第三章 完答し、勘答す

第一話 なつい

 マイペースに生きていたい俺を置き去りにするかのように、季節は駆け足で過ぎていく。気づけば、奇妙な家庭教師生活を始めてから二ヶ月が経過し、暦は八月。夏真っ盛りである。


「うぅ、あっつ……」


 世間は夏休みシーズン。さりとて、俺に休みはなし。焼かれた肌から噴き出す汗を拭いつつ、今日も今日とて神楽坂家へと向かう。

 外気は暑く、足元は熱い。上からは太陽光、下からはコンクリートの反射熱。まさに灼熱サンドイッチである。今地面の上に卵を乗せれば、良い塩梅で目玉焼きが作れるのではなかろうか。


「……いや、それは無いな」


 電気代が節約できてエコだなと一瞬本気で検討しかけたが、衛生的にアウトだった。いかん。暑さで脳味噌まで湯立ってきているのかもしれない。


「あ、センセ……こんにちは……」


 神楽坂家に到着。インターホンを鳴らし、いつものように階段を上って部屋を訪れると、そこにはベッドの上で、ぐでぇーっとうつ伏せになっている教え子が居た。


「なんだ。今日は珍しく元気が無いな」


 しぼんだ風船のようにダラリと寝そべっている彼女の元に歩み寄り、声をかける。


「そりゃあ元気なんて出ないよ……夏だし……暑いし……夏いし……」

「なるほど。その様子だと、今日は頭も回りそうにないな」


 コンクリート目玉焼きなんてことを考えてしまう俺と同様に、彼女もまた、脳が上手く働いていないようだ。暑が夏くなっている。


「うぅ……しかも今年の夏は勉強ばっかりやけん、お出かけできそうにも無いし……青い空、青い海、なぜか美味しいブルーシロップのカキ氷……ああ、今年はどの青も満喫できないんだぁ……」

「ま、まあ、受験生だからな。今年だけ我慢して、そういうのは大学生になってから思いっきり……」

「やだやだ! 高三の夏は一回しか無いの! 勉強だけとか絶対ムリぃ!!」


 駄々をこねる子供のごとく、左右交互に足をバタバタさせるJK。こういうところを見ていると、やはりこの子は、どこか楓に似ているような気がする。

 しかし、どうしたものか。ここ二ヶ月は集中して授業を受けてくれていたが、さすがにフラストレーションが溜まってきたようだ。夏なのに遊べないという事実が、彼女のモチベーションを奪っているように感じる。

 このまま授業を始めても、おそらく意味は薄いだろう。勉強したくない時に勉強をやれと言われたところで、内容が頭に入るはずもない。


【でも、まあ……分かった。分かったよ。ずっと勉強ってのも無理だろうし、集中力が切れたら、そん時は話に付き合ってやるよ】


 ふと、初回授業で何気なく口にしたセリフを思い出す。

同時に、この言葉の責任を果たすタイミングは、まさに今なのではないかとも思えた。

 ここは『我慢して勉強しろ』とムチを打つのではなく、何らかの形でアメを与えてガス抜きをした方が良いのではないか、と。今は彼女のモチベーション回復に専念するのもまた、家庭教師の仕事ではないか、と。そう考えた。

 というわけで。俺は気分転換の意味も込めて、彼女に一つ尋ねてみることにした。

「なあ、神楽坂。お前、オープンキャンパスに興味はあるか?」



〈指導報告書⑤〉講師名:櫻田優作 

・担当生徒の心身に疲労が見られる。

・課外授業の許可をいただきたい。

 

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