第三話 えいえいおー
閑話休題。場所は変わらず、そして折り畳み机を二人で囲う構図も変わらず、教え子の個室にて。
「よし、喉の潤いチャージ完了! 準備は万端だよ、センセ!」
「そりゃ良かった」
右手を突き出し、「えいえい、おー!」と意気込む彼女。リビングで水分補給ついでに、やる気も補給してきたのだろうか。
まあ、気持ちが前向きなのは結構なことだ。早速初指導を始めるとしよう。
「よし。じゃあ、今度こそ授業開始な」
苦節二週間。この言葉を告げるだけで、妙に達成感を抱いてしまう櫻田である。まさか授業をやるためだけに、これほどの苦労をするとは露ほども思っていなかった。
「で、今日は何の科目から始めるの?」
「あー、基本的に科目は自由で、神楽坂から質問があれば俺がそれに対応するって形にしようとは思っているんだが……そうだな。今日は初回だし、まずは受験勉強の計画から立てるか」
「へ? 受験の計画?」
ガッツリ勉学から始めるとでも思っていたのだろう。神楽坂が拍子抜けしたように、首を傾げる。
「受験ってのは長期戦だからな。『最終的に何点取りたいのか』だとか、『目標点を取るためには何月の時点でどのレベルまで仕上げておきたいのか』だとか、そういう計画はザックリでもいいから立てといた方がやりやすいんだよ。マラソン選手もペース配分考えながら四十二キロ走りきるだろ? それと似たようなもんだ」
「ふむふむ、なるほど」
「そういう意味では、神楽坂が言っていた『効率よくやりたい』ってのは正しいな。闇雲にガリガリ勉強して迷走するよりも、最初にゴールまでの道をイメージしていた方が効率は良くなるってわけだ」
「わーお。目から鱗がポロポロだ。アタシ、そんなの全然考えたことなかったなぁ」
珍しく尊敬の意を示すように、神楽坂がキラキラと瞳を輝かせる。
「まあ、高校生が一人でそこまで考えるのは難しいだろうからな。今日は俺も一緒に考えていくから、その辺は心配無用だぞ」
実際に試験を受けるまでの過程は、長い一本道として捉えると非常に分かりやすい。合格というゴールに至るまでには、避けようのない困難が立ちはだかることもあるだろう。目標が高ければ高いほど、つまずき、悩み、壁の前で立ち止まってしまう機会も増えてくるかもしれない。
だが、しかし。意識的に先を見据え、壁を乗り越えるための準備をしておけば、停滞する時間を減らすことはできる。備えあれば憂い無し、というわけだ。
「よし。じゃあ勉強の計画を立てる前にいくつか質問だ。まずは志望校についてなんだが……事前に聞いていた情報によると、第一志望は西九州大学ってことでいいんだよな?」
西九州大学。通称『西九』。九州最強のネームバリューを誇る国立大学であり、ついでに言えば我が学び舎でもある。
「うん。芸術工学部志望だね。なんか字面的にカッコいいし」
「それは分からなくもない」
実を言うと、俺も一度は芸術工学部を志望したことがある。まあ、後に『芸工はパリピが多い』という噂を聞いた瞬間、現在通う工学部志望へと切り替えたわけだが。
……と、そんな昔話はどうでも良くてだな。
「他の大学は選択肢に入っていないのか?」
「うん。芸工に行きたいってよりは西九のどこかに行ければ御の字って感じ」
なるほど。九州のトップブランド目当てってわけか。思っていたよりも堅実な動機だ。
「オーケー、分かった。志望大学が一つに絞られてるってのは朗報だな。対策が随分たてやすくなった」
「え、そうなの?」
「ああ。一口に受験って言っても、試験形式は大学ごとにバラバラだからな。どこか一つに絞って対策を立てるのが一番効率良いんだよ」
と、いうわけで。善は急げというし、早速計画を練っていくとしよう。
「時に神楽坂。お前は西九の試験について、どれくらい把握しているんだ?」
「ん? 試験? 一月に一次試験受けて、二月に二次試験受けるって感じだよね? それがどうかしたの?」
「なるほど。答えとしては三十点ってところだな」
「なんか急に赤点つけられたばい!?」
パッチリと目を開けて驚く、そのリアクションだけは百点満点である。
「ぶーぶー! アタシの何が間違ってるって言うのさー!」
「あー、いや。別に神楽坂が言っていることに間違いは無いんだけどな。その答えだと西九の試験ってよりは、国公立大学の試験全般の話になってしまうんだ」
「……アタシにも意味の分かるように説明してほしかです」
「さっきから長崎弁多めだな」
まあ、ザックリとした大学受験のシステムは、先ほど神楽坂が言った通りだ。
まず大半の受験生は、一月中旬に全国一斉開催のマーク形式テストである一次試験、正式名称『共通試験』を受ける。少し前までは『センター試験』と呼ばれていたテストだな。
そして共通試験を終えれば、次は大学が独自に作成する筆記テスト、いわゆる二次試験を受けることになる。全員が同じ問題を受験する共通テストとは違い、大学によってモロに難易度の差が出るのが、この二次試験だ。身の丈に合わない大学を志望すると、痛い目を見ることになる。
基本的に、大学側は一次試験と二次試験の合計点数を基準にして合否判定を行うことになる。まあ一部例外はあるものの、大半の国公立大学の受験システムはそれで説明がつく。
しかし、ただ一点。大学によって大きな違いが出る要素が存在するというのも、事実なのである。
「……で、センセ? アタシの足りなかった残り七十点は何なの?」
して、その要素とはズバリ。
「配点だよ。目標を立てる前に、まずは一次試験と二次試験の配点比率を知っておく必要があるんだ。配点比率によって対策の仕方がガラッと変わってくるからな」
一次試験の点数に重きを置く『一次型』の大学もあれば、二次試験の点数を重視する『二次型』の大学もある。その『配点比率の違い』こそが、神楽坂の見落としていた七十点分の要素なのである。
「マーク形式の一次試験、そして記述形式の二次試験。どっちの形式をメインに対策するかってのは、受験勉強の根幹に関わってくることなんだよ。だから勉強の前に、まずは西九の試験配点について入念に調べるのが得策だ」
「はぇー、なるほどね。マークテスト対策中心にするか、記述テスト対策中心にするかを先に決めた方が良いってことかぁ」
「理解が早いな。その通りだ。というわけで西九大の配点一覧がこちらとなります」
「センセーが急に三分クッキングみたいなノリでスマホを取り出した!?」
相変わらず気持ちの良いリアクションを見せてくれるJKに向けて、スマホにまとめた西九大の試験データを見せつける。配点など、とうの昔にこちらで調査済みだ。なんなら、三年前に自分が受験生だった時にも調べていた。
「西九は典型的な『二次型』の大学だ。共通試験は合計四五〇点満点、二次試験は合計七百点満点、二つ合わせて総計一一五〇点満点で採点される。仮に一次試験で少しコケても、二次試験で逆転が狙える大学だと言えるな」
「ふむふむ。ということは、アタシは二次対策メインでやればいいってこと?」
「ああ、そういうことだ。よく分かってるじゃないか」
「えへへ、いやー、それほどでも?」
それほど褒めたつもりではなかったが、身体をグネグネさせて「えへへぇ」と照れ笑いを浮かべる神楽坂。
よほど承認欲求に飢えていたのか、はたまた単にチョロいだけなのか。真意は定かではないが、とりあえずしばらくは褒めて伸ばす方針にしよう、と。密かに今後の指導法を固める俺であった。
◆
〈指導報告書③〉講師名:櫻田優作
・学習計画立案完了。次回は担当生徒に自己分析を行わせる。
・担当生徒に多少、幼稚な精神性が見受けられる。
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