第12話 最強の日本代表
ノーアウト一二塁の場面で、大介と勝負すべきかどうか。
これがレギュラーシーズンなら、勝負すべきという判断も間違いではない。
だがポストシーズンの決戦モードに入っている大介相手なら、絶対に間違いである。
それぐらい勝負どころと判断している、集中した大介は恐ろしい。
一回の裏、連続ヒットでランナーが溜まっているのに、キューバはなぜ勝負したのか。
とりあえず振りぬいたところ、打球はセンターのバックスクリーンを直撃した。
日本において久しぶりに見る、大介にしかありえない弾道のホームランであった。
なんであの高さのライナーが伸びるんだ、と言うよりはそもそも、打球の初速が違う。
スタジアムのカメラマンが、よく見失うこともあるのだ。
ドームであると余計に、ライトの光でボールが見えなくなることもあったものだ。
昨日はまともに勝負されなかったので、ようやくこれで打点がついた。
キューバのバッテリーが唖然とする中、大介は日本ベンチに帰還。
ハイタッチを決めていくが、直史は尋ねることがあった。
大介の隣に座り、小声で話す。
「打つ瞬間、違和感とかなかったか?」
「違和感? 久しぶりのドームだったからか? まあでも昨日も勝負はしなかったけど、バッターボックスには立ってたしな」
そういうことではないのだが。
本多の件は共有されたが、結局はあの一度だけ。
偶然ではないか、という可能性も話されている。
そちらを気にして試合に集中できなくなれば、それこそ本末転倒。
一度だけしかしてこなかったというのは、案外それを狙っているのかもしれない。
実際に大介に対しては、妨害は入らなかった。
もっとも初球を完全にミートするというのが、相手にとっては想定外であったのかもしれないが。
本多にやってきたようなことは、バッターに対しても出来なくはない。
ただそれをやりにくくする手段はある。
追い込まれる前に打ってしまうのだ。
普通のバッターであれば、追い込まれれば焦るわけで、そんな嫌な情報を聞いていれば、さらに追い込まれる前に打たなければ、と思ってしまう。
だが大介はそんなことは関係なく、打てるボールはそのまま打ってしまう。
今のように、別に甘くはないコースであっても、バットが届く範囲のゾーンなら、大介にとってはホームランボールになるのだ。
大介に続く西郷は、狙いを絞って打っていくタイプである。
この打席は上手くそれが絞れずに、サードライナーで終わってしまったが。
上手くキャッチしなければ、サードを殺すようなライナーではあった。
上杉が先発をしていて、既に三点リードなのだ。
普通のルールであれば、この時点でもう勝負は決まったようなものである。
だが問題は、球数制限にある。
出来れば七回コールドあたりを目指し、上杉も温存したい。
もし三回か四回までで、コールドの見える点差になれば、上杉を50球に達するまでに交代させる。
すると中一日の休みで、またピッチャーとして使えるのだ。
明日の試合、日本の対戦相手はドイツ。
中国に勝利したとはいっても、その中国相手に日本は圧勝している。
MLBのマイナーから選手を招集しているといっても、日本にはそのMLBでもメジャーのトップクラスがいる。
それこそ日本のNPBは、レベルとしてはメジャーとマイナーの3Aの間と言われている。
ただ織田や大介、そして上杉といったあたりは、確実にメジャーのトップレベル。
他の選手も多くが、メジャーレベルだと様々なポジションで普通に通用する。
それが今回の日本の構成メンバーである。
だがとりあえず、キューバはこの失点を三点で抑えた。
三振は奪えなくても、打球が野手の守備範囲に飛ぶのが、野球というスポーツである。
一説によるとバッターが全てのボールをジャストミートしても、絶対に打率は九割には届かないのだとか。
確かに大介も、短期的に八割を打ったことはあっても、九割にはさすがに届かなかった。
二回の表、キューバの攻撃。
一回の表が三人で終わってしまったため、このイニングは待球策がベンチから出ているらしい。
上杉のスタミナ切れではなく、球数制限によって、どうにかマウンドから引き摺り下ろそうという作戦。
健気で涙が出てくるが、それで手加減してしまうようなこともない。
ゾーンだけで勝負して、あっという間に四番もツーストライク。
そしてここで上杉が投げたのが、チェンジアップであった。
体を泳がせながらも、どうにかバットをボールに当てる。
打球に勢いなどは全くないが、サードの頭上にふわりと浮いた。
大介が問題なく捕球して、まずはワンナウト。
残念ながら連続三振記録は、三で止まってしまった。
上杉としては、奪三振にはこだわっていない。
この大会は、そういうルールでは成り立っていないのだ。
出来る限り三球以内で、アウトを取ればいい。
もちろん三振でもいいが、それ以外でも構わない。
なのでムービング系のボールを使って、ゴロを打たせることも考える。
まだまだ衰えを知らない上杉であるが、そういった技巧派の面も見せてきている。
懐の深さが、彼のピッチングの根本であろう。
連続三振は終わったが、まだ一人当たりに三球しか使わないという基準は守っている。
続く五番に対しても、初球はゾーン内のムービング系から入っていく。
福沢とすればこれは、かなり慎重に組み立てているつもりではある。
ただキューバの野球を、日本よりも意識している直史や樋口にとっては、もう少し違った組み立ての方がいいのではと思える。
五番打者の掬い上げたツーシームは、ファールグラウンドでファーストの後藤がキャッチした。
ゴロを打たせるのが狙いのムービング系を、キューバ打線はなんとかフライにしようとしているのだ。
(キューバが相手なら、俺がキャッチャーの方が良かったか?)
残りのチームの中なら、日本が負ける要素はないと、樋口は判断している。
オーストラリアが意外とジャイアントキリングを起こすチームではあるが、それにも限度というものがある。
福沢はたしかに、樋口よりも長く上杉とバッテリーを組んでいる。
だがキューバの野球はアメリカの影響下にあるので、日本式の組み立てだとあちらの理論相手に通用しない可能性もある。
上杉のピッチングは基本的に、速球を主体にしている。
カットボールとツーシームを使い、他にはチェンジアップがあるだけだ。
もちろんこれでも充分と言えるのだが、MLBの影響からすると、アッパースイングでムービングの変化ごと、外野まで飛ばしていくのが現在のフライボール革命だ。
直史がMLBで無双しているのは、このバッティングのトレンドと、ものすごく相性が悪いからであるとも言える。
ただ、上杉の場合はトレンドと合致していても、普通に打てないだけである。
ホップ成分自体は、武史のボールの方が大きい。
だがスピン量による減速の少なさは、上杉の方が上回る。
六番バッターはツーストライクまでじっくりと見ていったが、三球目もファールを打つのが精一杯であった。
そして最後には、キャッチャーフライでスリーアウト。
まともにボールが前には飛んでいない。
二回の裏、キューバとしてはここで、日本を無得点に抑えたい。
三点差とはいえそれは、ホームランによる一発での得点だ。
大介を上手く回避すれば、もう少し抑えられると考えるのは普通だろう。
実際にかなりミートはされているものの、四番の西郷からの三人を抑えたのだ。
全てがヒット性の当たりであっても、全てがアウトになることがある。
それが野球の偶然性の面白さであるのだろう。
七番の谷もまた、ベテランの域に入っている選手である。
大学野球で活躍し、プロ入りから順調な道を歩んできた。
三割近い打率に、30本前後のホームランを打つバッターが、七番を打っている。
普段は普通に四番を打っているが、それが七番になるあたり、日本代表がいかに、選手層が厚いのか分かるというものだ。
この場合は、バッターの層が厚いか、ということになるのだろうが。
前の三人が、当たりは良かったものの凡退という結果を見て、谷はしっかりと分析して打っていった。
軽く振って、レフト前に確実なシングル。
フルスイングすればもちろん、長打も狙っていける。
だが試合全体を俯瞰して見れば、ここで重要なのはイニングが三人で終わらないことだ。
せっかく上杉が、向こうの攻撃を完全に封じてくれているのだ。
こちらもピッチャーの心を叩き折って、楽に勝ってしまおうではないか。
八番打者の小此木は、この中では比較的、打力は弱めの選手である。
分かりやすく言えば長打が少ない。
だが守備力は高く、そして走力もあり、打率自体は三割を打っている。
普通なら一番か二番を打っていておかしくないのだが、そこが今回の日本代表のスタメンのおかしさである。
小此木をはるかに上回る打撃力の持ち主、特に長打力の持ち主が、普通に高い打率で上位打線を占めている。
ここに四番以降の長打力が加わると、外野フライでも一点を取れる状況が簡単に作れる。
小此木は結局、フォアボールを選んで出塁。
そしてラストバッターの福沢である。
福沢もキャッチャーとしては、かなりの打撃力を誇る。
だがそれでも樋口に比べると、バッティング面での期待値は低い。
ならばここで何をするべきか。
キューバ側からは想像もしていなかった、送りバントであった。
ワンナウト二三塁。
福沢のバッティングのデータなどは、キューバも持っているはずであった。
そしてまさか、国際大会のこんな場面で、送りバントを選択するとは、思ってもいなかったのだ。
基本的に送りバントは、得点の期待値を減らす。
状況によっては一点を取るための期待値は増えるが、それ以外は確実に減るのはデータが証明している。
ただ日本の野球が考えるのは、ここで一点を確実に取ることによる、キューバへの精神的な圧力である。
なんとかこのイニングは無失点で防げた、という状況だけは作りたくなかった。
もしダブルプレイなどになっていれば、どこにランナーが残るかによるが、得点の確率は一気に減っていたはずである。
ここで重要なのは、最低でも一点は取るということ。
この微妙な心理戦の機微が、キューバには分かるだろうか。
ともかくダブルプレイはまずないという状況で、織田の打順となっている。
出塁率の高い織田は、キューバからもかなりマークはされている。
ここで織田と勝負するかどうか、勝負したとしてもどう勝負するか。
そのあたりのことを、キューバベンチは考える。
絶対に失点したくないと考えるなら、むしろ歩かせて満塁にするべきだ。
ならば内野ゴロでも打たせれば、ホームでフォースアウトが取れるかもしれない。
またWBCのルールにより、上杉は途中で代えざるをえないだろう。
ただ今のところ上杉は、ほとんど三球でバッターを打ち取っている。
残りの攻撃が二回だけなどになった場合など、点差が大きく開いていれば、逆転は難しい。
そもそも日本には、レジェンドクラスの成績を残しているリリーフピッチャーがいるのだ。
本職ではないはずの直史だが、なぜかリリーフの神扱いをされている。
本人としては本当に、先発の方がいいのだが。
この状況で、果たしてキューバはどうすべきなのか。
「俺だったら歩かせるかな」
樋口の言葉に、直史も少し考えて頷いた。
「ただ、織田さんは出塁率から考えれば、まだしも勝負していいバッターだと思うけど」
直史はそう言うのだが、樋口もある程度直史の言葉の裏を読んでいる。
「キューバがもし少しでも勝つつもりがあるなら、歩かせて水上勝負だろ」
織田と次の悟との共通点は、上手くゴロを打つことが出来るということだ。
フライを打て、というのは統計的に言えば、間違ったことではない。
だが全てを統計で判断するなら、指揮官はいらないのである。
ここから織田を歩かせれば、ダブルプレイも取りやすくなる。
そしてダブルプレイでこのイニングを終わることが出来れば、次の回の頭は大介からとなる。
ホームランを打たれても一点。
ランナーがいる状況では、大介とは勝負したくないだろう。
あとはキューバの悟に対する評価がどうなっているか。
直史や樋口は、悟はMLBに来ても、充分に通用するプレイヤーだと思っていた。
ただそれは能力や技術の問題で、重要なのは環境であったりする。
悟がポスティングやFAでMLBを選ばなかったのは、そのあたりまでを考えてのことだろう。
それと悟は、大介ほどではないが体格は小さい。
MLBのスカウトから、低い査定をされていてもおかしくない。
「けど、どうしてアナハイムは取らなかったんだろうな」
樋口はそんなことを言うが、そこは樋口の知らないセイバーの思惑が見える。
悟がアナハイムに来た場合、セイバーは全力で彼をサポートしただろう。
そしてアナハイムは、強くなりすぎる。
セイバーが買収するにしても、アナハイムの価値が下がっていたから出来たことだ。
そのくせ樋口は取っていたりと、完全に彼女の行動に一貫性があるわけでもないのだが。
織田に対してキューバ陣営は、勝負を選択した。
そして織田はこれに対して、左方向のレフト前に、上手く落とすバッティングで対抗した。
三塁ランナーの谷は帰ってきて、小此木も三塁へ。
これでまた一点が入り、ランナーは一三塁となる。
歩かせていた方がよかったのかどうか、それはもう分からないことだ。
しかしアウトカウントは増えず、一点が入り、ランナーは一三塁。
ここで二番の悟である。
今日の一打席目は、クリーンヒットで塁に出ている。
中国戦を見たとしても、侮っていいバッターではないと分かっているはずだ。
ただキューバは侮ってはないにしても、固定観念は持っていた。
メジャーリーガーと違ってNPBの選手なら、キューバのピッチャーのスピードボールには、あまり対処できないであろうというものだ。
いや、実際に一打席目は打っているのだが。
それにタイタンズに移籍した悟は、同じリーグのスターズと何度も対戦している。
つまり上杉のボールに慣れているということだ。
そして上杉から二割程度は打てる、数少ないバッターが悟なのである。
キューバはそういった情報を集めていないのかな、と直史は疑問に思う。
一つ言えることはキューバは、昨日のオーストラリア戦で主力ピッチャーを使ったため、今日の日本戦ではやや劣るピッチャーしか使えないということだ。
やはり完全に第一ラウンドは、二位通過を目指しているのだ。
そして二位通過した場合、キューバは韓国と台湾のいるグループの一位と、準々決勝を行うこととなる。
その舞台はアメリカのスタジアムに移り、対戦相手は韓国と台湾のどちらかになるわけだ。
日本はこのWBCにおいて、ホームのアドバンテージを一つ持っている。
もしも準々決勝まで進出した場合は、一位であろうが二位であろうが、日本の試合は東京ドームで行うことが出来るのだ。
キューバとしては韓国でも台湾でも、相手がどちらであっても対戦する舞台はアメリカのスタジアムとなる。
日本よりはよほど、本来のキューバに近い環境で、相手と対戦することが出来る。
やはりキューバは本気で勝ちにきていないのか。
ただ織田との勝負をしたのは、果たしてどういうつもりであるのか。
ワンナウトのまま、悟の打席が回ってきた。
タイタンズに現在所属している悟は、当然ながら応援の声も多い。
中学までは東京で、高校は千葉で、プロ入り最初は埼玉で、そして今はまた東京。
関東をぐるぐると回っているが、そのうち神奈川にも行くのだろうか。
トリプルスリーの複数回達成者だと、さすがにキューバにも分かっているだろう。
ただ大介という例があっても、長打が打てるような体格ではない。
なのでまたあっさりと、正面から勝負してきた。
160km/hオーバーのストレートを、いとも簡単に打ち返す。
フェンス直撃の打球で、三塁の小此木ももちろん、一塁の織田までホームに帰って来る。
悟自身は二塁で止まり、二点タイムリーツーベース。
だがネクストバッターズサークルで待機していた大介は、大きな溜息をついた。
これでランナーは、二塁にいる悟だけとなる。つまり一塁は空いている。
「敬遠されるじゃねえか」
二点が追加されたことは、日本チームにとってはめでたいことである。
だがこのランナーの配置は、強打者を敬遠する理由としては、あまりにも当然のものとなっている。
そしてその言葉の通りになった。
大介は歩かされて、これでワンナウト一二塁。
バッターボックスに入るのは、昨日もホームランを打っている西郷である。
大介と勝負するよりはマシ、とでも思ったのだろうか。
この数年は毎年ホームラン王を競い、実際に半分以上は獲得している西郷を、大介よりはマシだと。
確かにそれは間違いではないのかもしれないが、西郷もまたその気になれば、恐ろしいバッターではある。
くさいところを突いてくるのではなく、真正面から西郷と勝負する。
いや、だから西郷もセ・リーグのチームだからして、上杉のスピードボールを日常的に体感しているのだが。
まして合同合宿中には、紅白戦で対戦もしている。
そんな西郷に対して、あまりにも安易であった。
打球はフェンスを直撃し、またもランナーは二人生還。
強豪キューバ相手にも、日本はコールド勝ちの未来が見えてきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます