第24話 初回

 先制点を取れれば、おそらくそれで勝てる。

 逆にアメリカは先制点をとっても、それで安心は出来ない。

 織田の計算による日米の戦力差はそういうもので、それほど間違っていないとも思える。

(真珠湾攻撃に成功しても負けた、太平洋戦争とは逆方向だな)

 笑い事ではないが、各種戦力を分析すると、そういう結論が出る。


 上杉が85球に集中して、全力で投げたとする。

 レギュラーシーズンなら一試合、一点ぐらい取られることは珍しくない。

 だが重要な試合であったり、ポストシーズンに入った試合であると、その出力を上げてくる。

 いくら上杉であっても、完投するためにはある程度抜いて投げる場合も必要。

 それが変に当たってしまうと、エラーなどが絡んで点を取られることもある。


 だが織田は、一つ上の上杉のことを、高校時代からずっと見てきた。

 頂点には立てなかったものの、だからこそ逆に名を高めた高校時代。

 プロ入り後は高卒一年目の新人が、日本一の中心戦力となった。

 それは単に頂点を極めるよりも、よほど印象的な逆転劇であったろう。

 その上杉の、おそらく最後となるWBC。

 もしも運命があるならば、それは上杉のために日本を優勝させるだろう。

(とは言っても、難しいな、こいつ)

 本来ならクローザーであるアービングのピッチングに、織田は苦戦している。


 打ち取られるわけではないが、MAX166km/hのストレートは、簡単にミート出来るわけでもない。

 織田としてはここで出塁し、後続に任せるつもりでいる。

 打点はつかなくてもいいが、ホームはしっかりと踏む。

 織田が望んでいるのは、そういう展開であるのだ。


 それでも最後には、ポップフライがセカンドの上へ。

 粘りはしたものの、凡退に終わった。

(2イニング以上投げさせるつもりはあるのかな?)

 まだ体力的にはいけると思っても、基本的にクローザーは1イニング限定だ。

 精神的に切り替えが上手くいかず、スイッチが入らないかもしれない。


 そんな織田の打席を見ていて、悟としても考えることはある。

 アービングは確かに、ストレートが速いことは速い。

 ただ球種は少なく、速いストレートとは言っても、上杉ほどは速くない。

 それに上杉と違って、先発もクローザーも出来る、キメラのような化物でもない。

 タイタンズに移籍して以来、悟は何度も上杉と対戦している。

 要するに上杉に比べれば、どうにかなるというピッチャーなのだ。


 そんなことを言っても、100%ヒットに出来るわけではない。

 当たりのいいライナーは、サードのターナーの真正面に飛んだ。

 ターナーは守備範囲は平均的な選手であるが、ハードヒットされた打球に関しては、その範囲内で確実にキャッチ出来る。

 つまりスピードに強い守備力を持っているので、ここでツーアウトとなる。 

 そして日本は、ランナーのいない場面で、大介の打順が回ってくる。

 むしろ好都合、と何人の者が思っただろうか。




 大介にホームランを打たれない方法は、歩かせるしかない。

 NPB時代は真田のような、大きくも鋭く曲がるスライダーに、てこずっていた大介である。

 しかしMLBのゾーンは外に広いため、背中から飛び出てくるようなスライダーは、ボールとコールされる。

 それがNPBよりもむしろ、MLBで大介の成績が上がった原因の一つと言われていたりする。

 

 いっそのことランナー二塁などであれば、とアメリカ代表は思わないでもない。

 その状況なら大介を、一塁に歩かせることは自然だ。

 もっともここまで、それをやって西郷か後藤に打たれる、というパターンが日本と対戦してきたチームに多かったのだが。

 特に西郷は、大介が避けられた分を養分のように、ホームランと打点を稼いでいる。

 今のところWBCにおいて、二部門でトップを走っているのだ。


 昔ながらの、巨体のバッター。

 体重をパワーに変換して、飛距離を稼ぐというタイプである。

 現在のMLBにおいては、キャッチャーなどもコリジョンルール制定以来、運動神経に優れたタイプになってきている。

 またファーストの守備力はそこそこ軽視されるが、使うとしたらやはりDH。

 バッティングだけはまだまだ負けない、というベテランの位置を、日本から来るバッターに渡すわけにはいかない。

 MLBのフロントはそう考えていたのだが、西郷の打撃を国際大会基準で見ると、やはり取っておく選手であったか、と思わないでもないのだ。

 それに西郷は確かに、守備範囲は狭い。

 ただこれまたターナーと同じく、強い打球を逃さない瞬発力は持っている。


 西郷はFA権を取った時、ライガースと複数年契約をしてしまった。

 なのでMLBが西郷に手をつけるのは、事実上不可能である。

 ポスティングというものはあるが、それは基本的に球団の承認がいるし、西郷が複数年契約を結んだのに、今更ポスティングなどは通らないのが道理だ。

 通るとしたらライガースがよほど金に困った時だろうが、基本的にライガースは金持ち球団である。

 水面下でMLBのチームが莫大な金を用意しても、蹴ってしまう可能性がある。


 以前のWBCでも西郷は、やはり活躍していたのだ。

 その結果が違うのは、前に大介がいるからだ。

 この大会では大介が敬遠される確率は、三割以上。

 フォアボールで歩かされるのを敬遠と同様に計算すれば、四割近くは歩かされている数字になってしまう。


 さて、この打席でアメリカ陣営は、果たして大介と勝負してくるのか。

(へえ)

 ベンチが動かなかったということは、とりあえず申告敬遠はない。

 アービングに、大介と勝負させるわけだ。

 もちろん完全に、真正面からの力勝負は挑んでこないだろう。

 だがそれでも、勝負は勝負だ。


 同じチームであるため、紅白戦で対決したことはある。

 もっとも紅白戦というのは、お互いの調子を見るためのものだ。

 その成績によると、圧倒的に大介有利となる。

 しかしやはり紅白戦では、自分の力を真正面から使って、どれだけ大介に通じるかということを試すためのものでもある。

 ありとあらゆる手段を使って、大介と対決したらどうなるか。

 それをこれから試すのである。




 ありとあらゆるピッチャーにとって、その存在証明を確かにし、承認欲求を確実に満たす手段。

 それは大介と勝負し、抑え込むことであろう。

 過去、これに成功したと言えるほどの実績を持っている選手は、三人しかいない。

 直史、上杉、真田の三人。

 そしてそのうち上杉は、全盛期の力は失っている。


 MLBのストライクゾーンで対戦したなら、真田も勝てないであろう。

 そう考えると決定的な敗北をしたことはあるとはいえ、勝った回数の方が圧倒的に多い直史は、もはや唯一の対抗できる存在なのかもしれない。

 しかしそんな偉大な称号なら、どんなピッチャーだってほしい。

 同じチームであっても、アービングは大介と戦ってみたい。

 同じチームだからこそ、と言ってもいいのかもしれないが。


 とりあえず言えるのは、大介にはアウトローのストレートをはじめとして、外角の球は要注意ということだ。

 一応は被打率は低くなるが、それは大介が無理にボール球にさえ手を出しているからだ。

 勝負するとしたら、軸にするべきは変化球。

 ストレートは見せ球にするべきなのだ。


 マウンドの上から、大観衆の中で、大介に立ち向かう。

 この緊張感は、果たしてなんであるのか。

 MLBに入り、メジャーに上がってくるまでには、厳しい環境にも耐えてきた。

 単純な大舞台と言うならば、ワールドシリーズを経験している。

 アメリカという世界一の市場において、世界一の価値があるリーグだ。

 ただそのリーグで連覇した時のメトロズと、今の日本代表が戦ったらどうなるか。

 どちらのチームにも大介と武史がいるので、もちろん再現は不可能であるのだが。

 なお連覇した時のチーム、とくくると直史もいる。

 そりゃあワールドシリーズも圧勝しておかしくはない。


 大介はゆっくりとバッターボックスに入り、アービングと対峙する。

 アービングの球種はほとんどが、ストレートとスプリット。

 たまにカッターやツーシームを投げるが、それは偶然そういう変化してをしてしまった、という場合が多い。

 そして初球から何を投げてくるか、大介はおおよそ予想が出来ている。

 とにかくホームランだけは打たれたくないはずだ。


(ストレートは高めに外してくるか、外へのボール球。スプリットをどう使うか)

 MLBのルールのように、三人は投げなければいけないとか、そのイニング中は投げないといけないとか、そういう制限がないのがWBCだ。

 大介を相手にするなら、技巧派か軟投派の方が相性はいいはずだ。

 ただMLBというかアメリカの野球は、効率と合理性を重視しすぎた。

 最も多いタイプのピッチャーを、どれだけ出力の高いピッチャーに育成できるか。

 そんなことを考えているから、対処法も一般化してしまう。

 トレンドの流行の変化、というのはやはりあるのだろう。

 フライボール革命以降は、高めにどれだけ強くストレートを投げ込めるかが、重要となっている。


 大介はレベルスイングでホームランを打つバッターだ。

 だから基本的に、高めのストレートもホームランに出来る。

 スプリットを使って、ゴロを打たせる。

 ならば最悪でも、ホームランにはならずに済むだろう。


 初球は高めの外角に、ストレートを外した。

 大介は悠々とそれを見送る。

 そして二球目、ゾーンからボールに落ちていくスプリット。

 これに手を出してくれれば、上手くゴロを打たせることが出来るのではないか。

 大介と勝負して、単打までならピッチャーの勝ち。

 そんな基準がMLBの中では完成している。

 ボールの軌道をじっくりと見ていたはずの、大介のバットが、トップの位置から急速に動く。

 そして沈んでいくボールを掬い上げた。


 ボールは、さほど高くは上がらなかった。

 ゴルフのドライバーで打ったボールのように、高さは最も飛距離が出るような、そんな軌道を描いたのだ。

 入るな! とアービングは内心で叫んだが、入るなも何も大介の打球はほとんど失速することもなく、ポールの右に外れることもなく、スタンドに着弾した。

 ボールの打球と言うよりは、もはや大砲の砲弾。

 最強打者のソロホームランで、日本は先制したのであった。




 大介と似たように打ったにもかかわらず、フェンスぎりぎりでキャッチされた西郷のフライ。

 スリーアウトで一回の表が終わる。

 そして一回の裏、アメリカの攻撃。

 先頭打者はミネソタの一番打者、アレンである。


 日本の先発上杉が、マウンドに登る。

 188cmはある上杉であるが、MLBには体格であれば、その程度のピッチャーはいくらでもいる。

 体の厚みに関しても、それほど珍しいほどではない。

 だが先頭のアレンが感じたのは、とてつもない高みからの威圧感であった。


 アレンは上杉との対戦経験はない。

 一応マイナー時代、スプリングトレーニングで、上杉の生のピッチングを見たことはある。

 だがアレンが頭角を現す前年に、上杉はMLBの舞台から去った。

 年齢的にも怪我の後遺症的にも、MLBではなくNPBというリーグを選んだのだろう、という見方が周囲には多かった。

 セーブ記録を更新し、そして年間無失点であったのに、そんな分析をしてしまうあたり、本当に人間は自分の都合のいいようにしか物事を見ない。


 だがアレンは、上杉の初球を見て、自分の認識を大幅に上書きした。 

 今年で34歳になるこの生きた伝説は、いまだに絶大なる脅威であると。

(当たるか? いや、当たったとして……)

 アレンの構えがわずかに小さくなるのを、樋口は見逃していない。

 この数年アナハイムとミネソタは、ア・リーグチャンピオンの座を争っている。

 だいたいはアナハイムが勝つが、油断していい相手ではない。

 そのあたりの対戦経験も考えて、樋口がスタメンのマスクを被っているのだ。


 初球は105マイルで、おおよそ170前後。

 同じ105マイルであっても、上杉と武史では球質が違う。

 その上杉に対して、樋口はしっかりとサインを出していく。

 次はツーシームになるように。


 上杉の投げたボールは、左バッターアレンの内角へ。

 そこから外に変化するので、打ちやすいボールになっている。

 実際にアレンもスイングしたが、ミートしたはずのボールは強烈な衝撃をバットに与えた。

 折れたのではなく、砕かれたバット。

 ボールはセカンド前に転がり、まずはワンナウトである。

 その後バットの破片を、審判やボールボーイなどが集めた。

 見ただけで分かる、脅威の剛球である。


 二番打者は大介と同じ、メトロズから選出されたシュミット。

 強打者と言うよりは好打者であるが、出塁率と長打力を兼ね備えたバッターである。

 若い選手の多いアメリカチームの中では、比較的ベテランである。

 また上杉とは一時期、同じチームでもあった。


 シュミットは右打者である。

 長打、出塁、打率、打点、盗塁と隙のない優れたバッターであるが、全ての数字は大介を下回る。

 だが上杉と同じチームであったという過去は、彼を二番で使うという選択につながった。

 ここからターナーにブリアンと、アメリカの強力なクリーンナップが続く。


 シュミットも初球は見送った。

 MLB時代と変わらない、剛速球である。

 マイル表示とキロ表示がされているが、またも105マイル。

 一応今回のアメリカ代表にも、105マイルを投げるクローザーは参加しているが、上杉のようなコマンド能力はない。

 実際にシーズンの中でも、それなりに失点して負けがついてしまっている。


 二球目は、ツーシームであった。

 アレンにとっては外に変化するボールであったが、シュミットに対しては懐に食い込んでくる。

(打てる!)

 とてつもないスピードであるが、武史とはまた違う。

 武史のボールは、打てると思ってもホップして打てなかったりするのだ。


 バットの根元で、ボールを捉えたはずであった。

 しかしながら、そのバットはまたも折れた。

 いや、今度は正確に、砕かれずに折れたというべきか。

 繊維の一部だけで、バットの先はぷらぷらと揺れている。

 そしてボールは今度は、サードの前に力なく転がった。

 あっさりと大介が処理してツーアウト。

 シュミットは一塁に向けて走り出すことも出来なかった。




 上杉の代名詞のような三振を、まだ奪えていない。

 さすがにメジャーリーガーは、スピードボールには強いといったところか。

 だが当てたバットが、折れてしまっていた。

 ちなみに上杉は、高校時代に金属バットを折ったという逸話があるが、金属疲労していれば別に、折れないこともないのである。


 木製バットが折れたのは、ジャストミートできずに、衝撃が伝わってしまう形で打ってしまったから。

 そう言いきれないのが、上杉のボールである。

 NPBでも平気で、年に10本近くのバットは折ってしまう。

 大介のバットが折れない素材であるのは、この上杉との対戦から選択されたものであったりする。


 三番打者として、ターナーはバッターボックスに入る。

 バットが折れたという事実は、確かに派手なものである。

 だが考えなければいけない本当の現実は、上杉に球数を投げさせていない、ということだ。

 継投に至る直前のタイミングで、上杉の球威が落ちたところを叩く。

 後ろに直史がいることを考えると、それがまだしも現実的なところではないか。

 もっともたったの85球、上杉が疲れるとも思えないが。

 出来れば上杉が疲れたあたりか、直史に継投するのにもう一人挟むところで、点を取っておきたい。

 アメリカ代表であろうと、直史から一点を取るのは、極めて困難であると分かっている。


 確実に打てるストレート以外は、カットしていく。

 それがターナーの方針である。

 だが日本のキャッチャーは、MLBでターナーと同じチームにいる樋口である。

 打順が続く場合が多いため、二人は打線の中で、色々とやり取りをしている。

 そして樋口は今、ターナーの狙いを完全に見破っていた。


 上杉の初球は、100マイルのカットボール。

 アウトローいっぱいのそれを、ターナーは見逃す。

 二球目、チェンジアップ。

 チェンジアップと言っても140km/h以上のスピードで、落ちていくチェンジアップだ。

 これも見逃して、ようやくボールカウントが一つ。

 ゾーンだけで勝負する化物という点では、上杉も直史と共通している。


 樋口としては、さすがにターナーだな、と上から目線で評価している。

 それに狙っているのも、おそらくはこれだろうと分かっている。

 上杉の投げた、三球目。

 インハイのボールを、ターナーはファウルチップ。

 これでツーストライクと追い込まれてしまった。


 一球ぐらいは遊んでもいいかもしれない。

 レギュラーシーズンなどであれば、樋口もそう考えたであろう。

 しかし球数制限のあるWBCでは、無駄球は出来るだけ投げてほしくない。

 よって最後は、ここに投げ込んでもらう。


 現在のMLBには確かに、武史以外にも105マイルを投げるピッチャーがいる。

 だがここに、その105マイルを投げ込めるピッチャーはいるのか。

 アウトローいっぱいの、地を這うようなボール。

 低いか、とも思えたボールは、105マイル。

 樋口のミットに収まって、審判のコールはストライク。

 手の出ないゾーンいっぱいのボールで、スリーアウトチェンジである。


 ターナーは大きく息を吐く。

(今のは、ボール球だったな)

 だがそれを、樋口が上手く掬い上げたのだ。

 MLBでも審判は、左右はともかく高さの判断は難しい。

 高めならばともかく、特に低めは。

(樋口まで計算に入れなければいけないんだ)

 悩めるターナーは、それでも余計に一球投げさせたのであった。

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