第11話 不審なWBC
東京にて行われた第一ラウンド、初日はキューバがオーストラリアに、日本が中国に勝った。
二日目は昼にドイツと中国、そして夜には日本とキューバの対決が行われる。
日本とキューバの対決こそが、このグループの雌雄を決するであろうことは、おおよそ予想されている。
レーザー照射と思われる昨日の件は、当然ながら警備にまで伝達されている。
日本としてはそんなイカサマが行われることは、断じて許すわけにはいかない。
ただ回数が本多に対する一回であったので、偶然である可能性もある。
もっともこれは、本命ですらないのかな、などと直史は思った。
彼は弁護士である。そして勝てる仕事しかしたくない人間だ。
監視カメラなどからの映像、また警備員の巡回など、打てる手は打っている。
ただ一度きりのことであるし、なかなか決定的な確信は持てないらしい。
スタジアムを提供しているだけに、日本代表の選手にまで、なにやらぴりぴりした空気が漂っている。
あるいはこれが狙いなら、確かに成功しているな、と直史などは思ったものだ。
上杉や西郷といった、精神的に強靭な柱が、動揺せずにいるのが、選手団を安心させる。
むしろ責任の重い首脳陣の方が、本来あってはならない事件に対して、過敏になっているであろうか。
いや、そういうことはもっと他の部門の仕事なので、我々は試合に集中すべきなのだが。
そんな中でも、直史は頭を働かせる。
昨日の試合のプレイの妨害は、意図的なものであるにしては単発である。
それに一度しかしないのであれば、もっと決定的な場面でするべきであった。
他にも色々と、おかしな部分は多い。
直史は刑事事件を専門とする弁護士ではないが、社会問題を探っていくと、色々と闇深いつながりがあって、唖然としたりもする。
そういった経験からして、果たして昨日の事件の本質はなんなのか。
中国ならやってもおかしくないと、直史には思えない。
確かに中国は色々と、日本との外交関係で問題のある国である。
だがこういった短絡的な手段を、意味なく行う国ではないはずなのだ。
たった一回本多に向かってやったわけだが、犯人は見つかっていないし、使われた証拠品も見つかっていない。
もっと悪質なレーザー照射であれば、下手をすれば網膜にダメージなどがあったりする。
もしそんなことになれば、問題はもっと大きくなっていただろう。
これはまだ、嫌がらせレベルの話で収まっている。
(誰が、なんのために行ったのか)
それを考えて、利益の享受者を考えると、中国の仕業ではないと思うのだ。
結局のところ中国は、日本には手も足も出なかった。
ただ他に利益を得た者がいるかというと、一人もいないように思える。
(するとあれは、実験か威嚇か?)
もっとポイントになるところで、もう一度行うつもりか。
あるいはこうやって無駄にこちらを警戒させて、リソースを割かせるのが目的か。
ただちょっとやそっとのダーティ・プレイでも、日本と他のチームの実力差は覆らないと思う。
こういった汚い手段を、ピンポイントで使うことで、実力差を覆すぐらいの強者。
キューバに韓国に台湾、あとは違うグループなら、オランダやイタリアもワンチャンといったところか。
準決勝以降に対戦する可能性の高い、アメリカやドミニカなら、一度きりのイリーガルな行為で逆転というチャンスはあるかもしれない。
だがアメリカやその影響下のドミニカでは、そういった反則行為はしない。
勝つためならアメリカは、ルールの方を自軍有利に変えるだろう。それが欧米の考え方なのだ。
違和感があるというか、違和感しかない。
この問題はなんだか、アプローチの仕方が間違っているのではないか。
そう思った直史は、やはり樋口に話す。
こういった国際大会の感覚を、最も共有できるのは樋口である。
残念ながら大介ではない。
この日は上杉が先発ということで、キャッチャーは同じスターズの福沢が務める。
もちろん樋口も上杉との付き合いはあるのだが、ここ最近は完全に福沢の方が慣れているだろう。
よって控えに回っているため、試合の前にこんなことを話す余裕がある。
直史の考えに、樋口も少し考えていたことを口にした。
「そもそも目的はWBCの優勝とかじゃないのかもな」
樋口の視点はまた違うものである。
今回のWBCは、戦力構成からして、日本が優勝候補筆頭になっている。
それに続くのが、メジャーリーガーの数が多いアメリカとドミニカ、ということになっている。
ランキング自体は韓国などの方が高いが、アメリカはかなり本気でメンバーを集めている。
若手中心ではあるが、それなりに本気にはなっているのだ。
もしもアメリカが日本と対戦した場合、今回の日本の戦力を見れば、蹂躙される結果さえありうる。
特に決勝などは、コールドゲームはないのだ。
そこまでアメリカが恐れるのは、上杉と直史、二人のパーフェクトピッチャーがいるからだ。
加えて武史が加わったとしたら、ひょっとしたら野球史上最強の、上から三人が揃いかねない。
直史と上杉などは、一点も取らせない可能性すらある。
そして大介をこういうお祭り騒ぎの舞台で、抑えられるようなピッチャーがいない。
MLBはここで、困ったことになっているのかもしれない。
WBCの成功自体は、MLBも望むところであろう。
だが日本が決勝まで、アメリカやドミニカを圧倒的に破って、簡単に優勝してしまうのは困る。
メジャーリーガーがいるから、それも当然だという論調になればいいが、上杉は現在NPBに所属している。
MLBの価値が、アメリカの中では微妙なものになるのではないか。
負けるにしても、負け方というものがある。
上杉も直史も、そのあたりを斟酌するような人間ではない。
樋口が考えているのは、このレーザー照射は陽動ではないか、というものだ。
この第一ラウンドで日本は、まず通過して第二ラウンドに進めるであろうと予想されている。
一度や二度のレーザー照射ごときでは、実力は埋まらないと思っているのだ。
「つまり本命の不正は他にあって、これは分かりやすい捨て駒のような作戦」
そう口にした樋口であったが、その本命の作品というのはなんだろうか。
MLBにおいて行われてきた、不正について考えてみる。
実のところスポーツにおける不正は、日本は世界でも類を見ないほど、少ないのである。
全くないわけではないが、これは日本にずっと続く、精神的な土台があるからであろう。
もっともその潔癖症がゆえんに、数々の失敗もしたし、侮られて足元を掬われたこともある。
だが基本的には美徳であるし、限られた人間が悪徳の部分を担当すればいい。
直史や樋口などは、そういった考えをしていて、そして必要悪を自分でなす覚悟もある。
MLBと、あとはついでにNPBでも行われた不正。
不正投球によるボールへの加工は、かなり難しいだろう。
ただ今回の公式球に関しては、MLBの公式球の中から、日本をはじめとした数カ国が、規定から大きく外れたボールを除外することで、変なボールを排除している。
ドーピングに関しては前々からしっかりと行われているし、あとはサイン盗みぐらいだろうか。
「アメリカはともかく韓国や日本のグループでは、まだサイン伝達がキャッチャーからされてるしな」
「そのあたりかな」
直史のたどり着いた結論に、樋口はもう少し早くたどり着いていたようである。
ただそれもおかしな話だ。
チームごとのサイン盗みなど、相手の試合をよほど観察しなければ出来ることではない。
また大会が進んでいけば、今のMLB式に、サインのやり取りは変わっていく。
サイン盗みはあまり効果的ではないのは、現在のMLBである。
まだ他にも何か、裏を書くようなことがあるのか。
今回のWBCは、単純に力量を比べるものではなく、どこか陰謀の匂いがする。
今のところはお粗末で、むしろ警戒されているだけだろう。
その警戒に比重を置いてしまうと、むしろ試合に集中できないだろうが。
案外それが主目的の、単なる揺さぶりの一環なのかもしれない。
するとどこの国がやってきているのかなど、それぞれにある程度の理由は出来てくる。
まずは今日のキューバ戦だ。
キューバはそこまで悪辣なことをしてくるイメージはないが、MLBの選手との関係も深く、色々な盤外戦術については詳しいだろう。
上杉が投げるとはいえ、油断してもいい相手ではない。
樋口は福沢に、この懸念を伝えるのであった。
二日目第一試合は、中国とドイツとの対戦である。
ドイツというとまったく野球のイメージがないだろうが、一応プロのリーグは存在する。
またキューバからの帰化した選手や、マイナーリーグや元マイナーの選手はそこそこいる。
実は現在、世界ランキングではドイツの方が中国よりも高い。
なぜならWBCの出場規定により、ドイツ系アメリカ人であっても、ドイツの代表にはなれるからだ。
親のどちらかが当該国で出生している。
この選出条件により、ドイツからアメリカに渡った人間の子供が、ドイツ代表としてプレイできるからだ。
アメリカではマイナーでしかない選手は、ドイツの代表として活躍することによって、世間にアピールすることが出来る。
特に日本を相手に善戦して数字を残したら、それは大きなアピールポイントになるだろう。
そういったことを考えていくと、レーザー照射をはじめとして、あちこちのチームを弱らせるのは、個人でやっていることかもしれない。
レーザー照射などといっても、本多に後遺症などはない。
つまり専門的な、それを狙いとするような機具は、使っていないということか。
ありうることではあるが、日本以外の選手団から、同じようなことがあったとは聞いていない。
日本に絞って妨害をしているのか、あるいはとりあえず一度は効果があるか試したのか。
まず中国とドイツの対戦で、次に日本とキューバの対戦。
この二試合で事件が起こらなかったら、とりあえず組織的な犯行であることは、ある程度否定できるのではないか。
もっとも本当に重要な試合だけに、仕掛けてくるのかもしれないが。
中国とドイツの試合は、ドイツが8-7で勝利した。
ドイツのチーム編成を見れば、ラテン系や黒人がいて、人種的にはやはりそっちなのか、と思わないでもない。
中国はその意味では、本当に東アジア系で選手を揃えていた。
これはあくまでも現実であった、それについての善悪はどうでもいい。
日本とキューバ、事実上のグループ頂上決戦が始まる。
これは首脳陣も分かった上で、上杉を先発させている。
試合はこれまた日本が後攻であり、そのあたりはどういう意味があるのか。
別になくて、単純にくじ引きで決まっているのだが。
キューバが先攻ということは、上杉のピッチングを先に見るということだ。
上杉のピッチングを見たとして、戦意を喪失しないだろうか。
日本チームはそんなことを考えている者が多いが、日本に来ているキューバの助っ人外国人は、あくまでもMLBに行かなかった者や、若年層が多い。
本国にはもっと規格外の才能がいて、100マイルオーバーを投げてくるピッチャーも多い。
そもそもキューバでは、野球やボクシングなど、一部のスポーツに人材が多く投下されている。
そして生活レベルに直結しているだけに、高い素質の持ち主は、スポーツに優先的に配分されるのだ。
このあたり社会主義国家の、国力を集中して使える利点と言えるだろうか。
スポーツの得意な人間は、スポーツをするべし。
日本のような学歴社会とは、かなり方針が違う。
スポーツなんかをするよりも、まずは勉強しろというのが、おおよその日本の社会である。
それをいちがいに、絶対悪とも言えないのであるが。
相手のキューバが競合ということもあり、今日のドームも満員御礼。
投げるのが上杉だけに、余計に満足度は高いだろう。
そして直史も、出番がある可能性は言及されている。
キューバがオーストラリアに勝っている以上、日本が確実に第二ラウンドに進むためには、キューバに勝っておくのが好ましい。
少なくとも二位で進むことが出来るようになるだろう。
ただキューバの先発投手を見ると、オーストラリア戦よりはやや落ちる。
キューバは二位通過を狙っているのか。
キャッチャーボックスではなく、ベンチから上杉を見つめる樋口は、なんとも懐かしい気分になった。
中学時代、高校でまで本気の野球をするつもりはないと、おとなしく公務員を目指していた樋口。
だがそこから父親の死など、彼の運命は激変した。
そして高校から大学と、樋口は上杉の庇護下にあったと言ってもいい。
今でも恩義は感じているが、敵として対した場合は話は別だ。
NPB時代は苦戦する相手は、まずスターズの上杉であった。
ほとんどの場合、上杉が投げていれば勝つ事はできなかったのだ。
バッターからは逃げられるが、ピッチャーからは逃げられない。
全ての野球の試合は、ピッチャーが投げるところから始まるのだ。
樋口としてもブルペンはともかく、実際の試合で上杉のボールを受けるのは、もうはるか昔のような記憶になっている。
それに上杉は一度肩を壊してから、最盛期のピッチングができなくなっている。
それ以降のボールは、試合では受けてはいないのだ。
衰えたのに105マイルというのが、なんとも非常識であるのだが。
上杉のボールの特徴は、その重さだ。
球速としては武史と変わらず、またホップ成分はむしろ武史の方が多い。
変化球のパターンなども比べれば、むしろ要素としては武史の方が上になってもおかしくはない。
だが肩を壊してなお、樋口は上杉の方が上だと確信する。
マウンドからの投球練習で、空を切り裂くボールがミットに入る。
少しでもキャッチングにミスがあれば、親指をえぐられる。
だがこれでもまだ、投球練習なのだ。
恐ろしいのはキューバのバッターは、この上杉のボールを見ても、戦意喪失していないことだ。
スピードボールになら慣れているのが、キューバのバッターなのである。
国策によってスポーツにも力を入れるキューバは、共産圏の国ではあるが、アメリカの影響を受けている。
MLBの育成システムなども、ちゃんと真似をしているわけだ。
バッターボックスに入った、先頭のバッター。
それに対して福沢は、まずアウトローへのサインを出す。
頷いた上杉の投げたストレートは、アウトローにどんぴしゃ。
ただ球速表示は、たったの100マイルである。km/h表示とマイル表示、両方がされているのだ。
この程度のボールならば、キューバのバッターは打ってくるだろう。
だが二球目、ど真ん中に投げたと思われたボールは、左バッターの外に逃げていった。
一球目よりも速いボールが、変化球で外角へ。
102マイルのツーシームを、キューバのバッターは空振りした。
ツーストライクと追い詰められて、三球目はどうなるのか。
福沢のサインに頷いた上杉が投げたのは、ど真ん中へのストレート。
これなら打てると思ったバッターのスイングは、完全に振り遅れの空振りであった。
球速表示は104マイルを示している。
一人を三球で三振を取っていくなら、九回まで投げても81球で終わる。
直史なら可能であるかもしれないことで、そして上杉でも可能であるかもしれないことだ。
もちろん樋口は、そんな無茶は考えていないが。
しかしバッテリーを組んでいる福沢は、今の上杉には合っているのだろう。
キューバのチームも上杉のことは、当然ながら調べていたはずだ。
一年間だがMLBでプレイして、63セーブもしたのだから、調べないほうがおかしい。
しかし映像と現実は、全く違うはずだ。
直史は上杉と武史、両方のボールをバッターボックスで経験している。
そして感じたのは、上杉のボールの方が、圧力は武史よりも上だということだ。
続く二番バッターは、かなり慎重になっている。
ほぼど真ん中の空振りを、しっかり目の前で見ているからだ。
だが上杉は初球、低めにまたもストレート。
これを低いと判断したが、福沢がキャッチすればストライクになる。
上杉とバッテリーを、普段から組んでいるのは伊達ではない。
実際のところ上杉のボールは、速すぎて審判でもストライクの判別は難しい。
なので特に高低は、キャッチングの技術でごまかすことが出来る。
ただそんな微妙なコントロールは、スピードの前には沈黙する。
もちろん上杉は、コントロールも抜群なのだが。
二球でツーストライクに追い込まれ、そして三球目。
高く外れたボール球を、空振りしてツーアウト。
ここまでまだ、バットにボールが当たっていない。
100マイルオーバーのボールが、六球続いている。
キューバ打線としても、さすがにこれは予想外であったろうか。
三番バッターは、かなり緊張してバッターボックスに入る。
もしもこれで三球三振などすれば、三者連続三球三振。
イマキュレートイニングになってしまう。
上杉のボールに、誰もバットを当てることすら出来ていない。
日本ではもう、多くの人が見慣れた光景である。
キューバ代表も、ある程度は分かっていたはずなのだ。
しかしアウトローにバシバシと決められて、そこから高めに投げられる。
バッターは完全に翻弄されて、またしてもボールにバットが当たることなく、振り遅れの三振。
単純に、ものすごくボールが速い。
それは分かっているはずで、マシーンではちゃんと事前に練習もした。
だがマシーンと人間では、投げる球が違う。
福沢のリードが、上杉の力を引き出す。
それを見て寂しく思うほど、樋口は感傷的な人間ではない。
ツーストライクから最後には、やはりまたもど真ん中にストレート。
空振り三振で、三者連続三球三振の達成である。
(とりあえず、初回から仕掛けてくることはなかったか)
樋口から注意された福沢は、それなりに注意して組み立てたつもりだ。
だがとりあえず満員の東京ドームは、上杉のピッチングで日本一色の応援となっている。
あとはやはり、先取点である。
七回までに10点差にすればコールドなので、上杉が最後まで投げることも無理ではない。
もちろんそれは、さすがに都合が良すぎるとは分かっているのだが。
本日も日本の一番バッターは織田。
100マイルオーバーであっても、MLBでは慣れている。
対してキューバは、素質型のピッチャーを先発させている。
あまり国際大会のデータはないが、数字の記録はそれなりに残っている。
初球から101マイルというボールが投げ込まれた。
上杉に対抗しているつもりなのか、と織田は思ったりもするが、果たしてどうであろうか。
(コントロールはあまり良くないのかな?)
ボール球も投げてくるので、はっきりと狙い球が絞れない。
それでも織田の技術をもってすれば、上手く合わせることは出来る。
102マイルという表示のストレートを、そのままセンター前に叩き返した。
日本のリードオフマンは、今日も好調のようである。
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