終章 夢の果て
第22話 終わる道
史上最強の日本代表。
その前評判に違わず、日本代表はほとんど苦戦らしい苦戦もなく、決勝へと進むことが出来た。
これには海の向こうの日本でも、歓喜の声が湧き上がっている。
やはりこの10年余りの間で復活した、野球人気。
日本人にはサッカーなどより野球が向いているのだ。
……そんなことはない。
だが競技人口が多い団体種目で、世界一が現実的に狙える、WBCに対する注目は高い。
NPBのプロ野球もオープン戦が開幕しているが、中核選手がいないとなれば、その熱量はやや抑え目。
「うちのガキが、どうしてお父さんはWBCに出ないの? って曇りない眼で訊いてくるんっすよね」
「そ、そうか」
幸いにも子供が野球にさほど関心を持ってない武田に、鬼塚はそう愚痴を吐いてくる。
「出られるもんなら俺だって出るっつーの」
「子供は残酷だな」
そういう武田はスタメンではなかったが、一応は出たことがある。
「でもお前、甲子園で優勝してるよな?」
「それは……」
しかもただ出ただけではなく、かなり決定的な役割も果たした。
高卒でプロ入りしてから、もう今年で14年目。
武田などはもう16年目ともなり、スタメンは若手に譲ることも増えてきた。
細かい怪我などもしやすくなってきたので、もう後進に出番は譲るべきなのだろう。
だが武田を圧倒的に抜かしていくような、若手のキャッチャーが育っていないのは、やはり問題である。
二人とも高校時代には、一度だけ対戦経験がある。
ただ武田などからすると、高校時代の輝きは、確かに鬼塚の方が浴びていたかな、とも思える。
白富東の時代、というものがあったのだ。
実際に今回の日本代表には、白富東のメンバーが、特にあの四連覇の時代のメンバーが、多数含まれている。
同じく一時代を築いた大阪光陰と比べても、あまりにも圧倒的な数である。
鬼塚は高卒プロ入り後、地元出身でキャラクター性も強く、なかなかコアなファンは多い。
オールスターに選ばれたこともあるし、何よりこの年までしっかりスタメンを守っているのは、間違いなくNPBの枠では成功者だ。
あとは何歳までやれるか、が問題となるだろう。
そして引退した時に、何かポストがあるのか。
鬼塚の場合は地元人気が強いので、どこかしらに仕事のあては出来そうであるが。
人の心配よりも、まずは自分の心配だ。
そして今日ばかりは、少しキャンプのことも忘れて、地球の裏で行われる試合を楽しんでもいいだろう。
おそらく日本プロ野球史上最強、と誰もが言っているが、それは違うとプロの立場からは言える。
これは間違いなく、日本プロ野球史上最強、と断言するべきなのだ。
「50人リストにまでは残ってたのに選ばれなかったのが悔しい……」
そう贅沢な愚痴をこぼしているのは、白富東の後輩であり、フェニックスから移籍してきた哲平である。
哲平からすれば一つ上の武史に、一つ下の悟と、また自分が一歩足りなかったのだと思い知らされる気がする。
ただ実際には、選ばれなかった他の選手たちも、同じことを感じているのだ。
国際大会という栄光の舞台。
だがそれはプロのレギュラーシーズンとは全く違う。
同じプロであっても、特に関心のない選手はそれなりにいる。
基本的に日本人は、団体行動が好きなので、WBCなどには積極的に参加するが。
似たような会話は、日本のあちこちで交わされていた。
たとえば関西では、ライガースがそれだ。
西郷に真田と、投打の要を代表に参加させている。
いまだにローテーションを間違いなく守っている大原などは、今年も間違いなくライガースの戦力だ。
だが真田や西郷に比べると、圧倒的に普通である。
もちろん通算100勝を達成し、二桁勝利を九回も達成。
レギュラーシーズンを戦う中では、主戦力の一人となる。
大原としてはライガースで、共に日本代表と関係がある相手。
それは移籍してきた孝司となるだろう。
他にも早稲谷で直史や樋口と同窓だった村上、真田と同じ大阪光陰の毛利。
多くの人々が、最後の戦いを待っている。
「届かないな……」
大原の呟きは、ほんのささやかなものである。
上杉の全盛期に、直史や武史までいて、それでもなおタイトルを取った大原。
甲子園には全く届かなかったが、それでもこうやってプロで食っている。
これもまた、プロ野球選手としては成功の部類。
だが大原がなりたかったのは、単なるプロ野球選手ではない。
スーパースターだ。
プロ野球選手という存在そのものが、一般的な才能からすれば、誰もが超人的である。
野球人気の高い国においては、当然ながら才能もトップレベルがそろう。
サッカーもそれなりの報酬を得るが、野球に比べれば大成功という前例は少ない。
大原が夢見たのは、MLBであったろう。
ただ彼の才能では、そこまでには届かなかった。
孝司もまた、クラブハウスのテレビで、これを見ていた。
なんだか一緒に見ないと、嫉妬するばかりになりそうで。
同時に考えていたのは、高校時代の相棒であった哲平も、これを見ているのかということで。
本当にバッテリーを組んだ淳は、今回の代表メンバーに選ばれた。
サウスポーのアンダースローとして、しっかりと試合の先発も任されていた。
このメンバーの中でマウンドを任されるというだけで、それはたいしたものなのである。
それでも、まだ上には上がいる。
人気が下降気味であったMLBを、明らかに盛り上げていったのは、大介の力であったろう。
あの小さい体から、どうしてあんなパワーが生まれるのか。
本人は明朗な人間であるが、そのスーパーパワーはどこか人間離れしている。
そんな人間離れした小さなヘラクレスは、日本よりもむしろアメリカで驚きをもって迎えられたのだろう。
そしてそれすらも封じる、魔法使いのようなピッチャーまで現れた。
この時代を共に生きたのは、ある意味では幸福で、ある意味では不幸であった。
なにせセ・リーグではバッターもピッチャーも、ほとんどタイトルを取れない選手ばかりになったのだ。
タイトル争いはしやすいパ・リーグは、日本シリーズで勝つことが圧倒的に少なくもなった。
今はそれが、MLBで行われている。
ただし直史にしろ大介にしろ、その全盛期が丸々リーグで過ごされているわけではない。
大介はここから、さすがに衰えていくであろう年齢である。
もう、上を見ても誰もいない。
歴史に残るレコードでさえ、おおよそは超えてしまった。
ここから対決するのは、追いかけてくる若手たち。
そして自分自身の限界である。
調整に万全を期す日本選手団の中で、武史だけはのんびりと過ごしていた。
父親の雄姿を見ていた子供たちに、最愛の妻。
ただそこに遠慮なく、昔なじみが顔を出してくる。
「悪いな、時間を取らせて」
「いや、いいっすよ。暇なの俺ぐらいでしょうし」
武史を訪ねてきたのは、レックス時代の同僚であり、かつては甲子園の頂点を争った、豊田であった。
昔なじみの、一歳年上。
レックス時代はセットアッパーとして多大な貢献をしたが、故障もあり去年を限りで引退。
そして伝手を活かして在京マスコミと契約し、あちこちを回っているというわけだ。
解説者や、まだコーチなどではないが、野球に関わることが出来る。
武史はあまりぴんとこないが、他の現役選手などは、引退してすぐに切り替えることが出来るのを、不思議に思っている者もいた。
同年齢はもちろん、後輩として入ってきた選手であっても、多くがもう引退している。
大介なども同期で入ったライガースの選手は、もう大原以外は全て引退している。
他の球団に移籍した者もいたが、それでもその先で引退しているのだ。
それよりはずっと、同期が若い直史にしても、高卒の小此木の他には、一人だけしか球団内には残っていない。
たださすがに、まだ七年目なので、他球団にトレードされたりした選手はいる。
豊田と武史の関係というのも、複雑なものである。
個人としてのものだけであるなら、高校時代はライバル校の二番手同士で、プロでは同僚であった。
ただし豊田は、出身は千葉県であり、武史の先輩であるジンたちと中学のシニアでは同じチームだったのだ。
甲子園での敵対よりも、同郷のチームメイトという意識が強い。
なのでこうやって訪ねてくるのは、おかしなことではないのだ。
「決勝への展望というのを聞きたいんだけど、どんな感じなんだ?」
コメントを求められる武史であるが、本来ならあまり適切な人選とは言えないだろう。
だがたとえば同じ学校の後輩である真田や後藤は、明日の試合で出場する可能性がある。
そうなるとさすがに遠慮があるというものだ。
「日本が負けるとしたら……実力以外のところでしょ」
明日の先発は上杉である。
一年間のMLB時代の実績を考えれば、点を取られても一点ぐらいであろうと考えるのが自然である。
そしてフルイニングは投げられないと言っても、今日10球も投げていない直史が、85球までは投げられるのだ。
パワーピッチャーの後に、パーフェクトピッチャー。
単純に技巧派と言うには、あまりにも直史の残した実績は大きい。
それは豊田も分かっているはずだ。
もし日本が負けるとすればそれは、主力となる選手の故障。
「あとは不正ぐらいだけど、その程度のハンデなら叩き潰すか」
「上杉さんと兄貴が普通にやったら、負けるはずがないと思うんですよね」
「それはまあそうだが」
ただ少し、懸念点はある。
「キャッチャーは誰でいくつもりなんだ?」
ピッチャーがいくらすごくても、キャッチャーがそれを引き出せなければ。
それでも勝てそうなぐらい、あの二人は隔絶しているが。
これまでのパターンなら、上杉と福沢を組ませて、直史と樋口に交代させるのだろう。
ただアメリカの打線は全てメジャーリーガーか、その経験がある選手だ。
ならば常にMLBで戦っている、樋口にリードを任せた方がいいのではないか。
実際に今日、武史が投げたということもあるが、メジャーリーガーの多いドミニカには、樋口が最後までマスクを被った。
上杉とは普通に、ブルペンではバッテリーを組んでいる。
おそらくこれは樋口にとっても、公式戦で上杉と組む、最後の機会になるのではないか。
樋口は無理に野球の現役にはこだわらず、セカンドキャリアを考えている人間だ。
武史のストレートが捕れるなら、上杉のストレートも問題ないであろう。
上杉は樋口にとっても、かなり特別な存在であることは間違いない。
上杉がいたからこそこれだけの面子が集まった、とは今回のチーム編成でよく言われることだが、樋口はその最たる例であろう。
武史としては、ドライに考えている。
ただ純粋に勝つためには、打力を考えて樋口の方がいいだろう。
「けれど、どっちでも勝てると思うんだよなあ」
それが正直なところである。
武史もMLBのレベルは、もう分かっている。
上杉と直史の継投からは、かなり運がよくても一点しか取れないだろう。
あとは日本の打線をどれだけ抑えられるかだが、大介を上手く回避し続けても、その後の西郷や後藤に打たれている。
なにせ九番に樋口を置くような、そんな贅沢な打線なのだ。
「純粋にもう、勝つのを楽しめばいいんじゃないですかね」
あっけらかんと、武史は言うのであった。
次のWBCに、まだ上杉は現役でいるかもしれない。
だが間違いなく、自分はもういない。
そんな直史は、ほどよい緊張感に包まれている。
そしてそれに対して瑞希は、独占インタビューをしているのだ。
いや、それはインタビューというものでもないだろう。
少なくとも、すぐに公開するためのものではない。
だが彼女は、記録者だ。
物語と言うよりは、伝説と言ってもいいような、直史の人生の。
自分までもがその人生に、ずっと寄り添うようになるとは、最初は思ってもみなかったが。
直史の主観としては、どうも本気で戦う試合というのは、甲子園で終わっているらしい。
また大学時代は確かに、高校時代に比べても、本気でやっているようには見えなかった。
ただ一度完全に離れたはずの、野球への道。
それはまるで運命に導かれたようで、そして大介との対決が実現した。
五年間という期間が、約束されていた。
それが二年間の延長戦となって、今年がその最後の年。
二人の対決が、果たしてどういう決着を見せるのか。
もちろん瑞希は直史の味方であるが、客観的に見ることは心がけている。
そして勝つのがどちらであっても、それは伝説に残る名勝負になるのは間違いない。
どちらが勝ってもいいのだ。
どちらが勝ったとしても、この長い物語は終わる。
直史と大介が出会ってから、もう17年が経過している。
お互いがそれぞれの人生の半分以上に、相手の影響を受けてきた。
瑞希はひそかに、あのMLBの二年目を思い出す。
とても負けたとは思えないが、もしもあの、一応は負けたというワールドシリーズで、直史が勝っていたら。
いや、そもそも大介を敬遠さえしていたら、直史はいくらでも勝てているのだが。
大介と正面から対決し、そして勝っていたのなら、直史は素直に三年目で日本に帰ったのではないかな、と瑞希は思っている。
なんだかんだ言いながら、負けるのが大嫌いな直史は、好きな野球で負けたくない。
大介のような好敵手であるからこそ、逆に負けたくないであろうと思ったのだ。
(正直なところ、とてもお金をもらえたのは嬉しいけど)
アナハイムが直史と結んだ契約は、インセンティブまで含めれば、最大で年に6000万ドルにはなるというものであった。
これで直史は、大介を超える契約を結んだことになった。
ただ大介は大介で、今の契約が切れたとしたら、さらに巨大な契約を結ぶだろう。
どれだけ超人めいた身体能力があっても、もうこれ以上の伸び代はないはず。
それでも、大介には目指すべきものがある。
MLB単独での累計ホームラン数など、更新の期待がかかっている。
今年33歳になるシーズンが始まり、MLBにおけるホームラン数は385本。
ここから762本まで伸ばすのは、さすがに難しいのではないかと思う。
しかし大介は五年間で、385本を打ったのだ。
37歳までこのペースを維持できなくても、40歳ぐらいまでやれば、どうにか届くのではないのか。
ただそこまで打ってしまうと、日米累計が1500本近くにもなってしまう。
それはそれで、後続の未来のバッターたちに、巨大な壁となってしまう気もするが。
もっとも直史のパーフェクト記録などがあるので、それはもう今更であろう。
「何を考えてるんだ?」
瑞希の思考が、やや散漫になっているのを、直史は敏感に感じ取っていた。
ただそれを、別に責めようなどとは思っていない。
「なんだか、とても長い旅をしていたような、そんな気がして」
「まだ今年のシーズン、丸々が残ってるぞ」
「そうなんだけど」
感傷的になっている瑞希の気分を、直史も全く想像出来ないというわけでもない。
幾つになっても可愛い愛妻に、直史は柔らかく微笑む。
随分と無理をさせてしまったと思う。
もちろんこれが、自分の都合だけ、というわけではないのは承知しているが。
「日本に帰って、二三年したら、もう一人作らないか?」
この夫妻は実のところ、二人の子供は両方、避妊の失敗から生まれている。
それでもどうにか育ててはきたが、不本意なところがあったのは確かだ。
真琴も元気になったし、明史もおとなしく手がかからない子供なので、もう一人ぐらいいてもいいのではないか。
四人兄弟の長男である直史としては、現実的な提案であった。
「う~ん、あと一人かあ……」
学生時代から色に溺れていた二人ではあるが、狙って子供を作ったことはない。
そういう意味では少し、新鮮な感触を味わうことになるかもしれない。
日本に帰れば、お互いの両親の助けも得られる。
「それにセイバーさんが色々金をくれたから、日本の少子化に立ち向かっていこうという気にもなる」
「少子化はねえ」
社会問題に対する、弁護士二人の関心は高い。
夢のような日々が、もうすぐ終わるのだ。
その中の現実で、しっかりとまた子供を育てていく。
それは確かに、瑞希にとっても望ましい未来に思えた。
35歳前後での出産は、特に珍しいものでもないだろう。
「前向きに考えていきたいと思います」
ほんの少し頬を赤らめて、可愛らしく答える嫁が、本当に可愛いな、と語彙力を失う直史であった。
なお、この後めちゃくちゃ、は何もしなかった。
最後の夜である。
もちろんこの先も、普通に世界は続いていく。
WBCが終われば普通にチームに合流し、オープン戦で調整していく。
そしてレギュラーシーズンから、最後の戦いが始まる。
だがそれもまた、直史にとっては、という話である。
大介はまだまだ現役を続けるだろうし、多くの選手がこれからをプレイしていく。
直史も別に、リタイヤするわけではない。
ただ、そっと違う道を歩いていくだけだ。
誰かの目には、もう見えなくなっても。
それでも人生は続いていく。
そんな人生もまた、一つの戦いではあるのだろう。
夢が終わっても、現実は続いていくのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます