第20話 住職のけじめ
俵家に住職の松橋龍念が呼ばれ、膳が出されていた。
「和尚、毒など入ってはおらんよ。安心して喰え」
徳蔵は先に箸を付けた。
「あの男の語り部にあんたの女房も行ったそうだな」
「招待状を頂いたんでね。私にはお勤めがあるので女房に…」
「あの男の語り部は、俵家を愚弄するものだ。そこにのこのこ女房を出向かせるとはな」
「徳蔵さんは語り部の内容をご存じか?」
「知らん…興味もない」
「なら、放っておけばいいじゃないか」
「余所者が毎日毎日オレの家を興味本位に見に来る。迷惑だ」
語り部が催されて以来、確かに俵家への観光客の見学者が激増していた。彼らの興味本位の目を気にして徳蔵は出掛け難くなった。日が経つに連れてそのイライラが募り、住職の女房までが参加したことに目くじらを立て、住職を呼び出したのだ。
「迷惑なら西根巡査に頼んでみたらどうかね?」
「あの巡査、全く使い物にならん! …あんたが何とかしろ」
「何とかしろと仰られても、他人様のなさることに、この私がどうのこうのと言う立場にはありませんよ」
「寺には毎年多大の寄付をしているのは何のためだと思ってる!」
「徳蔵さんのご先祖様からの有難い思し召しだと思っております。お陰様で寺は今日まで村の仏様たちを守って来れました」
「いいな、何とかしろ」
徳蔵は住職の即答を求めたが無言だった。
「和尚!」
「…それは出来かねます」
「分からんやつだな…オレの言うとおりにしないと寺への寄付はこれ限りだ」
「ご先祖様がそうお望みなら仕方がありません」
「寄付がなければ寺はやって行けないだろ」
「他人様の功徳でこの身があります。廃寺になるまで一所懸命勤めさせていただきます」
「分からんやつだな。どうあってもオレの言う事が聞けんのか!」
「徳蔵さんの仰ることは、よーく耳に入っております…が、私はその立場にはないのです」
「和尚…」
「・・・」
「…後悔するぞ」
徳蔵は不機嫌に立ち上がり、奥に消えた。俵邸から住職が出て来ると、妻の千恵子が沼田耕一を伴って門の外で待っていた。
「あなた…沼田さんが心配して来てくださったわ」
「そのご様子では、あまりいいお話ではなかったようですね、和尚さん」
「徳蔵さんの煩悩はついに寺にも飛び火したようです」
そう答えると住職は俵家に合掌して門前を後にした。妻の千恵子は沼田に呆れ顔の笑顔で一礼し、住職の後に続いた。沼田は何もなかったことにホッとして二人を見送った。
松橋龍念夫妻が寺に戻ると西根巡査が待っていた。
「どうなさった?」
西根巡査は苦虫を噛んだまま俯いた。
「ま、中でお茶でも…」
千恵子は先に立って西根巡査を案内した。千恵子の淹れる緑茶はいつも鮮やかな黄緑で心休まる湯気を湛えていた。西根巡査は一口啜り、重苦しい息を吐いた。
「助手席に福田完と神成博康を確認しました。間違いなく加藤邦治の…」
「ということは、やはり徳蔵さんが…」
「そうは思いたくないのですが…県警から小笠原村長の警護名目で武装警官を要請しといて本当に良かったです」
「語り部はまたあるのかね?」
「新庄さんは定期的に催すつもりのようです。SNSでそのように発表してますから」
「成程…徳蔵さんがまた何らかの手を打ってくる誘い水ということかな?」
「新庄さんは何としても殺された飼犬・ゲンの報復をしようとしています。殺した犯人は徳蔵さんと睨んでいます。首の切り口から、凶器は鎌である可能性が高いんです。あれだけの鎌の強い手となると…」
「でも、現場には賢太郎さんのジャンパーがあったんでしょ?」
「来ていたのは賢太郎さんじゃない可能性があります。生前の事情聴取で彼は、ジャンパーはいつの間にかなくなっていたと言っていました」
「故人に口無し…これでは仏様も浮かばれないね」
住職は西根巡査にはたと向き直った。
「そう言えば、今日はどんな御用で?」
「ええ…この寺の土地は俵家の先祖の寄進と窺ってますが…」
「そうです。寺の無かった先代住職の時に先々代の平九郎さんが土地を寄進なさり、この寺を建造されました」
「今般、徳蔵さんに呼ばれたのは…」
「ご想像どおり、寄進の打ち切りです」
「どうしてまた急に !?」
「新庄さんの “語り部” です。私はお勤めがあるので妻に行かせたんですが、その事を咎められました。早急に “語り部” の開催をやめさせろと」
「今度は矛先が住職に来ましたか」
「徳蔵さんにとって “語り部” の内容が理不尽なものかどうか妻に確かめさせました」
「奥様は何と?」
「世間が…といっても “語り部” 参加を拒否した “この村” の人間に限ってですが、彼らの噂こそ興味本位に面白おかしく歪んでいるだけで、新庄さんは “語り部” をとおして事実を正しく伝えようとなさっていたと言ってました」
「…この村の噂は善良な人間を自殺に追い込む」
西根巡査から思わず本音の独り言が洩れた。
「…保さんには気の毒なことをした」
西根巡査は焦った。
「すみません、聞かなかったことにしてください」
「大丈夫ですよ…でも、あの時は住職としての限界を感じたよ…どうすれば良かったのか未だに分からん」
重苦しい過去が襲ってきそうで西根巡査は急いで話を戻した。
「これから寺の運営は?」
「建物も土地も寄進されたものなので、寺は宗教法人である「光伝寺」の名義です。立ち退く必要はありませんが、実質俵家の寄進が途絶えている今となっては、これまでどおりと言うわけには…檀家さんも貧しい方が多いのでね」
「…そうですか」
「ただ、今まで受け入れ叶わなかった移住者の方々の受け入れは可能になります。移住者の受け入れ拒否は徳蔵さんの寄進の条件でしたからね」
「火葬船が出来た頃のように移住者の定着が増えるといいですね」
「確かに俵家からの柵はなくなるかわりに、俵家におんぶに抱っこだった寺が、自分の足で歩くしかなくなります。私も腹を決めねばなりません」
「新庄さんに協力を要請してみたらどうです?」
その言葉に住職が淋しく笑った。
「新庄さんですか…」
「彼は有能なITエンジニアですよ。何より証拠に、徳蔵さんをここまで…」
西根巡査は言葉を止めた。住職は大きく一息入れて、本堂から覗く参道に目をやって呟いた。
「私が身を引いたら、この寺に新しい風が吹きますかね」
「身を引く !? 」
「俵家あってのこの寺…徳蔵さんを蔑ろにするわけには行かないんです」
「それは先代までの話ではないんですか?」
「そのように割り切れればいいんですが…」
住職は徳蔵の要求を断った時点で腹を決めていた。
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