第二話 課外授業
翌日、午前十時。俺は神楽坂家の最寄り駅にて教え子と合流を果たし、路面電車に揺られていた。
「いやー、チンチン電車に乗るとか久しぶりばい。センセーは乗ったことあると?」
純白ワンピース姿の長崎弁少女が、隣の座席から問いかける。部屋着と制服以外の服装を見るのは、何気に初めてだ。
「ああ、何回か乗ったことはある。普段は徒歩通学だが、雨が酷い時は路面電車使ってるからな。あと他意は無いんだろうけど、女の子がチンチン電車って言うのはやめとけ」
「えー、なんで? チンチン電車って、なんか響き可愛くない?」
現在俺たちはチンチン電車、もとい路面電車で西九州大学に向かっているところである。目的は言わずもがな、神楽坂の気分転換を兼ねて、大学見学を行うためだ。なお、彼女を連れ出す許可は親御さんと塾長から得ているため、コンプラ的な心配は無用である。
ちなみに、すっかり衰退したイメージを持たれがちな路面電車であるが、長崎市内では未だ一般的に利用されている交通手段である。坂が多く、マトモに自転車移動のできない長崎市に住む俺にとっては、通学手段の一つだったりする。
「ところで神楽坂。移動時間にこうして無駄話をするのもアレだし、ちょいと俺の『授業アンケート』に付き合ってくれないか?」
「へ? 授業アンケート?」
「ああ、そうだ。まあ、アンケートといっても、そんな大層なものじゃないんだけどな?」
なんやかんやありながら、彼女との付き合いも三ヶ月目。そろそろ家庭教師としての暫定的な評価を聞いておきたい時期でもある。いわば、意識調査のようなものだ。
「どうだ? 何か、俺の授業に不満な点はないか? 逆に良かったと思うことがあれば、それも聞かせてほしいんだが」
「んー、特に不満はないよ? 解説は分かりやすいし、ちょっとずつだけどセンセーのおかげで点数も上がってきたし。あー、あとアレ! センセーから教えてもらった『なんでもノート』はすっごく役に立ってる!」
「お、そっか。そりゃあ良かった」
なんでもノート。神楽坂から「何か良い勉強法ない?」と尋ねられた時に、俺が薦めた勉強法である。文字通り、間違えた問題に関係する公式やら知識やらを、なんでも記録するノートだ。
「いやー、間違えた問題を履歴に残すだけで、結構変わるものなんだね。自分が作ったノートを見返すだけで結構効率よく復習できちゃうんだもん」
「まあ、今神楽坂が作っているのは神楽坂の『苦手』が集まった、世界に一冊のノートだからな。作るのは大変かもしれないが、効率は良いだろうさ」
「世界に一冊の、アタシだけのノート……えへへ、なんかちょっとかっこいいかも?」
両手で口元を抑え、無邪気に彼女が微笑む。
「はは、そうだな。そして、そのページが増えていけばいくほど、お前の努力は目に見える形で刻まれていくんだ。試験前に不安になった時でも、ボロボロになったノートを見れば『これだけ頑張ったんだ』って、自分を励ますことができる。結局のところ、最後に自信の源になってくれるのは自分がやってきたことだからな」
努力は他人にひけらかすものではない。しかし積み重ねた努力を可視化して、いつでも自分で見返せるようにするのは大事なことだ。それができるという点でも、俺は『なんでもノート』という勉強法を気に入っている。
人間ってのは、見えないものより見えるものを信じるようにできている。だから、努力を目に見える形として残しておけば、確たる自信の根源となる。そういう話だ。
「一度間違えた問題を、次で必ず正解できるようにする。どこまでいっても勉強ってのは、この繰り返しだ。なので変に近道しようとせずに、この調子で頑張りたまへ」
ポンっと軽く背中を叩き、彼女にエールを送る。すると、同時に『西九大前~西九大前~』と、旅の終わりを告げるアナウンスが鳴り響いた。
「うん、分かったよセンセ! アタシ、これからも頑張るね!」
身に纏う純白のワンピースにだって負けないほどに。白い歯を見せてニコリと笑いながら、彼女が立ち上がる。
そして、俺も続いて立ち上がり、降り口へと歩みを進めた瞬間。彼女はスカートをヒラリとなびかせながら、こちらを振り向くと、
「だから、センセーもアタシから百点貰えるように頑張るんだぞ?」
今度は生徒ではなく恋愛教師として釘を刺すように。人差し指をトスリと、俺の胸に押し当ててきたのであった。
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