第21話 日本の野球
スモールベースボールをやっている気がする。
日本選手団のうち、特に打線陣はそういう思いが強かった。
ドミニカが初回の夢よ再び、とばかりに長打を狙ってきているのとは対照的に、日本はホームランにはならない程度の打球しか打たない。
だがそれが上手く、ヒットになっている。
一方のドミニカは、MLBの影響下にあるため、基本的にフライを打っていく。
このフライを打つというのが、武史のピッチングにとってはたいそう相性がいいのだ。
ホップ成分が高い武史のストレート。
ムービング系のボールは基本的に、厳しいコースを攻めてジャストミートが出来ないようにする。
そして最後にストレートを投げれば、ほぼ空振りでたまに内野フライ。
本来ならアブレイユがしたかったピッチングというのは、こういうものであったのだろう。
高めのストレートは狙って強く投げなければ、ホームランボールになる。
だが日本代表はその狙って強く投げられたボールを、レベルスイングに近いスイングで、ジャストミートしている。
ボールの弾道が、高くは上がらない。
そのため野手の正面に飛んで、ライナーアウトということがある。
ただ強く振るという前提だけは、誰もが持っている。
そんな中で、一人気配を潜める樋口。
守りの要のキャッチャーであるが、同時にバッターとしては九番打者。
一打席目は無難に見ていったが、最終的には内野ゴロで終わった。
(もういいか)
アブレイユの球威は、まだまだ落ちていないように思える。
だがそれは球速での表示だけであって、実際にはキレが鈍ってきている。
アブレイユのストレートも、武史のものほどではないが、落ちないストレートであったのだ。
それがキレが鈍るというのは、ホップ成分も鈍ってくるということ。
(つまりレベルスイングでミートすれば!)
乾いた木材が、硬球を激しく弾く。
弾道は理想的なバレルでもって、スタンドに放り込まれる。
日本側の強力打線の中で、最初にホームランを打ったのが、ラストバッターの樋口になった。
日本はこの試合、運も良かったと言えるだろう。
初回に見事ホームランを打たれた武史であったが、その後は毎回奪三振を奪い、しかも無駄に球数が増えることもない。
ここまでは投げてほしいという、最低ラインの五回を超えて、さらに六回も投げる。
このあたりで直史は、先にブルペンに行っているピッチャーとは別に、やっとブルペンへ向かう。
アメリカのスタジアムはこのブルペンがほぼ丸見えなので、誰が準備しているか分かってしまうのだ。
左の武史の次は、右のピッチャーがいいのか。
だがなんと七回までを投げきった武史は、八回に左バッターの多くなる打順まで持ってきたのであった。
七回24人を相手に、ヒット三本内ホームラン一本。
一失点でメジャーリーが揃いのドミニカを抑えたのである。
七回の三人目相手には、途中で85球の球数制限が来てしまったが、実は85球に達しても、現在対戦しているバッターが終わるまでは投げてもいいというのが、正確なルールである。
89球を投げて、14奪三振。
21個のアウトのうち、14個が三振を奪うことによるアウトであったのだ。
相手が左バッターであれば、当然誰の出番かは決まっている。
NPBでも左相手の被打率は、二割を切っている真田である。
とは言っても八回は、七番の下位打線からの打順。
真田の期待した現役バリバリのメジャーリーガーは、一人しか回ってこない。
既に点差は安全圏の六点差。
なんのプレッシャーもなく、真田はマウンドに登ることが出来る。
この回先頭の七番が、現役のメジャーリーガーだ。
(確か打率は二割七分だったか)
そのあたり真田は、しっかりと頭に入れている。
組むキャッチャーが樋口だというのが、なんとも不思議な縁と言えようか。
直史と樋口、直史と真田の間には、かなりの因縁がある。
また大阪光陰と春日山の間にも、大きな因縁がある。
しかしながら樋口と真田の間には、そういったものはない。
大阪光陰が春日山の全国制覇を阻んだのは確かだが、それは真田が入学する前の話だ。
もっとも樋口からすると、真田が白富東を削ったおかげで、決勝で春日山が勝てた、というイメージは持っていたりする。
NPBでもオールスターなどでは、それなりに組むことが多かった二人。
しかし国際大会では真田の公式球への適性の低さがあって、これまでほとんど組むことなどなかった。
だが樋口から見ると、真田のピッチングというのは、他の誰よりも直史に似ていると思える。
実際の各種要素を並べていけば、コントロールの良さ以外はそうは思えないし、コントロールにしてもかなり限定的なはずなのだが。
真田が直史に似ていると感じるのは、その精神性だろう。
体格的には真田も直史と同じく、それほど恵まれているとは言えない。
だがあの最強時代の大阪光陰で、抑えを一年の夏から任されていた。
そして怒涛の勢いで勝ち進む白富東、特に大介を相手に、スライダーでほぼ封じ込めた。
翌年の夏も決勝で、直史と互角に投げ合ったと言っていいだろう。
あの地獄のマウンドで投げ続ける精神力。
それは上杉にも言えることではあるのだが、上杉の場合は肉体が精神を上回る。
だが直史と真田は、明らかに精神が肉体を上回っている。
そんな真田との相性は、やはりいいのだろう。
樋口のサインに対して、真田は素直に頷いて、ピッチングを開始する。
主な武器はカーブとスライダーの真田。
手の小ささから、MLBの質のばらけたボールへの適性がないと言われて、代表候補にまではなっても、代表にはなってこなかった。
ただシニア時代にまで遡れば、彼も世界選手権優勝の栄誉に輝いている。
そんな真田がスライダーを上手く使えるようになれば、どういうことになるか。
7-1という点差、そしてブルペンでは直史が投げている。
ドミニカとしては、ここで点を取らなければ、もう逆転のチャンスはない。
そもそも日本から一点取れただけで凄いじゃないか、とはいかないのである。
武史から出会い頭のようにホームランを打っても、その後がほとんど続かない。
そしてメジャーリーガーたちは本能のレベルで、直史のピッチングを恐れている。
国際大会の経験が少ない、と真田を見ているドミニカの選手は多い。
実際にプロ入り後の話であれば、それは間違いではないのだ。
しかし真田もまた、200勝を目前としたレジェンドピッチャー。
ボールによる不利さえなければ、むしろ縫い目の高いMLBのボールは、スライダーの変化を大きくする。
デッドボールのコースとしか思えないリリースの角度から、間違いなくストライクのゾーンまで変化してくる。
そのスライダーで腰が引けたところに、外角いっぱいのアウトローストレートを投げ込んでくる。
たったの二球で追い込んで、またもスライダーでも使ってくるのか。
そう構えていたところ、投げられたのはインハイのストレート。
打てると判断してスイングしたが、バットはボールの下を通過した。
まずはワンナウト。
相手がメジャーリーがであろうがなんであろうが、真田のボールは通用する。
これだけ精度の高いボールを、MLBでもちゃんと使うようになるなら、真田でも絶対に通用するだろう。
ただ先発としてよりは、セットアッパーの役割の方が、より成功はしやすいだろうが。
八番バッターは、右打者である。
なのでスライダーの威力は、左打者に対するほど極端ではない。
だがそれでも樋口は、初球にスライダーを要求した。
その意図を理解して、真田は頷く。
リリースした角度から、そのボールは外れると、バッターは思っただろう。
だが曲がりすぎるスライダーが、ゾーンに近づいてくる。
それでもさすがにまだ外だ、と思っていたところ、審判のコールはストライク。
え? と思わず振り返ったが、審判は特におかしな判定をしたという気配も見せない。
(フレーミングか?)
実際はそれに加えて、樋口がミットを引きながらキャッチしたので、さらに内に入ってきたように見えたわけである。
二球目もまた、アウトロー。しかしこれは入っている。
ゾーンいっぱいのストレートを打っていったが、ミートは出来ずにラインを切れていった。
三球目はそこから一つ、アウトローにボール一個分ほどを外す。
ストレートのコマンド能力は高いが、そのパワーだけで勝負するようなピッチャーではない真田である。
ワンツーとカウントが変わったところで、四球目はカーブを投げた。
これもカットされて、カウントは変わらず。
真田のボールは、そのスライダーの切れ味は別にすると、球威自体が圧倒的なわけではない。
ただ投げるボールには一球ずつ、しっかりと意図を感じる。
厄介な技巧派だと、バッターは打席を外す。
そしてスライダーを意識して、スイングをしてみた。
別に頭を使うのが、日本のバッテリー陣ばかりなわけもない。
こうやって狙い球をどう意識しているのか、バッテリーに誤認させることも駆け引きのうちだ。
スライダーを狙っているのか。
ならばスライダーを投げてやろう。
そう考えるのが真田であり、仕方がないなあ真田君はと思いながらも許すのが樋口である。
そのスライダーは、美しい円弧を描いた。
右バッターの懐に突き刺さる、打てるはずなのに、思わず腰が引けてしまうボール。
コースがコースであったため、バットが回ってしまう。
止めようとしたバットであるが、及び腰になった状態からは、それは不可能であった。
ストライクスリーで、バッターアウト。
これで残る一人は、またも左打者である。
真田は結局、三者三振で八回を封じた。
一点も取れないことはあったとしても、ランナーさえ出せないというのは、ドミニカにとっても想定外であったろう。
ただ、どのみち試合の趨勢は、ほぼ決していたのだ。
九回の表、ドミニカの最後の攻撃。
それに対して、日本のクローザーは直史である。
何度か国際大会を経験している直史であるが、今回が一番楽だな、などと考えていたりする。
ワールドカップはクローザーとしての登板機会が多く、またロースターの人数も少なかった。
その後のWBCなどは、日本も主戦力が参加できなかったり、上杉が怪我をしたりと、色々と苦労をしたものである。
それに比べれば、本当にクローザーとして、五点は点差がある状況でマウンドに登る。
油断をしないように、と自分を戒めることが、重要なことになってくる。
ドミニカは一番打者からの打順なので、強打者が揃っている。
ただそれは直史にとって、あまり意味のあることではない。
むしろメジャーリーガーが三番まで並んでいるので、充分にそのデータが揃っている。
ならばあとはデータに従って、打たれないように投げるだけである。
先頭打者にはカーブから入った。
迷いの見えた構えであるが、それを見送ってストライク。
打てるはずのカーブではあるのだが、なぜかMLBではことごとく、ミスショットを誘っているカーブ。
特に初球に投げられると、打っても凡退が多い。
だからといって直史のボールは、何を狙っても打てないことが多い。
また狙っているボールが全く来ないこともままある。
二球目のスライダーには反応できたが、ミートの瞬間にバットの軌道を変える。
どうにかフェアグラウンドに凡打を打つことは避けて、ファールにカット出来た。
本当に、この技巧派の投げるボールはなんなのだ。
まるで魔法のように、最もバットに力の伝わる部分から、わずかに外して凡打を打たせる。
俺じゃなきゃ見逃しちゃうね、などと思いながら、追い込まれた事実に身震いする。
マウンド上の直史は、全くの無表情である。
追い込んでしまえば、あとはもう終わりなのだ。
投げたスルーはバットの下をくぐり、樋口のミットへ。
たとえ当たっていたとしても、内野ゴロで終わっていただろう。
あと二人。
直史は作業を続ける。
ドミニカの打線は、かなり考えてはいるようではあった。
下手に早打ちはせず、難しいボールは見逃していったのだ。
ただ問題は、直史は難しいコースへ投げるのが、別に難しくないということだ。
インハイとアウトローも、完全に交互に投げることが出来る。
ストレートではなく、変化球を使ってだ。
スライダーとストレート、またカットボールなども、指先の感覚が狂わないように、数ミリ単位で変化を変える。
機械よりも正確なコントロールで、三球を使って二番打者もしとめる。
今度は三振ではなく、平凡なサードゴロであった。
(大介がサードにいると、なんだか変な感じがするな)
大介はショート、というのが直史の中の常識である。
後輩である悟に、内野の花形を譲ったという扱いであるが、今までは特に問題は起こっていない。
違和感を自分のピッチングに及ぼさない。
それが直史の精神性である。
ピッチングというのは、なんとなればゴルフに似ているのかもしれない。
確かにバッターを打ち取るのが仕事ではあるが、それには思ったとおりのボールを投げることが重要だ。
あるいは直史はゴルファーにでもなっていれば、それもまた成功できたかもしれない。
本人があまり好きでないので、無駄な妄想であるが。
体を完全に制御して、その結果がボールの制御につながる。
この試合で直史が投げたボールは、スピードだけならMAXが148km/h。
だがそれでも三番打者は、ストレートを打ち上げてキャッチャーフライ。
スリーアウトで、ゲームセットとなった。
またか、というような圧勝によって、日本は決勝進出を決めた。
連戦になるがそれは、上杉を温存していたため、さほど問題にはならない。
相手はホームであるアメリカであるが、過去に何度も日本は、このアメリカの地でWBC優勝を決めている。
その中には相手が、やはりアメリカであった試合もあった。
七回まで一人で投げた武史も、確かに立派ではあった。
もうお約束のように一発を食らったのは、ご愛嬌と言うしかないだろう。
七回までしか投げていないのに、14個も三振を奪っているという数字の現実。
まさにエース、と呼ぶに相応しいピッチング内容であった。
そしてリリーフの二人、真田と直史は、それぞれのイニングをパーフェクトに抑えた。
真田の左打者に対する脅威度を、アメリカは正しく理解しただろうか。
どのみち明日は、直史が30球以上も50球以上も投げることが出来る。
上杉から直史への継投を行えば、それで勝てる。
そんな雑な予想が、ネットの中では普通に語られていた。
「さ、決勝だ決勝」
「ゆっくり休め」
本当にゆっくり、明日のことを考えなくていいのは、本日球数制限を超えて投げたため、明日は投げられない武史だけである。
もちろん試合はしっかり見るし、ベンチにも入るつもりだが。
なお見に来ていた家族からは「父さん、いつものパターンだね」と息子に言われていて、少しへこんでいたらしいが。
この準決勝に関しては、選手たちの家族も、武史のみならず多く見に来ている。
特に直史や樋口は、場所がロスアンゼルスだけに、ほぼ準地元扱いである。
実際のところ日本との書類関係に関しては、アナハイムでは行えずにロスアンゼルスを訪れることはよくある。
それに毎年、ハイウェイシリーズでトロールスタジアムで試合はしているのだ。
MLBにおいてはトロールスタジアムは、客席を増設して観客収容数は最大の球場になっている。
これに続くように、メトロズは改築を行ったりもした。
ただこの時期にニューヨークで試合をするのは、それなりに故障のリスクは高まる。
そうは言ってもレギュラーシーズンも、もうあと10日後には始まるのだが。
祭りが終わろうとしている。
直史にとって今年は、現役最後のシーズンだ。
長い野球人生であったようにも思えるが、まだ直史は32歳。
それぐらいであればまだまだ、現役である選手はたくさんいる。
MLBに限らず多くのスポーツは、現役期間が長くなる傾向にある。
これは各種トレーニングの発達によって、衰えがなかなか訪れないように出来てきているからだ。
それでもバッターの限界などは、40歳を過ぎたあたりに出てくる。
眼球のレンズのピントを合わせる筋肉の問題だ。
直史は、まだまだやれるだろう。
だが本当に誰にも打たれないようにするピッチングは、身を削って成し遂げているのだ。
なので大介も、無茶なことは言わない。
直史はここまで、本当に限界の際で己を削ってきた。
自分のピッチングが出来なくなれば、そこはもう間違いのない限界だ。
しかしそれとは別に、もう一つの限界を、直史は設定している。
何をしても、大介を抑えられなくなれば、それはもう限界なのだ。
この贅沢な男は、最高のバッターを相手にしても、勝ちたいという欲求を抑えられない。
リーグも違う直史と大介は、これが最後の共に戦う試合となる。
もしかしたらずっと先、マスターリーグで一緒にプレイしたりするのかもしれないが。
最後の夜は、ゆっくりと過ぎていった。
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