三章 東京ラウンド
第10話 第一ラウンド第一日目
過密日程の甲子園と違い、さすがにWBCともなれば、一日当たり二試合で消化出来る。
5チームがリーグ戦で総当りとなって、上位2チームが決勝トーナメント進出。
第一日は昼に、キューバとオーストラリアの対決。
このグループでは日本に次いで、強いと思われている2チームの対戦である。
日本と中国はそれぞれのクラブハウスで待機。
そして前評判の高いキューバの試合を観戦する。
事前の評価では、キューバの方がオーストラリアよりは戦力が高い。
ただその戦力の分析は、あまり比較が完全ではないのだ。
キューバは今回、政治的な理由により、メジャーリーガーを召集できなかった。
国内の若手を中心に、国際大会で実績を残した選手を動員している。
キューバ代表の選手問題は、昔からずっとある。
かなりの期間、アマチュア野球ではキューバが最強だというのは、共通認識であったものだ。
オリンピックから野球がなくなり、その認識も遠い昔のものになっているが。
メジャーリーガーを召集できたオーストラリアは、そこをどう使っていくかが問題だ。
MLBはオーストラリアにもMLBの支配下団体を作り、将来のメジャーリーガーを養成している。
日本などと違って、ヨーロッパのサッカーのクラブチームに近い。
将来のメジャーリーガーを目標に、素質から選別して教育をする。
日本の場合はおおよそ、リトルやシニアはともかく、高校の段階で制度の不備により挫折する選手が出やすい。
シニアまでと違って、私立強豪などはいまだに昭和の感覚で、上下関係が厳しかったりする。
またチームに合わないとドロップアウトした場合、他の学校で甲子園を目指すというのも、ほぼ不可能になっている。
このあたりの感覚は、欧米のクラブチームと比較した場合、ありえないとあちらの指導者は言うだろう。
そもそもシニアまではクラブチームが存在するのに、どうして高校ではそういったものがないのか。
正確には高校生でも、普通にクラブチームに入れたりはする。
だがプロのスカウトが見るのは、全て高校野球。
校風、指導者、人間関係と、一度ドロップアウトした者に、日本の高校野球は厳しい。
競技の技術よりも、優先されるものがある。
まあMLBのスカウトなどからすでば、甲子園でさえもあまりに過酷な環境で、選手の未来を閉ざすもの、と映るのが普通であるらしい。
このあたりは直史や樋口は、プロなど全く目指していなかったため、普通に公立校で野球を楽しむことが出来た。
大学でも別に試合も出たくはないぞ、と監督などと立場は逆転していた。
ただそういった部分は、プロになればむしろ望ましい資質となっている。
大画面のモニターで見ながら、分析担当の樋口が解説する。
「キューバは完全に二位通過狙いだな」
直史は小さく頷いただけであるが、他は「なんで?」という視線を樋口に向ける。
それぐらい分かれ、と言いたいのが樋口であるが、キューバの戦力事情など、NPBの選手はほとんど分からないのだろう。
MLBから来ている織田や本多も分かっていない。
ただ東海岸の大介は少し分かる。
「明日が俺らとの試合なのに、ピッチャーを全力で使ってるってことか」
「その通り」
なるほど、と他も納得する。
このグループの国の国際ランキングは、日本、キューバ、オーストラリア、中国、ドイツという順番になる。
日本は当然全勝を狙っているが、キューバは戦力が微妙なところがある。
それならば日本戦を捨てて、二位通過を確実に狙う。
もっともグループAからは、韓国か台湾、おそらく韓国が一位で通過してくる。
これと対決して勝つのも、相当に難しいとは思うのだ。
韓国もメジャーリーガー二人を中心に、最強チームを作ったなどと嘯いている。
確かに次のWBCでは、日本も負けるかもしれないな、という年齢層の選手が多い。
日本のチームは過去最強レベルであるが、それは突出して選手が、この年代に特別多かったからだ。
もちろんある程度若手もいるのが、日本代表である。
小川や毒島のような、160km/hをしっかり投げるピッチャーはいる。
ただ上杉から始まるような、ピッチャーとバッターの異常な世代は生まれてきていない。
いや、バッターは大介一人が異常に異常であるわけだが。
キューバは確実を期して、オーストラリアに勝ちにきたのだ。
日本には負けても、おそらく中国とドイツには勝てる。
なのでオーストラリアにさえ勝てば、二位で通過出来る。
もちろん日本にまで勝てれば、一位通過を狙えるわけだが。
ただWBCは開催が他国にまたがっているため、どちらにしろ決勝トーナメントは東アジアの強豪三国と戦う可能性が高い。
そのためキューバが優勝を狙うのは、本当に難しい。
メジャーリーガーが出場できないのが、やはり痛かったと言える。
もしMLBの、メジャーではなくマイナーであっても、出場できたならかなりの戦力になっただろう。
政治的な理由によって、出場が制限されてしまう。
キューバは大変なものであるが、日本もチームが許可しなかったため、井口や蓮池を欠いているし、武史もまだ合流していない。
蓮池はまあ、自分で出ないとはっきり言っていたが。
阿部に関してはさすがに、まだ一年目が終わっただけなので、こちらに出場するのは酷だろう。
試合自体は11-2でキューバが圧勝した。
オーストラリアが二点を取ったのは、キューバが安全圏と見て、ピッチャーを交代させてからである。
オーストラリアとしてはこのグループでは、日本は本当に本気のメンバーを集めているので、絶対にキューバに勝たなければ、第二ラウンドに進むことは絶望的であった。
ただ本気を出したからと言って、それだけで勝負に勝てるものではない。
「オーストラリアも大味だったな」
またも樋口が呟いて、注目の視線が集まってしまう。
MLBでは日本語が周囲にほとんど通じないため、かなり独り言が多くなっている樋口は、そのクセを直すべきであろう。
ただ、樋口の言いたいことは直史にも分かる。MLB組にはだいたい分かる。
「短期決戦用の野球をしてなかったな」
直史が補足するが、オーストラリアはMLBの植民地に近い。
選手を供給する場所の一つで、現地のプロリーグなどもあるのだが、MLBから金が出ている。
現地のプロリーグで勝利することは、もちろんある程度重要なことだろう。
だがそれより重要なのは、MLBでも通用する選手を育成することだ。
日本は基本的に、高校野球の時点で一度、野球が完成してしまう。
甲子園の価値が高すぎるため、そこで勝つ選手を育てることが、重要になっているのだ。
昨今はかなり減ってきたが、チャンスで四番に送りバントをさせる。
それが日本の野球であった時代は、確実にあるのだ。
オーストラリアは国内のプロリーグ選手に加え、メジャーリーガーも召集した。
それなのにアマチュアのキューバには勝てなかった。
もちろん将来的にメジャーで通用しそうな選手は、間違いなく参加している。
しかしそれでも、ここまでの差があったというのか。
(二位で通過したとすると、キューバは準々決勝で韓国と当たる可能性が高いか)
直史は無言でそう考えるが、とりあえずキューバはオーストラリア相手に勝ちにいったわけだ。
オーストラリアはそれに対し、しっかりとほぼベストメンバーで戦いにいった。
だが注意すべきは、試合の日程であろうか。
日本とオーストラリアが対戦するのは、大会四日目のことである。
その日本戦に合わせて、オーストラリアは調整したのだろうか。
メンバーを見ればオーストラリアも、全力で勝ちにいったように見える。
オーストラリアが第二ラウンドのトーナメントに進めるかは、日本とキューバの対決が左右する。
ただそれでも得失点差で、オーストラリアが上回るのは難しい。
ここからオーストラリアが第二ラウンドに進むには、キューバが日本に勝った上で、オーストラリアが日本に勝つというのが、唯一の確実なパターンだ。
もちろんこれは現実的ではなく。
キューバが日本に勝つ可能性は、それなりにある。
だがオーストラリアにまで日本が負けるかというと、それはないだろう。
問題はだから、日本がしっかりと目の前の試合を勝っていくこと。
時間は過ぎて、そして日本と中国の試合が迫る。
選手団はドームのベンチに向かい、試合前の最後の練習が始まった。
日本の本日の先発は本多。
おおよそ五回まで投げてくれれば、そこからはリリーフという手順である。
ただ本多はスロースターターなところがあり、そこを狙われてしまう場合も多い。
先攻は中国で、まず日本は守らなければいけない。
右腕の本多からすると、サードに大介が入っているのが、とてつもない違和感である。
ショートでMLBのプラチナ・ゴールドグラブを取っている選手が、NPBのベストナインショートにその座を譲る。
世代交代を考えているのかな、とも思う首脳陣の決定である。
ただ本多にはこのポジションが、最後まで続いていくとは思えない。
準決勝以降はMLBのスタジアムで行われるため、アメリカのグラウンドに慣れた選手が、ショートの位置は守ったほうがいいだろう。
大介がショートにこだわらなかったのは、おそらく打撃に集中することも意味している。
もっとも本多が考えるのはまず、中国の攻撃を封じることだ。
首脳陣の考えでは、状況次第で継投のタイミングは変わる。
だが基本的に中国相手ならば、よほど舐めたことをしても、日本は勝てるだろう。
先頭バッターに対して、樋口のサイン通りに投げてあっさりツーストライク。
そして三球目を投げようとした時であった。
視界が真っ白に染まり、もちろんキャッチャーのミットも見えない。
動揺は指先にまで伝わり、ボールは先頭打者へのデッドボールとなった。
(なんだ!? くそ!)
反射した光が、目を襲ったのか。
タイミング的に、明らかに本多を狙ったものであったが。
いや、確かに中国はスポーツに対して、かなりグレーなことはする。
ただこのタイミングで、こんなあからさまなことをするだろうか。
こう言ってはなんだが、中国はもっと分かりにくく穏当に、卑劣な手段を使ってくる国だ。
第一野球という競技のWBCという大会は、中国の中でもそれほど優先しているジャンルではない。
国威掲揚のためにスポーツでの結果を出そうとはするが、それはオリンピックにかなり集中している。
目をこする本多の前に、樋口がやってくる。
「目にゴミでも入りましたか?」
「いや、光を当てられた」
樋口の顔に浮かんだのは、軽蔑でも怒りでもなく、当惑であった。
樋口はそもそも官僚志望であり、国際関係の知識なども備えている。
日中関係はあまり良くないと正しく認識しているし、中国はスポーツの部門でもそれなりに力をかけていることは分かっている。
だが野球でこんなことをしてくるのか、という疑問がある。
「偶然の可能性はありますか?」
「あのタイミングで偶然はないだろ」
実際に本多がそう言うなら、その通りなのだろう。
だがどうしても樋口に違和感があるのは、中国はもっと搦め手でくるという印象があるからだ。
それこそ事前に、日本チームには徹底された、ドーピング関連の諸注意。
飲み物なども基本的に、日本チームのスタッフが用意したものしか飲まないということ。
また自分で自動販売機から買った飲み物でも、一度でも手から離したら、もうそれに口をつけない。
そういったあたりが徹底されて、このWBCに臨んでいる。
だがこんな手段で本多から一点を取ろうと思っても、あまりに続けば特定することが出来る。
やっていることが稚拙であるし、これはもう個人の嫌がらせであろうか。
しかし中国人はそもそも、アメリカ人以上に個人主義の人間だ。
国の応援という意識は、あまり高くない。
すると中国側の妨害でもなく、ただの愉快犯である可能性が高い。
「まあベンチには今のうちに知らせておきます」
「そうだな」
樋口がベンチに向かい、わずかに監督の別所と話す。
そして何事もなかったかのように、キャッチャーボックスに戻るのであった。
結局中国は先頭打者こそ出たが、先制点を得ることは出来なかった。
ベンチに戻ってきた日本代表は、監督から話を聞いて、さすがに驚いた。
驚いたがやはり、怒りよりは戸惑いなどの点が多い。
「中国ってそんな露骨なことするか?」
「いや、露骨なところではあるけど、野球でこんなことはしないと思う」
「どうせ勝てないのは分かってるわけだろうし、ただの嫌がらせか?」
最近の日中関係は悪いが、国際大会で互いに行き来がないほど、絶望的なわけではない。
愉快犯、というのがおおよその見方であった。
さて、ならばそんな小細工も通用しないよう、あっさりと一方的に決めてやるか。
そう考えてバッターボックスに入るのは、一番の織田である。
この試合、日本の打順はかなり、日本のセオリーに従って作られている。
直史はジンと話したとき、大介を一番にすればいいのでは、などと聞かされていたものだ。
だが日本代表の首脳陣は、あまりにも保守的であった。
1 織田(中)
2 水上(遊)
3 白石(三)
4 西郷(DH)
5 後藤(一)
6 児玉(右)
7 谷(左)
8 小此木(二)
9 樋口(捕)
樋口が九番というのは、むしろ織田につなぐためのものである。
もっとも小此木は打率と出塁率が高いので、樋口にも得点力は期待しているのだろうが。
大介としては久しぶりの三番で、なんだか不思議な気がしたものだ。
しかも本職のショートではなく、サードを守っている。
もちろんこれで、打撃に集中しろという意図は分かるのだが。
バッターボックスの織田は、不快感を覚えていた。
中国がわざわざそんなことをするか、という疑問は確かにそうである。
野球というスポーツを、中国は根本的に重視していない。
中国のスポーツ振興は、個人種目に注目し、限られた才能に予算を集中するというものだ。
野球などは九人も必要であるし、ピッチャーも一枚では足りない。
中国が団体競技で、なかなか強くならない理由である。
おそらく愉快犯か、そうでなければ……。
織田はそう考えたが、瞬時に意識を変化させる。
甘く入ってきたボールを、珍しくもフルスイングした。
ボールはそのまま、ライトスタンドに飛び込む。
(そういえば東京ドームは、ホームランが出やすいんだっけか)
織田はガッツポーズで声援に応えながら、ベースを一周するのであった。
不穏な出来事はあったものの、それ以降は特に問題もない。
分かってはいたが大介は敬遠されて、その後ろの西郷がホームランを打ったりする。
スモールベースボールも出来るが、今回の日本代表の打撃力は、フライボール革命の理論も充分に行える選手が揃っている。
運の悪い打球でのアウトはあるが、それでも初回から四点のリード。
そして予定を変更して、本多は三回で交代である。
なぜかと言うと、コールドゲームが現実的になってきたからだ。
WBCのコールド規定は、五回15点、七回10点。
三回が終わった時点で、既にスコアは10-0となっていた。
50球になる前に、本多は交代。
そして今度はサウスポーの島が投げることになる。
四回も日本は四点を追加し、スコアは14-0へと変化。
中国はさすがにノーヒットに抑えられてはいないが、それでも圧倒的な点差である。
そして五回の裏で、コールドに出来ると判断した日本首脳陣は、鴨池を投入する。
レックスの守護神として、長く君臨していた鴨池だが、その地位はずっと安定していたわけではない。
そもそも最初は先発として通用せず、トレードされたりもしたものだ。
だがひそかなレジェンドは、間もなくセーブ数が250に達しようとしている。
はっきり言ってここでは、直史の出番はなかった。
三人で終わらせて、五回の裏の日本の攻撃。
一点でも入れば、その時点でゲームセットである。
強い日本を、しっかりと見せることが出来ただろう。
ただ大介は明らかに勝負を避けられて、その打撃が見られることはなかった。
下位打線の日本が、あっさりと一点を取って、そして試合終了。
事前の評判の通り、圧倒的な力を見せ付けて、日本は初戦に勝利した。
翌日の相手は、この第一ラウンドでは最大の難関と思われるキューバ。
しかし日本はここで、最強の札を切っていく予定である。
日本の大エースである上杉が、第二戦の先発予定だ。
もっともMLB組は、楽観視してはいない。
上杉のようなパワーピッチャーは、現在のMLBの主流である。
もちろん170km/hを投げるピッチャーなどそうそういないが、武史を除いても一人はいたりする。
なので比較的、対応はしてくるのではないか、とは思える。
またピッチャーもパワーピッチャータイプであり、NPBのピッチャーの平均を大きく上回る。
そのあたりに対応するのは、織田から始まるMLB組のバッターかもしれないが。
事件はあったが、解決はしていない。
しかし二度目の照射などは起こっていない。
あるいはもっと、効果的な場面で狙っているのか。
犯人も目的もいまいち分からない、釈然としない初戦が終わった。
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