2-3 季節のパフェはイチゴパフェより高い
私はもう十何度と通った病院から駅へのもう見慣れた帰り道を歩いていた。
初めて彼女が入院する病院へ行った日のことを思い返してみると、バスは無いわ、箱は喋るわ、手土産は忘れるわと散々だったが、公園で売っていたオルゴールを買って持って行ったら喜んでくれたのは良い事だったと思う。
慣れた足取りで大通りを歩くと、いつもの喫茶店が見えた。『Em』と書かれた看板が飾ってあるこの喫茶店には、病院の帰りに必ず寄っていた。病院の帰りという言い方になるのは、面会を彼女が体調などを理由に断ったり、そもそも病院側が断ったりすることがあったからだ。だから、この病院帰りの回数と見舞いに行った回数は決して等しくないのだ。
夏も終わり、学校も始まったので病院へ行ける週当たりの回数も減った。未だに私は病院へ行かなくてはならない事実がもどかしい。早く治ってくれという思いは日に日に増していくばかりだが、それに対して彼女に良くも悪くも変わった様子はない。
木製の扉を開けると金属の打ち合う音が聞こえる。カウンターの先にいるのは私と一個下の女の子、デフォであった。
「あ、こんにちは。好きな席にどうぞ」
デフォは好きな席へといいつつ、その目線は私がいつも座る席に向けられている。私はその目の動きに乗るようにしていつもの一人用のテーブル席に座った。壁に掛けられた百合の花の写真の下に座ると、デフォがメニュー表を持ってこちらへ歩いて来ていた。
デフォはこの店の店長の娘であり、この店の手伝いとして店番をしている。店長さんはほとんどの平日は町内会の集まりなどで店に居ないことが多く、暇な平日の午後は基本的にデフォ一人で店を回していた。そもそも、この『Em』は枝道の角にあるのもあって客が多く来る店ではない。それに来客自体もデフォと見知った顔であることが多いらしく、客が来たら来たで主な客の年齢層との差もあり私が肩身の狭い思いをするだろう。
私がそんな思いを抱くリスクを抱えながらもこの店に足を運ぶのはゲン担ぎのためと、デフォの存在からである。初めてこの店に来たときにギターの演奏を披露することになり、デフォの言葉が彼女の言葉のそれであったことからデフォのことは嫌いではなかった。
そんなデフォと出会ったのは全くの偶然だった。
初めてのお見舞いの帰り、バスに乗って直帰する気になれなかった私は何となく彼女の病院のある町を歩いた。ムスタングが相変わらず肩掛けを体に食い込ませながら早く帰れと言っていたのもあって私は座れる場所を探した。駅に何もないような町にあまり期待はなかったが、同年代の女の子がホースで水やりをしている姿を路地の先に見つけた。視線を運べば、喫茶『Em』の看板があり、その名前に惹かれて近寄ると、水やりをしていた彼女は物珍しい同年代の客らしき存在に興奮して私の袖を引っ張り店へ入れたのだ。
私は別に対して読む気もないメニュー表をデフォから受け取る。
「ありがとう、出穂ちゃ、いや、デフォ」
「ふふ、そうそう。マキコ先輩」
彼女は自分のことをデフォと呼ばせたがる。正直、あだ名で呼ぶのは慣れないが、デフォがそう望むのならそうしたい。デフォには少なくない恩がある。
「ご注文は?」
「もう少し見てから決めるよ」
そう言うとデフォは何らかの仕事をするためにカウンターへと戻った。私はそれを見送ってメニュー表に目をやり、別に対して興味もない文字列を送っていく。私が見るのは二つだけなのだ。
・季節のパフェ 1,280
・いちごパフェ 980
私の時給より高いこの二つ。
私は初めてこの店に来た時から、季節のパフェが食べてみたくてしょうがない。しかし、季節のパフェを食べるということは季節を知るということだと、私は知っている。それは見舞いに行く時間が長いことの証明でしかない。だから、いちごパフェを注文する。安いから、と言って。
「ねぇ、デフォ。そう、今日もいちごパフェにしようかな」
カウンターのデフォに話しかけるとデフォは「わかりました」とだけ言い、パフェを作り始めた。
***
「また来てね」
マキコちゃんを見送り、あたしは空になった容器を下げる。
マキコちゃんはいつも病院の帰りにこの店に寄る。病院の帰りとわかるのは、マキコちゃんがお見舞いの帰りと言ったことがあったのと、微かに消毒用アルコールの匂いを纏っているからだ。
毎回思うのだが、マキコちゃんはこのパフェの何が好きなのだろうか。このパフェは大していちごがあるわけでもない、なんなら大体がジャムと生クリームだ。正直、あたしなら何度も頼むものではないし、メニューから無くしたいとすら思っていた。季節のパフェへの誘導用だとしても、あまり気分の良いものではない。しかし、マキコちゃんが食べるのなら、残しておいてもいい。というより値下げしたっていい。お父さんに話せば少しくらいはしてもらえるだろうし、ダメだったとしてもこっそり減らせばいい。いつも酔ってるんだからばれないだろう。
父が帰ってきたら話すことを心のメモ帳に記し、片付けを進める。洗い物も終え、ひと段落つくといつもの暇な時間が訪れる。やりたくないけれどやらなければならない地理の課題でもやろうかと思ったが、電話の着信音が鳴った。見慣れた従姉の名前が表示され、何一つ迷わず電話に出た。
「もしもし、今、大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫だわ。電話しても良いって。それで、そっちは平気かしら?」
「電話に出た時点で分かってるでしょ」
「あら、そういえばそうね」
あはは、と上品な笑い声が聞こえた。電話先はきっと病室。彼女が何も言わないなら、何も言えない。おそらくだが彼女は誰にも事前に許可を取っていない。彼女は事後に取る人で、取れる人なのだ。
「ははは、従姉だってのに、未だに何を考えているのかわかんないや」
「同じ学年になったこともあるのにね」
やけに嬉しそうな声だった。
あたしなら一つ下の従妹と同じ学年になったことがある、なんて楽しくなるような話題ではないのだけれど、彼女は違うらしい。正直、どう気をつかえばいいかわからないからやめてほしい話題だ。基本的には彼女の行動を尊重したいが、どう返せばいいかわからないものを渡されるのは困るしちょっと嫌だ。返答に間違って彼女を傷つけたくない。だから、そのもう話題をしないで欲しいなぁ、という思いを込めて対応する。心配しながらもちょっと楽しげな声色で、、明るく、元気に。
「それは楽しい会話に混ぜていい事じゃないでしょうに」
「私は楽しかったわよ?」
いつも通りの言葉だ。どうもうまくいかない。いや、伝わった上で、いつもやってるのかもしれない。このテンプレートを楽しんでるのだ。だとしたら、受け入れてあげるべきなのかもしれない。
ふと、マキコちゃんとの気楽な会話を思い出す。彼女の元気な声の彩りが欲しい。
「それは良い事なんだけどさ」
「あ、そういえば、なんかいい事でもあったのかしら?」
思い出したことが少し出てしまったのだろうか。しかし、誤魔化すようなことでもないので包み隠さずに話すと決めた。
でも、その前に聞いておきたいことがある。
「そうね。いい事はあったよ。でもさ、相変わらずなんだけど、なんでわかるのさ」
あたしの問いかけに、「んー」と悩む声で返した。こういった間を取ることが珍しかったので、あたしは何もできずにただ待った。
「そうね、声がいつもより明るかったから」
「それ、聴覚の話?」
「いいえ。色覚になるのかしら」
「いつ聞いても想像つかないよ」
彼女は度々、声に色がついているかのように話す。何度か尋ねることで、音自体に色が見え、聞こえるのだろうと理解できた。それから何度も彼女の言葉でその体験を聴いたが、どんなものなのか具体的に何かが浮かぶことはなかった。そもそもが仮定と推測からの話だ。彼女があたしをからかっているということもあり得る。
「ふふ、あなたに私の聴覚を体験させてあげられないのが、私の心残りかしらね」
また、彼女が別れを匂わす。
「すぐそういうこという」
あたしの言葉に怒りを感じ取ったのか、彼女はすぐに「ごめんなさい」と謝罪する。これでしばらくは言わないだろう。何とかして言わないようにしたいが、長い目で見ていくしかない。
今後の計画に想いを馳せてると、話を戻すために彼女があたしに起こったいい事について尋ねてきた。
「あぁ。あのねぇ、ま、簡単に言っちゃうとさ、良いお客様が来てたの」
「あら」
彼女の言葉から好奇と歓喜の気配があった。ただ、何をもってその気配を纏ったのかがわからない。
「どうしたの?」
抱いた違和感そのままに尋ねるも、少し嬉しそうな笑い声で返答されてしまった。どうしたものかと悩んでいると、彼女は不思議なことを聞いてきた。
「そのお客さん、何を頼んだのかしら?」
別に隠しておくような個人情報じゃないと判断し、答える。
「ああ、いちごパフェだね」
「随分と可愛らしいのね」
この言葉は先ほどの相槌とはまた違う気配を纏っていた。少しがっかりしてるのと、それ以上の喜びといったところか。それに合う言葉もあるのかもしれないが、思いつかない。そして何より、その喜びに違和感がある。何というか自分事のように喜んでいるのだ。ここで断っておくと、彼女は別に他人に起こったことで喜ばないような性格が悪い人ではない。だが、今回の一言にはいつも聞く喜びではない、何かもっと複雑、あるいは巨大なものがあるように感じた。
「その良いお客さんは良く来るの?」
あたしが客の話をしたのがよほど珍しいのか、だいぶ食いつきが良い。まあ、普段はおじさんおばさん相手が常だから珍しいといえば珍しいのだが。
「そう。良く来るね、数えてないけど、夏あたりから少なくても週に一度は来るね」
本当は数えてるけど、それは少し恥ずかしいから言わないでおく。だけど、彼女はあたしが何か隠しているのを感じたのか、それを覗くように黙った。このままだと暴かれてしまいそうでマキコちゃんのことを少し、マキコちゃんだとわからないであろう範囲で話すことにした。
「いつもいちごパフェを頼むんだけど、毎回メニュー表を見てね、季節のパフェと悩んでいるの。それでね、凄く嫌そうな顔を少しして、いちごパフェを頼むの。眉間にしわ寄せて、勿体ない感じになっちゃってさ。ちょっと不思議だよね」
「あらそうなのね」
あたしの言葉に嬉しさ満開といった勢いで彼女は声をあげた。何がどうなってそうなるのか、あたしにはさっぱりだ。
「なんで嬉しそうなの?」
「んー、季節のパフェを頼むと今が何月なのかわかるじゃない」
「どういうこと?」
「さぁ?私は本人じゃないからわからないわ」
少し熱が冷めたのか、落ち着きを取り戻しているようだ。だが、あたしとしてはもう少し浮かれて口を回して欲しかった。意味が分からないまま、忘れるまでもやもやして過ごすだろう。
ぐるぐると考え込んでいると、彼女から落胆混じりの声が聞こえた。
「でも、てっきり彼氏が来てたのかと思ったわ」
「そ、そんな人いないよ。正直、良い人いたら紹介してほしいくらいだよ」
「私に縋るほど?それは少し心配になるのだけれど」
まあ、本気で彼女に頼るつもりはない。が、彼女の潜在的な人脈がふと頭をよぎり、あるいはもしかしたらと思ってしまう。
「まあ、早く元気になってさ。そういう話もこっちでしようよ」
「ええ、そうね。そうよね」
「私の一つ上の歳でね。いつもはおじさんおばさん相手にコーヒーだから、楽しいの」
「良かったわね」
「うん。そういえば前に聞いたんだけど、その人が初めて来た日、バス停で………」
「バス停で?」
ふと、このまま話していいか迷う。あの日、マキコちゃんがギターを弾き終えたあとに話してくれた出来事、あの箱のこと、この町にあるオルゴールのこと。あたしの知る話と合わせると、話さない方がいいのかもしれない。
「うん、バス、に乗り損ねたらしいの」
「無計画な人なのね」
「そうだね」
あたしが話を逸らしたことは伝わった。だから彼女はそれでお終いにするだろう。
「でも、そんなにお話しできるお客さんが来てよかったわね」
予想通りちゃんと話を合わせてくれる。
「うん。ほんとに良かったよ。なんかね、親近感というか、そういうのもあるんだよね」
「親近感?」
「そう。詳しくは言えないんだけどね。ぷらいばすぃがね」
「あははは、でもだいぶ話してるけどいいのかしら?」
「え、大丈夫だよ。だって誰か特定できないでしょ」
「そうかしら、お話を聞く限り、私の知り合いに似ているわね」
「知り合い?居るんだ」
純粋に驚きだ。彼女は別に天涯孤独とかそういった人ではないとは思っていたが、実際に言葉で本人から言われるとそのインパクトは大きい。
「失礼ね。私だっていつもいつもベッドと恋愛しているわけじゃなくってよ」
「それは良いことを聞いた」
「それなら良かったわ」
彼女は鼻息を鳴らす。そして、今回も忘れずに感謝を口にする。
「そうそう。お化粧、教えてくれてありがとうね」
夏頃、彼女は急にお化粧のやり方をあたしに教えてくれと頼んだ。道具を手に入れるのは苦労しないから、やり方をと頼む彼女にちょっとばかしの嫉妬はあったものの、面白さの予感の方が圧倒的に勝り、それ以来あたしは彼女の先生だ。ビデオ通話なども混ぜつつ、あたしの指導は続いている。
「毎回言わないでもいいよそんな」
「ふふ、だってずっと教えてくれるから」
彼女はある程度の段階で満足しているようだったが、彼女の潤沢な道具と元の顔の良さという究極に整った環境を手放すのは惜しい。それになんの目的があるのかは知らないが、知識と技術は多い方が彼女の助けになるという思いもある。だからいつも同じことを言って指導を長引かせる。
「数回電話で伝えた程度で終わるほど、底の見えやすいものじゃないのよ」
「いつも思うのだけれど、あなた、お化粧のことになると歴史の先生みたいね」
「変な例え」
「そうかしら」
「そうよ、あたしは心配だわ。変な男とか、そういうのに引っ掛からないでね?」
彼女はちゃんとしているところも多いが、それと同じくらいの危うさもある。環境しかり、思考しかりだ。だからこそ、見ておかねばという気もするし、手伝わねばという気も起る。心配するといつもなんの根拠も挙げずに「大丈夫」と返すのもまた心配を掻き立てる。
「大丈夫って言うけどね、何の自信があるっていうのさ」
「宇宙の果てに向かおうとする人は居ても、太陽を抱こうとする人は居ないでしょう?」
「そうやって煙に巻いてさぁ」
ため息交じりにそういうと、こっちの気も知らない彼女の笑い声が聞こえた。少し額を掻いて、説教でもしようかと意気込むと、扉のガラスにできつつある人影を視界の端に捉えた。
「あ、お客さんが来ちゃった。ごめんね」
「あら、じゃあ看板娘さん、頑張ってね」
そのままじゃあねで電話を切ろうと思ったが、一つ確認したいことがあったのを思い出した。切り際に滑り込むように尋ねる。
「ねぇ、黒い箱を知ってる?」
「いえ、知らないわ。探し物なら私、無力よ?」
「いや、ごめん。勘違いだった。じゃあ、またね」
電話を切った辺りで扉に付いている鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ~」
***
「またね、だって。いい子よね」
通話の切れた携帯電話をその辺に放り投げる。棚の上で滑り、彼女がくれたオルゴールに当たって止まった。
「あなたはだぁれ?」
扉に恰幅の良い紳士服を来た紳士的な老人が居た。今日はもう面会の予定は入っていないし、新しい確認もなかった。そのため、必死に記憶を掘り返したが、この老人のことは一切わからない。会ったことのない人であるのは間違いなかった。
老人は帽子を取り、礼をすると棚の上のオルゴールを指さした。
「このオルゴール?」
指さされたオルゴールは、友人が初めてお見舞いに来たとき、持ってきてくれたお土産だ。オルゴールの形は正方形で、一か所だけネジ穴が空いている。そしてネジでぜんまいを巻いてネジを抜くと、上面がひっくり返りピエロの男性が踊り、演奏が始まる。これの凄いところはどの面が上面であっても必ずひっくり返りピエロが踊るところだ。どの面には勿論ネジ穴がある面も含まれる。その不思議な機構には興味があるが、解体しようにもばらせそうな箇所が無いのだ。構造の訳の分からなさも凄いのだが、さらにもう一つの特徴がある。このオルゴールの演奏は色が見えないのだ。
オルゴール職人は、このオルゴールが欠陥品であるため贈り物にされると困ると言った。
「ごめんなさい。これは私の、なんとなく仲良しな友人がくれた宝物なの。例え欠陥品であったとしても、返す気にはなれないし、交換するつもりもないわ」
私の言葉に納得したのか、諦めたのか、一旦は引くことを選んだのか、オルゴール職人は部屋から出ていった。
「………あの子は一体、何からオルゴールを買って、それを私に寄越したのかしら」
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