第21話 弱肉強食

 “新庄の語り部” が地元の新聞記事になった。“移住村の都市伝説を楽しむ”というタイトルの記事には新庄とふたり、満面の笑みの小笠原村長の写真が載っていた。徳蔵はその新聞を握り潰して畳に叩き付けた。新庄には、“化け猫屋敷”の語り部で物見遊山の観光客が俵家に押し寄せることで、徳蔵の怒りを買わせ、奇行を起こさせる狙いがあった。しかし “語り部効果” は小笠原村長を先に満足させた。記事の効果で “化け猫屋敷” の話題で急速に知名度が上がった鬼ノ子村には、観光客のみならず移住希望者が加速し始め、定住を目的としている小笠原村長は、実験エリア計画を急がされることになった。

 豪雪対策で建設された実験エリアは過疎化でかなりの空きが出ていたが、応募移住者の増加には対応しきれないと判断し拡張計画を進めていた。定住となると移住者はこの地での収入源がなければ生活が成り立たない。これまで県外大手企業の参入を嫌う徳蔵の存在が鬼ノ子村の発展を阻んで来た。鬼ノ子村の土地の多くは徳蔵の所有であり、村が移住者のための農地として借り受ける予算などない。そこで新庄は小笠原村長に提案したのが山林である。このところ、大量の雨による水害で県道の崩落や川の氾濫、そして唯一の観光の足となる内陸鉄道数ヵ所の不通を余儀なくされた。赤字路線の運営で人員削減が保線要員にまで達し、内陸鉄道が一旦不通になると開通までの工期が長期間に及んでいた。

 自然災害に脆弱になった原因は、農水省の営林事業撤退で長年に渡る山林の放置にあった。植林した針葉樹林は枯渇化が進み、徳蔵らの山の所有者は高齢化で手入れを怠り、山は荒れ放題となった。樹林の地すべり、土砂崩れ、鉄砲水による水害、そして川の氾濫と “人災” が続くようになっていた。実験エリア計画は、そうした山林の復活事業にあたる移住者を募集し、優先的に無償で実験エリアの住人に迎えるという構想計画である。

 「緑の列島」とも称される日本は、国土の約7割が森林とされる。この地でも古から森林を生活の糧としてきた。しかし、1960年代になり、原油輸入や化学肥料の普及で草や薪炭の利用が激減し、日本の木材自給率は現在2割に満たない。日本国内で利用する木材の8割以上が輸入で賄われ、生活から森が遠ざかった。戦後、禿山の修復で森林の約4割を人工林に回復させたのも束の間、森林資源が下火になると人工林に必須だった間伐や下草やツル植物の除去などの手入れがなされなくなった。森は暗くなり、土壌の流出や生物多様性に不可欠な下層植生が育たず、森林は瀕死の状態になって久しい。

 かつては鬼ノ子村も“営林署”が活発に機能していたが、現況の山林を見る限り、農林省は時代の流れでその責務を放棄したと言っていい。前身となる農林省山林局が外局に昇格し林野局に改称。1949年に現在の林野庁に改称した。農林水産省法第30条には農林水産省の外局となった林野庁は「森林の保続培養、林産物の安定供給の確保、林業の発展、林業者の福祉の増進及び国有林野事業の適切な運営を図ること」と謳っているが、日本各地の森林は荒れ放題が現状で、それによる “人災” が続いている。ドローンで各地の森林の現況を見れば、その怠慢ぶりは一目瞭然であろう。机上の能書きを語る前に、森林の健全化に注視するのが先決だ。山は人間だけのものではない。あらゆる動植物の共有財産であって然るべきなのだ。

 小笠原村長は移住者の定住のためには生活を安定させる策が必須と考えて来たが、新庄と徳蔵の対立は小笠原村営にプラスの影響を与えた事になろう。夏から始まった新庄の語り部は順調に回を重ねていった。その度に参加人数も増えて、役場の宣伝協力もあり、鬼ノ子村観光の一大人気材料となった。並行して森林開発要員の移住者も激増し、森の生き字引である “営林署” の作業に未だ精通している高齢者が多かったため、その使命で昔取った杵柄の高齢者たちは蘇った。俵家の所有する耕作地や住居の借地放棄が加速し、役場が用意した移住者のための実験エリアが更に拡張されることになり、山林復活事業に拍車が掛かった。

 徳蔵は満を持して行動を起こす以外になくなった。このまま俵家所有の土地離れが加速すれば、広大な不動産の維持が立ち行かなくなる。いや、既に立ち行かなくなっている。徳蔵の身に何か不測の事態が起これば、相続者のいない徳蔵の資産は全て国庫に帰属することになる。一般に行き場のなくなった相続財産は、「相続財産法人」と呼ばれる財産の集合体にされた上で管理処分される。相続財産法人を管理するのは「相続財産管理人」が勤める。相続財産管理人が選任されると「2カ月を下らない期間を定めてその期間内に請求をするべきこと、及び期間内に申出がない時には清算から外されるということを付記して公告をすること」と民法に定められている。所定の期間内に相続人として申し出てくる者もいなければ「特別縁故者への財産分与」という制度が用意されるが、最終的に「財産権の主体としてとらえた場合の国」である国庫に帰属する、つまり「国が所有する資産」になる。徳蔵にしてみれば自分の代で先祖の竈を返すことになるのは堪ったものではなかろう。そのため、小笠原村長が最も危惧するのは、税金のために徳蔵が水源の山林を外資に手放すことだった。

 しかし、村長の危惧は徒労に終わろうとしていた。何回目かの“語り部”の日がやって来た。国道に面した新庄宅の玄関側の鉄柵は万全の防衛態勢だったが、徳蔵は裏の山側の斜面に鉄柵がない事に目を付けた。今、その両手に鎌を握り、語り部の新庄を急斜面から侵入して報復の機を狙っていた。徳蔵の稚拙な復讐心が、またしても墓穴を掘ろうとしていたのだ。

 すっかり成犬となったジャムとバターは既に徳蔵の殺気を感知し、2階でSNS仲間の如月と最終打ち合わせをしている新庄の傍から離れ、階段を下りて建物脇の茂みに身を低くして臨戦態勢を取って構えていた。新庄もジャムとバターの異常に気付き、如月冬樹に目配せをした。モニターは裏山の斜面に忍ぶ徳蔵の姿を捉えていた。

 会場には多くの人が集まって来ていた。新庄はモニターを裏山の木々の斜面に移動してズームすると、叢に同化した徳蔵がくっきり捉えられた。次の瞬間、如月の視線が凍り付いた。

「新庄さん!」

 如月らしからぬ緊迫した声だった。しかし、語り部の原稿の最終チェックをしていたはずの新庄は、いつの間にかその腕に猟銃を構え、ライフルスコープを覗いていた。スコープに捉えた姿は間違いなく徳蔵だった。両手に鎌を持ち殺意を前面に新庄が語り部の席に着くのを待っている徳蔵の息遣いまでが手に取るように伝わって来た。

 突然、語り部を待つ参加者の誰かが悲鳴を上げた。スポットライトを確認するために手伝いに来ていた沼田耕一が一時的に語り部の席に座ったのを、新庄のスタンバイと勘違いしたのか、唸り声を上げて徳蔵が立ち上がったからだ。妻の匤代の悲鳴で大和田基樹がその視線の先に仁王立ちになって殺気を湛えて今にも襲って来ようとしている徳蔵を捉えた。

「あそこだ!」

 基樹は立ち上がった徳蔵を差して叫んだ。新庄はスコープからその徳蔵の一部始終を捉えていた。いや、新庄が捉えていたのは徳蔵ではない。徳蔵が立ち上がって唸ったのは沼田耕一が座ったからではなく、背後から熊に襲われたからだ。新庄のスコープはその熊を捉えていた。語り部を待つ参加者たちは突然の徳蔵の唸り声に目を奪われてフリーズしているのを基樹は断ち切った。

「皆さん、バンガローの中に逃げて!」

 基樹は語り部の参加者たちを建物の中に誘導した。匤代が基樹の誘導を手伝うと、桜子や新庄の妻のハルも匤代に倣った。基樹は新庄たちの居る2階に上がって行った。

「新庄さん!」

 新庄は猟銃を構えていたが、基樹は新庄が撃ちあぐねていると思った。基樹は腕のいい猟師に成長していた。ここは自分がやるべき時だと思った。

「新庄さん、自分が代わります!」

 基樹の腕の噂は妻のハルからも聞いていた。新庄は迷っていた。自分にも猟銃の心得はある。基樹がここ数年で成長したとはいえ、ベテランの新庄の腕の比ではなかった。

「新庄さん、早く猟銃を私に!」

 実は新庄には熊を撃つ気など微塵もなかった。スコープを覗きながら、徳蔵がこのまま熊の犠牲になるのを待つか、自分が猟銃で撃って誤射を理由に徳蔵を凶弾に掛けるか…そのことを迷っていた。しかし、基樹はそうは取っていなかった。当然である。

「新庄さん!」

 基樹の撃つ弾がどっちに転ぼうと新庄にとって左程の意味はなかった。新庄は基樹に猟銃を預けた。狂気に満ちた徳蔵を威嚇しようとスコープを覗いた基樹は驚いた。

「熊 !?」

 そこで初めて熊の存在を知った。しかし、基樹の腕は確かだった。ライフルの弾は徳蔵に噛み付いていた熊の眉間を捉えた。熊の牙から放たれた徳蔵は、両の手に鎌を握ったまま、一歩、二歩と歩き、斜面に足を取られてそのまま転げ落ちた。

「救急車を!」

「その前に、猟銃を返してもらおうか」

「あ、はい」

 新庄は憮然として基樹から猟銃を受け取った。新庄の真の狙いを察している如月が間に入った。

「新庄さん…またチャンスはありますよ」

 基樹には如月の言葉の意味など分からなかった。

「ボクが連絡しておきますから、新庄さんは参加者の皆さんのところへ…」

「ああ、じゃ、頼む」

 新庄は猟銃を保管してから一階に下りて行った。

「見事な腕ですね」

 如月は新庄の素振りに若干の違和感を感じている基樹に話し掛けた。

「いや…出過ぎたことをしてしまったようで…」

「そんなことはありませんよ」

「猟銃の腕は新庄さんの方が…」

「そうなんですか?」

 如月は恍けた。

「ボクはまだ新米です…でも、何か新庄さんが発砲を躊躇していたように見えたもので…まさかクマに襲われていたとは思わなかったので…」

「そうですか?」

「…出過ぎた真似をしてしまいました」

「いずれにしても結果オーライだったわけですから」

「…ええ」

「あのご老人、大事ないといいですね」

「はい」

 基樹は複雑な表情で一階に下りて行った。


 警察隊が到着して事故の現場に駆け付けていた。徳蔵は首の止血が施され、頭を固定されてタンカーに乗せられたところだった。

「この老人はここで何をしていたんだ?」

「俵徳蔵と言います。この土地の名士です。多分、猟をしていたんだと思います」

 西根巡査は救助に同行しながら警察隊に説明した。

「何の猟だね」

「この一帯にはいろいろな獣が居ますので…」

「鎌は何猟に使うのかね」

 西根巡査は返答に困った。

「私は猟に詳しくないので…兎に角、被害者が回復してくれんことには…」

「救急車遅いな」

「この地域は早くても30分は掛かります」

「それじゃ鈍急者じゃねえか、助かる命も助からん」

「ご高齢で症状が悪化した場合は半数以上のご老人が救急車到着前に死亡します。車よりあの内陸線のほうが早いんで、こうした救急時には利用したほうがいいと思うんですが、この村にはそういう発想がないので…」

 西根巡査の言葉に警察隊一同は沈黙した。遠くから救急車のサイレンの音が聞こえて来た。警察隊の盾を利用した俄か作りの担架が持ち上げられ、一同は出口に急いだ。2階から降りて来た語り部参加者たちの遠巻きを後目に、徳蔵の担架は鉄柵の外に到着した救急車に乗せられ、西根巡査を同乗させて走り去って行った。

 その様子を物陰から伺っていた渡辺キヨの目は怒りに燃えていた。

「…徳蔵さんの仇は、このキヨが必ず」

 渡辺キヨは徳蔵にとって初めての女である。キヨにしても徳蔵が初めての男だった。かつて、先々代の念冶の世話係をしていたキヨの祖父・作左衛門が体に不調を来し、二人暮らしだった孫のキヨが代わりに下働きに入った。曾祖父の念冶は間もなく他界。徳蔵が中学になった夏だった。葬儀の夜、ませた徳蔵とキヨは仏前で二人きりになった。襲って来た徳蔵にキヨは身を任せた。二十歳のキヨは7つ歳の差のある徳蔵に魅かれていたのだ。しかし立場の違う二人が夫婦になることはなかった。その後、少ししてキヨは泣く泣く地元の人間と結婚したが夫はすぐに他界した。徳蔵は成人し、父・平九郎の決めた隣村の郷士の娘・つると結婚したことで、キヨにとって俵家での心穏やかならざる下働きの日々が始まった。キヨはつるへの嫉妬に苛まれたが、そんな折、キヨのたった一人の肉親の祖父・作左衛門が他界し、キヨを考えもしなかった天涯孤独の恐怖が襲った。徳蔵の正妻・つるへの嫉妬より、徳蔵に対する恋慕が勝り、その心を殺し、キヨはどんなことがあろうと徳蔵のために生きようと心に決めた。キヨは、今こそ自分が徳蔵の役に立つ時が来たという使命感に燃えて年月が経った。


 身寄りが全て鬼籍に入った徳蔵も、新年度になれば、キヨにはどうしようも出来ない事態が俵家を襲おうとしていた。次々に村人の俵家の所有地離れが起き、高額な固定資産税が徳蔵を襲うことをこの時は徳蔵もまだ知らない。そしてその固定資産税の支払いのために手放さなければならない土地及び山林の規模の大きさをも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る