第十話 原点

 気づけばキャンパス上空はオレンジに染まり、鳴き声BGMはアブラゼミからヒグラシへとバトンタッチ。日中はジリジリとうるさかった爆音も、現在はカナカナという心地よい清涼音へと様変わりし、気温的にも、気分的にも、幾分か涼しくなってきた。

 そんな中。俺は閉店間際のカキ氷店に滑り込み、ブルーハワイのカキ氷を二人で購入したのち、彼女をとある場所に連れてきていた。


「すご……めっちゃ綺麗……」


 眼前に広がるは、一面の海。夕焼けの太陽が地平線の彼方までをも橙に照らし、青の氷菓子を手に持つ彼女の瞳の中では、青でなくなった海が揺らめいている。押しては返す波のさざめきはヒグラシの声と共鳴し、その音は俺たちに、ありありと夏を感じさせていた。

 現在、俺たちが立っているのはキャンパス内最東端に位置する『休憩所』である。まあ休憩所といっても、崖のような場所にベンチがポツンと置いてあるだけなので、実態は海を楽しむためだけにあるようなものなのだが。完全に野外なので、休憩所と呼ぶには少しおこがましいような気もする。


「ま、とりあえず座れよ。一日歩き詰めで疲れてるだろ?」


 オレンジの海に目を奪われている教え子を見兼ねて、着席を促す。


「あ、う、うん。そうだね。立ってカキ氷食べるのもお行儀悪いし、座ろっかな」


 スカートをパンパンと軽くはたき、古びたベンチに彼女が腰掛けた。俺もそれに倣い、彼女との間にヒト二人分ほどのスペースを開けて、ベンチに腰掛ける。


「え、なんか遠くない?」


 が、神楽坂はどうも、その距離が気に食わないようだった。


「ん、なんだよ。別にピッタリくっつく必要もないだろ?」

「でも、アタシと間隔開けて座る理由も無くない?」

「……まあ、それはそうだが」


 今日は何かといつもより神楽坂との距離が近かった。ので、なんとなく気を遣ってスペースを開けたつもりだったのだが、余計な配慮だったようである。


「じゃあ、間を取って一人分距離を詰めるとしよう」

「ふふっ、なにそれー」


 ブルーのカキ氷を口に運びつつ笑う彼女を見やり、三十センチほど距離を詰める。

 それにしても、出会ったばかりの頃は離れろと言われていたのに、まさか距離を詰めろと言われる日が来るとは。人間関係ってのは、まるでブラックボックスだな。フタを開けてみないと、どうなるか分からない。


「で、センセーはなんでアタシをここに連れてきてくれたと?」


 そんな所感を抱いていると、隣の彼女は、至極真っ当な問いを投げかけてきた。


「あー、いや、なんだ。せっかく外に出るんなら、ついでにお前が見たいって言ってたものを見せてやろうと思ってな。ちょうど良い機会だと思って、連れてきた」

「え? アタシ、なんか言ってたっけ?」

「いや、お前。自分が言ったことくらい覚えとけよ。英単語覚えるよりよっぽど簡単だろ」

「っ! な、なによ! いちいち自分が言ったことなんて覚えてられなくない!? センセーは自分が食べたパンの枚数を覚えてるわけ!?」

「いや、別にそんな怒んなくても良いだろ。沸点がよく分からんヤツだな」


 しかし、当人が思い出せないのなら仕方ない。俺の方から言ってやるしかないか。


「青い空。青い海。青いカキ氷」

「……え?」

「だから、その。お前、言ってたじゃないか。ほら、やたらと青を恋しがってただろ?」


【青い空、青い海、なぜか美味しいブルーシロップのカキ氷……ああ、今年はどの青も満喫できないんだぁ……】


「あ。そんなことを言ったような気がしなくもなくもない?」

「いや、うろ覚えかよ」


 どうやら、さほど青を渇望していたわけでもないようである。


「え? もしかしてセンセ、たったそれだけのためにアタシをキャンパスに連れてきてくれたの?」

「……いや、そういうわけでもないが」

「むむ、少し気になる間が」


 別に、教え子の何気ない一言を叶えるためだけに、わざわざ大学に来たわけじゃない。メインの目的は気分転換とモチベーション向上だ。それに変わりはない。

 ただ、偶然にも今日は学祭があった。だから、普段はカキ氷なんて売ってないキャンパスでも、今日だけは出店で青いカキ氷を買うチャンスがあった。

 そして、運よく今日は青空だ。ならば、あとは海を見れば『三つの青』はクリアー。うってつけの場所を知っているのだから『あわよくば海を見て更にモチベを上げてくれればラッキー』くらいの感覚で、神楽坂を連れてきただけの話である。


「しかし、よくよく考えると全然青くないな。見渡す限り夕日色だ。こりゃあ昼間に来れば良かったか?」

「えー、別に良くない? そもそも海自体が元は透明で色が無いんだし、仕方ないよ。青く見える時は青く見えるし、今みたいにオレンジっぽく見える時もあるばい?」


 言うと、何を思ったか、彼女はガツガツと口いっぱいにカキ氷を掻き込んだ。言うまでもなく頭痛が襲ってきたようで、「うー、ちべたいっ!!」と叫び、両手でこめかみを抑える。


「……何やってんだ、お前」

「いやぁ、なんかアタシって海に似てるなぁって思って。それでムシャクシャしてドカ食いしたら、キーンってなっちゃった」


 言ってる意味がまるで分からん。


「うーん、なんていうかなぁ。どんな色にも染まりやすくて、自分の色が無くてさ? それってなんとなく進路決めてるアタシと同じじゃーん、みたいに思っちゃった。そう、アタシは言わば透明で綺麗な海! みたいな?」


 声色は朗らかに。しかし瞳の奥には影を落として、彼女が笑った。


【あはは、ごめんね、センセ! ちょっとアタシに構ってほしくて、センセーを困らせちゃった!】


 そして、その表情は。俺の記憶の片隅に刻まれているものだった。


「久しぶりだな、その作り笑い。初回授業以来か?」

「……やっぱり、分かっちゃうんだ。えへへ、さすがだね?」

「そりゃあ三ヶ月も一緒に居るからな。嫌でも分かる」


 ──神楽坂は、よく笑う。

①できなかった問題ができるようになった時。

②生意気にも、俺をからかう時。

③ドヤ顔で偉そうに、恋愛を語る時。

④何かを隠して、誤魔化そうとする時。 


 色んな種類の笑顔で、とにかくコイツはよく笑う。今まで俺は、曲がりなりにも近い距離で、それを見てきたつもりだ。

 だから女心に疎い俺でも、作り笑いくらいは見抜けるんだよ。生憎、四択問題は得意でな。


「作り笑いで誤魔化そうとしても無駄だ。俺は騙されない。家庭教師ルール・その四『無理に大人ぶろうとせずに悩みがあったらなんでも相談すること』に基づき、隠してること全部話せ」

「うわぁ、相変わらず面倒な性格してるぅ」

「ハッ、そりゃあお互い様だろ」


 やたらと気持ちを隠す神楽坂は面倒な教え子で。やたらと気持ちを暴こうとする俺も、面倒な家庭教師なのだろう。彼女との相性が良いなんて、口が裂けても言えやしない。


「仕方ないなぁ。じゃあ条件付きで、話してあげるね?」

「おいおい、なんで相談する側が上から目線なんだよ」


 ──だが、俺たちはそれで良いのだ。


 遠慮せず、互いの面倒臭さを押し付け合う。それで奇跡的にバランスを取れているのが、俺たちなのだから。


「で? 条件ってのはなんなんだよ?」


 条件とやらに従うのは面倒臭い。けれど反抗するのも面倒なので、彼女の言葉に従うことにする。


「アタシ、センセーが先生になった理由を知りたい」

「……とんでもなく藪から棒だな」

「だって、知りたいんだもん。アタシと三つしか歳が変わらないのに、なんで色んなことを教えられるのかを、知りたくて。今日お祭りで大学生の人はいっぱい見たけど、やっぱりセンセーだけは、なんか違う気がして」


 なんて、まくしたてた刹那。


「なんでそんなに大人でいられるのかを、教えてほしいの」


 まるで授業中、分からない問題を質問するかのように。彼女は問いかけてきたのだ。


「……別に。自分が大人だなんて思わないけどな。まあ、大人ぶっている時はあるかもしれないが」

「じゃあ大人ぶっている理由を教えて!!」

「いつになく意欲的だな!?」


 授業の時以上に積極的な教え子をチラリと見やりつつ、はぁ、と一つ溜息。眼前の夕焼け海では潮が満ち、隣の教え子は好奇心に満ちているようだ。なぜか仲間外れにされた気分である。


「まあ、分かったよ。要は、俺が講師業やってる理由を話せば良いんだろ?」

「うん。話してくれたら、アタシもセンセーに聞かれたことには答える」

「よし、言質取ったからな。俺が話したら絶対話せよ。あと、俺の話がつまらなくても文句は言うなよ」


 釘をしっかりと刺し終え、大きく息を吸い込む。特に緊張などしていないが、自語りなんて柄じゃない。慣れないことをやるには、それなりに気持ちの整理が必要だ。

 そして最後。俺は溜め込んだ息を吐き出しつつ、


「俺は幼くして両親を亡くした。回りまわって、それが講師をやるきっかけになったんだ」


 ──どこまでも広がっている気がする海をぼんやり眺めながら、自分の原点かこを語り始めた。

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