第20話 メジャーのピッチャー

 今回のWBCに、現役メジャーリーガーの中からも多く、出場があったのはなぜか。

 理由を考える前に、それによってWBCへの注目がどれだけ集まったか。

 少なくとも野球の活発な地域においては、歴代最高のタレントが揃った、まごうかたなき世界最上決戦と思われている。

 MLBのベテランの中の、本当のレジェンドがある程度選出されていないことや、キューバ代表に現役メジャーリーガーが選出されていないことは、確かに残念ではあった。

 だが比較的新しいMLBファンの記憶にも新しい、伝説的な記録を残し、残し続ける選手たちが、まさに結集しているのだ。

 それがアメリカチームでないことは、残念なことではあったが。


 上杉のセーブ記録は、衝撃的なものであった。

 先発ピッチャーは野球の試合において、最もその試合の勝敗を左右するものではある。

 だがそれだけに消耗も激しく、短くても中四日を空けて登板するのが常識であった。

 しかし上杉は、わずか一年ながらクローザーとして、63試合に登板。

 そしてトレードがあったにもかかわらず、クローザーでサイ・ヤング賞を受賞しているのだから怪物である。

 なにせクローザーとして全てのセーブ機会をセーブ成功のみならず、失点すら許さなかったのであるから。


 その上杉のクローザーとしての究極っぷりを、さらに塗り替えたのが直史である。

 これまたトレードで二ヶ月しかクローザーはしていなかったが、その期間で30試合に登板。

 こちらも無失点どころか、ランナーすら許さないという、まさにパーフェクトリリーフであった。

 メトロズは他に、大介、武史、坂本と日本人選手の大活躍で、ついに21世紀初めての連覇を達成。

 しかし昨日の友は今日の敵とばかりに、直史はまたもアナハイムにFAで帰還した。

 そして大介との壮絶なライバル関係は、次の年も続いたものだ。


 まだ数年、この究極のバッターと至高のピッチャーの対決は、続いていくのだろうと多くのファンは思っているに違いない。

 だがごく一部だけは知っている。

 二人の対決は、今年が最後であることを。

 元は既に、共闘して連覇を果たした時点で、本来の契約は終わっていた。

 それが二年という延長をもたらしたのは、そこに納得がなかったからだ。

 また直史が、負けっぱなしで去るのは嫌だった、という誰にもいえない事情もある。


 三年連続で、両リーグでサイ・ヤング賞を取り続ける兄弟という存在。

 この二人のピッチャーをまともに打てるのは、大介しかいない。

 そんな三人が上杉の日本代表に加わり、日本人メジャーリーガーも多くが参加をしている。

 ちなみに井口が、どうにかして参加しておけばよかった、と涙目になっているのは内緒である。

 この百鬼夜行の集団に、対決するために集められたのがアメリカ代表だ。

 MLBのシーズンでは、それぞれ日本メジャーリーガーと同じチームであったりもする。

 それが国家の代表として、対決するのだから熱い展開だ。


 WBCが本格的に、サッカーのワールドカップと同じぐらいの価値を持つには、やはりこれぐらいのタレントが揃っていないといけないのだ。

 少なくとも日本にアメリカ、それにドミニカの3チームは、メジャーリーガーをかなりそのチームの主力としている。

 そしてアメリカにとっては幸いなことに、ドミニカが日本の力を削ってくれる。

 なかなかここ数年、国際大会では日本の後塵を拝することが多かったアメリカだが、今回は運もいい。

 ドミニカが本気を出しているからだ。




 ドミニカは正確には、ドミニカ共和国という国である。

 地理的にはアメリカから近く、西インド諸島に存在する。

 なお割りと近くに、ややこしいことにドミニカ国という国もあって、こちらではサッカーが一番人気だ。

 一般的に日本でドミニカという時は、ドミニカ共和国の方を指すことが多い。


 人口一千万程度でありながら、日本の何倍ものメジャーリーガーを輩出してきた国。

 ただそれは地理的に、アメリカが近かったからと言えなくもない。

 もっとも公用語はスペイン語で、文化的にはラテン系。

 世界共通語である英語は、普通にある程度学ぶのであるが。


 野球の国と言ってもいいドミニカ。

 MLBの若手などは、冬の間にこのドミニカのリーグ戦に放り込まれたりもする。

 今回の代表の中には、1シーズンだけMLBで過ごした上杉と、対戦した経験のあるバッターもいる。 

 当然ながらピッチャーの中に、大介や織田、樋口と対戦した選手もいる。

 それだけメジャーリーガーを召集したので、ドミニカも過去最強のチームと言われている。

 ただ日本代表には、世界の野球史上トップ10に入りそうな選手が複数いるのが、運の悪いところと言えようか。


 ゆっくりと目覚めた武史は、まるで緊張などしていない。

 上杉を中心にまとまっている日本代表の中で、彼だけは義理を果たすために集まっているようなものだ。

 実際にところ、メトロズのフロントとは、それなりに緊張したやり取りがあった。

 それでもどうにか一試合だけという条件で、この準決勝に投げるのであるが。


 この準決勝をどれだけ消耗せず乗り切るかで、決勝の難易度が格段に変わる。

 最後に直史がクローザーとして投げるが、決勝でも限界まで投げるならば、30球未満に球数を抑えなければいけない。

 球数制限の盲点と言うべきか。

 30球以上を投げれば中一日、50球以上を投げれば中四日、間隔を空けなくてはいけない。

 だが決勝であれば、次の試合のことなど考えず、制限である85球まで投げてしまえばいい。

 そう、前日に30球未満であれば、翌日は85球まで直史は投げられるのだ。

 81球以内で試合を終わらせてしまうことが、かなりある直史なのに。


 昼の間には本番のトロールスタジアムで、最後の調整練習を行う。

 アナハイムのハイウェイシリーズ対戦相手であるトローリーズの、本拠地であるこのスタジアム。

 ホームほどではないが、それなりに直史も慣れている。

 もっともホームであるという点では、本多こそが慣れていると言えるのだが。

 今日の試合、そして明日の試合も、どのピッチャーも出番があると思っておいた方がいい。

 そう首脳陣は言っていたが、直史や樋口は、限られた数名で終わらせる予定である。


 太陽が傾いていき、試合の時間が迫る。

 この準決勝だけのために、わざわざやってきた武史。

 だが国際大会に、日の丸を背負って挑むという意識は、直史の影響から武史も持っていないわけではない。

 ただそこにプレッシャーを感じないのが、生来の陽キャと言うべきであろうか。

 純粋に思考が浅いという場合も多いのだが。

 悩み多き人間は、普通に不幸であるのだ。




 いよいよ試合が開始される。

 暖かいカリフォルニアの空気は、ほどほどに乾いてもいる。

 今日の試合はドミニカが先攻を取った。

 つまり武史がマウンドに登る。

 第二ラウンドから実戦のマウンドに立つ武史であるが、もちろん合流するまでに、スプリングトレーニングでしっかりと投げている。

 ただこの試合は出来れば七回までは、球数制限の中で抑えてほしい。

 そこまで投げたなら、真田と直史あたりで、残りのイニングを抑えられるだろう。

 そして打線はその間に、しっかりと点を取っておく。

 絶対に避けなければいけないのは、同点のまま延長を迎えることだ。

 ドミニカが勝つとすれば、日本の投手陣の切れ間に得点をするしかない。

 もっとも日本の打線を抑えるというのも、それはかなり難しいことなのだが。


 ただ、こういうところでお約束を外さないのが武史である。

 初球から100マイルオーバーのムービング系で、ドミニカ打線を翻弄する。

 そのはずであったのだが、先頭打者に出会い頭の一発をもらってしまった。

 理想的な放物線を描いて、ボールはスタンドへ。

 あちゃーという表情で、武史は天を仰ぐのであった。


 考えてみれば今回のWBC、日本チームで失点したのは、他には淳のホームランだけである。

 佐藤兄弟が二人とも、ソロホームランを打たれて、失点してしまっているのだ。

 変なフラグが立っているが、果たして直史は無事に己のピッチングを終わらせることが出来るのか。

 これまでに散々フラグを折ってきた、フラグクラッシャーの直史であるので、そのあたりは問題ないのかもしれないが。


 別に油断していたわけでもないのだが、わずかに球は浮いていた。

 それに武史が失点しやすいのは、やはりまだ肩の暖まっていない、試合の序盤である。

 100球を超えてからがようやく本領発揮、という武史としては、この球数制限のルールは、都合が悪いものであるのは間違いない。

 それでも二番以降は、ぴしゃりと抑えた。

 ベンチに戻ってきた時は、むしろ樋口の方が不本意そうな顔をしていた。


 ドミニカ代表もスタメンはほとんどが、メジャーリーガーで固めている。

 あるいはマイナーの選手も含めれば、全員がMLBに所属していると言える。

 対する日本代表は、メジャーリーガーは全体の半分もいない。

 打線で言えば織田と大介、そして今日のスタメンである樋口ぐらいなのだ。


 単純にMLBを実力の基準と考えるなら、メジャーリーガー選手の多いドミニカの方が強い、などという錯覚もあるだろう。

 だが日本の場合は、世界で二位の野球市場であるNPBがあるため、あえてMLB挑戦はしないという選択もある。

 また真田のように、どうしてもMLBのボールが雑な作りで合わなかった、という例もある。

 海外FAやポスティングには、もう挑戦するのに若くない年齢になっている選手もいる。

 純粋に日本の方が好きで日本に残る、上杉のような例もある。

 その日本とドミニカ、お互いに全力を出したらどうなるのか。

 とは言ってもお互い、輩出したメジャーリーガーを全員召集できたわけではないのだが。




 一回の裏、日本の攻撃。

 リードされている展開ではあるが、先頭打者の織田に焦りはない。

 武史がイニングの進むごとに、厄介なボールを投げるようになるのは、織田もよく知っていることだ。

 そしてドミニカのピッチャーアブレイユとは、MLBで対戦経験がある。

 100マイルオーバーのムービングをコンスタントに投げる、厄介なピッチャーであるのは確かだが、攻略不能というほどではない。

 まずはバットを出して、あえてファールにしてみた。

 うむ、やはり打てなくはない。


 アブレイユはもちろん、織田のMLBでの実績を知っている。

 ただしこれだけ日本人選手がMLBで活躍していても、ごく一部の日本人プレイヤーだけが特別なのだと思っている。

 確かにそれは、ある意味では間違いではない。

 しかし同時に、理解はそのレベルで止まっているとも言える。

 日本には高校野球というものがあるのだ。


 ドミニカのコーチが日本のアマチュアの実情を知って驚くのは、その選手の故障の多さだという。

 それは確かに事実であって、日本のアマチュア野球は高校と大学で、ひどく選手を酷使する。

 ドミニカの場合はその最終目標は、MLBと決まっている。

 なので試合で手を抜くわけではないが、高校生の段階で完成形を目指す、などといったことはしない。

 日本では甲子園が神聖視されすぎていて、ここで一度選手を完成形に持ってこようとしてしまう。

 このあたり甲子園に行ければそれで満足な選手、また甲子園に行くことが最大目的のチームと、最終的にはプロを目指す選手や目指すべき選手とで、取り組み方が違う。

 甲子園で潰された選手はたくさんいるし、それをむしろ美談としていた日本の過去の野球は、反面教師とするべきであろう。


 そのあたりを反省した上でも、やはり高校野球は、短期決戦に特化している。

 トーナメントを勝ち上がらないといけないのだから、一度でも負ければ終わりなのだ。

 そして一度も負けずに最後まで勝った経験の持ち主は、日本側に圧倒的に多い。

 ドミニカもアマチュアの試合がないわけではないが、リーグ戦が中心。

 そして無理をして故障するかしないかのところで、プレイするような切迫感はない。


 選手を故障させてはいけない、というのは確かに間違いのない理想論なのだ。

 ただ選手に、自分の限界にどこまで挑戦させるか、それはまた別の、重要な話となる。

 織田が粘った末にようやく内野ゴロで打ち取られたわけだが、続いてバッターボックスに入った悟は、二回甲子園の頂点に立っている。

 MLBに結局挑戦しなかったのは、家庭の事情によるところが大きい。

 今後も挑戦の予定はないが、だからこそここでメジャーリーガーの一線級のピッチャーとは勝負したい。

 ワールドシリーズのチャンピオンになるよりも、WBCのチャンピオンの方が、日本人の感覚としては嬉しいのだ。


 100マイルオーバーのストレートを、アブレイユは続けて投げてくる。

 そして緩急もつけてきて、これを悟はカットして対応する。

 なるほど確かに、メジャーリーガーのピッチャーというのは、たいしたものであろう。

(だけどまあ、上杉さんに比べればな)

 悟は現在、セ・リーグのタイタンズに所属している。

 つまり同じセ・リーグの上杉とは、頻繁に対決する機会があるということだ。


 ツーストライクまで追い込んだ、とアブレイユは思ったかもしれない。

 だがそれは逆で、悟がアブレイユに、決め球を投げやすい状況に誘導したのだ。

 102マイルのストレートが、高めに入ってくる。

 あえてこれを打ち上げようとはせず、悟はミートに集中した。


 打球はまさにジャストミートされ、外野の間を抜いていった。

 ほぼ定位置で守っていた外野であるが、追いつくのは早い。

 それでも悟の足であれば、問題なくスタンディングダブルのヒットとなる。

 ただこれは、ちょっと失敗であった。

(白石さん、敬遠されるなあ)

 バッターが大介で、二塁にランナーがいて、一塁が空いている。

 当然敬遠される場面であり、悟の的中するに決まっている予想は的中した。




 申告敬遠で一塁に進むこと、今回のWBCだけでも何度目か、と溜息をつく大介である。

 だが結果的にフォアボールになることはあっても、申告敬遠はあまり使わないのが、第一ラウンドであった。

 しかしドミニカは冷静に、あっさりと大介の敬遠を決定した。

 やはりMLBで大介を日常的に見ている者は違う。


 ドミニカの狙いというのは、どこにあるのだろう。

 正直なところ大介としても、ドミニカがなんとしてでも勝とうと、執念深く思っているようには感じられない。

 MLBが身近なドミニカにとっては、WBCなどやはり、オールスターに準ずる程度の存在なのだろう。

 確かにここで活躍すれば、MLBでも評価は高くなるのかもしれない。

 だがドミニカは本当に、野球においてはアメリカの植民地的なところがある。


 日本の場合はNPBがあるので、ここで活躍すればいい。

 だがドミニカは、地元のリーグ戦などで、活躍しても意味がないのだ。

 メジャーリーガーとなって、アメリカンドリームを手に入れる。

 そのためにドミニカなどは、WBCで下手な怪我などはしたくないだろう。

 大介を抑えれば評価は高まるかもしれないが、この状況では歩かせるのも悪くはない。

 ただ大介の後ろにいるのは、日本の四番である西郷なのだが。


 西郷のバッティングは、日本代表選手団の中でも、トップレベルである。

 ホームランと打点はもちろん、打率もおおよそいつも上位10位以内には入っている。

 ただ西郷は、バッティングに極振りした選手であって、守備や走塁はそれほど優れてはいない。

 それでも強烈な打球に、平然と立ち向かうだけの胆力はあるのだが。


 MLBのスカウトの方針により、西郷がMLBに来ることはなかった。

 もっとも本人も、甲子園が好きであったので、ライガースを離れるつもりはなかったらしいが。

 大卒でプロ入りしたというのも、関係はあるのだろう。

 MLBに適応するには、やはり若いうちの方がいいと、大介は思う。

 そのあたり樋口などの適応力は、さすがというべきなのだろうが。


 バッターボックスに入った西郷は、アブレイユに対してもどっしりと構えている。

 巨体という点ではアブレイユの体格もたいしたものだが、西郷ほどの厚みはない。

 一塁からのんびりと観戦している大介は、そのアブレイユの初球に、西郷に対する傲慢さを見た気がした。

 悟に打たれたのと同じ、フォーシームのストレート。

 だが西郷もまたセ・リーグの選手であり、上杉とはずっと対戦してきて、それ以前には武史ともずっと対戦してきたのだ。

 スピードだけでは、西郷は抑えられない。

 それでも打った打球は、フェンス直撃となって、スタンドにまでは入らなかったが。


 出会い頭の一発から、その裏には日本は好打者と強打者のヒットで、二点を取って逆転。

 大介だけを抑えればどうにかなる、などという考えは、メジャーリーガーでも捨てた方がいいだろう。

 ヒットをつなげていくという、スモールベースボール。

 長打の連続なので原則からは外れているのかもしれないが、日本はホームランもなく、先制されたすぐ後の逆転に成功したのであった。

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