第23話 時は流れる

 夜が明けて、朝になった。

 日が昇り、人々は家を出る。

 昼前には体を動かし、日本代表は試合の準備を整える。

 食事を終えた選手たちは、思い思いに過ごす。

 夜を待つ。


 選手たちばかりではない。

 応援に来た家族たちなども、試合の開始を待つ。

 その中ではメジャーリーガー組の嫁さんたちが、現地知識などがあって強い。

 当然ながら一番は、まさにトロールスタジアムを本拠地としている本多の嫁なのだが、影響力という点ではなぜか瑞希が一番であったりする。

 いや、なぜというわけでもなく、普通に義理の姉妹たちが強力すぎるからか。


 樋口の場合は子供たちが多すぎるため、そちらに手を取られている。

 するとやはり瑞希が面倒を見ることになるわけだ。

 もっともそれは、記録者たる瑞希にとって、面倒なことばかりではない。

 当事者たちの家族という視点も、記録という点では重要なものだろう。

 それに個人的に、カリスマを感じさせる存在が、奥様方の中には混じっている。

 基本的にプロ野球選手というのは、パートナーとして自分をフォローしてくれる人間か、トロフィータイプの女性と結婚する。

 これは時代的には、昔はよりトロフィー的な要素が強かったとも言われている。

 中にはマネージャーから何からしてしまう、ツインズのような例外もいるが。

 そしてそんなツインズは、恵美理とともに明日美と話している。


 上杉の妻である明日美も、人間ではあるから元芸能人としても、年を重ねるのは当然である。

 ただ容貌が大人になっても、明日美がふとした時に見せる、あの透き通った美しい笑顔はなくなっていない。

 カリスマと言うよりは、スター性と言った方が正しいだろうか。

 確かもう子供も四人も産んでいて、次男は真琴と同じ年であったはずだ。


 誰もが浄化される、圧倒的な神聖さを持っている。

 圧倒的な指導者の貫禄を持つ上杉とは、まさにお似合いの夫婦である。

 思えば淳の妻である葵なども、明日美とは出身の学校が同じ。

 明日美を中心とした女性の派閥は、佐藤家を中心とした派閥と絡み合って、むしろこれで一つの派閥となっている。

 政界、芸能界、財界、学界などとも、深く関係しているこれらの集団が、将来的にどういう性質を持っていくか。

 上杉は将来、政治家になる。

 その政治家に必要なのは、三バンと呼ばれるものだ。


 上杉は本来であれば、父の後継として市議会議員になっていただろう。

 だが高めすぎた名声が、それ以上のものを要求している。

 弟の正也が地元の有力者の娘と結婚したため、そちらの地盤は彼が受け継ぐことになるのだろう。

 政治家になるために必要な、地盤、看板、鞄。

 これらはそれぞれ後援者、知名度、資金力を示している。

 そして上杉はこれらを、ほぼ独力で獲得したのだ。


 これに加えて、あとは伝手などといったものか。

 また政治家として必要な、腹心についても心当たりがある。

 鬼畜眼鏡には弁護士の友人がいて、そちらからも色々と手が伸びている。

 結局政治家というのは、神輿になれるだけの懐の深さがないといけない。

 上杉には充分すぎるほどそれがある。


 少年期から青年期にかけて、野球をしていた上杉。

 プロ入りして、国民的なスーパースターになった。

 やがて引退したとしても、そこからのセカンドキャリアは華やかなものになるだろう。

 始末の悪いことに上杉は、独力と身内の力で、ほとんどの事案を解決してしまえる。

 その身内の範囲が、とても広いということは置いておいて。


 さすがに観光などはしなかったが、軽くそのあたりを歩いたりはした一行。

 夕暮れと共に試合が近づき、スタジアムへのバスが出る。




 アメリカ代表選手団も、決勝に向けて準備を整えていた。

 だが一部の冷徹に状況を分析できる選手は、おそらく勝てないだろうと判断している。

 準決勝で武史が投げ、この決勝で投げられないというのは、わずかながらの好材料だ。

 しかし85球までは、一人のピッチャーが投げられる。

 つまりあの「サトー」をやってしまえるサトーが、普通にサトーをしてもおかしくはないということだ。


 さすがにそこまでは許さないな、とターナーは考えていた。

 直史や樋口の実力を、同じチームで見てきたターナーであるが、どうにか直史にマダックスをさせないだけの力はあると思っている。

 ただそのためには、アメリカ打線が全員、ちゃんとそれを意識しないといけないだろうが。

 しかし日本には、上杉もいる。

 上杉が四回か五回まで投げれば、点を取れたとしても、ソロホームランが都合よく一本か二本出る程度だろう。

 そんな読みも実は、相当に甘いのだが。


 直史は、昨日確かに1イニング投げている。

 だが大会のルールによれば、85球までは投げられるのだ。

 平均して1イニングに、10球強しか投げないのが直史のピッチングだ。

 普段の対戦相手と違って、アメリカ代表は傑出したバッターばかりだ、と言えなくはない。

 しかし状況に応じて対処出来る、ベテランが少ないのも確かだ。

 ここまでは若さのパワーで、正面から相手を粉砕してきた。

 その意味では確かに、今回のアメリカ代表はスタープレイヤーで編成されていると言える。

 それでもここで必要なのは、直史と同じチームで戦ったことがある、アナハイムやメトロズのベテランであったと思うのだ。


 あの恐ろしさというか不気味さというのは、味方であっても感じるものだ。

 むしろ味方であるからこそ、感じるものがあると言ってもいい。

 対戦相手によって、直史の放つ気配は変わるのだ。

 特に大介と対戦していた時などは、物理的に空気が重くなったようにも感じた。

 そこから比較すると、ブリアンは直史の相手ではないし、そしてブリアンに数字では負けている自分も、おそらくわずかにあがくことしか出来ないと思う。

 しかしそうやってあがく野球というのも、一つのスタイルではないのだろうか。


 アメリカもアメリカで、この決勝に飛び道具を持ってきている。

 大介の脅威度を理解している、メトロズのクローザーであるアービングを、オープナーとして持ってきているのだ。

 初回の大介の打席を、まずは全力で対処する。

 状況によっては歩かせることも、初回からやっていくだろう。

 WBCという舞台で、そんな采配をするのかという疑問はあるが、アメリカはかなり神経質になっているのが分かる。

 それでもアメリカは、実績は既に充分残している高年齢プレイヤーを選出していないという、敗北のための理由を作っていたりする。

 正直なところターナーも、日本には、直史には勝てると思っていないのだが。


 勝てるとしたら、パワーピッチャーである上杉相手だ。

 もちろん上杉も、クローザーとしてMLBで一年、無失点でセーブを全て成功させたという過去はある。

 だがそれでもアメリカの野球にとっては、上杉のようなパワーピッチャーの方が、相性はいいと思える。

 クローザーと先発とでは、やはりピッチングの内容も変わるだろう。

 そして上手く球数を投げさせて、直史との間に他のピッチャーを挟ませることが出来れば。

 そうすればそこは、日本チームに付け入る好きになりそうではないか。


 ターナーと同じぐらいの悲観論者は、果たしてどれだけいるだろうか。

 ピッチャーならばレナードとフィデルがアナハイムからは選出されているが、打線は他のチームのメンバーが多い。

 とは言っても30人のロースターに、30チームもあるMLBから、三人も選ばれているというのは、かなり多いほうではあるのだが。

 他に危機感を共有出来そうなのは、大介と同じメトロズから選出されているシュミット。

 また去年もア・リーグの覇権を賭けて争った、ミネソタから選出されたアレンとブリアンぐらいだろうか。

 それでもほとんどの選手は、WBCを重視していない。

 いや、重視していないというスタンスを取ることで、日本に完敗したとしても、言い訳にしようとしている。

 その点ではブリアンなどは、しっかりと本気でやっているので、シーズンが始まれば敵であるが、今は心強い仲間となるのだろうが。


 せめて一点は取りたい。

 そして投手陣には、なんとかコールドレベルの点差をつけられないように奮起してほしい。

 MLBのスーパースターが、投打共に日本人というのは、別に人種差別などをするわけではないが、アメリカ生まれのターナーには、格好がつかないように思えるのだ。

 もちろん自分自身も、最大限の努力はするつもりである。

 ただクラブハウスの選手たちが、解体処理を待つ牛に見えるのは、錯覚だろうか。

 冷静に悲観的なターナーは、それでもまだ現実的ではあった。




 自分が見たかったのは、この光景だったのだろうか。

 セイバーはそう考えるが、少し違うように思える。

(見せたかったのが、この光景だったのかな?)

 今でもまだ、彼女が近くにいるように感じる。

 両親を失った時も、それが本当に実感出来るようになったのは、いくつの頃であったろう。

 本当に突然であったため、ずっとどこかに行けば、会えるような気がしていた。


 自分の足で立って、生きていけると思えるようになってからだろうか。

 ただ少なくとも自分は、まだイリヤの存在を近くで感じることがある。

(彼女が生きていたら、どうしただろう)

 イリヤの残した娘は、まだ四歳。

 その目に映る光景は、彼女にとって深いインスピレーションを与える存在になっただろうか。


 世界には絶対に、その人間でなければいけないという、欠かせないピースとなる人間がいる。

 もちろん世界は、人間社会は代替品で、その穴を埋めていくことは出来る。

 だがそれは本来到達したはずの、頂点には至らないまがい物。

 それでも人々は、それを喜んで受け取るのだろう。


 セイバーもまた、社会の中の歯車だ。

 貴重ではあるが、代えのある歯車に過ぎない。

 ただこの歯車の希少であったのは、ある程度方向まで決めてしまうことが出来たこと。

 つまり舵の役目も持っていたことだ。


 ほんのわずかに世界が変わる方向を、示すことが出来た。

 そしてそこに、多くの力が加わった。

 単なる金だけでは、世界を動かしても人の心を震わせることはない。

 そこにはまた、スーパースターという別の因子が必要なのだ。

 世界を前に進ませる、爆発的なパワー。

 それを生み出すのは、本当に特別な人間だ。

 

 スポーツ選手のプレイに、多くのファンが熱狂するのはなぜなのか。

 それは他の多くの芸術やエンターテイメントと同じく、再現性がないからだろう。

 作品は何度も鑑賞することが出来る。

 そこで多くの新しい発見はあるだろう。

 だが最初に経験する、最初の一回。

 何も知らずに受け止める、最初の一回こそが至高なのだ。


 スタジアムは完全に満員になっている。

 スタンドの一角では、日の丸の小さな旗が振られていた。

 この試合の結果は、おおよそ予想はついている。

 だがそれが覆されたら覆されたで、それもまた面白いものとなるであろう。

 セイバーにとって、日本代表はとても親密な関係者が多くいる。

 アメリカで過ごした時間の方が長いし、メンタル的にも自分はアメリカ人だとは思うが、それでもここでは日本が勝つだろうと、特に熱狂もしていない頭で考える。

 

 なぜこんなにも、才能が同じ場所に集まってしまったのか。

 集まったからこそ、才能はさらに輝きを増したのか。

 あの二人のことを、一番古くから見ているのは、MLB関係者の中ではセイバーである。

 あらゆる手段を使ってでも、あの二人の運命を誘導しようとした。

 しかしセイバーの手を離れたところで、あの二人は導かれていく。

 そして巨大な二つの星に、同じぐらい巨大な星が近づいている。

 引力を持つ巨大な恒星たちは、間違いなく引き合うのだ。

 

 一つの時代の、大きな区切り。

 それがこの年になるのは間違いない。

 全てを知る、数少ない者の一人。

 セイバーは誰かの気配を感じながらも、自らは何も叫ぶことなく、喧騒のスタンドの中にいた。




 両国の選手団が、クラブハウスからベンチに入ってくる。

 満員の観客が、双方のスタメンを確認していく。

 日本もアメリカも打線は、特に準決勝までと変わったオーダーではない。

 そしてこの決勝、日本は先攻を取ることが出来た。


 先攻と後攻の有利不利は、主にメンタル的なものである。

 またそのチームに、絶対的なエースがいるかどうかにも関わってくる。

 アメリカは大介を良く知る、本来はクローザーとして使われているアービングを先発として出してきた。

 これだけはさすがに、それなりに意外なことと言えただろう。

 ただアメリカもまた、この決勝が最後の試合であることは変わりない。

 ならば初回の日本の攻撃を、クローザーでなんとか封じるというのは、悪い作戦ではないだろう。


 もっとも、アービングのことを良く知る、同じチームメイトの大介や武史がいるのに、ここで選ぶのは正しいのか。

 とにかく大介を抑えたい、と思ってアービングを選出したのなら間違っている。

 別にアービングだけではなく、ほぼ全てのピッチャーが大介に対しては、優位なピッチングなど出来ない。

 あまり他者を分析しない武史はともかく、とにかくワールドシリーズで何度も対戦しているので、直史や樋口もアービングのことは分析している。

 典型的なパワーピッチャー。

 ならば西郷なら打てるであろう。


 大卒野手であったから、というのも理由の一つではあるが、MLBにとって西郷はおいしい素材ではなかった。

 基本的にMLBは、アスリート系でオールマイティな野手を日本には期待している。

 なのでそのあたり、悟などは注目されていたのだ。

 西郷はパワーばかり。

 そんなことを考えていたらしいが、実際今回のWBCにおいて、日本の打点とホームランは、西郷が一番となっている

 ただし打率と出塁率は、圧倒的に大介が上回っているが。


 この決勝の前には、セレモニーが行われる。

 MLBコミッショナーなどから短い演説が行われるが、それは別にどうでもいいことだ。

 ベンチの中の空気が暖まってくる。

 上杉はブルペンでも、既に投球練習を開始している。


 この試合が、直史と大介が同じチームで戦う、最後の試合となる。

 レギュラーシーズンが始まっても、今回ばかりはセイバーも直史をトレードには出さない。

 アナハイムとメトロズは、去年と同じくワールドシリーズでの対決を期待されている。

 どちらが勝つにしても、それは壮大なワールドシリーズとなるだろう。

 直史などは過去に四回、ワールドシリーズに進んでいる。

 要するに全てのキャリアでワールドシリーズに進出しているわけで、その中でピッチングの成績は圧倒的なものとなっている。

 大介との、最後の対決。

 明日の敵と、今日は最後に仲間として戦う。 

 それを感傷的に思うのは、さすがの直史としても当然のことであった。


 出来れば今日の試合は、上杉と直史の継投だけで片付けてしまいたい。

 首脳陣は基本的に、この二人だけでなんとかしようと考えている。

 事実ミーティングでは、二人を中心として話をした。

 ただ継投の場面がどのイニングになるか分からない。

 もしも都合の悪いことが起これば、武史以外のピッチャーは誰もが、リリーフとして出る可能性はある。

 基本的にそれが左打者の場面であれば、真田などが投入されるだろうか。


 他にも毒島、鴨池といったリリーフが専門のピッチャー以外にも、リリーフ適性のあるピッチャーはいる。

 小川なども基本は先発であるが、クライマックスシリーズではリリーフ登板などもしている。

 上杉が六回まで投げられたら、他のピッチャーの手はいらないであろう。

 だがアメリカが必死で球数を使わせるようにすれば、あるいは出番は出てくるかもしれない。


 85球を投げられる直史は、別に三回あたりからでも、充分に試合を終わらせることが可能だ。

 それでも温存しなければいけない事態は、両チームが同点で試合が展開している場合ぐらいだ。

 今回のWBCにおいて、日本が得点するのが多い状況。

 大介が敬遠された後、西郷か後藤が容赦なく長打を打っていることがとても多い。

 直史や樋口など、織田や本多まで含めてもいいが、大介を二番打者、西郷を三番打者にした方が、良かったのではないかと思うメジャーリーガーは多い。

 ただそれら全ては、あくまでも統計での話になるだろう。

 指揮官が打順の意味を理解していないのなら、MLB流の打順は使わない方がいい。

 勝つためには妥協はしてはいけないが、これは妥協ではなくベストに近いベターであろう。

 いずれはNPBも、打順はMLBのように変わっていくのだろうが。


 試合開始時間となり、双方の選手たち、また監督やコーチたちがアナウンスされる。

 それに応えてベンチから出る、日米の俊英たち。

 アメリカの方が選手の平均は、日本よりもかなり若い。

 この期に及んでもまだ舐めていると言うよりは、必死の言い訳作りだと、日本陣営でも気づいている者はいる。


 だがそんなことをするなら、それに相応しい結果を与えてやろう。 

 コールされた選手たちがベンチに戻り、アメリカの選手たちが守備に着く。

 日本の先頭打者は、当然ながらここも織田だ。

 右腕のアービングはMAXで166km/hを投げてくるが、果たしてこの時期にそこまでやってくるか。

 もちろんアービングの中に、大介と勝負したいという気持ちがあれば、ここは本気で戦える絶好の機会。

 野心があるならば、投げてくるだろう。

 もっとも申告敬遠の可能性の方が高いが。


 審判の手が上がる。

 プレイボールのコール。試合開始。

 最後の戦いが始まった。

 優勝への最後の一歩である。



×××



 本日、パラレルを一話新規公開しています。

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