第十四話 雨降って、地、アスファルト
「お前は周りの友達が大人に見えると言っていたが、それは気のせいだ。俺から見れば高校生なんて皆ガキなんだよ。なんなら、高校生以上にガキっぽい大学生だって居るぞ」
「え、ホント……?」
「ああ、本当だとも」
言うまでもなく、某隣人女のことである。
「よし、良い機会だ。これから俺が家庭教師指導していく上でのルールをお前に伝える。耳の穴をかっぽじって、よーくきいておくこと」
「え? う、うん、わかったけど……」
そして。勢いよくソファーから立ち上がり、俺は宣言する。
──ひとつ。
「受験勉強が辛い時は『辛い』と言うこと」
──二つ。
「分からない問題がある時は『分からない』と言うこと」
──三つ。
「とにかく我慢はしないこと」
──四つ。
「無理に大人ぶろうとせずに悩みがあったらなんでも相談すること」
──以上が、櫻田優作による即興・家庭教師ルールである。
「え? そんなことで、いいの……?」
大きな目を丸め、少女が仁王立ちの俺を見上げる。
「ああ、そんなことでいい。でも、お前はそんなことが出来ていないんだよ。まだ大人にならなくてもいいのに、必要以上に我慢しているんだ。他人を騙してまで構ってもらおうとするほど寂しくなるなんてのは重症なんだよ。逆に迷惑だから変に感情を押さえつけるのはやめろ。もし俺にムカついたら、雨の中で叫んでた時くらいの勢いで来ていいぞ」
JKに罵倒される趣味は無いが、変に感情を押さえつけられるよりはマシだ。
「まだ俺のことは、信用も、信頼も、できないかもしれない。でも……これからは、俺がお前を独りにしない。何かあったら俺にぶつけてくれて構わないよ。全部、受け止めるからさ」
カッコつけ過ぎただろうか。少し高圧的だっただろうか。女の子相手だと引かれてしまうだろうか。
なんて柄にも無い心配事を浮かべつつ、俺は彼女の様子を伺ってみる。
「ふふっ、センセ、バッカじゃないの?」
「なんだと!?」
結果。引かれるわけでもなく、シンプルにバカにされた。
「えー、なんなの? なんなの、急に? カレシ面?」
「いや、別に、そういうわけでは……」
「いやいや、『俺が全部受け止める』はヤバイって。もしかしてセンセ、アタシのこと好きになっちゃったの?」
「は? 寝言は寝てから言いなさい」
「あっ、先生口わるーい! 塾長さんに言いつけちゃうぞ?」
「あ、おい、お前。それは卑怯だぞ」
チクショウ。なんだってんだ。せっかく俺が講師という枠を超えて、一人の大人として悩める子供を導こうとしたというのに。気遣いを返せ。
「ふーん、なるほどねぇ、アタシはもう我慢しなくていいんだぁ? ふーん?」
水を得た魚の如く、再びニマニマ顔を取り戻す神楽坂。
「ああ、我慢しなくていいぞ。でも絶対合格しろよ。合格できたら、俺を騙した件は許してやる」
「あっ、ずるーい! か弱い女の子にそういうこと言っちゃうんだー! ぶー! ぶー!」
頬を膨らませ、プリプリとブーイングを入れる生意気JK。
……はは、なんだよ。とっくに我慢なんてやめてるじゃねぇか。
まったく、心配して損したな。
「よし、そんだけ感情を表に出してるならもう大丈夫だな。今日はもうグッスリ寝ていいぞ」
「え!? 授業は!? アタシ、授業のためにわざわざセンセーを呼び戻したんだけど!?」
「いんや、授業は明日からだ。受験に無理は禁物だからな。雨で結構濡れてたし、今日は風邪引かないように温かくして寝とけ。受験で一番大事なのは体調管理だぞ」
おそらく、今の彼女は重い腰を上げたばかりである故に、やる気に火がついているような状態になっている。やる気があるのは結構だが、そういう時に一気に勉強をやっちまうと後で反動が来るからな。一旦クールダウンして、明日から始めるのが良いだろう。風邪を引かれたら俺としても困る。
「むぅ、明日からか……」
「まあ、今までやっていなかった分焦りはあるだろうが、心配するな。遅れは明日からでも十分取り戻せる。明日から頑張るために、今日休むと思えばいい」
そうと決まれば、今日の仕事がなくなった俺は神楽坂家を出ていくのみ。足元に置いておいたカバンを手に取り、「じゃあ俺は帰るからな」と一言告げて、玄関に向かう。
「あっ、その、櫻田先生!」
が、しかし。今日はこれまでの日々とは違い、靴を履きなおした俺を呼び止める声があった。
「ん? どうした?」
そういえば名前を呼ばれたのは初めてだな、と。少しばかり感慨深い思いを抱きながら、背後を振り返る。
「えっと、その……明日から、よろしくお願いします!」
すると、なんとも意外なことに。そこには、俺に深々と頭を下げる彼女の姿があった。
「……はは。ああ、そうだな。改めて、よろしく頼む」
軽く手を振って、こちらも一言返す。
なんだ、少しは可愛いところもあるじゃないか。
そんな、上から目線の所感を抱きつつ。俺は扉を開けて、なんとなしに空を見上げてみる。
「フン、相変わらず演出力の高いお天道様なことで」
──見上げた空は先ほどまでの豪雨が嘘だったかのように、からりと晴れ渡っていて。アスファルトの匂いを乗せた初夏の風が俺の頬を掠めるように、ひゅるりと吹き抜けていった。
◆
〈指導報告書②〉講師名:櫻田優作
・問題解決。次回以降、本格的な受験対策に入る。
・孤独な過去からか、担当生徒の感情表現に一部問題が見受けられる。
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