第19話 灼熱の大地

 ホームゲームだからといって、必ず有利とは限らない。

 だがホームゲームが続いていくのは、必ず有利である。

 第一ラウンドから第二ラウンドの最後まで、アメリカは自国の中でもロスアンゼルスで、全ての試合を行うことが出来る。

 日程的には日本よりやや詰めているが、移動時間などを考えれば、間違いなくその点では有利であろう。

 日の丸を振る空港から、日本代表はアメリカへと飛び立つ。

 飛行便はそのまま、ロスアンゼルスに直行というものだ。


 もしこの飛行機が落ちたら、日米のプロ野球記録の多くが、不幸な断絶に陥るのだろうな、などと直史は考える。

 無意味な想像であるが、ファーストクラスのシートにて、ぼんやりと今後の予定を考えていた。

 この日、アメリカはプエルトリコと対戦して勝利、準決勝進出を決めることとなる。

 その相手はキューバであり、戦力を分析してみれば、アメリカが圧倒的に有利だと、直史は判断する。

 ホームであるアメリカチームに、メジャーリーガーのいないキューバチーム。

 勝つのはアメリカだと、キューバ相手に勝った日本代表の直史が確信する。


 日付変更線を越えて、ロスアンゼルスへ。

 東京とは全く違う暖かさに、日本代表の多くの顔が緩んでいく。

 直史や樋口の場合、いっそのこともうアナハイムに戻りたいぐらいなのだが、ちゃんとホテルは取ってある。

 これから選手たちがまず徹底して行わなければいけないのは、時差ボケからの脱却だ。

 直史も経験したのだが、基本的に時差ボケは、現地時間の就寝時間まで我慢して起きていて、そこから睡眠をとるのが一番時差ボケ解消にはいいということだ。

 飛行機の中では眠くなっても、出来るだけ我慢して起きている。


 そして翌日、完全復活である。

 まだ試合はないので問題ないが、NPB組の中にはやはり、この時差に慣れていない者が多い。

 それでも体を動かしていくのだが、覚醒してない状態ではストレッチや柔軟をした方がいい。

 珍しくも音頭を取って、ストレッチや柔軟をしていく直史。

 その体の柔らかさに、改めて驚く日本代表。


 体の柔らかさは、スポーツ選手にとっては重要なことである。

 だが野球選手はその中で、かなり体の固い選手が多い。

 全身が筋肉や腱だけではなく、関節まで柔らかいのが、本当は理想なのだ。

 メカニックの面だけではなく、故障がしにくくもなる。

 ただNPBのレジェンドの中には、本当に体の固い選手も多いのだ。


 もっともそれで通用したのは、20世紀の話。

 基本的に現代では、体の柔軟性はどの年代のどのレベルでも重要なこと。

 それでも直史ほどに柔らかい人間は、他にはいなかったが。

「体が柔らかいと、それだけ筋力が集中して使えるからな」

 直史はそう説明するわけであるが、これは自分で気づいたことだ。

 正確に言うとツインズのやっていたことを再現しようと思えば、体が柔らかくないと通用しないのだ。

 なおここに、武史も合流する。

 武史も直史ほどではないが、体は柔らかい。

 それは小学生時代にやっていた、水泳が影響しているとも言われる。


 直史が肉体の柔軟性からのパワー、という点で想起するのは、意外な選手である。

 権藤明日美、今では結婚して上杉明日美となっている彼女であった。

 母親がヨガの講師をやっていたとかで、子供の頃からずっと柔軟性を保っていた。

 そして大学時代は、男に混じった中で野球をやっていたのだ。

 ピッチングでは140km/hほども出していたし、神宮でホームランも打っていた。

 日米女子野球では高校時代に、日本のエースとして投げていた。

 ある意味では直史にとって、上杉よりも理解不能なピッチャーであり、バッターであった。




 そしてこの日の夜、日本の準決勝での対戦相手が決まる。

 順当にドミニカが、6-3でメキシコに勝利していた。

 日本のこれまでの点差に比べれば、現実的な試合である。

 だがドミニカは、エースを温存していた。


 MLBに佐藤兄弟がいなければ、サイ・ヤング賞に選ばれていてもおかしくないというアブレイユ。

 25歳の右腕は、MLBのタンパベイの若きエースである。

 ア・リーグ東地区が地獄の勝負をしている原因の一つである。

 彼がFAでタンパベイからいなくなれば、もう少しア・リーグ東地区は平穏なものとなるだろう。

 もっともそのあたりで、武史がラッキーズに行く可能性もあるのだが。

 そうなれば同地区はいきなり最強になるだろう。


 準決勝の相手はドミニカ。

 明後日20日に、日本と対戦する。

 ピッチャーも粒が揃っているが、バッターもまた優れた選手が多い。

 もっとも準決勝に投げるのは、そのドミニカ出身のメジャーリーガーを、ことごとくなぎ倒している武史だ。

 おおよそ六回ほどまでは、ロースコアに抑え込めるだろう。

 あとは日本の打線が、温存されたアブレイユをどれだけ打てるか。

 とは言ってもアブレイユも、どう長いイニングを投げられるわけではない。

 また、大介とはほとんど勝負の機会がなかったが、対決してみて抑えられるかどうか。


 大介を正面から、力ずくで対決したのが上杉。

 そして技巧で対決したのが直史。

 特に左キラーとして、大介相手にも優位に戦ったのが真田。

 またそこまでではないが、ある程度は対応できたのが武史。

 他にはMLBのピッチャーであろうと、まず大介は打ってしまっている。 

 102マイルのストレートがあろうと、速いだけなら敵ではない。

 もちろん絶対に打てる、などと楽観視するわけでもないが。


 第二ラウンドから、正確にはアメリカにおいて、合流した武史が準決勝は先発。

 メジャーリーガーから召集されたバッターはそれなりに、武史と対戦経験のある選手がいる。

 そうでなくてもドミニカあたりになると、普通にMLBの放送は見ている選手が多かったりする。

 若手の中にはマイナー時代に、武史を見ている選手も多いはずだ。


 ただ上杉を決勝で使うためには、準決勝は絶対に他のピッチャーで勝たなければいけなかった。

 現役メジャーリーガーが多くを占めるドミニカ打線を相手には、現役メジャーリーガーであり、同時にその中でもトップレベルの選手が必要であったのだ。 

 武史はMLB移籍後、三年連続で25勝以上を達成。

 もちろんメトロズの打線が強力で、援護が大きいこともその要因の一つだ。

 だがナ・リーグは他の候補者など挙がらないぐらい、武史は各種数値も圧倒的なピッチングをしている。

 年間500奪三振に、三年連続400奪三振オーバー。

 それでも直史の方が圧倒的に上なのだから、この兄弟は本当におかしい。


 準決勝で武史と組むのは、当然ながら樋口である。

 この樋口を九番打者として使うあたり、本当に日本代表は選手層が厚い。

 MLBのどのチームであっても、今回の日本代表には勝てないであろう。

 もちろんメトロズとアナハイムは、直史や大介を使用禁止とすることを前提とするが。


 明日はアメリカとキューバの準決勝。

 戦力的にアメリカが勝つだろうとは思うが、何が起こってもおかしくないのが野球である。

 ただアメリカが、レギュラーシーズンで当たり前のように戦えば、このキューバには勝てると思う。

 そして翌日は、日本とドミニカのもう一つの準決勝。

 そこから連戦とはなるが、クローザーの直史は連戦には慣れている。


 日本選手団は、体を動かしてバイオリズムを整えていく。

 幸いにもこの移動によって、体調を崩した選手などはいない。

 普通にやれば、普通に勝てる。

 だから普通にやって、普通に勝とう。




 翌日も練習時間は取られているが、あくまでも調整が目的である。

 練習グラウンドにおいて、日本選手団は最後の確認を行っていく。

 その中には守備のポジションを、果たしてこのままでいいのか、という問題もあった。

 大介をショートで使わなくていいのか、というものである。


 また打順に関しても、首脳陣は意見を戦わせる。

 大介が三番でいいのか、というものだ。

 これは樋口を九番に置いていることから、生まれてくる問題だ。

 樋口の出塁率は高く、そして足も速い。

 なので大介を一番に置いておくべきでは、という意見が出てきたのだ。


 日本をはじめ東アジアは、まだ四番に強打者を置き、二番につなぐ打者を置くという習慣が残っている。

 MLBなどでは統計的に、二番には強打者を置くべきだという理論が、立派に成立しているし、大介もメトロズでは二番を打っている。

 また一時期は、一番を打っていたこともあった。

 それでも基本的には二番打者で、それだけ打席が回ってきやすいこともあって、それが大量のホームランにつながっているわけだが。

 直史や樋口も、この日本の打線であれば、大介は一番か二番に置くのがいいのでは、と思わなくもない。

 ただ問題は、首脳陣がそのドクトリンを持っていないであろうことだ。


 アメリカのベースボールと、日本の野球は違う。

 何がどうと説明するまでもなく、MLBを体感した日本人選手や、日本にやってきた助っ人外国人は、はっきりとそれを感じていることだろう。

 おそらく日本も、二番打者に強打者を置くのは、将来的には普通になってくる。

 今でも二番に、三番より優れた好打者を置く程度のことは、普通にしているのだ。

 だが問題は最終決定権を持つ別所が、元はセ・リーグであるスターズの監督だったということだ。

 パ・リーグはDHがあるため、打順を色々と試行錯誤していることはある。

 だがセ・リーグであればほぼ自動的に、九番はピッチャーなのだ。

 その打順に慣れた別所が、上手く新しい打順に対応できるのか。


 今回の日本代表は、間違いなく過去最強の日本代表である。

 ピッチャーに守備、そしてバッティングと、選手は完全に揃っている。

 唯一平凡なのだ、采配を取る指揮官である。

 直史が合理的に考えてしまうなら、樋口がプレイングマネージャーでもやった方が、よほどMLBルールのWBCの中では適切な采配を取れると思う。

 上杉は樋口の言うことを聞くし、上杉が反対しないなら、他の選手も誰も反対しないだろう。

 NPB時代にはトリプルスリー、ゴールデングラブにベストナイン、MLBでもゴールドグラブにオールMLBチームに選出と、樋口の実績は歴代の日本人選手の中でも相当に上位のほうだ。


 さすがにそれを口にしないだけの配慮を、直史は持っていた。

 野球界というのはどうにも、面子がものを言う世界である。

 それは別に野球に限らないのだろうが、ロジックだけで成立しない世界は、直史は苦手なのだ。

 結局、大介は三番を打つらしい。

 直史や樋口からすると、二番の悟と入れ替えた方が、かなり得点の期待値は変わると思うのだが。

 そもそもこのWBCにおいてさえ、大介は勝負を避けられることが多い。

 ならば出塁させることを、最優先に考えて一番も悪くないと思うのだ。

 今更言ってもせん無きことだろう。




 夜、アメリカとキューバの準決勝が行われる。

 アメリカもサイ・ヤング賞クラスのピッチャーを、何人も集めたのが、今大会の代表である。

 ただこの三年間、MLBは両リーグにおいて、怪物がサイ・ヤング賞を独占している。

 そのため20代の半ばも超えたピッチャーが、代表となっているわけだが。


 既にドミニカ対策のミーティングは終わっているので、あとは対戦するだけだ。

 選手層を見るに、ドミニカもアメリカとあまり変わらないというか、ドミニカも充分の恐ろしいチームではあるのだが。

 ただこの2チームを比べてみると、平均年齢がかなり違う。

 アメリカよりもドミニカの方が、若い選手の方が多いのだ。

 そして名前が売れている選手が、アメリカの方が多い。

 ドミニカはこのWBCの舞台で、自分のキャリアをもっと上げたいと思っているのだろう。

 対してアメリカは、大型契約を持っていない、FA前の若手が多い。

 それでもドミニカよりは、かなりベテランが多いと言える。


 短期決戦は本当に、ピッチャーが重要になる。

 そしてアメリカは確実に、決勝を見据えてピッチャーを運用している。

 ただバッターの方は、レギュラーシーズンと同じようにさほど変わらない。

 ターナーとブリアンが三番四番で並んでいるのを見ると、アメリカの本気度合いも見て取れるというものだ。


 このメンバーで負けてしまえば、アメリカの威信は地に落ちるかもしれない。

 だが今回の日本代表は、相当にアメリカも本気を出さなければ、決勝などでコールド級の大差を付けられるかもしれない。

 そうなれば単純に負けるよりも、よほど屈辱的であろう。

 日本のトッププレイヤーは、MLBにいるのが当然という時代であるが、上杉などはそれを蹴って、NPBに戻ったのだ。

 たった1シーズンであるが、上杉の残した記録は鮮烈だ。

 上杉の影響力を削ぐために、球数制限が厳しくなったのでは、とさえ穿ったものの見方は出来る。


 そんなアメリカはキューバ相手に、8-2で勝利した。

 単純に得点差だけを見れば、キューバを蹂躙した日本の方が、強いように思える。

 だが実際はそんなことはなく、そして強いチームが勝つとも限らない。

 勝ったチームが強いのだ。


 アメリカはピッチャーの面子を見ると、明らかに決勝に向けて、主力を温存していた。

 WBCの第一回大会などは、まさにピッチャーの運用に失敗して、負けたのがアメリカである。

 スター選手が出場し、当然ながら優勝を期待されていたアメリカ。

 だがあの敗北によって、アメリカの中のベースボールの価値は低下したとも言われる。

 実際のところはそれよりも前の、ロックアウトが要因なのだが。

 オーナーと選手間における、賃金などの条件を含めた交渉で、大幅にシーズンが短縮される。

 そのミスを教訓に、後の交渉などにおいては、どうにかレギュラーシーズンをしっかりとするよう、お互いが粘って決着を見るようになった。


 決勝まで進めばアメリカ。

 だいたい日本はいつも、決勝でアメリカと対決することが多い。

 極端な話、上杉の登場以来日本は、一試合はほぼ確実に勝てる試合が作れるようになった。

 なので日程によるが、決勝まではほとんど勝ち進めるようになったのだ。

 そして直史と武史がいるこの時代、ピッチャーが相手を抑えている間に、大介が一発放り込めばいい。

 とても単純でいて、実行も可能な作戦を、日本は考えるようになったのだ。




 試合が終わってから日本代表は、それぞれの部屋に戻る。

 仲のいい選手同士は、レストランのバーやラウンジで、少し話し込むこともあったが。

 明日の試合、果たしてどう戦っていくのか。

 ミーティングで話し合われたはずのことであるが、バッテリーの意識はまだ首脳陣と少しズレがある。

 上杉の部屋に集まったのは、直史と武史と樋口、そして真田であった。


 ドミニカ戦は武史が先発する。

 そして85球という制限以内で、どこまで投げられるかが問題なのである。

 武史はおおよそ115球前後で試合を完投する。

 やや甘めに見積もって、七回までは投げられるだろうか。

 ただそうすると最終回の直史につなげる、セットアッパーが必要となる。

 ここで樋口はNPBを代表するサウスポーのクローザーである毒島ではなく、真田を呼んだのだ。


 毒島も160km/hオーバーをコンスタントに投げるピッチャーであるが、状況によっては真田の方が有効である。

 それは相手のバッターが左、という場合だ。

 大介でさえも真田の前には、二割も打っていないほど、左殺しと言われる真田。

 そしてこのWBCでは、MLBの現行ルールと違って、ワンポイントのリリーフが認められている。


 明日の準決勝だけではなく決勝も、上杉から真田、そして直史とつないでいくパターンになるかもしれない。

 ドミニカもアメリカも、まともに上杉や武史と勝負して、簡単に点が取れるとは思っていないだろう。

 重要なのは二人の球数を増やし、リリーフを早めに引き出すこと。

 そして直史につながせないことだ。

 ただし準決勝はともかく決勝は、50球以上投げてしまっても問題がない。

 上杉から直接直史に、という継投が考えられるのだ。


 直史のピッチングの最大のポイントは、単純に技巧派であることではない。

 球数を節約して、相手を抑えてしまうことだ。

 準々決勝の台湾戦など、1イニングを五球で終わらせてしまった。

 次に試合がないと分かっていれば、直史も50球以上投げられる。

 ただしそのためには、準決勝を30球以内で抑えなければいけない。


 首脳陣もそのあたり、ある程度分かってはいるのだろう。

 だが口にするのは、全てのピッチャーに出番があると考えろ、というものだ。

 本当は一番いいのは、この準決勝もコールドで勝ってしまうことだ。

 そうすればピッチャーは球数を抑えて、決勝に挑むことが出来る。

 どのみち武史などは、この準決勝一試合だけの存在として計算されていた。

 だが試合日程的に、武史の投げる一試合は、とても重要になるのである。


「さて、それじゃあ今更どうでもいい感じだけど、世界一を取りに行きましょうか」

 上杉さんのために、と樋口は内心では付け加えていた。

「どうでもはよくないが、確実に勝ちに行くか」

 上杉がそう言って、気を引き締めようとする。

 ただその場に残る他の三人の中で、武史と真田は、球数制限さえなければ、この二人だけで大会は終わらせていただろうな、とも思っていた。


 WBCも残りは二試合。

 日本としては連戦になるが、それは別に今までも普通にあったことだ。

 球数制限がなければ、もっと楽であったろうな、とは思う。

 だが誰が投げても、日本というチームは強かったのだ。

 ラッキーパンチを一発食らった以外は、一点も取られていない。

 単純に勝つのではなく、現在は日本が最も、野球においては強い国だと証明したい。

 色々な思想の違いはあっても、世界一を狙うという点では、完全に一致しているのが日本代表であった。

 ただし、武史を除く。



×××



 限定近況ノートにて第八部パラレルの最新話を投下しています。

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