二日目 橋本さやか①

 両手を軽く開き親指と人差し指で三角形を作ったらおでこの辺りで構える。これがオーバーハンドパスの基本。

 その三角の中で、ボールと照明が重なったまではなんとかなった。食事中に見た緩士ひろとの間抜けな顔がふと頭をよぎると、私の距離感覚は一気に狂った。

 オーバーハンドパスはヘディングへと変わる。

 あら珍しいと松田まつだ夕莉ゆうりがケラケラ笑った。しかしすぐに今日が十二月のはじめだと気がついて乾いた笑いへと変える。

「やっぱり今年も来たの?」

「来たよ。去年とまったく同じ展開で」

「え、じゃあ一人目はまた才苗さなえ?」

「そのとおり」

「なんで断るかな」

「断ったってまだ言ってないのに」

「断ったんでしょ?」

「まあね」

 気を取り直してパスは続く。

 同じ中学校でバレー部に所属していた私と夕莉は、高校に入って帰宅部になってからも昼休みに集まって体を動かしている。

 休み時間のはじめは、早食いの二人だけ。

 そのうち、同じように体を動かしたい面々がちらほら集まってきて、最終的にクラス、学年、性別を問わない十人弱の円陣ができあがる。体育館内ではバスケをやりたい勢力との場所取り争いが熾烈なので、私たち二人はバレーボールやりたい勢から有り難がられている。

「才苗が断らなければ平和に終わるんじゃないの?」

 夕莉は好き勝手言う。

「なに? 暮木くれき、今年もやるの?」

「去年はすごかったよねー。今年は何人くらいいくのかな」

「注目すべきは人数よりも、オーケー出す人間がいるかどうかじゃない?」

「自分のとこ来たらどうする?」

 遅れて加わったメンバーがパスを受ける度に挨拶を交わすように発言していった。

「で、なんで断ったの?」

 いくつかの声が重なった。

 それを聞いて思わず、私は腰の高さに飛んできたボールをしっかりと両手で受け止めてしまった。

 いや、だからそれは――説明しようとして言葉に詰まり、代わりに最低なことをする。

「それよりも、次のターゲットはB組の橋本はしもとさんだってさ」

 私はボールを投げた。

 ターゲットって言い方、と誰かが茶化す。「橋本さんって誰だっけ」という疑問から、「あの子じゃない? 毎日のように男子に呼び出されてるって」「毎日は盛りすぎでしょ」「いやいや、それがあながちウソでもなくて――」と話が膨らむ。

 やがて話題に混ざりたいだけの男子たちが加わって、円陣はいつもよりも少しだけ大きくなった。

 その男子たちが言うには、B組の橋本さやかという女子は、ふんわりとした雰囲気のいかにもモテそうな女子だという。

 小さくて、ピンクが似合って、笑顔が可愛らしくて、つい守ってあげたくなる。

 まあお前とは正反対なタイプだよ、と私に向けて言い放った男子は、夕莉の全力のスパイクの餌食となった。その威力を知っているだけに、彼に対するささやかな怒りなんかはあっという間に消えてなくなった。

「しかし、そんなに目立つタイプのカワイイ子なら、去年すでにトライしてそうなもんだけどね」

 夕莉が首を傾げる。

「去年は目立たなかったからでしょ。それにクラス遠かったし」

 他の男子がボールを拾って円陣に放り込む。

 クラスが遠かったという言葉は理解できたが、『去年は目立たなかった』とはどういうことか。

「今年のはじめ? 冬休み明けたころからだから。可愛くなったの」

 その男子が言うには、つまりこういうことだ。

 去年の今ごろ、橋本さやかは同じクラスの男子と付き合っていた。文化祭で仲良くなったということだが、その関係はクリスマスを迎えるくらいまでは良好だったという。

「何があったかは知らないけど、冬休み終わって三学期が始まったらもう別れててさ」

「あら早い」

 飛んできたボールをしっかり返しながら夕莉は言う。

「どうしたんだろうね、なんて外野が噂してるうちに、なんと」

「なんと?」

「相手の男の方にはあっという間に新しい彼女ができていたという。橋本と時期が被ってたとか、そんな話もあったなあ」

「なんじゃ、そりゃ!」

 夕莉の怒りが、まったく非のない男子の身を襲う。それをなだめながら、私は円陣から一歩はずれた。話をしっかり聞きたかったのだ。

 その動きにならって男子生徒も円の外に出る。

「ショックだったのか悔しかったのか知らないけど、そこからだよ、橋本の見た目とか変わったの。徐々にだったから俺らはそんなに違和感なかったけど、他のクラスのやつらはびっくりしてたな。んで、急に恋愛対象になったみたいで、わらわら群がってたよ」

 その時の外野の反応を思い出したのか、男子生徒は小さく笑った。

「そういうわけで暮木も去年は橋本のこと対象にしてなかったんじゃないか?」

 ふうんと私は言った。

 本当は「それはたぶん違うと思うよ」と言ってやりたかったのだが、何がどう違うのか説明するのが面倒だったので私はそのまま口をつぐんだ。

 チャイムが鳴る。

 最後は私か夕莉にパスを回すことで昼休みのこの会は終わる。今日は夕莉だ。

 彼女は名前も知らぬ飛び入りの三年生からボールを受け取って、ちょこんと私の隣りに立った。背丈も体の線も、人や物の好みも似たような私たち。一部の人たちからは『血のつながらない双子みたい』とよくわからない評価をいただいている。

 そんな似たような私たちだからといって、考えることまで一緒とは限らない。

「暮木のこと考えてたの?」

 ニヤニヤと夕莉が笑う。

「いや。どっちかって言うと、橋本さんのこと」

 意外そうな顔をした夕莉からボールをそっと奪うと、しがみつくように抱きしめた。

 クリスマスにあまり良い思い出がなさそうな橋本さんが、『クリスマスまでに彼女が欲しい!』という男に告白されて嫌な思いをしないかと、ふと考えてしまったのだ。



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