第4話 冬の日

 いくら控えめに言ったとしても、直史と大介は野球におけるレジェンドである。

 日本のレジェンドではない。世界のレジェンドだ。

 大介はその積み上げた数字が、圧倒的にそれ以外のバッターとは違う。

 ホームランの記録一つに絞っても、日米累計950本を突破し、おそらく来年には前人未踏で空前絶後の1000本に達するであろう。

 その打撃は円熟の極みに至りつつあり、もはやピッチャーにとっては、人間の形の災厄としか思われていない。


 そしてその大介を擁するメトロズに、唯一ワールドシリーズで勝利しているのが、直史のいるアナハイムである。

 その他の直接対決の成績を見ても、おおよそ直史は大介を抑えていると言っていい。

 プロ入りがずいぶんと遅かったので、様々な通算記録は、さすがに抜くことは出来ないだろう。

 だが直史は、過去や未来のレジェンドピッチャーに、たった一つ質問するだけで、マウントを取ることが出来るのだ。

「それで、貴方はキャリアで何回ノーヒットピッチングが出来たのかね?」

 これがパーフェクトだったりマダックスだったり「サトー」であっても構わない。

 もちろん無駄に敵を作ることが嫌いな直史は、そうそうそんなことは言わないであろうが。

 ただし、忘れてはいけない。

 直史は攻撃されれば正当防衛は行う人間なのだ。


 帰国した大介とツインズは、大介の母方に顔だけは出した後、千葉にある佐藤家の実家へとやってきた。

「で、どういうつもりなんだ?」

「どういうつもりと言っても」

「意外と集まらないよ?」

 日程がそれなりに急に決まったため、来れる人間も限られている。

 海外にいる人間などでは、まず調整は不可能であろう。


 白富東は帰国子女枠や留学生枠で、実質的な助っ人外国人を手に入れている。

 アレクがその一号であり、トニーが続いた以外に、文哲やユーキなど、多くの帰国子女や留学生がやってきた。

 監督であった秦野の娘である珠美も、その一人である。

 アレクなどはブラジルに帰っているらしいので、おそらくは来れない。

 トニーなどにも連絡を取ったらしいが、あちらはアメリカである。

「呉文哲って誰だったっけ?」

「淳の一個下だってさ」

「お兄ちゃん、後輩の名前ぐらい……」

「エースだったのに……」

 ツインズはそう言うが、それは彼女たちが三年生の時、文哲の在籍期間と重なっているからだ。

 もちろん直史も、トニーなどは記憶しているし、言われてなんとなく思い出した。


 日程に関しても、年末と言うには少し早い、平日の夕方から。

 地方にいる人間などは、あまり来れないのではないか。

 それにしても白富東は、最盛期は一学年に30人近くの生徒がいたのである。

 果たしてどれだけの箱が必要になるのだろう。


 ただ今のところ用意されたホテルで、充分にスペースも料理や酒も足りそうである。

 数千万を一日で使うわけだが、妹たちはともかく、大介の金銭感覚が狂っていないかは心配である。

「まあ、最悪破産しても、年金がもうあるわけだしな」

 大介は達観しているが、六人も子供がいる人間が、そんなことを言っていて大丈夫なのか。

 直史は少しどこではなく心配になったが、そのあたりはツインズが他に資産を分散していて、要するに大介がツインズのどちらかと結婚している状態で破産しても、一方の資産は残るようになっている。

 なるほど、と納得した直史であるが、年金がもう確定しているのはうらやましい。




 忘年会らしき野球部関係者総会までには、まだ時間がある。

 その間にもWBCの話は進んでいた。

 大介は参加を承諾していたが、どうやらこれは最初に契約を新規に更新した時に、条項の中に含めておいたらしい。

 なのでメトロズは大介を止められないそうだ。

 ただNPBの経験がない坂本は、選ばれてもおかしくない実力はあるが、リストアップされていない。

 また武史に関しても、色々と難航しているらしい。


 WBCの開催時期は、三月の上旬から下旬にかけてである。

 この時期はMLBもNPBも、春のキャンプやスプリングトレーニングの時期と完全に一致している。

 シーズン開幕前の調整の時期に、本格的な試合を行わなければいけないわけだ。

 プロ野球選手というのは基本的に、シーズン全体でコンディションを整え、終盤にかけてマックスにもっていくものだ。

 人間のバイオリズムをいうのは、とても繊細な部分がある。

 WBCに出場した選手の中には、確かにこれのせいで、その年の成績が落ちたのでは、と思われる者もいるのだ。


 直史などは武史のことを、そんな繊細なタマではないと思っているので、さっさと出てくればいいではないか、とも思うのだ。

 そもそも高校時代は、センバツと夏で二回のピークがあったし、大学でも春と秋のリーグに、全日本と神宮があって、それぞれに体調のピークを合わせていった。

 もっともアメリカも野球はちゃんと全米的な大学の大会はあり、やはり違うのはプロのリーグの圧倒的な試合数だろう。

 ただWBCの球数制限は、はっきり言って甲子園よりもよほど、負担が少ないものとなっている。

 直史からすると、別に武史がいなくてもどうにかなるかな、と思うのだ。薄情な兄である。


 現在参加が決まっているピッチャーは、10人ほどであるらしい。

 上杉兄弟(スターズ)、島、小川(タイタンズ)、毒島(埼玉)、真田(ライガース)、本多(トローリーズ)、淳(東北)、津久井(福岡)、幅木(神戸)

 ベテランが多いが、若手もある程度入っている。

 ただこのメンバーでは、先発型のピッチャーが多いように見える。

 もちろん上杉や真田など、リリーフも出来るピッチャーもいるが。

 明らかにセットアッパーであるのは幅木だけであり、クローザーも毒島のみ。

 先発を先に集めた、といったところであろうか。


 とにかくピッチャーを決めなければ、短期決戦には勝てない。

 それは分かっているが、キャッチャーも重要である。

 実力と実績的には、樋口が当然選ばれる。

 ただ樋口はMLBに移籍したため、ややNPBのピッチャーとは遠ざかった部分はある。

 もっともMLBの投手も複数参加するなら、樋口はMLB、スターズの福沢かレックスの岸和田、あるいは千葉の武田あたりがNPB投手、という区分けでもいいだろう。

 ただ武田は膝の調子が悪く、レギュラーシーズンも休みがちだったため、召集に応じられるかは分からない。

 これまでのチーム編成からして、おそらくキャッチャーは三人となるだろう。


 内野で決まっているのは、まず大介である。

 打てるショートという貴重な存在は、絶対に実力的に入れざるをえない。

 そして打撃に性能が振っているという西郷や後藤なども、DHで使われることを考えても、選出はほぼ間違いない。

 守備寄りの巧打者としては、緒方や小此木の名前が挙がっている。

 だいたい直史も知っている名前が多い。


 外野はシアトルから織田が参加するそうだ。

 センターを織田が抑えているなら、ライトとレフトはやや打撃力に振ることが出来る。

「当たり前と言えば当たり前だけど、かなり移籍してるやつもいるんだよな」

 直史は日本でのトレーニングと仕事をしながらも、代表メンバーが決まっていくのを聞いていた。

 悟がタイタンズに行った他に、後藤が北海道からカップスに移籍していたりする。

 彼の場合は地元が近いから、という理由であったりするらしい。


 直史が全く対戦していない選手は、ピッチャーではカップスの幅木で、バッターはフェニックスの西岡。

 あとは名前はよく聞いていた小川といったあたりであろうか。

 考えてみれば直史は、NPBには二年しかいなかったのだ。

 坂本のようなNPBに、そもそもいなかった選手はともかく、直史のような例は珍しい。

 中にはMLBで先にデビューしてからNPBに入った、という選手も今ではいるのだが。




 直史は大介と、選手の選考について話してみたりする。

 選手目線での、こいつが味方にほしいな、というものだ。

 そして瑞希はそれを記録する。

 おそらく30年後ぐらいには、何も問題なく、この二人の同時代の選手への評価が発表されるだろう。


 とりあえず言えるのは、ショートからコンバートして起用する選手がいるだろうな、ということだ。

 かつてはセカンドを守っていた小此木などは、緒方が移籍したために、高校時代のショートに再度コンバートされている。

 あとは純粋に、悟の扱いをどうするかだ。

 現在の日本最高のショートは、直史たちの高校の後輩でもある、水上悟である。

 トリプルスリーも複数回達成し、ベストナインとゴールデングラブ賞には、ほぼ毎年選ばれる。

 だがそこに、MLBでゴールドグラブ賞を取っている大介が入ってくるのだ。

 どちらをコンバートするにも、プライドの問題が生じるかもしれない。


 重要なのはWBCでは、全試合DHが使えるということだ。

 なのでセ・リーグのチームでありながら、守備は微妙かと言われる西郷を、DHで使うというのもありうるだろう。

 同じ一塁なら、後藤の方が上手いと思われる。

 ……後藤もセに移籍してきたので、かなり頑張ったのだろう。


「実際はやってみて、連携がどうなるかだな」

 大介はそう言うし、直史としてもそうだなとしか言いようがない。

 選手単独の能力はともかく、内野の連携はどうなるのか。

「俺は別にサードでもいいけどな」

 譲ってやってもいいぞ、と言わんばかりの大介の台詞であるが、疲労度の低いポジションの方がありがたいのは確かだ。


 来年は直史の現役ラストイヤーになる予定である。

 そのためにMLBのレギュラーシーズンは、絶対に故障をせずにコンディションを整えなければいけない。

 だが同時にこのWBCも、二人で戦う最後の大会になるであろう。

 本気ではない試合であれば、今後もいくらでもあるかもしれないが。


 二人は味方の参加者については、あとは武史が気になるぐらいである。

 大介はともかく武史は、メトロズとこういった大会に関する参加を、契約の中に盛り込んでいない。

 だが本来WBCはMLBが主催しているものであり、そのあたりはいったいどうなるのか。

 なんなら第一ラウンドと第二ラウンドの間に、ピッチャーは二人入れ替えることが出来るので、そこで交代という手段もあるだろう。

 第二ラウンドのトーナメントは、ベスト8からの三試合で決着がつく。

 武史のスタイル的に、どれか一試合に先発するぐらいしか、使いようはないだろう。

 あとこの二人は、武史のある面だけはものすごく評価している。

 野球においてはまずどんな場面でも、メンタルから崩れることがないというものだ。


 そして味方ばかりでなく、対戦する相手のことも考える。

 MLBの存在するアメリカと、そして第一ラウンドで同じグループに入っているキューバの動向である。

 果たしてアメリカのMLB各球団は、どこまで主力の参加を認めるのか。

 それとキューバはチームに、アメリカに亡命した選手を受け入れるのか、というものである。


 以前にはキューバ人は、亡命した選手だけでチームを作り、参加を表明したことなどもある。

 たださすがにこれは通らず、断念することになったが。

 今回もまだ、どういう扱いになるかは微妙なところである。

 直史からすれば、キューバ人はWBCに出場しない上手い言い訳を持つのだな、と皮肉な言い回しになったりもするが。


 ただ本当に現役メジャーリーガーの多くを召集出来るとしたら、キューバは一気に優勝候補になりうる。

 現在はMLBに所属していない選手のチームによって国際ランキングが作られているが、それでも一桁なのだ。

 ちなみに日本の国際ランキング一位は、普通に直史や大介も戦力として数えられている。

 実際に以前には、国際大会に出ているからだ。




 しかしこうやって改めて見ていても、MLBは本当に世界各国から、そのトップ選手が集まっているのが分かる。

 韓国や台湾といった、世界ランキング上位の国の、ほんの上澄みもMLBに所属しているからだ。

 確実にMLBトップレベルであり、それなのに自国のリーグにこだわっているのは、それこそ上杉ぐらいではないかと思える。

 上杉の場合は実際に、MLBにおいてクローザーとしても先発としても大活躍した。

 その上杉が完全にやる気満々で、WBCに参加するのだ。


 鉄人上杉であっても、今年でもう年齢は34歳になった。

 一度は選手生命の危機という故障から、よくも復帰したものである。

 だが次のWBCには、もう参加できないかもしれない。

 それは直史も同じことだ。こちらはもう引退が決まっているが。


 キャリアの終わりが見えてきている。

 30代の半ばというのは、それを意識する年齢だ。

 だいたいフィジカル頼みでやってきた選手は、このあたりで限界を迎える場合が多い。

 上杉の場合は、今でこそもうなんともないが、一度は復帰が絶望的とまで言われたのだから、より引退への道筋が見えているのかもしれない。

 大介には分からないであろうが、直史には分かる。

 大介の場合はおそらく、次のWBCにも平然と参加している気がする。


 韓国や台湾を見ても、現役のメジャーリーガーや、元メジャーリーガーがメンバーに名を連ねている。

 ちなみにNPBに所属している、台湾の選手も台湾代表として出る予定らしい。

 キューバだけではなく、他の色々な国を見ても、その主力となりそうな選手は、ほとんどがメジャーリーガーだ。

 このあたりがやはり、NPBの方がMLBより強い、などと断言できない理由なのだ。

 直史のような保守的な人間でも、日本の方がアメリカよりも強いとは、なかなか断言できない。

 アメリカのMLBというのは、全世界からトップレベルの選手を、その高額の年俸で獲得しているものなのだ。

 才能と実力に対しては金を払う。

 とても真っ当な商売の仕方ではある。


 今度の野球部関係者の集まりには、まさにメジャーリーガーから、高校野球の監督まで、様々な人間が出席する予定だ。

 またマスコミ関連ということでは、出版社の手塚や、それこそ瑞希が出席する。

 なんともカオスな場になりそうだが、果たして無事に終えることが出来るのか。

 ただの忘年会のはずなのだが、懸念がぬぐえない。

「イリヤが生きてたらな」

 大介がその名前を口にした。

 直史としても、少し言葉に詰まる。


 結局彼女は、直史と大介がMLBで対決するのを、見ることが出来なかった。

 いまだに未発表のまま、眠っている曲を数千も持っているイリヤ。

 もしも彼女が、二人の対決を見て触発されたら、どんな曲を作っただろう。

 あるいは曲だけにとどまらず、なんらかの動きを見せたかもしれない。


 イリヤとは一番仲の良かった、ツインズも口が重くなる。

「カノンは、どうなんだ?」

 イリヤの残した、曲以外の最大のもの。

 その娘であるイリヤ・カノン・白石は大介の養女となっている。

 今も祖父母と一緒に、直史の子供たちと遊んではいる。

「血は争えないって感じかな」

 大介の言葉に、ツインズも頷いていた。


 芸術的な才能というのは、果たして遺伝するのであろうか。

 それを確実に証明することは、はっきり言って難しい。

 人間を構成するのは、生来の素質と育成の環境が、それぞれ五割ぐらいであると言われている。

 ただ、まだ四歳のカノンが既に、ピアノやギターなど、とにかく楽器ならなんでも興味を持つというのは、やはり母親の影響があるのだろう。

 ツインズが加えて、音楽的な知育玩具を与えている、という影響もあるだろうが。


 同じ時間の、同じ空間を生きた、と直史も大介も言える。

 イリヤは別に野球部のマネージャーでもなく、セイバーの知り合いでしかなかった。

 ただ彼女は、白富東に曲を作った。

 そしてツインズと共に、世界に音楽を流したのだ。


 年齢を重ねていくと、人生の楽しみというのを実感するようになる。

 もちろんそれは楽しいばかりではなく、苦味や重みもあったりするが。

 全てを含めて、それが人生。

 だがやはり、イリヤは死ぬのが早すぎた。

 死んでからもリスペクトする人間が多く、影響力は失われていない。

 そんな彼女がまだ生きていたら、果たしてどんな人間になっていただろうか。

 娘のカノンの中に、その面影を見ることで、大介たちは想像するのだ。


 三月のWBCに向けて、まだ様々なことを、この12月中に行わなければいけない。

 直史も大介も、千葉や東京の関東圏で、色々なことをするのだろう。

 年が明けてからは、本格的に動き始める。

 その前には武史も日本に戻ってきて、WBCへの参加が決まるかどうかは分かっているだろう。

 まだ雪も降っていないが、既に12月。

 また一年が過ぎて、そして新しい一年へ。

 直史にとっては、人生でおそらく、最後の大きな選択をすることとなる年。

 終幕に向けて、周囲の状況は、加速しながら変化していくように感じるのであった。

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