第18話 化け猫屋敷
役場を筆頭に村挙げて日参の俵邸だったが、主が居なくなった途端、ぴたりと出入が途絶えた。後添えのカネ子の死に方は村民に衝撃を与えた。そして飼い猫の毒死が追い風になって、徳蔵の勾留中に噂が暴発した。
徳蔵に撃たれて死んだカネ子に、毒死した猫たちの怨霊が乗り移り、化け猫になって俵邸を彷徨っているという話が独り歩きし出し、俵邸には誰一人近付く者がいなくなった。
村道でカネ子と擦れ違ったので挨拶したら “火葬船に行く” と言っていた。その時はカネ子が銃で撃たれて殺されたなどとは不思議に頭に浮かばなかった。火葬船で船長をやっている父親の清彦に会いに行くのかなと思って普通にやり過ごしたが、カネ子の父は随分前に亡くなっている。あれっと思ってカネ子の向かった先に振り返ると、誰も居なかった。その時、初めて幽霊を見たんだなと鳥肌が立って震えが止まらなくなった…などと、まことしやかに騙る者が後を絶たなくなった。
娯楽などないかつての鬼ノ子村では、頻繁に野外シネマが開催されていた。映画興行師の村巡業は結構な小銭稼ぎになる。時に村の記念行事の延長で公民館や小学校の体育館で映写会が模様されることもあった。コロナ過の今では考えられない催しだ。内田良平主演の『怪猫呪いの沼』とか勝新太郎主演の『怪猫呪いの壁』『怪猫逢魔が辻』など村人を恐怖で沸かせた古い化け猫映画が俵邸の悲劇に当て嵌められたのであろう。ゾンビや異星からの侵略映画の時代に化け猫の怪談など化石のようなものだろうが、鬼ノ子村は未だ幽霊や化け猫を信じる者も多い。臓器目的で頻繁になった幼児誘拐を神隠しなどと畏れる風潮すら未だにある。
徳蔵が居なくなって変わったことと言えば、移住者と村民との交流が僅かだが増えたことだろう。ぼったくり業社や隣町への買い出しに目くじらを立てる風潮も少なくなり、新庄の村八分もいつの間にか無かったことにされていた。絞首刑台の首吊り用の縄も腐り掛けた頃、徳蔵は釈放された。迎えの人間もなく、のろのろとだらしなく刑務所を出た老人と擦れ違っても、誰も徳蔵と気付かずに通り過ぎた。服役してから5年の歳月が経って、鬼ノ子村で栄華を誇った屋敷も草茫々の化け猫屋敷に様変わりしていた。後期高齢者の殺人とは言え、不自然なほど最短の刑期だった。それにしても “猟銃の暴発” という検証は無理がある。先祖の功績が情状酌量に影響でもしたのだろうか…数々の罪を重ねていた徳蔵には死刑が相応しかったはずだ。新庄が徳蔵の出所を知ったらそう思ったろう。しかし、徳蔵は息を殺して邸暮らしを始めたため、村に戻って来たことは西根巡査も把握していなかった。
「被害者等通知制度」というのがあり、被害者やその親族には判決確定後に検察庁へ申し出て置けば、加害者の満期出所の予定時期や、実際に出所(仮釈放を含む)した後に、その事実について通知を受けることが出来る。しかし、被害者であるカネ子は父も母も他界し、肉親はひとりもいないため、徳蔵の出所は誰一人知り得なかった。ただ只管 “鬼ノ子村の化け猫屋敷” という田舎の都市伝説が興味本位に鬼ノ子村発信で日本国中を駆け巡っただけだった。
ほんの時折、物好きな観光客が俵邸を物見遊山に訪れることがある。彼らに声を掛けられても、村人の誰もが俵邸のことになると無関心を装って口を噤んだ。そのことがまた “村ぐるみの隠蔽” として騒がれ、鬼ノ子村は一躍心霊スポットのレッテルを貼られることになった。
鬼ノ子村のような集落の逸話は、住民の稚拙と情弱が生んだ噂レベルの風聞に過ぎないことが多いが、確かな根拠に因る立ち入り禁止の深刻な村や集落は日本の其処彼処に存在する。一度は日本地図から消されたな島もいくつかある。その中には1929年から1945年の敗戦までの間、大日本帝国陸軍に因る血液剤、催涙剤、びらん剤、嘔吐剤の4種類の毒ガス開発が行われていたことから、「毒ガスの島」と呼ばれた物騒な島もある。敗戦後、証拠隠滅のため地中に埋められたこれらの毒ガスによって、暫くの間、島民の被害が続いた。また、宗教的な理由から村の外からの旅行者などが拒絶され、集落の無法地帯ぶりは警察も手が付けられないほどで、時に村人によって惨殺されるため、決して生きては帰れない「犬鳴村」伝説のような村もある。鬼ノ子村のように住民の稚拙と情弱によって不幸を招いている集落の中には、昭和時代、発狂した村人によって全村民が殺される殺戮事件が発生し、無人の廃村になった村があったそうだ。現在、立ち入り禁止にされている村には、外部の人間の理解では知りえない掟や風習があり、その因果がいつしか集落を絶えさせて来たのだろう。鬼ノ子村も、一歩歯車が狂えば、悲惨なうねりが村を襲い、廃村になる運命を孕んでいる。
物理的に危険なヒグマとの遭遇率が非常に高い村、路上生活者が多く治安の悪い地域、登山者が入浴して死亡が相次いだ有毒ガスの発生地帯などはまだ気を付けようもあろうが、移住ブームに乗って癒しを求めた先が、移住者の知り得ない掟に蝕まれた集落となれば、住民がわざわざ村の悪しき姿を曝す筈もなく、歓迎の意を表してその場を繕うのが常だろう。結局、実生活の内情など住んでみなければ分からないことなので、前以てなど気を付けようがない。一年を通して試験的にその土地に住んでみる慎重な移住希望者はどれだけいるというのだろう。夢溢れる自治体のパンフレットの裏事情を図り知る事など到底至難の技であろう。
“鬼ノ子村の化け猫屋敷” の心霊スポット化が定着するに連れて、新庄のSNSに寄せる関心は鰻上りに高まっていった。誰もがお祭り騒ぎをする中で、事件の被害者でもある新庄の記事はリアリティに溢れていた。新庄の被害の流れは鬼ノ子村を牛耳る徳蔵の嫌がらせの一挙手一投足として現れた。徳蔵が猟銃事件を起こした瞬間、鬼ノ子村の掟の壁は崩壊し、彼の逮捕によって移住者たちは長く押さえ付けられて来た村の理不尽から解き放たれた。
徳蔵の恩恵を受けていた一部の自治体職員や村人の縁戚筋は、次第にその立場を移住者たちに取って代わられていった。特に渡辺キヨなどは同じ村民からも疎まれて居場所すらなくなるような肩身の狭い立場になった。
ところが、時が経つに連れて移住者たちの合理的で平等な生活スタイルは、一見誰にも開かれた空間のように見えるが、先祖代々鬼ノ子村の土臭い掟で暮らして来た住民にとっては、敷居が高い居心地の悪いものでしかなくなった。時が経つに連れて、鬼ノ子村には徳蔵の独裁時代を懐かしむ空気さえ蘇っていった。
その機を逃さなかったのは渡辺キヨばかりか、旧村長の加藤邦治だった。加藤は選挙違反で逮捕され、芋蔓式に加藤の肩を持って辞職に追い込まれた職員らと、釈放後に土建業を起業して土木の補修や雪寄せなどで細々と凌いでいた。僅かでもかつての支援者である徳蔵に風が吹き始めたかに見えるこの機を逃すはずがなかった。荒れ果てた “化け猫屋敷” に入り、頼まれもしない新居の建設と庭の整地を買って出た。俵邸は日毎に元の佇まいに戻って行った。加藤は会社の将来を賭けて、朽ち始めていた俵邸を復活させた。閉鎖的な山門造りの入口は、開放的な庭園が見える門扉に替えられ、“化け猫屋敷” の悪評の払拭を狙った。
新庄のSNSに “化け猫屋敷がイメージチェンジしました!” の文字が躍ると、鬼ノ子村への観光客が殺到するようになった。新庄のクラウドファンディングのバンガローは滞在者の出入りが再び激しくなった。新庄の庭にある飼犬・ゲンの墓地 “絞首刑台” のオブジェ前でも再び記念写真の列が出来るほどになった。鉄柵の向こうから、その光景を苦々しく眺めてから去って行く男がいた。加藤邦治である。新庄はその姿を見逃さなかった。
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