第15話 第一ラウンド終了

 サウスポーのアンダースローである淳は、被打率の悪いピッチャーではない。

 だがそれでもそれなりにヒットを打たれるのは当然であり、そして実は被本塁打率がそれほどいいピッチャーでもない。

 アンダースローの軌道からして、まずは浮かび上がってくるように見えるボール。

 それを打とうとすれば、アッパースイングであると、ミートポイントが小さかったりする。

 だがレベルスイングであれば、もう少しミートしやすい。

 そしてミートされたボールは、おおよそ飛距離も出やすいわけで。

 ソロホームランによってようやく、日本は本大会初失点を喫したのであった。


 四回を終わったところで、スコアは8-1の日本リード。

 やはり思ったとおりと言おうか、オーストラリアもピッチャーを継投させて、日本の打線に狙いを絞らせないようにしている。

 日本も国際大会だからして、事前に相手の情報を全く集めないなどということはない。

 だがその事前に集めていた情報が、キューバ戦の数字から離れていれば、そこにはなんらかの意図が見えてくる。


 キューバ戦のオーストラリアは、間違いなく本気を出していたはずであった。

 なぜなら二位までに入らなければ、第二ラウンドの決勝トーナメントには出場できない。

 そして二位に入るならば、日本かキューバのどちらかには、必ず勝っておかなければいけなかったからだ。

 初日の第一戦がキューバとの対戦であったため、日本の実力が相対的にどれぐらいのものかは、オーストラリアは分かっていなかったはずなのだ。

 なので直史や大介のいる日本代表を、メジャーリーガーのいないキューバよりは強いと考え、その前にキューバに勝っておく必要があったからだ。

 だがその試合に負けて、そして日本は中国とキューバを蹂躙した。


 ここまでの試合、一勝一敗のオーストラリアは、日本に勝った上でドイツにも勝たなければいけない。

 そうすれば三勝一敗で3チームが並び、日本に大敗しているキューバより、得失点差で上に行くことが出来る。

 つまりオーストラリアは擬態を完全に解いて、全力で日本に向かってきている。

 それが日本の今大会、初めての失点につながったとも言える。


 淳も四回が終わったところで球数は50球未満と、一つの基準はクリアしている。

 なのでここからは、右の本格派に変更である。

 その前に五回の表、日本の攻撃が始まるわけであるが。




 同じ時間に韓国のソウルグループにおいても、韓国と台湾の試合が行われていた。

 地元韓国は後攻であり、台湾が先攻。

 そして台湾が先取点を取っていた。

 ただここで客席からグラウンドに様々な物が投げ込まれて、一時試合中止。

 日本もNPBでは時々ある出来事であるが、国際大会でこれはちょっとな、という感じであったりする。

 それを聞いた首脳陣は、かなり呆れた顔をしていたが。


 ソウルグループと東京グループは、一位と二位がそれぞれの二位と一位と準々決勝で対戦する。

 そしてもう一方と対決するには、それぞれが決勝まで行くしか方法はない。

 ただトーナメントの向こうの山は、おそらくアメリカかドミニカが上がってくる。

 違ったとしてもその強力な2チームを破って上がってくるものだ。

 アメリカとドミニカは、かなり現役のメジャーリーガーを召集した。

 それだけに韓国であれ台湾であれ、ベストメンバーを組んでも、勝つ事は難しいだろう。

 ただ不可能ではない。


 野球には主に、二つの潮流がある。

 日本を中心とした東アジアの野球と、アメリカを中心とした北中米の野球である。

 世界の主流はアメリカの野球で、ベースボールだ。

 プレイボールで始まる、スポーツである。


 対して日本を中心とした野球は、勝負である。

 そしてその潮流は、高校野球での勝利絶対主義というか、甲子園至上主義が根底にあると言ってもいいだろう。

 スモールベースボールを中心とする、短期決戦に強い野球だ。

 特に韓国などは、WBCの第一回大会は強豪を何度も破り、優勝した日本にもトーナメント前のリーグ戦では勝っている。

 ジャイアントキリングの起こりやすい野球。

 それでも日本がアメリカに、学生野球などで負けていることが多かったのは、単純にかつては日本に、アメリカになら野球で負けても仕方がないという意識があったからだ。

 ほとんど無意識下にまで刻まれた、舶来コンプレックス。

 だが本当にその気になれば、実際に日本はWBC以外でも、アメリカに野球の国際大会で勝てるようになったのだ。

 統計的な野球では、いまだにアメリカの方が強いが、野球は勝てる試合一つに勝つならば、日本の野球はまさにそのために特化している。


 その日本は五回から、優也がマウンドに立っていた。

 五回の表にも日本は一点を追加し、9-1とさらにリードして楽に投げられる場面だ。

 パワーピッチャー揃いか、あるいはサウスポーの一点突破だの、そういった特殊なピッチャーが多い日本代表。

 パ・リーグで投手タイトルを複数回取った優也であるが、この集団に入ると平均的だ。

 かつてはアメリカに比べれば、パワーとスピードが足りないと言われた日本のピッチャー。

 だが今ではトップレベルであれば、MLBのトップと全く遜色がない。

 主に三名ほどの功績ではあるが、それを除いてもピッチャーの球速は間違いなく上昇した。

 優也も160km/h近いストレート以外に、スライダーにカットボール、またチェンジアップもしっかりと使っている。

 わずかにヒットは打たれても、そこから崩れることはない。

 甲子園を三度も制したという点では、直史たちの世代よりも上なのである。


 ベンチから直史も樋口も、安心して見ていることが出来る。

 淳が先発なら樋口がキャッチャーでも良かったのだが、今日の継投はNPB勢で行く予定であった。

 なので樋口が交代するとしたら、直史が投げる最後のイニング。

 ただこの調子であれば、七回コールドは現実的であろう。

 まずは代わったところを、無難に三者凡退でしとめる。

 七回までにあと二点で、10点差がついてコールドとなる。

 もしもこれでコールド勝ちをしたら、日本は四試合のうち三試合をコールドという結果であり、これは圧倒的なチーム力の差を示していると言えるだろう。




 日本はここから、完全にリリーフでつないでいく。

 六回の表に二点を追加したことで、10点差となったからだ。

 六回の裏、30球も投げていない優也に代わって、本職のリリーフである毒島。

 そして直史は七回の裏を任されることもない。

 七回の裏は鴨池である。

 七回の表にまたも二点を追加したことで、スコアは13-1と圧倒的なものとなる。

 レックスで随分と長くやっていた鴨池は、セーブ王のタイトルも取った。

 セ・リーグのタイトルはほとんどが上杉が取ってしまうので、なかなかタイトルはリリーフしか取れない。

 上杉一強のセ・リーグの投手事情は、あまり健全なものとは言えないであろう。


 だが上杉も、もう34歳なのだ。

 さすがに五年もすれば、衰えてくるだろう。

 たとえば今の日本代表の中では、小川が25歳。

 脂の乗った30歳前後が、上杉の衰えと重なれば。

 ただ小川もパワーピッチャーであるため、早めに全盛期がやってくる可能性はある。

 とは言っても技術やケアの発達により、ピッチャーの肩肘の損耗は、昔よりも長持ちするようになってきている。

 上杉も小川も、選ばれたパワーピッチャーは、技巧派に転身しなくても、長生きできるようになったのだ。

 また小川でもない誰かが、超新星として現れるかもしれない。


 七回の裏、ランナーこそ出したものの、無失点でスリーアウト。

 日本は四戦全勝で、第一ラウンドを突破したのである。

 得失点差は脅威の、プラス47点。

 一試合あたりの平均得点が12点近いという、とんでもないリーグ戦となったのであった。

 そして比較的早く試合は終わったため、試合後のインタビューが終わると、韓国での試合の結果を待つこととなる。

 クラブハウスからホテルに戻って、小ホールの一室を借りて、韓国と台湾の試合を見る。

 ソウルグループの試合は全てネット配信だが、チャンネルが増えたこの時代には、よく対応していると思う。


 NPBの選手や元NPBの選手、そしてMLBの選手もいる代表同士の戦い。

 日本としては韓国が勝ってくれるのを期待している。

 なぜなら韓国とは戦いたくないからである。

 理由は言うまでもないだろう。

 これがまだしも地味な、NPBのオープン戦などならば別なのだが、こういう大きな大会で韓国と対決したくないというのは、野球に限らず多くのスポーツで共通のものである。


 そして試合の動向も、期待していた通りに進んでいる。

 初回に先制した台湾であるが、あの試合中断期間がメンタルに影響を与えたのか。

 スタンドからは罵声が聞こえてくる。朝鮮語なので分からないが、雰囲気は伝わる。

 ただ……これに関しては日本も、あまり偉そうなことは言えない。

 国際大会ではかなりおとなしいが、プロ野球の某球団や、高校野球の野次でさえも、ひどいものはあるのだ。

 野球はメンタルスポーツである。


 準々決勝は二試合が東京で行われる。

 ソウルで行われたグループから2チームと、東京で行われたグループから2チーム。

 東京グループからは日本とキューバの出場がほぼ確定していて、あとは対戦相手が韓国になるか台湾になるかのどちらかである。

 日本の心情としては前述の通り、台湾であることが望ましい。

 スポーツマンシップにあふれた、しかしながらお互いの隙を窺う、スマートながらも緊張感にあふれた試合になるだろう。

 そして、日本の願いは通じた。

 韓国は4-3で台湾に勝利。

 日本チームは喜ぶと言うよりは、むしろもっと純粋に、ほっとした気持ちになったのであった。




 東京ラウンド五日目は、日本の試合はない。

 オーストラリアとドイツ、そしてキューバと中国の対決である。

 一応この時点で、キューバが中国に負けたなら、二勝二敗でオーストラリアと順位は並ぶ。

 すると得失点差が重要になるのだが、チーム力的にそれはまずないであろう。

 

 まずオーストラリアはドイツに、7-2で安定した勝利。

 日本を最も苦しめたドイツが、キューバにもオーストラリアにも全く及ばなかったという、不思議な現象が発生した。

 そしてキューバと中国の対戦も、キューバが10-3で問題なく勝利。

 これにて東京のグループからは、日本とキューバが第二ラウンドに進出することが決まった。

 準々決勝は15日に、東京ドームで韓国とキューバの試合。

 そして16日に同じく東京ドームで、日本と台湾の試合となったのである。


 韓国と台湾の試合を見ていた淳と悟は、知った顔を台湾スタッフの中に見たような気がした。

 選手ではないので、カメラに映ったのはほんの一瞬であった。

「淳さん、今、文哲が映りませんでした?」

「あ、やっぱり文哲かな? 卒業後は連絡取ってなかったけど、お前の方が良く知ってると思ったんだけど」

「大学行って、卒業後にはアメリカに行ったはずなんですよね。台湾に戻ったとかは聞いてないんですけど」

 白富東の元選手で、悟と同じ学年であった呉文哲。

 本当にちらりと見えただけなので、スタッフではなくマスコミなのかもしれないが。


 悟の場合は高卒でプロ入りしたため、進学した同級生などとは、なかなか話が合うこともなかった。

 それでも年末などのオフシーズンには、しばらく集まったりもしていたのだが。

 たださすがに家庭を持つ人間が多くなると、自然消滅した。 

 特に悟は芸能人との熱愛報道があってから、ハブられていた気がする。

 文哲はあまりそういった集まりにも来ていなかった。


 同じことは、実は直史たちの周囲でもあった。

「あのスタッフらしい人間の中に、あいついなかったか?」

「あいつ?」

「ほら、ワールドカップで台湾代表のピッチャーだった」

 直史と樋口の出た、U-18ワールドカップ。

 意外なことにそれまで、日本の優勝のなかった大会だ。


 あの大会において得失点差を見た場合、一番苦戦したのが台湾である。

 そしてその台湾のエースが、楊文里であった。

 その後の国際大会では見かけなかったし、プロでも名前は聞いたことがない。

 しかしあの大会においては、五試合に登板して三勝0敗で、投手部門の優秀選手の一人に選ばれている。

 球速はあまり出ていなかったが、コントロールのいい技巧派ではあった。


 日本のワールドカップ組からは、本多や西郷、織田とあの大会に出ていた選手が、このWBCにも選ばれている。

 だがワールドカップはもう、遠い昔。

 対戦相手よりはむしろ、日本チームの応援の方が記憶に残っているぐらいだ。

 何よりプロに行けばあのレベルのピッチャーは、それなりにいるのだ。


 ピッチャーとしての能力は、その体格などからしても、ある程度のところで限界があった。

 もっとも体格を言うなら、直史もそうであるのだが。

 ただあのクレバーなピッチングは、樋口などははっきり憶えている。

 選手ではなくトレーナーなどの道を選んだのなら、キャリア的にはむしろ賢明だ。

 そしてそんな人間がトレーナーにいて、果たして日本チームは油断など出来るだろうか。


 台湾は日本と同じく、スモールベースボールで戦える。

 スモールベースボールは弱者の戦術かもしれないが、短期決戦や一発勝負では、かなり効果的なものだ。

 ただ幸いと言うべきか、準々決勝は上杉が先発登板する。

 何をどうしようが、圧倒的な力の前では無意味。

 そう思えるかもしれないが、上杉は一度も甲子園で優勝していない。

(それでもまあ、戦力的には圧倒的に上なんだけど)

 スタメンのキャッチャーは福沢である。

 だが樋口は台湾の戦力について、詳細に調べることにした。

 二日間の時間が、準々決勝までの間にはある。




 韓国と台湾が、東京にやってくる。

 両チーム共に、13日までは試合を行っていた。

 特に最終戦が、一位通過を決める試合となったため、全力で戦うことになった。

 このあたり投手運用において、どちらのチームも日本を相手にするには不利である。

 韓国は15日にキューバとの試合を行い、日本は16日に台湾との試合を行う。

 確かにソウルから東京までは、飛行機を使えばそれほど遠くもないが、日程的にかなり日本が有利とは言える。


 キューバは最終戦が中国相手であったため、ある程度はピッチャーを温存できている。

 対して韓国は、台湾相手に全力で戦っていた。

 世界ランキングならば、今は韓国の方がキューバよりも高い。

 だが日程的な不利や、移動の手間などを考えると、韓国側は万全の体勢で対戦出来るわけではない。

 日本との対決であれば、もう一日休養が取れたし、移動後の調整も出来ただろう。

 これは正直なところ、日程の調整が最初から間違っていたとも思える。


 アメリカのフロリダとカリフォルニアのラウンドでは、ちゃんとそのあたりも考えて、少し日程が後になっているのだ。

 確かに時差や距離など、韓国と日本に比べれば、かなりの差がある。

 ただそれでも飛行機での移動時間などを考えれば、やはり東京とソウルの間でも考慮すべきであっただろう。

 次回以降のWBCに期待である。


 台湾との決戦を制し、一日を移動に使い、その翌日にはキューバとの試合。

 移動したその日の夕方には試合、というMLBのレギュラーシーズンに比べれば、まだマシかな、と思う日本のメジャー組である。

 どうせ優勝を狙うなら、日本をここで叩くため、わざと二位で通過という選択もあったのではないか。

 どのみち日本はもう、どちらかと戦うにしろ、それは決勝での対決となる。

 メジャーリーガーの少ないキューバはともかく、他のチームはかなりの数のメジャーリーガーを召集している。

 おそらく韓国は決勝までは上がってこれないだろうし、上がってきてほしくない。

 チームの相性というのはあるのだ。


 このわずかな時間に、樋口と直史は台湾チームについて調べていた。

 これは日本のマスコミを通じて、台湾チームの情報を集めたものである。

 もっともNPBの各球団なども、実はある程度は台湾の選手については調べてはいる。

 いい選手がいれば、NPBで使ってもいいと思えるからだ。

 実際にライガースでは、短期間ではあるが台湾人が大介と一緒にプレイしていた。

 ただNPBが外国人枠を使うのは、おおよそメジャーリーガーの衰えてきたところか、マイナーの注目選手といったあたりである。


 MLBの中でもマイナー枠の選手は、素直にそのままマイナーを上がっていく以外に、もう一つのキャリアが割りと一般的になっている。

 それはNPBの外国人枠で結果を出し、それからMLBのメジャー契約を勝ち取るといったものだ。

 メジャーの年俸に比べては、NPBの年俸はかなり低めになっている。

 NPBのトップクラスが、MLBに挑戦する理由の一つである。

 しかしNPBの二軍とマイナーを比較した場合、NPBの方が環境は良かったりする。

 そのためメジャーとマイナーを行き来するような選手は、NPBで好成績を残したりする。

 ウラディミール・バレンティンなどはその代表であろうか。

 もっとも彼の場合は、NPBからまたMLBへ、というルートはたどれなかったわけだが。


 そして文哲とヤンについては、おおよその経歴を掴むことが出来た。

 文哲は台湾で新聞社に入社した後、英語が堪能であったためMLBの担当として派遣されていたらしい。

 その割には向こうで会わなかったが、そもそも文哲自身は直史や大介とは面識らしいものがほとんどない。

 武史とはある程度あったはずなのだが、武史は野球畑の人間ではないのだ。


 そしてヤンに関しては、日本の大学からさらにアメリカの大学に留学して、向こうのスポーツトレーナーとして今は働いているそうだ。

 MLBの野球だけが専門というわけではなく、今回はWBCのために一時的に、台湾チームが雇用しているらしい。

 トレーナーといってもその内容は、様々なものになるはずである。

 選手の体調管理をしたり、あるいは練習に付き合ったり。

 はたまたヤンがある程度自分の肉体も維持しているなら、バッティングピッチャーまで務めているだろう。

 MLBのパワーピッチャーに対しての知識も深いだろうし、またバッティングに対しても色々と関わっているかもしれない。

 野球は頭脳で戦うスポーツだ。

 その頭脳さえをも圧倒する、フィジカルとテクニックで叩き潰すというのも、一つの考えではあるが。

「試合が終わってからなら、また少し話す機会はあるかもな」

 樋口はそう言ったが、同じ考えを悟なども、文哲に対して持っているのであった。

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