕方なかったという。

 自分に群がってきた人たちなのに、その誰とも目が合わない。

 当然のことなのに、言いようのない寂しさを感じたらしい。それは、大勢に囲まれているのに、ぽつんと一人でいるような感覚だったと橋本さんは言った。

「そういうこと」

「え、何が?」

「だから、告白をやめてほしい理由?」

「…………ごめん。どういうことかよくわからない」

「つまり、今の『カワイイ』って言われるようになった私は着ぐるみみたいで、だから告白をされたくないってこと」

 『つまり』と言われたけど、言ってることがまったくわからなかった。

 だけど橋本さんは寂しげな笑みを浮かべて話を続けた。

「私ね、去年の今ごろは付き合ってた人がいて、でもそのあと冬休み中に振られちゃって」

 その辺の話はすでに知っていると言っていいものか悩んでいるうちに、彼女の話は、昼休みの男子生徒とかわらないくらいの温度感で進んでいった。まるで、噂話か昔話の類いを聞かされているようだった。




 彼に裏切られてショックだった。

 二股をかけられてたの。

 彼が選んだのは、私よりずっと女子力が高くてカワイくて、キラキラしてる子。

 私は自分が冴えない感じだから振られたと思った。

 だから私もカワイくなってやろうって。振られたあと、いっぱい頑張ったんだ。……あ、違うよ! 彼に振り向いてほしいとかじゃなくて、なんか、そのままじゃ悔しかったから。悔しいとも違うかな。……情けない、かな。

 とにかくね、変わろうって思ったの。

 憧れのアイドルの仕草とか髪型とか真似したり、メイクとかファッションとか得意な人を見つけていろいろ教えてもらったり。

 それで今の私ができあがった。

 カワイイねってたくさん言ってもらえるようになった。

 男の子たちに『好き』って言われることだって、認めてもらえたみたいで嬉しかった。

 でも、告白が何人か続いたときに気がついたの。

 この人たちが見ているのは『カワイイ橋本さやか』だけなんだって。頑張って作った着ぐるみの部分だけなんだって。

 だって、「私のどこが好き?」って聞いても、返ってくるのは『カワイイところ』って、それだけなんだもん。

 告白して来た人はみんな、中にいる私とは目を合わせようとしないんだ。

 あまりにも目が合わないから、着ぐるみの中は空っぽなんじゃないかと自分で思うようになっちゃった。

 だから告白されるのは、最近はすごく苦手なの。




「それにね、ひどいことを言う人もいるんだよ」

 怒りでも嘆きでもなく、彼女は呆れたように笑った。

「『あんな男に媚びるようなことしといて、片っ端から振るって何様のつもりなんだろうね。きっと中身は最悪なんだよ。男子たち、騙されてかわいそう』って。中身があるって認識してくれるのは悪くないけど、ひどい言いようだよね」

 クラスの中に何かと目立つ子がいて、その子に言われたのだという。口ぶりを真似て教えてくれたのだが、それがまたカワイイ見た目とのギャップがすごくて私は不謹慎にも笑ってしまった。

 すぐさま謝ると、橋本さんは「いいの」と優しく笑う。

「クラスの大半は私のことかばってくれたし、単なるやっかみだから。あとで聞いたの。そのひどいこと言ってきた子の好きな先輩を私が振ってたんだって。それが気に入らなかったみたい」

 あっけらかんと話しはしたが、橋本さんは「仕方ないんだけどね」と寂しそうに笑った。

 自分が『カワイイ橋本さん』を作ったせいだと。だけどそういう感じだから、告白はできることなら未然に防ぎたいのだと言う。

 なりたいものになっただけなのに、そんな顔をして言葉を絞り出すのはなんとも悲しいことじゃないか。

「そんなやつら気にしなければいい。やっかみをぶつけるだけの人間はその場にとどまり続けるだけだから、構わないで、橋本さんは自分の思うように進めばいいんだ。そんなやつら、置き去りにしてやれ」

 言ってからしまったと思った。

 いつも夕莉ゆうりに注意されることだ。「あんたみたいに割り切れる人間ばかりじゃない」と。ものごとの渦中にいる人にただ『気にしなければいい』とぶつけるのはあまりに傲慢な行為なのだ。

 ごめんなさいと言いながら彼女の顔を見ると、彼女はくすくすと笑っていた。

「置き去りにするってカッコイイね」

「いや、橋本さんはそういう強さがありそうだったから」

「ホント? うれしい。そんなこと、初めて言われた」

 カワイイとはよく言われるけれどとおどけてみせる。

「だって、今の姿は頑張った成果でしょ。努力できる人は強いんだよ」

 私が言うと、橋本さんはとても驚いた顔を見せた。一瞬言葉に詰まって、だけどすぐに誤魔化すように笑う。

 しかしその笑顔はやがて、実に笑顔らしい無邪気なものに変わっていった。しきりに滲ませていてた寂しさみたいな感情はこの笑顔には混じってなかった。

「えへへ。植月うえつきさんのお墨付きもらっちゃった。今度からは気にせず置き去りにしちゃおうかな」

「しちゃえばいいよ」

「でも、その話と暮木くれきくんの告白については別だけどね」

 いたずらっぽく笑うのは、カワイさを演出しているというよりは気遣いの結果なのだろう。はっきりとした言葉で断りながらもその場を深刻にさせない。

 カワイイ以上に気持ちのいい子だなと思った。彼女のお願いならば、できることなら叶えてあげたい。

 だけど、それが本当に彼女のためになるのならばだ。

「告白して欲しくないいちばんの理由は、さっきの着ぐるみの話ってことでいいんだよね」

「そう」

「それなら私は橋本さんのお願いを聞けない」

「どうして?」

 意外な返答だったという様子で目をぱちくりとさせた。

 そもそも緩士ひろとの告白を止める権利など自分にはないのだけれどと言ってから、私はしっかりと橋本さんの目を見た。

 今度は自分から彼女の手をとる。

「あいつは着ぐるみののぞき窓を見つけて、中を覗き込むようなやつだから。だから話くらいは聞いてあげて欲しい。きっと、今度の告白は橋本さんを寂しくさせたりはしないから」

「自信たっぷりに言うのね」

「あいつは、悪いやつではないから」

 言いながらわずかな不安はよぎったが、頭を振ってそれを払う。その姿を見て橋本さんは笑った。

 笑ってから困ったような顔を見せる。

 それじゃ駄目だろうか、と問いかけると、眉の端がいっそう下がった。

「植月さんのこと、信じていいの?」

 上目遣い、ふたたび。

 圧されぬように背筋を伸ばした。

「信じていい。あいつは橋本さんを傷つけたりしない。私が保証する」

 思わず力が入ってしまった。

 ギュッと握った手。きっと痛かったことだろう。

 だけど橋本さんはそれと同じくらいの力で私の手を握り返した。眩しい笑顔。力強さを増した西陽を浴びて、しっかりと頷いた。

「わかった。明日、暮木くんの告白を聞きます。返事は――わからないけどね」

 首を傾けて照れたように笑う。

 ああ、本当にこの人はカワイイ人だなと思ったけれど、この流れで言うのが正しいかわからなくて、私は胸の中にとどめておいた。




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