ガラスのペンダント
雨に濡れて立つ。雫の光る窓の向こうの人物を待つ。その背中は、小さな存在と会話していた。
事の始まりは昨日。ソウが金属探査機を眺めていた時。
「急速ニ接近スル反応ヲ発見。回避シマスカ?」
仕事の相棒である、ロボットアーム用AI・ニックが声を上げる。
「いや……」
この反応は、恐らく非常脱出カプセルだ。中に遭難者がいる。生死は不明だが、回避すれば地球の重力に吸われて大気圏で燃え尽きてしまうだろう。
「回収する。ニック、頼んだ」
宇宙船をカプセルの軌道上に移動させる。ニックの操るロボットアームが、虚空の闇を滑るそれに伸びた。
「三、二、一……」
船体が衝撃で揺れる。カプセルの捕獲に成功したようだ。ソウは操縦席を離れ、貨物室へと急いだ。
回収されたカプセルは新しいものだった。ハッチをこじ開け、中を覗いてみると……
「……ン……ンン……」
手足を縛られ、猿轡を噛まされた女が一人。
「もう大丈夫だからな」
ソウは縛めを解いた。……ところが。
「両手を上げて」
女は拳銃をソウに向け立ち上がった。
「何なんだよ?」
ソウは要求に従い、ゆっくりと距離を取る。
「地球に行って。ヒースロー宇宙空港よ」
「訳ありっぽいな。事情を話して……」
「依頼じゃないの、命令よ」
やれやれ、とんだ疫病神を拾ってしまったようだ。ソウははいはいと返事を返し、操縦室へと向かう。女は銃口を外さず、ソウの後に従った。
パネルに座標を入力する。
「ニック、着陸準備を頼む」
「宇宙保安隊ニ連絡ハ……」
「そんな事したら殺すわよ」
「だそうだ、ニック」
一通り作業を終えると、ソウは紅茶を淹れ、女に差し出した。
「客人には俺のこだわりの紅茶を飲ませる事にしている」
戸惑いながらも、女はカップを受け取った。
「紅茶派なんて珍しいわね」
「英国紳士なんでね」
女はカップに口を付け、フッと笑った。
「自己紹介してあげる。私はアン。──『マダム・アン』って言えば、子供でも知ってるわ」
ソウは目を見張った。惑星間指名手配の大泥棒。マスコミを騒がせない日はない。
「それが、どうして……」
「仲間に裏切られたの。お宝と船を奪って、私は非常カプセルでポイ。あんたが助けてくれなかったら、今頃灰になってたわ。ありがとう」
そう言って、ポケットから何やら取り出しソウの手に乗せた。
「……これは?」
宝石に疎いソウでも分かる、段違いの煌めき。圧倒的存在感の指輪だ。
「借りを作るのは嫌いなの」
「いや、俺は要らない。それより……」
指輪と一緒にポケットから落ちたペンダント。床から拾い上げて、ソウは首を傾げた。どう見てもガラスだ。小さなガラスビーズで花の模様を形作っている、少女趣味な玩具。マダム・アンにはあまりにも不釣り合いだ。
アンはソウの手からそれを奪い取った。その影のある表情をしばらく見ていると、アンは苦笑して口を開いた。
──アンは貧乏だった。娘を授かるも、男に逃げられ生活に窮した。アンは苦渋の決断をし、幼い娘を里子に出した。
心にぽっかりと穴が開いたアンは、全て貧乏なせいだと思った。金持ちになって、いつか娘を迎えに行く。しかし、貧しいアンが金を稼ぐ手段は泥棒しかなかった。
「もうすぐ十歳の誕生日なの」
アンは、キラキラと揺れるペンダントを眺めた。
「汚い金じゃなく、真面目に働いた金でプレゼントしたくてバイトしたんだけど、こんなのしか買えなかった」
「いいママだな」
ソウが言うと、アンは驚いた顔を見せた。
「やめてよ冗談は。……あんた、いい人ね。ついでにひとつ、付き合ってくれない?」
──そしてソウは雨の中、アンの我が子との再会を見届けている。
「ここに居て。じゃないと、私、逃げ出しそうだから」
アンはそう言って、里子先のパン屋に入った。
雨粒が照明を乱反射して宝石のように輝いている。雨音で会話は聞こえない。レジの少女は笑顔でアンに接している。
やがて、アンは戻って来た。店が見えなくなるまで歩いて足を止める。その肩は震えていた。
「プレゼント、渡せなかった……」
山ほどパンが詰め込まれた紙袋を濡れないように抱えて、アンは涙を拭った。
「幸せにやってるあの子に、私が本当のママよなんて、言えなかった」
ソウは濡れた肩に手を置く事しか出来なかった。
涙が尽きるまで泣き、アンは顔を上げた。そして、パンを口に放り込んだ。
「美味しいわよ。食べて」
アンは紙袋をソウに押し付けた。
「悪いけど、もう一か所付き合ってくれる?」
「……自分で行けるだろ」
「マダムにはエスコートが必要なの」
アンは悪戯っぽく笑い、ソウを見上げた。
翌日のニュースは、マダム・アンが自首をした話題で持ち切りだった。
操縦席からテレビを眺めながら、ソウはパンをかじった。と、紙袋の底に違和感を覚えた。見ると、小さな封筒が張り付いている。
『借りを作るのは嫌いなの』
そう書かれた封筒の中身は、ガラスのペンダントだった。
「こいつに似合いそうだな」
ソウは傍らの赤いテディベアにそっと掛けた。
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