第19話 地雷

 新庄のSNSへの誹謗中傷が唐突に始まった。

「新庄さん、どうします? すぐに発信者情報開示仮処分命令申立の開示要求しますか?」

 SNS仲間の如月冬樹が早速連絡して来た。

「いや、もう少し泳がせよう。投降者の検討は付いてる」

「でも、一応開示要求はして置いた方が…」

「…そうだな…じゃ弁護士に依頼して置くから」

「弁護士ならSNS仲間に何人か居ます。頼ってください」

「分かった、でももう少し泳がせたい」

「開示には時間が掛かります。この行為は、“事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金” とありますから、なるべく早くお上の鉄槌で黙らした方がいいですよ」

「それだと随分温い鉄槌だな」

「もしや…新庄さん得意の地雷を踏ませようとしています?」

「…まあね」

「やはり」

 如月は新庄らしいと笑った。

「指名特定にはどうせ半年から一年は掛かるし、新庄さんの地雷の方が数段早いかな?」

「あ、それから如月さん、来月からクラウドファンディングのログハウスで “化け猫屋敷” での顛末を語る会を定期的に開くことにしました」

「参加します! ていうか何か手伝うことはありますか?」

「ありますよ…」

「了解!」

 新庄は既にIPアドレスの投降者を探り当てていた。投降は加藤邦治が代表取締役を務める「幸屋渡土建」のパソコンから出されていた。幸屋渡土建の社員は元鬼ノ子村役場の買収加担メンバーだ。総務課長だった福田完、住民福祉課長の神成博康が会社創立者に名を連ねていた。狭い集落である。保釈されて来た加藤ら“前科者” をすぐに受け入れる村人などいない。皆、悪評を恐れて暫くは様子見だ。それがいつまでなのか、加藤らは釈放後、明日からの生活に困らないよう蓄えを出し合って会社を始めるしかなかった。高齢化で一年を通し疲弊していく集落では、春夏の復旧工事から秋の冬支度、冬場の除雪作業など人手はいくらあっても足りない。主要道路沿いの田圃の砂利掬いなど下請けに回ってくる汚れ作業を入れると、仕事はいくらでも拾えた。徳蔵が出所して来る頃には、会社運営も落ち着き、次第に村人の目も昔の付き合いに戻っていた。

 役場は返り咲いた村長の小笠原体制がすっかり定着し、鬼ノ子村の移住者計画も順調に滑り出していた。しかし、加藤は徳蔵の出所を機に再び村の運営を我が手に取り戻すべく “化け猫屋敷” の汚名を晴らすことから始めようと、徳蔵に奉仕を申し出て刻々と復帰の計画を進めていた。懲りない徳蔵は、加藤に対する要求が日増しに大きくなっていった。執拗に新庄のSNSをどうにかしろというので、ネットに詳しい福田完が対処を任せられた。福田は仕方なく鬼ノ子村の悪意ある噂で捻じ曲げられた新庄の悪評を投稿し始めた。

 SNS仲間の如月冬樹が逸早く新庄に連絡して来たが、新庄にとって彼らの誹謗中傷は想定内の読みで、次の手を打つタイミングでしかなかった。


 月初めになり、新庄の “語り部” の初日がやって来た。程好い風が紅葉の樹木を気まぐれに揺らす開催の日の午後、新庄邸に招待されたのはSNS仲間だけではなかった。村民の大和田基樹・匤代夫婦や吉田きぬ、笹島文雄、八神一徳ら移住者たち、新庄の妻・ハルの親友・桜子、そして住職の妻・千恵子らが連れ立って顔を見せている中、ハウスの管理を任されている沼田耕一がその案内にあたっていた。何より新体制の役場から小笠原村長以下、振興部長の千葉元子、会計課長の高関春枝らが来ていたことで、地元の新聞社2社が取材で村長らに随行していた。

「新庄さん!」

 二階のテラスから警戒に当たっていたSNS仲間の如月が新庄の内線に叫んだ。

「向こうから一台のダンプが猛スピードで近付いて来ます!」

「了解」

 新庄は鉄柵入口で警戒に当たっている西根巡査のインカムに一報を入れた。

「了解!」

 西根巡査が奥に合図を送ると、5名程の臨戦態勢の警察官が盾を構えて鉄柵の入口を固めた。村長のSPである。それに気付いたのか、ダンプカーは鉄柵の前を猛スピードのまま素通りして行った。西根巡査は助手席に福田完と神成博康、そして渡辺キヨを確認した。白バイがサイレンを鳴らして追跡し始めた。


 新庄の語り部は粛々と進み、俵徳蔵邸での銃撃事件の真相が語られた。カネ子の死が “化け猫屋敷” の怪に発展した経緯、不幸にも毒膳に口を付けてしまった猫たちの惨状が参加者の恐怖と涙を誘った。


 その夜、新庄は小笠原村長に招かれていた。

「毒膳じゃないから安心してくれ」

「あなた、それ悪い冗談よ! やめてよ、縁起でもない!」

 小笠原の妻が夫を強く嗜めた。

「そんなに怒らなくても…」

「怒ります! 新庄さん、ごめんなさいね。この人、口が悪いのよ、顔はもっと悪いけど」

「いつもこうやって褒められるんだ」

 小笠原は屈託なく笑った。妻の康子は呆れて去って行った。

「新庄さんの思惑どおりになりましたね」

「村長が信頼してくれたお蔭です」

「絞首刑台は新庄さんの許可もあって大々的に村の心霊スポットとして宣伝させてもらってるが、化け猫屋敷となると流石にパンフレットには載せられない」

「あのジイさんを逆撫でしたら、またひと揉めふた揉めってとこでしょうね。私は構いませんが…」

「徳蔵さんが刑務所に居る間は何事もなかった。先代も先々代も人格者だったが、徳蔵さんは誰に似たんだか…小さい頃から問題児だった。何不自由なく育ったのに、人の幸せをやっかねる。自分より上と見ると手段を選ばずに潰そうとする。先代がどれだけ揉み消しに駆けずり回ったか知れない。しかし、先々代が亡くなり、その介護に明け暮れていたお祖母ちゃんも数日後に亡くなった。

 悪いことは続く。今度は徳蔵の妻が病の床に臥した。先代が結婚を控えていた遠縁の娘のカネ子に無理を言って急遽の身の回りの世話をさせたが、2年程前にその先代も亡くなり、徳蔵は一人になった途端暴走が始まった。病床の奥さんが亡くなるとすぐに、カネ子の結婚を強引に破談にして自分の後添えに迎え入れた」

「沼田さんには随分救われました。彼は徳蔵の悪事のパターンを読んでその都度わたしに知らせてくれた」

「彼は徳蔵さんのありとあらゆる仕打に遭いながらも、じっと耐え続けて来たからね。きっと抵抗出来ない自分の不甲斐なさを悩んでいたに違いないんだ。だから新庄さんがやられるのを黙って見過ごせなかったんでしょうな」

「徳蔵はこの土地の疫病神だ」

「しかし、この土地の殆どは俵家の所有だ。集落での営みは俵家の小作人の時代が根付き、未だに続いている」

「でも、火葬船は村の所有でしょ」

「それはそうだが…」

「川も村の管理だ」

「…まあ」

「村所有の豪雪対策の実験エリアがありますよね。そこを拡充したらどうです? 高齢化で空きが増えているそうじゃないですか? 思い切って実験エリアを拡張して、住民をそこに大移動させて、村営の枠組みで生計を立てさせる計画を立てたらどうです?」

「しかし…中々急には…」

「なら、移住者です。移住者に先陣を切って実験エリアに住んでもらうんです。更に、耕作地を放棄した住民には数年間家賃を無料にして、計画に協力させたらどうですか?」

「それでは村の運営が…」

「そのための案ならいくつかあります」

「そうか!」

「その計画案の前にやることがあります」

「やること !?」

「ええ…計画を実行に移す前に、俵家の土地を耕作放棄と借地転居で利益を上がらなくさせるんです。固定資産税は全て徳蔵さんにお支払いいただく方向に持って行けば、納税のために土地を手放さざるを得なくなる。徐々にその土地を村で買収していくんです」

「気の長い話だな」

「そうでもないですよ。徳蔵は今、何歳です?」

「確か…米寿で出所したはずだが…」

「あと何年生きられますかね。彼には相続人はいませんよ。黙っていても何れ村のモノになるんじゃありませんか…村のモノになるくらいなら金に換えたほうがいいとなるんじゃありません?」

「成程…実験エリアに住民大移動か…」

「生きた心地のしないプレッシャーは生きている人間にしか通用しませんよ。彼を “送る” 景気付けをしないと」

 小笠原は真顔で考えていた。台所から妻の康子が戻って来た。

「はい、景気付けの一杯! 私が作った甘酒よ、ノンアルコールね。これなら新庄さんも飲めるでしょ?」

「ありがとうございます!」

「新庄さんの世界に私は乗ったわ!」

「おまえ、聞いてたのか !?」

「年を取ると聞こえて来るのよ。あなたはどうするの? これから先も徳蔵さんの反撃にびくつくの?」

 妻の一言で小笠原の腹は決まった。

「新しい鬼ノ子村に乾杯!」

 三人は高らかに盃を交わした。

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