四章 第二ラウンド
第16話 強敵と書いて友と読む
三月15日、WBC第二ラウンド決勝トーナメント。
残った8チームが、まだ全て決まったわけではない。
この日はアメリカでは、第一ラウンドの最終日なのである。
時差があるため、まだ試合は始まっていない。
まずはこの決勝トーナメントの韓国とキューバの試合が終わってから、アメリカの二つの場所で行われているリーグ戦が終了する。
そこで次に、日本と台湾の試合があり、それが終わってからアメリカでも、準々決勝が二試合行われるというわけだ。
状況的にはキューバが有利である。
韓国は台湾と、第一ラウンドの第五戦で戦ったため、移動日を含めても一日しか休んでいない。
キューバも第五戦を戦っているが、相手は中国であった。
余裕をもって勝利しているため、韓国相手でも全力でいけるだろう。
あちらの山の準決勝は、19日に行われる。
中三日あるため、上手くピッチャーを継投すれば、準決勝にも戦力を温存して挑めるかもしれない。
キューバは純粋に選手の実力を示すため、そして韓国はやたらと国際試合では勝ちたがるため。
どちらもいい感じで消耗してくれそうだが、別の山の日本にはもう、あまり関係がない。
試合は19時から行われるため、日本代表のミーティングは、既に昼間に行っていた。
とは言っても上杉が先発で投げる時点で、相手はまず一点取れるかどうかといったところだろう。
もっとも球数制限があるので、台湾は待球策とカットを多用してくるだろう。
上杉のボールは、カットすることさえほとんど無理なスピードなのだが。
直史や大介、それに樋口などの数名が集まって見ているのは、韓国とキューバの試合ではない。
アメリカで行われている第一ラウンドの、アメリカやドミニカの試合である。
国際ランキングはともかく、今回のWBCの優勝候補は、日本以外にはアメリカとドミニカが挙げられている。
キューバもメジャーリーガーが合流すれば、かなりの難敵になっていたはずなのだ。
このあたり日本は今回、運さえも味方につけているような気がしてならない。
正直なところ台湾は、戦力を分析していけば、日本よりもかなり落ちる。
とにかく上杉が投げるという時点で、六回ぐらいまでは無失点でいけるだろう。
直史ならば30球以内で、3イニングを抑えることも不可能ではない。
ただし念を入れて、2イニングまでに抑えておきたい。
このWBCの制度的な欠陥は、やはり球数制限の厳しさにあるだろう。
全てはアメリカが、自軍のメジャーリーガーの負担を軽くするため。
そして同時に、他の国のエースピッチャーを使わせにくくするため。
第一回大会から、球数制限はどんどんと厳しくなっている。
ただこれをすると、メジャーでも通用するピッチャーの多い、日本も有利になるのだが。
アメリカは30歳以上の選手は、あまり参加していない。
調整の上手いベテランであっても、逆にそれは調整方法が確立しているということ。
そこにノイズのように入る、WBCに参加する意義はない。
WBCによる金は、自分たちの懐にはほとんど入ってこないのだ。
日本の場合は今回の大会が、おそらく上杉が最後の大会になるのでは、という予測があった。
上杉は甲子園でも優勝していないし、国際大会でも怪我で出場できなかったり、決勝には出られなかったりした。
もちろん誰もが上杉を認めているし、判官びいきの日本においては、むしろだからこそ上杉は人気があったりする。
だがそれでも、これがおそらく上杉の最後のWBC。
上杉のためにも勝ってやろうと、集まった選手は多いのだ。
アメリカに比べれば日本人は、まだずっとウェットである。
そもそもWBCを本当の野球の国際大会だなどと、認めていない部分もあるが。
アメリカから生まれたがゆえに、アメリカのリーグが一番。
実際に大介も直史も、今はMLBでプレイしている。
ただセーブ王になった上杉は、大型契約を蹴って日本に戻った。
年俸10億は破格であるが、それでもMLBに比べれば安いものだ。
上杉は金よりも、日本でプレイすることを選んだのだ。
どうせ上杉なら国際大会にも普通に参加するだろうと思って、大介は契約において日本代表に出られるように注意した。
そしてドライな直史であるが、同時に日本への帰属意識が強いため、上杉に恩のある樋口と共に、日本代表に参加している。
こうなると蓮池はともかく、井口の立場が逆に可哀想にもなる。
ただ井口は別に、いなくても大丈夫だろう、と直史や樋口は思っていたが。
アメリカの試合を一つ、見終わった。
「お、そろそろ試合も終わってるか?」
韓国とキューバの試合がどうなったか、再生を停止して、ネットのチャンネルに変えてみる。
このホテルは基本的に、ネット以外の放送はつながらないのだ。
つまり、某公共放送は見られない。
ちょっと意外であったが、キューバが韓国に勝っていた。
「あちゃー」
アジアカップなどで、韓国と対戦したことの多い選手は、眉をひそめていた。
どうせ決勝まで行かなければ韓国とは対戦しないのだし、その韓国にキューバが勝ってくれたのは、日本としてはありがたかったろうに。
「いや、そういうことじゃなくて」
韓国は、勝っても負けても面倒である。
「勝ったら勝ったでマウント取ってくるしな」
「負けたら負けたでイチャモンつけてくるしな」
「いやいや、どのみちキューバに負けたわけだから、日本には関係ないだろ」
韓国を知らない幸福な選手に、知っている不幸な選手は苦笑する。
「日本のホテルが悪かった、って絶対に責任転嫁してくるぞ」
「あとは日程自体が韓国に不利だったとか」
まあ後者は確かにそうなのだが。
前者はともかく後者は、確かに言わんとすることは分かる。
日程もそうだが、イタリアにオランダという組み合わせは、日本のグループよりはハードであったろう。
しかしそれに加えても、中一日で移動をして試合というのは、ハードなものである。
日本にとって一番いいのは、準々決勝は勝って、アメリカでの準決勝で負けてくれるというものであったろう。
それでも文句は出ただろうが。
直史や大介は慣れたが、飛行機などでの移動はそれなりに、体が休まらないものだ。
中一日で移動して試合をして、それで負ける。
「負けた言い訳が見苦しかったり、なぜか日本の責任になってくるからなあ」
韓国における悪いことは、全て日本が原因である。
直史などは法学部で、また弁護士になる時に大学院で、法律関係と外国人問題はおおよそ知っている。
別に韓国に限ったことではないが、基本的に日本という国は舐められるのだ。
まだしも欧米の富裕層はいいのだが、アジアは富裕層であっても無茶苦茶をする。
そして弁護士の中には、いや裁判官などの中にも、頭のおかしな人間はいるのだ。
むしろ直史や瑞希は、少数派と言ってもいいかもしれない。
実際にネットではそんな論調で語られたりしたのだが、便所の落書きは見ないのが直史である。
瑞希はさすがに少しはチェックしたが、これは純粋に日程を決めたWBCの本部が悪いと思う。
以前のWBCなどでは、もっと余裕のある日程になっていたりした。
なのでこの日程は、明らかに日本に有利。
韓国は第一ラウンド開催国となった代償に、こんな不利を押し付けられたのか。
正直なところ台湾戦では力を温存し、二位で通過したほうが良かったのではないか。
絶対に日本と戦いたくないというものさえなければ、そちらの方が正しいだろう。
なお、韓国が意地でも一位で通過したのは、確かに日本に負けないためであった。
冷静に戦力を分析すれば、今大会では日本の方が、圧倒的に韓国より強いのは分かっている。
直接日本と対決し、そして負けた時には国内からの誹謗中傷が激しい。
なので日本以外に負ける方がマシだと、必死で勝ち抜いたのだ。
もちろんそんなことは、韓国チームの誰も言わなかったが。
三月16日。日本と台湾による準々決勝。
この日の夜に試合は行われるわけだが、朝にはアメリカでのリーグ戦が終わっていた。
つまり第二ラウンドに進むチームが、全て決まったわけである。
カリフォルニアのグループからは、アメリカとメキシコが勝ちあがった。
アメリカは全勝し、メキシコは勝ち星横並びの中から、得失点差での通過である。
フロリダのグループからは、ドミニカとプエルトリコ。
おおよそ事前の予想からは、外れていない相手である。
日本が台湾に勝った場合、対戦するのはドミニカとメキシコの対戦の勝者。
つまりアメリカと当たるとしたら、やはり決勝戦となる。
準決勝の相手は、ドミニカとメキシコ戦の勝者となる。
もちろん目の前の台湾との試合が、一番大事なのは言うまでもない。
確かに先を見つめて、投手の運用を考えることは大事だ。
しかし目の前の一戦に、集中しなければいけないのもトーナメントの醍醐味なのだ。
日本シリーズやそれにつながるクライマックスシリーズでも、一発勝負というものではない。
こういったトーナメントとなると、日本の選手は高校時代を思い出す。
あの頃の、甲子園に行けなければ死ぬ、とさえ思っていた気持ちはなんだったのか。
ただああいった極限状態を経験したのが、今でも自分の野球の支えになっている気はする。
もちろん白富東のように、選手たちを追い込まない指導のチームもある。
ただセイバーはそうであったが、秦野や国立などは、一度はどれぐらいが限界なのか、対外試合禁止前と、解禁後にしていたりする。
冬の間のトレーニングでどれだけ鍛えられたかを確認することは、選手にとって大きな自信となる。
どれだけのことが出来るか分かっていないと、その随分と手前で止まってしまうのが人間だ。
もっとも県大会の決勝や、甲子園の試合となると、限界を突破してしまったりもするのだが。
ちゃらんぽらんな武史でさえ、甲子園ではリミッターが外れて、故障の一歩手前まで力を出してしまった。
精神は時に、肉体のリミッターを外してしまうのだ。
上杉は試合の前に、軽く食事を摂った。
普通の人間の二人分ぐらいであるが、スポーツ選手なら当たり前のことである。
これからエネルギーを使うのだから、あらかじめエネルギーを摂取しておくのは当たり前のことである。
実際は消化にもエネルギーを使うため、食事の時間は人によって考えておかなければいけない。
胃腸の消化吸収力は、立派な才能の一つである。
他の選手もどっさりとはいかないが、水分や塩分に糖分の摂取と、戦うための準備はしっかりとする。
台湾はスモールベースボールを仕掛けてくる。
おそらく上杉でも、フルイニングを投げることは出来ないであろう。
100球ならともかく、85球という球数制限では、上杉でもわずかに粘られれば、完投することは難しい。
(佐藤は分からんなあ)
上杉は他人を見下すことはないが、滅多に尊敬するということもない。
人間的な奥深さや、人生の積み重ねに学ぶことはあるが、それと尊敬とは少し違う。
ただ直史だけは素直に、凄いやつだと思える。
この試合も展開次第では、直史がクローザーとして投げる。
かつてのWBCでは上杉が負傷してしまったため、直史が日本のエースとして投げたものだ。
野球の世界の中では、ちょっと真似の出来ないピッチャー。
その技術は年を重ねるごとに、さらに高まっていると思える。
MLBには興味のない上杉であるが、直史と対決できたらいいな、とは思っていた。
代表の紅白戦の練習試合では、直史は全く真剣ではなかったので。
試合は台湾が先攻。
マウンドで投球練習をする上杉の姿を、台湾の選手たちは見つめる。
現在までのピッチャーにおいて、最も速いストレートを投げたピッチャー。
全盛期の輝きを失ってなお、NPBでは最高峰の位置にいるレジェンドだ。
300勝70セーブを記録している上杉は、台湾がこれまでに経験したピッチャーの中では、確実に最大の脅威だ。
なにせ球速ならば近い武史は、国際大会をなんだかんだと言い訳をつけて、避けてきたことが多かったため、アジアの大会では対戦経験がないのだ。
上杉との対戦のあるバッターは、いないわけではない。
ただその記憶は全て、圧倒的な力にねじ伏せられるというものであった。
初回、上杉のボールは全て、160km/hオーバーを記録した。
連続三振の後、三人目の打者はようやく、チェンジアップを当てて内野ゴロでのアウトとなったが。
三者凡退にて、上杉は悠然と日本のベンチに戻った。
上杉のボールを打つことは、ほぼ不可能だ。
だがどうにか球数を増やしていけば、終盤には球数制限で交代せざるをえない。
もちろん上杉が交代しても、日本にはまだ恐ろしいピッチャーが揃っている。
ただ直史に交代した場合、ボールに当てること自体はそこそこ出来るのだ。
当たるからといって下手に打ちに行くと、内野ゴロでアウトになってしまうのだが。
台湾は素直に日本をリスペクトしている。
同じ東アジアの国だといっても、日本の野球導入は台湾よりも早く、そして市場規模もレベルも違う。
ただそれでも、過去に台湾の選手は、多くNPBで活躍してきた。
今でも時折、NPBでは活躍している。
大介もNPB時代は、チームメイトに台湾人がいたものだ。
そして台湾のピッチャーは、完全に日本を相手に、全力で挑んできていた。
普段なら先発のピッチャーではなく、リリーフのピッチャーを先発に起用。
つまりオープナー戦術というものだろう。
もっとも台湾は韓国との対戦で、限界までピッチャーを使ってしまったという理由もある。
上杉が降板したとしても、その時に大差がついていれば、さすがにもう追いつけない。
序盤の台湾にとって重要なのは、大量失点を防ぐことなのだ。
日本の先頭打者である織田には、なんと高めで勝負してきた。
意外であったということもあるが、織田はボールを打ち上げてしまう。
タイミングが合わなかったというのも、確かなことではある。
織田のバッティングはMLBのリズムに慣れていて、台湾のピッチングと上手く噛み合わない。
これはドイツから大量得点出来なかったことと、理由は似ているのかもしれない。
二番の悟も、打ち上げてしまった。
その体格と体重からすると、随分と遠くまでは飛ばしたものだが、外野が追いつけるならスタンドに入れなければフライアウトになる。
高く打ち上げてしまった点では、織田と同じことである。
つまり台湾のピッチャーは、フライボールピッチャーだ。
現代のトレンドは、バッティングはフライを打て、というものだ。
日本の高校野球レベルまでなら、まだゴロを打て、というのもある程度は通用する。
ただ高校野球であっても、反復練習でとにかく技術の向上する守備を考えると、やはりフライを打つべきだ、という結論になっていく。
もちろん選手のフィジカルやテクニックによって、その優先度は異なるものだが。
あえてフライの打ちやすいボールを投げて、それでフライを打たせる。
しかしフライボールピッチャーであっても、落ちるボールを持っていれば、上手く三振や打ち損じを狙いやすいのだ。
ホームランはそこそこ打たれやすいが、逆に三振も取りやすい。
高めにストレートを投げて、それが落ちるかどうかを、見極めるのが難しい。
織田も悟もミート力の高さでは、世界でも上から数えて何番目か、というレベルのはずだ。
それがフライを打ち上げてしまっているのだから、なかなか甘く見られるものではない。
だが、バッターボックスに立ったのは大介である。
ランナーが一人もいなくても、普通にホームランを打ってしまう大介。
ここで大介を敬遠するかどうかで、台湾の思惑が分かると言ってもいいだろう。
大介はアッパースイングでホームランを打つバッターではないので、一般的な強打者と同じイメージで勝負してはいけない。
もっとも織田も悟も、そういう意味ではアッパースイングのバッターではないので、問題はそこではないのだろうが。
その大介に対して、台湾は申告敬遠。
四番の西郷と対決することとなる。
自分の前の打者を敬遠されても、それで怒って力んでしまうなどということはない西郷。
だが西郷は基本的に、アッパースイングでボールを持っていく。
これに対して投げたボールは、スプリットからのストレート。
ボールの軌道の残像が残っていて、西郷もまたフライを打ってしまった。
もっとも西郷の真骨頂は、そこからと言えようか。
定位置かなと思っていたセンターが、どんどんと後退していって、フェンスに背中をつけた状態で、ぎりぎりキャッチする。
なんであんな高く上がったボールが、スタンドぎりぎりまで飛んでいくのか。
それは一つには、東京ドームは空調や気圧調節の関係で、ホームランが出やすいスタジアムだ、ということもあるだろうが。
下手をすればドームの天井に当たって、本塁打にはならなくても、二塁打にまではなっていた可能性がある。
ともあれ台湾は、日本の初回の攻撃を0で凌いだ。
余裕のない必死の作戦であったかもしれないが、見事にその成果は出たのである。
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