第22話 鬼ノ子村の配信映像

 徳蔵は二日後に危篤状態から目覚めた。“語り部”参加者の誰もが新庄の命を狙ったものだと疑ったが、県警は熊狩り中の事故としてお茶を濁し、鬼ノ子村から最も近い市民病院に搬送され、警察官の監視付きとなった。監視が解かれる頃から徐々にリハビリが始まり、緊急入院から3ヶ月が経った。それまで見舞いに来る者は一人もいなかったが、それはその後も変わらなかった。日が経つに連れて時折、徳蔵の様子が可笑しくなった。

「オレの鎌を何処にやった」

「カマ !?」

「どこに隠した!」

「カマは俵さんのお家にあるんじゃないですか? ここは病院ですから、カマは有りませんよ」

 目が覚めると決まってそうした会話が繰り返された。看護師や担当医に異常な警戒心を向ける時が増えて来た。医師が認知症の検査をすると明らかに発症が認められた。症状は手術で使う酸素や鎮痛剤の服用による影響でせん妄を引き起こす場合もあるが、認知症なのか一時的な症状なのかは経過観察が必要となる。徳蔵のように入院後に同じような状態になる患者は多い。入院前は何の異常も見られなかった患者が、入院をきっかけに認知機能を低下させることは少なくなかった。それは高齢者に限らないことだが、確かに高齢であるほど認知症を発症する確率は高かった。入院は想像以上に患者に精神的ストレスを与える。入院宣告の不安の中、病室に入ると多くの各種書類を提示され、患者にとって煩わしい記入などの手続きを強いられる。手術などの重要治療の度に渡される承諾書への記入は、付添いなしの高齢患者にとって大きなストレスになる。慣れない入院生活での治療サイクルに順応するまでは、その緊張が解かれることはない。認知機能への悪影響は入院環境にもある。個室にしろ大部屋にしろ、白いカーテンで仕切られる狭い空間は孤立に陥る。その狭い空間の中で20時の消灯から6時の起床まで、病床から天井を見つめながら闘病の苦痛と不安が助長する。人と接触するのは治療時とナースコール以外にない。今は殆どの病室に有料テレビが設置されているが、イヤホン使用を指定されている。高齢者にとってはそれすらストレスになる人もいる。いずれにしても自宅で過ごしていた環境とは急にかけ離れた状態で、日々の治療に不安を覚えながら長い一日の繰り返しが続く。

 入院が長期になると、多くの患者は医師看護師任せになり、自力回復の意志も薄れ、自主歩行による体力回復の意欲より、ベッドに横になっている時間が増えていく。これを安静臥床というが、安静起床によって日常機能が失われる入院関連機能障害(HAD)は、患者が退院後に初めて自覚することが多い。入院中に看護師が言っていた言葉、 “出来るだけ歩いてくださいね” “出来るだけ噛んでから呑み込んでくださいね” の言葉を何気なく聞いて、余計なお世話と聞き流していたが、その言葉の重さを退院後に知って後悔する。歩くこと、噛むことが回復への最大の近道なのだ。高齢者の入院に於いては、その30〜40%が歩行困難の障害が確認されている。2019年の厚生労働省「認知症施策推進大綱」によると65歳以上の7人に1人が認知症といわれている。最悪の場合、入院中に一時的な症状から重度の認知症を発症し、徘徊、大声、看護師や他患者への暴力などに至るような場合は、病院側から退院を促され、介護施設への転院を模索することになる。転院先が見つからない場合は精神科が設置されている救急病院などに移送を余儀なくされる場合もある。日本に於ける精神科医療の遅れが驚くべき緊急事態であることは、殆どの国民は知る由もない事実であろう。


 退院の日が近付いた頃、徳蔵のもとに面会者がやって来た。

「…誰だ」

 徳蔵は看護師に猜疑の目を向けた。

「ご近所の方のようですが…徳蔵さんにそう言えばわかるからとお名前を仰らないので…どうなさいます?」

 徳蔵は面会に来たのは加藤だと確信した。

「分かった、入れてくれ」

 看護師が去って間もなく現れた面会者に徳蔵は表情をこわばらせた。

「おまえ!」

 新庄だった。

「徳蔵さん、お久しぶりです。お体の具合はいかがですか?」

「・・・」

 新庄はフォールディングテーブルに花束を置いた。

「住民の方々が温室で育てた花です。皆さん、あなたの退院を祈ってます」

「・・・」

「見舞いに来る人間が私じゃないほうが良かったかもしれませんが、皆さん、徳蔵さんの見舞いに伺うのは敷居が高過ぎると…」

「…おまえは勝ち誇りに来たのか」

 新庄はにんまりして応えた。

「そのとおりです」

 徳蔵は怒りで震え始めた。

「早く元気になって退院してください。戦いはこれからでしょ、徳蔵さん。あんたはもっと打ちのめされる必要がある。後悔と恐怖の地獄を拝ましてあげたいんですよ」

「出て行け!」

「ではお待ちしてます」

 新庄は大声を聞いて駆け付けてきた看護師と出会った。

「あの、何かあったんですか !?」

「随分と元気になったみたいですね。退院まで宜しくお願いします」

 その後、徳蔵は目が覚めたように正気を取り戻し、その後のリハビリには人が変わったように励むようになった。


 鬼ノ子村は連日吹雪が続き、すっかり雪に埋もれた。沼田耕一は新庄の口添えもあり、小笠原村長の計らいで除雪業務を委託されていた。新庄が移住して来る前の沼田は、鬼ノ子村を離れて除雪技術者として東北6県を転々としていた時期もある。除雪車には除雪トラック、ロータリー除雪車、除雪グレーダ、除雪ドーザやトラクタショベル、小型除雪車などの種類があり、大型特殊免許の経験を要するため、経験と腕のある沼田は何処に行っても重宝された。時折、カネ子が出張先を訊ねてくれることが沼田の何よりの幸せだった。かつて、母親と二人暮らしだった沼田は、渡辺キヨの悪意ある噂で孤立を余儀なくされた経緯があるが、幼馴染のカネ子の励ましもあり、引籠りだった沼田は免許を取るために外に踏み出すことが出来た。しかし、結婚まで約束するに至ったカネ子は徳蔵のために不幸を強いられてしまった。除雪業務を委託されるまでになれたのはカネ子のお蔭なのだと、沼田はいつも除雪車の助手席にはカネ子の存在を意識して作業に励んでいた。

 今日も夜明けから吹雪の中、除雪作業を開始していた。ブルドーザはいつも国道沿いの俵邸前を通る。国道から覗く限り、俵邸の門の中は雪が積もったまま除雪の手入れの様子はなかった。しかし、今朝はその様が一変していた。邸の玄関に続く道がすっかり除雪され、庭園を埋め尽くしていた雪も殆ど片付けられていた。沼田はもうすぐ徳蔵が退院して来ることを確信しながら通り過ぎたバックミラーには、遠くなる俵邸の門から出て来る3人の影があった。


 徳蔵の退院の日、加藤邦治と郁子が迎えに来ていた。

「オジちゃん、退院おめでとう!」

入院中に見舞客は招かれざる新庄一人だけだった徳蔵にとって、郁子のありきたりな迎えの言葉に感極まった。鬼の目にも涙である。入院中の孤独が窺える一コマだった。

 徳蔵が長く空けた自宅に帰ると、門の中の庭園はすっかり除雪と冬囲いの手入れがされていた。庭園を進むに連れて入院中に委縮した心が徐々に解かれて行った。玄関に入ると夥しく郵便物が積まれていた。俵邸の鍵を預かった加藤邦治が配達された郵便物を出してまとめて置いたものだ。気を良くして書斎に腰を下ろした徳蔵に郁子が熱い緑茶を淹れて来た。徳蔵はご満悦だった。

「流石に徳蔵さんは不死身です。あれだけの怪我を負いながらこの復活は神憑っています」

 俵邸での加藤の第一声は相も変わらず徳蔵へのご機嫌取りだった。加藤は玄関の郵便物を豪華な螺旋細工の座卓に持ち込み、一通一通徳蔵に示して行った。不必要な郵便物を徳蔵は屑籠に捨てるよう顎で指示していった。その徳蔵の表情が急にきつくなった。督促状とある。徳蔵は加藤から乱暴に奪い取り、封を切って中の書類に目を通した。見る見る徳蔵の怒りが露わになった。

「どうしました !?」

 加藤が恐る恐る聞いた。

「今まで誰のお蔭でこの村を切り盛りしてこれたと思ってるんだ! このオレに督促状などと…」

 必死に怒りを抑えた徳蔵の呟きには、加藤も郁子も今までに見たことのない怨念が渦巻いていた。


 徳蔵は退院したばかりの身を引き摺って役場に向かった。小笠原村長が笑顔で出迎えた。“督促状” の一件で徳蔵が来ることは予期していた。副村長兼村づくり振興室長の吉田翔が同席した。

「お見舞いにも行かず不義理をしました。どうしたものか迷いましてね。自分が入院した場合、やつれている姿は見られたくないなと…」

「どういうつもりだ」

「はい… !?」

 小笠原村長は敢えて丁寧に聞き返した。

「仰っている意味が…」

「督促状だよ!」

「督促状が何か?」

「何故こんなものをよこすんだ、嫌がらせか!」

「どうもお話の趣旨が伝わらないんですが、督促状に関してなら会計課長の高関にご説明させましょう。高関くん!」

 会計課長の高関が急ぎ足でやって来た。

「督促状のご説明をしてくれ。徳蔵さんは退院したばかりなので簡潔にな」

「承知しました。ご説明させていただきます。俵さんには先々月以来、数回に渡り納税のご案内をしましたが、あくまでも手続き上のことでして、ご入院というご事情もおありなので…」

「そういう事を聞いているんじゃない!」

「どういうことを !?」

「俵家がこれまでどれだけ村に貢献して来たか分かっているのか!」

「承知しております。先々代や先代にはひとかたならぬご尽力を賜ってまいりました」

「それが督促状とはどういうことだ!」

「先々代と先代にはと申しました。しかし、徳蔵さん、役場はあなた様には一切の尽力を受けては居りません。先代までは役場としても多方面で便宜を図らせていただきましたが、徳蔵さんが俵家を継がれて以来、あなた様の周囲では問題ばかりが起きています。現在、役場としても静観させていただいておりますが、これ以上の問題を起こされますと…」

 痛い所を突かれた徳蔵のトーンが落ちた。

「納税は入院中で…」

「ええ、ですからその事に関しましては把握しておりました。督促状はあくまでも事務手続き上のことです。退院なさったわけですから、すぐに延滞手続きを取って納税して頂ければ問題のないことです」

「…払う金などない」

「現金での納税がご無理であれば不動産でも可能です」

「代々の土地を手放せと言うのか!」

「それは俵家のご事情です。税金は資産に代替して納めて頂く事も可能とお伝えしているんです」

「話にならない! 帰る!」

 徳蔵は小笠原村長に直談判しようとしたが冷静に撥ね付けられた。役場の前に停車した車の運転席で徳蔵を待っていたのは加藤だった。徳蔵の様子で抗議を撥ね付けられたことは加藤にも分かった。小笠原村長と高関と吉田は、加藤を無視して慇懃無礼に徳蔵を見送った。

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