第9話 懐かしの東京
短期間ではあるが、嫌でも充実した内容にならざるをえなかった、日本代表のキャンプが終わった。
終わってみて思ったのだが、今回の代表のメンバーは、かなり結束度が高いように思える。
なぜかと思えば、共通性が多い選手が多かったからであろう。
とにかく甲子園組が多かったというのはあるし、上杉に抑えこまれた、というのが多くの選手の記憶にある。
ほぼ同じ年代で、白富東や大阪光陰にけちょんけちょんに負けたという、共通の認識もあった。
そして白富東出身の選手が、この段階で六人。
30人のメンバーのうち、六人がそうなのである。
まさに白富東は、一時代を築いたチームであった。
過去形であるのは、ここ最近は甲子園に出場することも、ほとんどないからである。
プロ野球の千葉より、白富東の方が強い、などと言われていたのも過去のこと。
確かに実際、出身選手だけで作ったチームは、今の千葉よりも強いであろうが。
第一ラウンドは東京、韓国、アメリカのカリフォルニアとフロリダの、四ヶ所で行われる。
ホームのアドバンテージというのはあるが、純粋に日本の場合は観客動員が多く見込めるのだ。
韓国のソウルなどは、この時期はまだ寒いのではないかとも思うのだが、一応はドーム球場が存在する。
なんでも完成当初は、雨漏りがしたり、トイレに行くのに歩くスペースがなかったり、大変な状況であったらしい。
そんなところでやるぐらいなら、いっそのこと大阪ドームでやればいいのでは、とさえ思ったりもする。
ただ地元の観客動員という意味では、やはり韓国か台湾のどちらかで、試合を行うしかないのだろうが。
ちなみに東京において、なぜか台湾代表チームとのみ、二試合の練習試合が組まれている。
なんで台湾だけ、という疑問はあるのだが、そういえば昔は大学選抜と試合をしたものだな、と思い出してほしい。
直史たちMLB組が合流するまでには、独立リーグや社会人チームとの試合もあったらしいが。
沖縄では軽い紅白戦だけであった。
MLBでもそうだが、キャンプなどといってもやはり、実戦を想定した練習の方が役に立つ。
守備などは反復練習などが重要だが、ここに選ばれたメンバーは、そんな低いレベルの選手ではない。
なので呼吸を合わせるということが、一番重要になる。
一日二試合を行い、そして翌日は完全にオフ。
日本と台湾はどちらも、ピッチャーに無理をさせないことを考える。
そしてそういう、無理のかからないピッチングが得意なのは、直史が間違いなく世界一である。
140km/h前後のストレートが最高、という投球内容ながら、25球でイニングを完封。
他にも上杉などは、軽く投げて165km/hを普通に出していた。
ピッチャーは短いイニングを投げたので、完封とばかりは言えない。
だが試合に関しては、余裕を残して勝利。
もっとも台湾も、まだ本気を出している雰囲気ではなかった。
なにせ台湾は、第二ラウンドのトーナメント戦で、日本の相手となる可能性が、最も高いチームと言われている。
ここで手の内を見せていては、その決戦で不利になるのは確かだ。
台湾の選手は現在、MLBにもわずかにいる。
韓国の選手もいて、おそらくそのあたりが双方のチームの主力となるだろう。
「どちらが勝つと思う?」
「何が?」
「韓国と台湾」
「台湾は負けるだろうな」
直史の問いに対して、樋口は冷静である。
直史は立場的に、韓国というか朝鮮系の集団とは、対立したくない状況にいる。
もちろん試合で完全に封じるのは、それとは関係のないことだ。
一方の樋口は完全に、政治的な立場は保守だ。
捕手だけに。
ただ直史も司法会の中では稀有な、保守的な立場の人間ではある。
それが真面目に法律を守っているのだから、昨今のリベラルというのは法律から逸脱している。
「組み合わせ的に台湾は、韓国には負けてもいいぐらいのつもりで戦うだろうな」
樋口の分析は続いていた。
「うちに勝つつもりか?」
「まあ韓国で韓国に勝つより、日本で日本に勝つ方が安全だろうしな」
「それは言えている」
樋口の価値観と言うか、他国を見る目は厳しい。
元は官僚を目指していただけに、外国は基本的に全て敵である。
その中でも、共通の敵のために共闘出来る相手と、むしろ組むのにデメリットしかない敵など、そういう区分けをしている。
直史はさすがに、そこまで国家的には考えていない。
彼は法律に則り、粛々と可能な範囲を更地に変えるだけだ。
マスコミは台湾との親善試合の勝利を、にこにことした見出しと共に報じる。
日本のマスコミの野球に関する報じ方は、比較的中立性が高い。国際的な場合は。
国内であると、サッカーや他のスポーツなど比べ物にならないぐらい、ひどいものとなる。
特に東京の某球団と、関西の某球団などでは。
その東京の某球団の本拠地で、しっかりと練習試合をさせてもらった。
こういう時にあっさりと使える本拠地を持っているあたり、やはり某球団は球会の盟主なのであろう。
もう10年以上もペナントレースを制することもなく、日本一にも輝いていないが、それは今の時代がむしろ異常なのだ。
スターズとライガースの突出を、どうにか資金力による補強で抑えようとしている。
だがスターズは上杉の人間力が、チーム全体を強化している。
そしてライガースは大介こそMLBに送り出したが、真田や西郷といった主力の引止めに成功している。
タイタンズは本多や井口を失ったものの、小川をドラフトで獲得に成功し、そして悟や島といったあたりをFAで手に入れている。
悟の場合は伴侶の都合もあって、関東から動きたくないという事情はあった。
MLBからの誘いも、間違いなくあったであろう。
埼玉などは選手の流出を、基本的には恐れない。
むしろポスティングでMLBに売ったほうが、国内のチームを強化しないので望ましい。
ただそれでも悟が、国内を選んでしまったのは、本当に女のためだ。
昨今のプロ野球選手は、本当に女のために動く者が多い。
プロ野球選手であれば、むしろ女の方を、自分に合わせるように動かすべきであろう。
昭和の匂いを知っている老人などは、普通にそう言っている。
ちなみに樋口も、国内でプレイするならば、タイタンズへの移籍も考えたであろう。
だが将来的な伝手の広げ方を考えて、海外へと移籍を決断した。
セイバーからの勧誘も、もちろんあったであろうが。
セ・リーグは上杉のスターズ入団から、完全に戦力バランスが変化した。
監督が変えたのではなく、一人の高卒プレイヤーが変えたのだ。
そしてその二年後、大介が入ったことで、完全に二強の状態となった。
これが変化するのは、レックスに樋口が入り、その翌年に武史が入ってからである。
この三すくみの状態は、上杉の故障とリハビリの間、完全にレックスとライガースの二強に変化した。
そして上杉の復帰後、またも三強時代になるかと思えば、今度は樋口と武史が抜けたレックスが落ちていく。
現在ではスターズとライガースが二強であり、それに次ぐのがタイタンズ。
残りの三球団は、Bクラス内でどう順位を入れ替えるか、という三国志状態に入っている。
もっとも直史にとっては、全く興味も関係もないことであるが。
日本で行われるリーグ戦のために、既に各国は日本入りしている。
そしてそれが、東京に集まる。
これまでにも直史は国際大会に出場してきた。
最初はワールドカップであったし、学生時代も特例で出場したりした。
しかしこれで、間違いなく選出されるのは最後になるだろう。
引退ということもあるが、年齢的にもう32歳である。
今回のチームに比べると、さすがに弱くなっているだろう。
もっともそんな将来のことを考えるのは、日本の野球界のお偉いさんに任せよう。
直史は本質的に、野球村の住人ではないのだから。
数々のセレモニーなどが行われていって、いよいよWBCが始まる。
日程的には初日に、中国と対戦する。
ホテルの大ホールを使って、日本ラウンドで対決する、五つのチームが集結する。
こういう時に、MLBに行っておいてよかったと思うのは、英語で他の国の選手と、意思疎通が出来ることである。
そしてこの場にいる他の国の代表は、ほとんどが日本代表に視線を送っている。
割となごやかな雰囲気であるのは、今回の日本の本気度の高さを知って、ある程度諦めている国が多いからだろうか。
雛壇の上に立って、各国の代表が挨拶し、また取材を受けて、時間が過ぎていく。
そしてビュッフェスタイルの会食などが行われて、他国の代表と交流したりもする。
ただその導線は、日本を中心としたものであるのが面白い。
結局キューバは、現役メジャーリーガーから、主力を召集するのには失敗していた。
それでもキューバには素質型の選手が揃っていて、それなりの強豪になっているとは言える。
オーストラリアは現役メジャーリーガーを二人連れてきているが、まだマイナーの選手も何人もいる。
そもそもオーストラリアには、MLBの作った選手育成の機関があるのだ。
金には困っていないはずの大介が、ものすごい健啖家であることを示している。
そこでまるで順番のように、各国のピッチャーが大介の元を訪れる。
挑戦的な挨拶を、それでも礼儀正しく行っていくあたり、面白い光景だ。
もっとも中には露骨に見下ろしてくる選手もいるが。
まあ大介は身長が低いので、物理的に見下ろされるのは仕方がない。
ただこれを、大介の性格を知っている人間は、生暖かい目で見守るのみだ。
「おいおいおい」
「死んだわ、あいつ」
大介はおそらく、バッティングで返答するだろう。
それにしても日本の野球選手というのは本当に、野球しか出来ない馬鹿が多いのだな、と思う。
もっとも地理的民族的な要因で、仕方がないのだろうが。
チーム内に外国人選手もいるだろうに、英語を進んで学ぼうという選手jはあまりいない。
大介もそうだったので、あまり大きいことは言えないが、そもそも大介はMLBに行くつもりはなかったのだ。
そして直史は弁護士の手続き上の問題から、樋口は将来的な目的から、かなり大学時代に英語が出来るようになっていた。
特に樋口は、中国語までかなり話せるようになっていたりもする。
直史の元にも、各国のチームのバッターが数人声をかけにきた。
ただキューバの選手たちは、むしろMLBの話を聞きたがっていたりする。
キューバ人にとってMLBは、身近ではあるが心理的には遠い存在だ。
元々キューバにとって野球はお家芸であり、国際大会で延々と優勝していた時期がある。
まさに国技であったわけで、今でもそのアマチュアのレベルは低くない。
ただ20世紀の経済状況が悪化したあたりから、国策で野球をしていた選手たちは、待遇が悪くなった。
そこからMLBへの本格的な流出が始まったと言える。
公務員であるキューバの選手が、MLBの資本主義の中に入っていく。
そして活躍した結果、家族もアメリカに呼び寄せたりする。
もっとも物価や社会構造の問題から、仕送りをしている選手も少なくない。
そのあたりキューバは、共産主義国家の中では、人民の権利に比較的寛容な国と言ってもいいのではないかと思う。
いずれはMLBで、直史と対決するつもりもあるのだろう。
キューバから即戦力で、来年のシーズンのロースターに入ってくることはあるのか。
時間を考えれば、WBC後に即亡命して、それから球団と契約する。
すでに動いていなければ不可能だが、さすがにそれは無理なのでは、と直史は思う。
つまりこのキューバの選手団には、全てを見せ付けて抑えても、なんら問題はないということだ。
そもそもMLBはチームの数が多いので、ピッチャーに対応するまで慣れるのは難しいのだが。
NPBの野手が、投手に比べてあまりMLBで通用しないのはなぜか、と考えたことがある。
直史自身は全く問題ないどころか、むしろNPB時代よりも成績は向上している。
ピッチャーがバッターより有利なのか、と思うと大介の存在が謎になる。
直史もそうだが大介も、NPB時代より成績は向上している。
過去にもMLBで通用した日本人選手はいたが、NPB時代よりも大幅に成績が向上したというのは、ほとんどいない。
キューバの野球は、基本的にMLBの野球に近い。
パワーとスピードの、フィジカルベースボールだ。
それに対して東アジアの国は、スモールベースボールを重視する。
実際に短期決戦の一発勝負では、そちらの方の要素を入れなければ、勝つ事は難しい。
MLBにおいて直史と大介が強いのは、勝つべき時に勝つからだ。
そして勝つべき時に勝つ、最強の矛と盾である二人がぶつかった場合、今までの数字だけを見ると、直史の方が優勢である。
直史は適当に周囲を見回して、おかしな動きがないかを見ていた。
彼が今、注意しているのは、食事や飲料などに、何かを混ぜられないか、ということだ。
下剤などを混ぜて、試合出場が不可能なようにする、などというのはまだ優しい方だ。
禁止薬物などを混ぜて、そもそも野球界から追放しようという動き。
ただドーピングについては、かなりグレーなイメージがある中国であっても、このWBCではそれをやるメリットが少ない。
どこかのチームの主力一人を脱落させても、それで日本チームに勝てる戦力差ではないからだ。
ただ他の国のチームが手をつけてから、同じ食事に手をつける。
直史もやっているが、実はホテルスタッフなども、しっかりと見張っている。
どこかの国では選手のホテルのシャワーがずっと冷水であったり、なぜかエアコンが故障していたりと、そういった方法で番外戦術をやってきたりもした。
だが日本はしない。基本的に日本人は、正直が美徳の国の人間なのである。
もちろん国家としても、国民は正直であってほしいし、正直でない人間の犯罪は取り締まるべきである。
それでも国家の舵取りを行う人間なら、正直一辺倒ではいけない。
必要悪、という言葉がここでようやく使われる。
往々にして、自己弁護のために使われる言葉であるが。
たまにやってくることはあったが、久しぶりの東京の滞在となる。
大学からNPBと、直史はおよそ八年間を東京で過ごしてきた。
選手たちはスウィートルームに泊まっているわけだが、直史だけではなく大介なども、子供たちは実家に預けて、嫁が一緒のホテルにいたりする。
試合の前日、選手たちは夜更かしもすることなく、それぞれの部屋に戻ったが、東京近隣出身の人間はこういうことをしたりする。
他にも在京球団の選手は、家族が来ていたりする。
上杉などは地元の新潟からも、多くの後援会会員が、応援のために夜行バスでやってくるらしい。
初日はオーストラリアとキューバ、そして日本と中国の対決。
もちろん前日に、先発予定は告げられている。
初戦であるため万全を期すのか、というとそんなことはない。
上杉は温存であるし、そもそも先発で使うかも決まっていない。
もしも使うとしても、相手はキューバになるであろう。
そんなわけで初戦、先発の大役を任されたのは、トローリーズの本多であった。
本多もまた、リリーフも出来なくはないが、基本的に先発適性の高いピッチャーだ。
中国のレベルの打線であれば、ほとんど失点しないであろう。
久しぶりに日本で投げる本多は、高校からNPBは東京に在住。
地元要素がそれなりにあるだけに、観客の動員についても考えられたものだろう。
開始時間は日本時間の19時。
日本にとっては翌日のキューバ戦に、上杉を持っていきたいところである。
リリーフがどのように使われるかは、試合の展開次第。
ただ左打者の多い場面では、真田などが使われる可能性は高い。
14人のうち6人が左である今回の日本代表。
中国相手に本多はもったいないな、とナチュラルに傲慢に考える直史である。
ただそれは実力を、正当に評価してのものだ。
どうせなら開幕一日目なのだから、地元タイタンズの小川でよかったのではないか、と思う。
小川もまた先発型のピッチャーで、現在の日本では五指に入る先発なのだ。
直史の投げる出番は、おそらくないだろう。
首脳陣も警戒しているのは、明後日のキューバ戦。
そう思っていると、足を掬われることがあるのだろうが。
さすがにいちゃいちゃもせずに、眠りに就く。
WBC開幕前夜のことであった。
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