第八話 ハイスコア更新
地球が一回転。明けて翌日。サクッと大学の授業を終えて、放課後。
「ねぇ、センセー大丈夫……? そ、その……悪い女の人に脅されたりしてない?」
家庭教師として迎える実質二回目の指導は、そんな、『どの口が言っているんだ』とツッコんでしまいそうになるセリフと共に幕を上げた。
どうやら昨夜の出来事はこちらの想像以上に、彼女の中で混乱を招く事態になっていたらしい。はてさて。一体どんな連想ゲームをすれば、楓と遭遇しただけで俺が悪女に脅されているという結論になるのだろうか。
というか、一番最初に俺を脅していたのはどこのどなたでしたっけ。
「おい、神楽坂。お前は一体何を言っているんだ」
「いや、一晩経ってアタシも色々考えたのよね? そしたら、やっぱセンセーにガールフレンドなんてできるわけないなーって思って。ねぇ、昨日スーパーに居た金髪のおっぱいの人って絶対センセーの彼女じゃないでしょ?」
「ふむ。とんでもなく失礼なことを言われたような気がしないでもないが、それは一度捨て置こう。それで? 一体全体、どうして俺がアイツから脅されていることになるんだ?」
「だ、だって! あの人、めっちゃヤンキーみたいな見た目ですっごく怖かったし! だから陰キャっぽくて見た目が弱そうな先生に目をつけて、勝手に彼女を名乗ってカツアゲでもしてるんじゃないかなって思って!」
「おい恋愛教師。お前、心配しているように見せかけて俺を傷つけようとしてないか?」
しかし、この娘は出会ったばかりの頃に俺を脅していたことを忘れているのだろうか。なんとも、都合の良い脳味噌である。
「センセーは勇気を出してあの人と縁を切った方が良いよ! あの人は美人でスタイルもいいけど、なんだかとんでもないロクデナシな匂いがするの!」
おい楓。お前、JKから本性見抜かれてるぞ。
「まあ、待て。落ち着け神楽坂。確かに昨日お前が見た女はロクデナシで、俺の彼女でもない。だが中身は怖くもなんともない純度百%のポンコツなんだよ。よくタダ飯を要求してくるヤツではあるが、カツアゲをするようなヤンキーではない」
タダ飯もカツアゲも、さして差が無いような気はする。が、それはそれとして一応ヤツの誤解は解いておく。
「つーかアイツ、『生徒ちゃんに謝っといて』って俺に頼んできたんだぞ? 昨日はからかってゴメンって。驚かせてゴメンって。確かに楓は人間性に問題があるヤツではあるけど、悪いヤツではないんだよ。それは俺が保証する」
「……ふーん、そう。悪い人じゃないんだ」
む、なぜだ。今度は心なしか、神楽坂が膨れっ面になっている気がする。
「楓……名前呼び……」
「へ?」
「ねぇ。じゃあセンセーと、その楓さんって人はどういう関係なの?」
「ん? あー、それは……なんなんだろうな……」
聞かれてパッと答えられるような関係だったら楽なのだが、そういうわけでもなかった。ただの幼馴染と言いたいところではあるが、ヤツのハチャメチャっぷりは俺自身、未だに馴染んでいる気がしない。
「あ、本当は彼女でしたーとかだったらアタシ、絶対許さないからね?」
「いや、なんでよ」
「だってアタシが受験頑張ってる中でセンセーだけリア充とかムカつくし」
「私怨が凄まじいな」
なんだ。俺は彼女を作るのも許されないのか。アイドルグループに入った覚えは無いんだがな。
「で、楓さんとはどんな関係なの!!」
表情は険しく。けれど瞳には好奇心を宿らせながら、俺を問い詰める神楽坂。しかし、なるほど。こういうところを見ていると、案外神楽坂と楓は似たもの同士なのかもしれないと思えてくる。
神楽坂に好奇心を抱く楓と、楓に好奇心を抱く神楽坂。それこそ、感情旺盛な猫のように互いに興味を持ちあう彼女らは、存外気が合うのかもしれない。
えー、で、なんだったか。確か、楓との関係がどうたらという話だったか。
「うーん、アイツは……危なっかしくて目が離せない姉のような、手のかかる妹のような……そんな感じだな」
「家族みたい、ってこと?」
「だな。多分それが一番近い」
一緒に居ようとしなくても、勝手に隣に居るからな。家族みたいなものだろう。
「ふーん……まあ、それなら許してあげる」
「へいへい、そりゃどうも」
許しを貰う必要など無いし、そもそも何を許されたのかすら分からない。が、それを言うと更に無駄な問答を重ねてしまう気がするため、軽く流しておく。
「さあ、この話はおしまいだ。授業やるぞ」
パンパンと両の手を叩き、気持ちと雰囲気を切り替える。俺と彼女の受験戦争はまだまだ始まったばかりなのだ。こんな話で時間を食っている場合ではない。
「よし。まずは軽く昨日の復習だ。さて、神楽坂。前回の指導で俺がどんな話をしたかってのは覚えているか?」
「ふふん、そりゃもちろん覚えてるよ? 志望大学の配点を調べてから対策を練るのが大事だって話でしょ?」
ドヤァという擬音が直接耳に入ってきそうなほどに、自信たっぷりな笑みを浮かべる神楽坂。どうやら昨日の話は十分に理解してもらえたと考えてよさそうだ。優秀優秀。
「そう。昨日は入試についてしっかり理解しようという話だったな。だが、入試に打ち勝つためには、それだけではまだ足りないんだよ。敵を知ることも大事だが、それと同じくらい自分を知ることも大事になってくるわけだ」
「? 自分を知る?」
ドヤ顔が一変。今度は神楽坂の眉毛がハの字になる。多少生意気な部分は残っているものの、こうしてコロコロと表情が変わるのは、実に子供らしくて微笑ましい。
「そう。昨日の授業が敵を知るための話だとするなら、今日の授業は自分について知るための話だ。早く勉強を始めたい気持ちはあるだろうが、これも大事な話なんだよ。だからもう少しだけ俺の話を聞いてくれると助かる」
受験対策の考え方ってのは、RPGのラスボスを倒す時の考え方と似ている。
RPGの場合は、まず敵のステータスを知り、次に敵を倒すために自分がどれくらい強くならなければならないのかを把握し、ステータスを強化してから敵に挑むというのが定石だ。
そして受験の場合もまた、これと同じなのである。まずは試験の形式、ないし合格ボーダーライン等を徹底的に調べ、合格点をとるためには今の自分に何が足りないのか、どの教科のどの分野が苦手なのかを自分で把握し、点数を伸ばしていく必要がある。
七十点を九十点まで上げるのと、三十点を五十点まで上げるのとでは、同じ二十点でも圧倒的に前者の方が難しい。そのため、まずは苦手対策から行うのが効率的なのである。
「入試という名のラスボスを倒すためには自己分析が大事だ。自分の現状を把握し、自分の苦手を徹底的に知ることから受験が始まると言っても過言ではない。過去に受けた模試やら定期テストやらを見返せば、自ずと何が苦手なのかは見えてくるだろう。まずはそこから見直してみるといいかもしれないな?」
「えっと。じゃあ、つまり、自分が何を勉強するべきか把握しなさいってことで合ってる?」
「ああ、合ってるぞ。勉強において『分からない』は悪い言葉じゃないけど、『何が分からないのか分からない』っていうのだけは避けておきたいんだ」
「ふむふむ、なるほど。言われてみれば確かにその通りばい」
気づけば、神楽坂は熱心にメモを取り始めていた。可愛らしい丸みを帯びた文字列が、ノートの端で次々と連なっていく。
「……まあ、その姿勢だったらいずれ結果はついてくるだろう。そんなに焦る必要も無いさ」
真面目なのは大いに結構だ。だが自分を追い込み過ぎると身体を壊すこともある(経験談)ため、念のため注意喚起しておく。
「ふふ、なんかセンセーってよく分かんない性格しとるよね。すっごく現実的に話すこともあれば、そうやって優しい言葉を掛けてくれる時もあるんだもん。あ、もしかしてツンデレだったりする?」
シャーペンの先端をこちらに向けて、ニコリと神楽坂が笑う。
「別にツンツンもデレデレもしていない。俺はただ、事実を言っているだけだぞ」
焦らなくていいというのも、ただの事実。人間ってのは、急激に頭が良くなる生き物ではない。焦ったところで即座に結果が出るわけでもないのだから、焦る必要がない。それだけの話だ。
ちりつも。日進月歩。結局のところ、ごく一部の天才たちを除けば、人間とは小さな積み重ねを続けることで、少しずつ成長していくしかないのである。
「急に満点取ろうとしなくてもいいんだよ。昨日より一点多く取れる自分になる、くらいの感覚でいいのさ。それを続けりゃ、百日後には百点多く取れる自分になっている」
勉強しろ。頭ごなしに、そう言い聞かせる大人たちが居る。中にはすぐに結果を求める教師や、自らの教育理想を子供に押し付けるような親も居る。
だが、俺は思うのだ。それらは全て非現実的で、ナンセンスである、と。できないことをやれと言われてやる気になる子供なんて、そうそう居るはずもないはずだろう、と。
だから俺は、彼女に早急な点数アップなんて求めない。優しさからでも気遣いからでもなく、あくまで現実的に考えた上で、俺は彼女の成長を長い目で見守ろうとしているだけなのだ。
──だか何を思ったか、彼女はそんな現実主義者に希望を見出してしまったようで。
「えへへ、じゃあ事実を言われてるだけなのに、ちょっぴりアタシの胸が熱くなってるのは、なんでなんだろうね?」
「はは、さあな。もうすぐ夏だからじゃないのか?」
夏の気配差し迫る、とある午後。別に点数アップを狙っていたわけではないのだが、その日、俺は恋愛教師から七十点というハイスコアを頂戴し、意図せずして自己ベストを更新したのであった。
◆
〈指導報告書④〉講師名:櫻田優作
・意識改革終了。次回以降は、質問対応をメインに行う。
・担当生徒の意識が変わった反面、モチベーション維持については一考の必要あり。
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