二章 祭りの前
第6話 年明け
大騒ぎの年末から、静かな大晦日を終えて、新たな年へ。
佐藤直史のラストシーズンである。
まあ、マイケル・ジョーダンもラストダンスと言いながら、後に少しだけ復帰したりもしたものだが。
ただ直史が本気で引退した場合、年齢的な衰えも考えると、さすがにもう二度と復帰は出来ないであろう。
大家族で初詣を行い、今年の目標などを祈ってみる。
最後の年である。
(たとえ、勝つにしろ、負けるにしろ)
直史の願いは、ひどく即物的であった。
(偶然や運ではなく、実力で勝負が決まりますように)
一緒に参拝した大介が、何を願ったのかは知らない。
武史も一緒に参拝したが、これから恵美理と子供たちと共に、神崎家を訪れる予定である。
なんだかんだ言いながら、恵美理が一人娘であるために、武史は向こうの家をよく訪れる。
両親が少し寂しそうなのに、気づいていないのが武史らしいと言おうか。
直史はそれに対して、近所や親戚の挨拶を受けて、家父長制の君主のごとき正月を迎える。
ちなみに武史は、メトロズのフロントと交渉し、なんとか出場の許可を得てきた。
ただしあくまでも予備人員としてであり、投げるのは一試合まで、という限定された条件もつけている。
つまり第一ラウンドで使うのは難しく、第二ラウンドのトーナメントで使う。
そこで90球ほど投げて、武史のWBCは終わってもらおう、というぐらいのつもりなのだろう。
86球以上を投げるのは禁止であるが、正確には85球を超えていても、現在対戦しているバッターとの終わりまでは投げられる。
なので少し粘られても、バッターとの対戦の途中で交代することはない。
武史のピッチングであれば、おそらく七回ぐらいまではそれで投げることが出来る。
六回までを投げたとしても、そこからセットアッパーとクローザーでどうにか出来る。
上杉はやはり先発に回ってもらって、直史がクローザーは務めるべきであろう。
直史なら下手をすれば30球以内に、3イニングを抑えることが出来る。
準々決勝と決勝を上杉に先発してもらい、準決勝を武史に先発してもらう。
毒島や鴨池にセットアッパーをしてもらい、直史がクローザーとして投げる。
これで決勝トーナメントは勝てる。
ただアメリカは、本当にどれだけ本気を出してくるのか。
ブリアンとターナーはどうやら参加の予定であるらしいし、シュミットも出てくるのだとか。
日本の12チームに比べても、30チームの中から選手を選ぶのだ。
他国出身の選手であっても、既にアメリカに永住権を持っていれば、アメリカ代表として出場することが可能である。
WBCはオリンピックほど、その出場条件が厳しくはないのだ。
ピッチャーもほとんどが100マイルオーバーのような、とんでもない布陣である。
球速に関しては、日本よりも上回っている。
おそらく打線の破壊力も、本来なら日本よりは上なのだろう。
ただ短期決戦のトーナメントなら、勝つのは日本だ。
日本、韓国、台湾の東アジア勢のうち、1チームだけしか戦わなくて済む時点で、アメリカは有利と言える。
キューバなどは政治的な問題から、アメリカには出来るだけ入らないようにしている。
過去に野球以外にも、アメリカの大会に出場した選手が、そのまま亡命してしまった例などがあるのだ。
それが近場はアメリカでありながら、日本のグループにいる理由の一つである。
ロースターの30人は、二月七日に正式決定する。
それ以降の人員交代は、故障者が出るか、第二ラウンドに進む時のピッチャー二人だけとなる。
なお第一ラウンドが始まってしまった場合、もう故障者が出ても、残りの選手でどうにかしないといけない。
そう考えると日本チームも、守備力特化型の選手が外野は少ないな、という不安はある。
センターの織田は完全に、外野の中心選手だ。
その織田が離脱でもすれば、一気に外野が崩れかねない。
アレクでもいてくれたら、ここはフォローできるのだが。
ちなみにアレクはやはり、どこの代表としても出ないようである。
守備力の高いセンターとしては、50人リストに毛利の名前などがあった。
ただ30人のロースターは、より打撃力に秀でた選手を集めすぎているようにも思う。
SBC千葉において、直史はピッチングの練習を開始した。
ストレッチに柔軟体操、アップを充分に行って後のことである。
センターのキャッチャーに向かって、直史はボールを投げる。
視界の中に、曲線を描く。
その曲線の軌道を、ボールが通過していく。
完全な肉体制御から、完全に制御されたボールが生まれる。
バッターボックスに誰かが立てば、その呼吸までもが完全に把握出来る。
森羅万象を、直史の肉体は感じ取る。
日本での測定では、当然ながら球速はkm/h表示だ。
150km/hを超えたスピードが、安定して出せている。
ただ今回の代表に選ばれたピッチャーの中では、変則派の淳を除けば、最低レベルの球速である。
この20年ほどの日本のピッチャーの高速化は、やはり恐ろしいものがある。
バッターボックスに立つ大介は、あくまでも打者を想定して立っているだけだ。
だがその大介が、この直史の球は打てないな、と感じてしまう。
おそらくミリ単位での、微細なコントロール。
ミートをわずかに外して、凡打を打たせることになるのだろう。
三月に二週間、同じチームでプレイする。
それが直史と同じチームになる、最後の機会になるだろう。
そしてその後、MLBではワールドチャンピオンを巡って、最後の対決がやってくる。
大介はそれが楽しみであるが、同時に寂しくてたまらない。
「大好きなアニメの最終回が近づいている感覚かな?」
この間の集まりでは、手塚にそんなことを言われたものだ。
まあ面白いマンガであっても、それはいつかは終わるのだ。
こち亀などは終わっても、時々色々なところで描かれているが。
高校野球と違ってプロの世界は、単純に時間が経過すれば引退となるわけではない。
もちろんそれは引退へと近づいていくのだろうが、それが明確になるのは衰えが顕著になってからだ。
ただ直史の場合は、最初から年月を区切っている。
そうやって区切っているからこそ、全力でのプレイが出来るのだろう。
プロの世界は確かに、結果を出さなければ切られる世界だ。
だが同時に、一度や二度の敗北を気にするよりも、さっさと前を向いて歩いていかなければいけない世界でもある。
直史はシーズンを通じてコンディションを維持し、そして一期一会の精神で、バッターと対決する。
もちろんある程度は、妥協したピッチングをする場面もあるのだろうが。
極端な話、高校野球は五回負ければ終わりなのだ。
実際は地方大会への出場条件などで、もう少しは負けても大丈夫な可能性はあるが。
プロ野球は年間、その10倍負けてもレギュラーシーズンは余裕で優勝出来る。
やはり一発勝負とリーグ戦では、戦い方が違うのだ。
自分自身を追い込むことによって、本当の眠っている力を引き出す。
それにはワールドシリーズで、最終戦までもつれ込むような展開にならなければ、なかなか意識的には難しい。
大介などは毎試合出るので、統計的に評価される。
安定して成績を残すのが重要で、ポストシーズンに入れば爆発的にそれが上昇する。
恐ろしいことに大介は、レギュラーシーズンでは己の力をセーブして、試合をプレイしていることになる。
時折全力を出すと、その後の数試合はやや成績が落ちる。
直史ほど極端ではないだけで、大介も短期決戦では力を解放しているのだ。
テレビ放送版と劇場版ぐらいの差はある。
……違うか。
直史のピッチング練習を見ているだけでなく、大介も自分の練習はしている。
アメリカ代表の中には、MLBのチームメイトも含まれるらしい。
ただアメリカは、おおよそ30歳未満の、ウルトラスーパースター一歩手前のピッチャーの方が多くなりそうだ。
35歳前後でまだ最盛期というピッチャーはいるが、ただそういったベテランは調整が難しい。
なのでWBCにはほとんど不参加だと言われている。
ただバッターではブリアンとターナーが参加するように、ピッチャーでも若手は参加する。
たとえばメトロズであれば、去年のレギュラーシーズン終盤に復帰したアービング。
彼はクローザーとして出場するのを、前向きに考えているらしい。
基本的にFAを取得した20代後半以降の選手は、ほとんと出場しないという。
WBCに出ることよりも、自分の年俸に直結するコンディションの方が大切である。
それでも数人は、各球団の主力級選手は出てくるらしいが。
大介のバッティングを封じるとしたら、むしろ台湾や韓国のピッチャーになるかもしれない。
MLBで五年を過ごした大介は、スタンダードなパワーピッチャーには完全に適応している。
また技巧派のピッチャーも、普通にMLBには存在する。
少ないのは変則派と軟投派だ。
今のアメリカにおいては、基本的にアマチュアの時点で、スピードのない選手はピッチャーから除外されていく。
もちろんアンダースローなどに挑戦する者もいるのだが、根本的にそれをコーチできる人材が少ない。
ネットなどで多くの情報に触れることが出来る時代。
ただしその膨大な情報の中から、どれを選択するのが正しいのかは、判断が難しい。
結局は直接のコーチが、効率はいいものなのだ。
ボールのスピードが速いというのは、それだけバッターに判断の時間を与えないので、もちろん悪いことではない。
ただスピードだけを求めていては、それは野球の原則から離れてしまう。
野球の原則は、点の取り合いである。
その中でいいピッチャーというのは、点を取られないピッチャーであって、ボールが速いピッチャーではない。
このあたりの評価は、実は直史の登場によって、またセイバー・メトリクスの評価基準が変わりつつある。
従来の基準によると、直史と武史の差が、一応は直史の方が上とは言え、実績に比べて小さく見えるのだ。
直史の打たせて取るということと、武史の三振奪取能力が、過小と過大に評価されているのである。
セイバー・メトリクスの基準によると、内野ゴロも外野フライも、運によってアウトとヒットのどちらかに決まる。
三振はピッチャーの力によるもので、これが高く評価されすぎているのだ。
たださすがに直史がここまで、武史の成績を圧倒していると、どうも違うのではと思われてくるのも当たり前のこと。
野球において最先端を発信するアメリカは、主に直史の存在によって、また新たなトレンドを生み出そうとしている。
これで淳のようなピッチャーが、MLBに行ってみたらどうなのか、と実際にやってみてくれれば、また基準は変わってくるかもしれない。
ただサウスポーというのはそれだけで有利だし、アンダースローとまでいかなくてもサイドスローの時点で、かなり珍しくて効果的なのだ。
それをさらにアンダースローにするというのは、なかなか他のピッチャーは出来ないことだろう。
そもそもアンダースローにしてまで、ピッチャーにしがみつくというものが少ない。
なおMLBのマイナーでは、ピッチャーにアンダースロー転向を打診するコーチはそこそこいる。
ちなみにSBCにおいては、武史もトレーニングや練習をしている。
しかしなかなか170km/hのストレートなどを捕れるキャッチャーはいないため、本気の投げ込みなどは行っていない。
WBCに向けての日程では、二月の下旬から、合同合宿が行われる。
ただその中でも、MLBに所属している選手は、そちらのスプリングトレーニングを優先してもいいということになっている。
また今年も大介の別荘で、集まっての練習をその前から行うだろう。
だが一月の半ばまでは、日本にいる予定である。
ただ気候の変化を考えると、それもあまりいいものではないのかもしれない。
WBCの日本代表は、日本の東京ドームで第一ラウンドと準々決勝を行う。
三月というのは、まだ肌寒い時期と言ってもいいだろう。
試合自体はドームで行われるが、その前後の移動などは、三月の気候の中で行われる。
一度フロリダの暖かい空気の中で過ごし、また日本の三月の環境に戻ってくる。
これはあまりいいことではないのではないか。
もっとも一月から暖かい環境で体を作って、環境に慣れるぎりぎりまで待って、日本に戻ってくる。
そもそも日本代表も、キャンプを沖縄で行うらしいので、条件的には似たようなものだろう。
よってまたもフロリダに向かうのだが、往復の時間だけでもそれなりにかかる。
直史などが嫌っている、移動時間による拘束である。
それが嫌なので、直史は在京のセ・リーグ球団にプロ入り時に絞ったのだが。
ともあれ一月は、とにかく故障だけはしないように、無理な投げ込みなども行わなかった。
ただ直史の投げ込みは、基本的に従来の常識から比べると、非常識である。
150km/h前後のボールを投げて、肉体の制御を完全なものとする。
まさに投げるためのマシーンになるのだ。
もちろん練習やトレーニングばかりではなく、他にも社会人としてやることは色々とあった。
当初は五年間と言っていた、プロ野球への入団。
それはMLBへ三年間も行った上に、さらに二年間も延長したのだ。
実家もそうだが瑞希の実家の方にも、色々と気を遣わなければいけない。
ただマスコミなどの取材に関しては、一切応じないところが直史である。
代わりに相手は、瑞希に対して接触してきたりしたが。
年末と年始はわずかながら、体を動かしていない時期があった。
だがバレリーナなどと同じく直史も、一日体を動かさなければ、それだけ体の制御が利かなくなる。
それを微調整するための時期が、この一月半ばまでとなる。
そして一行は、アメリカのフロリダへと飛ぶ。
ここで二月の半ばの、スプリングトレーニング直前まで、自主トレを行う。
そしてスプリングトレーニングに、三月の頭までは参加する。
そこからまた日本に戻り、日本代表と合流。
なんとも慌しいスケジュールである。
今年のフロリダでの合同自主トレには、さらに追加で参加者がやってきた。
WBCの日本代表に参加する、織田と本多である。
参加しない蓮池や井口は、仲間はずれだ。
別に嫌っているわけでもなく、条件を絞っただけなのだが。
なんとも豪勢なメンバーとなった。
「こんな別荘買って、稼いでるなあ」
本多はそんなことを言っているが、彼もFAになったら、年俸はかなり大型契約になるであろう。
もっともトローリーズに、そのままいるのは難しいかもしれないが。
この時点では織田は、既にFAになっているので、本多よりも年俸は多い。
本多は今季でトローリーズとの契約が終了するので、FAとなってどこか他のチームに移籍する可能性が高い。
ただ今年度が終わった時点で、本多は33歳。
複数年は可能であろうが、長期の大型契約は難しいだろう。
おそらくは三年から四年の契約になるのではないか。
もっともその間に、まだ実績を積んだなら、さらに年俸は高くなる。
そのあたりは代理人の手腕によるし、本多の残す実績による。
大介にしても今年で、五年一億五千万ドル+出来高の契約は終わる。
基本的にはメトロズに残りたいが、果たしてどんな条件を出してくるか。
メトロズはどうにか、今年は年俸総額の大幅な増大は防いだ。
ただこの数年間ずっと、ぜいたく税の対象範囲をオーバーしている。
一度はどこかで、リセットしたほうがいいのか。
しかし大介がいるということは、それだけで球団の価値を上げていくことになる。
織田と本多の合流は、彼らの家族やパートナーの合流も意味した。
さすがにちょっと大きすぎるかな、と買ったときは思った大介であるが、それが埋まるぐらいの参加人員である。
大介一家に、直史と武史の家族。
樋口とその家族に、アレクは単独で参加。
そして織田と本多なのであるが、織田の場合はケイティなどが一緒に来ていた。
久しぶりの再会というものである。
もっともニューヨークでは、ケイティはそれなりに、大介のマンションには来ていたのだ。
イリヤの残した娘に会うため、そこそこ頻繁に。
そして昼間はがっつりと練習やトレーニングを行う男どもに対し、夜になると女どもが楽器を鳴らして歌いだす。
恵美理にケイティ、そしてツインズなど、素養のある人間は多い。
「なんだかちょっと、騒々しいような」
「ちょっとじゃないだろう」
執筆に精を出す瑞希のぼやきに、直史は諦めたように突っ込む
だがこの馬鹿騒ぎの日々も、これが最後と思えばどこか寂しさを感じさせる。
子供たちにとってみれば、普段とは違う同年代の子供と関わることは、むしろいいことではあるだろう。
ただ直史や織田、本多と違って他の家庭は、比較的子沢山だ。
それを上手く世話している、ツインズはたいしたものである。
ずっと子供の頃、自分たちに子供の世話など出来るはずがない、と言っていった二人が、今は肝っ玉母さんのようになっている。
人間というのは変わるものだ。
とりあえずここで、一ヶ月ほどの間、自主トレ期間が続く。
ケイティなどは仕事があるため、そんなに長くいられるわけではないのだが。
ただここに織田がいる間は、娘を置いていってくれたので、なかなか一緒に会えない織田としては、とても嬉しかったらしい。
ちなみに集合した中で、一番大変なのは樋口であった。
ピッチャーは三人もいるのに、キャッチャーは一人しかいないからだ。
しかし武史にしろ本多にしろ、今年も対戦する可能性の高いピッチャー。
その球を受けるということは、樋口にとっては大きな経験になっただろう。
それでもどうしても足りなければ、地元の大学の野球部の人間に、アルバイトを頼んだりする。
本多はともかく、直史と武史はコントロールが抜群のため、捕るだけならば出来るのだ。
この自主トレによって本多は、コントロールがよくなっていた。
主に直史と武史の、体の使い方を身近で見たからだ。
また対戦相手は強くなってしまうな、と戦闘民族の大介は、内心でわくわくしながら、奇妙な自主トレは続いていく。
×××
明日の話の末尾か、または番外編として、人気投票の結果を投下します。
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