第17話 徳蔵の招待

 玄関で何度も呼ぶ声がする。プログラミングから手が離せないでいる新庄はいい加減うんざりしながら出てみると、住民福祉課長の神成博康が徳蔵からの伝言を伝えに来ていた。

「何であんたが?」

「こっちに来るついでがあったもんで」

 “徳蔵に命令されて来たんだろ、このクソ公僕が!” と心で罵り、愛想笑いで了承して神成を帰した。招待とは名ばかりの徳蔵からの“呼び出し”。離れ業の稚拙な嫌がらせも底を突いて愈々直接対決かと、こう来た場合には受けて立つことにしていた新庄は、仕方なくプログラミングを途中で切り上げ、予てから用意していたものを持参して玄関に向かった。

 戸を開けるとジャムとバターを連れた沼田が立っていた。

「散歩か、ありがとう」

「食べ物に手を付けたら殺されますよ」

「えっ !?」

 それだけ言って沼田はジャムとバターを伴って散歩に出掛けた。沼田は新庄邸の管理ばかりかジャムとバターの世話もよくしてくれる。放火、畑荒らしなど徳蔵の手口を教えてくれるのはいつも沼田だった。今度は “食べ物” のことに触れた。“手を付けたら殺される”…言葉どおりだと “毒” に気を付けろということだ。それにしても沼田は良くぞ役場の神成が徳蔵の使いで来たのを見抜いたものだ。

 沼田もかつて徳蔵の家に呼ばれて恐ろしい体験をしていた。カネ子との結婚が近いことを知った徳蔵は、前祝だと言って沼田を家に呼んだ。てっきりカネ子も同じ席にいると思ったがいなかった。不思議に思いながらも、その事を聞けずに、酒を薦められるまま呑んだ。家の帰り掛け、沼田は強い吐き気を模様し、吐きながら這って家に辿り着いた。一晩高熱に魘されながら、このまま死ぬんだろうなと思った。明け方になって、やっと苦しみが和らぎ、沼田は深い眠りに入った。目を覚ますと二日が経っていた。重い体を起こし、水を飲むと吐いた。沼田は少しでも胃を洗おうと、また水を飲んだ。吐いては飲み、吐いては飲みを繰り返した。夕方、カネ子がお粥を持って来た。沼田は涙が止まらなかった。カネ子はポツリと呟いた。

「わたし、徳蔵さんの妾になるしかない」

 沼田は何も言えなかった。カネ子は沼田に何かを期待したはずだ。何も言わない沼田の元を力なく去って行った。帰途、カネ子は一生分の涙を流した。


 本瓦葺の長い塀に囲まれた徳蔵邸は、両脇と奥になまこ壁の蔵が三つ建っていた。本宅は平屋だがどっしりとした純和風の旧家だった。流石に敷居が高い。重い足で玄関に向かうと、また神成が現われ、新庄を迎えに歩み寄って来た。

「神成さん、役場の仕事は?」

「ついでがあったもんで…」

 下僕には何を聞いても始まらないかと、それ以上聞くのはやめた。奥に通されると、徳蔵が満面の笑みで待っていた。

「賢太郎がバカなことをして申し訳なかったな。今日はそのお詫びだ」

そう言いながら、徳蔵は神成を睨んだ。神成はすぐに消えた。“よく出来た犬公だ。おまえはどんな弱みを握られてるんだ?” と、神成の後ろ姿に毒吐いて僅かに冷笑した新庄の心中を徳蔵は読んでいた。

「今までにもいろいろと行き違いがあったようだが、今日を境にお互い水に流そうじゃないか」

「お互い !?」

「膝を崩してくれ」

「その前に… “有機肥料”の返送手数料をまだ支払ってもらってないんで…」

「有機肥料 !?」

 徳蔵の表情が一瞬歪んだ。すぐに作り笑いを浮かべ、穏やかな口調に戻った。

「まあ、飯でも喰ってから…その話は後でゆっくりと…」

「いえ、今すぐ精算してもらえますか? 誠意を見せてもらえないと、折角のご馳走を頂く気にはなれません」

「そうか…生憎、請求書は届いてないんだよ」

「そうですか…そういう場合もあろうかと新たに持ってまいりました」

 新庄は用意した新たな請求書を徳蔵の膝元に差し出した。一間あってから、徳蔵は茶封筒から請求書を出して開いた。

「20万 !? 請求金額は5万じゃないのか !? 」

「5万円は建設会社からのダンプカー台です。掃除など私どもの迷惑料を含むとその金額になります」

「迷惑料 !?」

「被害届に付いて弁護士に相談しましたら、更に50万の上乗せが必要だと仰ってましたが、被害届けを出すつもりはありません、今のところは」

 必死に耐えている徳蔵の激怒様は手に取るように分かった。

「払いましょう…おい!」

 奥に声を掛けると、徳蔵の後妻・カネ子が出て来た。徳蔵の年齢に比べてかなり若い。

「お綺麗ですね、娘さんですか?」

 新庄は、カネ子が沼田と結婚の約束をしていたことを知っていて敢えて恍けて徳蔵を逆撫でした。徳蔵に見る見る不機嫌が漂った。最も言われたくない言葉だったらしい。

「後添えなんだ」

 “知らん筈はないだろ” と言わんばかりの徳蔵の答にも敢えて意外な顔をしている新庄に、カネ子は笑みを崩さなかった。

「大奥様は2年前にご他界なさって…私は後添いです」

 カネ子は丁寧に説明を返した。

「余計なことは言わんでいい! 20万持って来てくれ」

「畏まりました」

 カネ子は新庄に一礼して奥に下がって行った。徳蔵には勿体ない良い女だ…この女も徳蔵の犠牲者なのか気の毒に…などと考えていると、カネ子が戻って来て徳蔵に包みを渡した。徳蔵はその包みをそのまま新庄に渡した。新庄は包みを広げて数え始めた。

「信用出来ないのか?」

 徳蔵は不満げに呟いた。

「信用するためです」

 新庄は平然と枚数を確認した。

「確かに受け取りました。では領収書です」

「そんなものは要らん」

「そうはいきません。後でトラブルのもとになります」

 徳蔵は大きく息を吸って必死に平静を保とうとしていた。

「さ、おひとつどうぞ」

 カネ子が慣れた手付きで新庄にお銚子を差し出した。

「おまえはもういい!」

 当たりどころのない徳蔵は、カネ子からお銚子を奪い取って、改めて新庄に差し出した。

「さ、和解の印だ。遠慮なくやってくれ」

「有難いのですが、私は酒はやりませんので、気にせず徳蔵さんがおやりください」

 徳蔵の目付きが代わった。

「呑めんのか?」

「はい」

「オレの酒が呑めんのか?」

 新庄は来たな!と思った。

「申し上げました通り、誰の酒でも、私は酒事態呑めないんです」

「それで世の中が通ると思ってるのか? この村にはこの村の掟というものがあるんだ」

「そういうお話をするために私を呼んだんですか?」

「こっちが我慢して折れているのは、住職の顔を立てているからだ」

 住職を盾にするとは罰当たりな…しかしこの村の者たちは寺を盾にされると殆どの要求に従うように洗脳されている。だが、移住者の新庄はこの土地に骨を埋める気など更々なく、寺にはひとつの思い入れもなかった。

「餓鬼じゃあるまいにおまえのその態度は何だ!」

 “餓鬼はどっちだ” と思いながら新庄は大きく深呼吸をした。

「そういうお話であれば失礼します」

 新庄は席を立った。

「このまま帰れるとでも思ってるのか!」

「思っていますよ。私の用事は全て済みましたから。では、失礼します」

 新庄は背を向けて玄関に向かった。

「おい、新庄!」

 異様な徳蔵の言葉に新庄は振り向いた。

「風光明媚な地獄へようこそ!」

 徳蔵は猟銃を構えていた。新庄は構わず一礼して玄関に向かった。徳蔵はすぐに引き金を引いた。轟いた銃声は新庄を捉えなかった。新庄は怪訝に思い振り向くと、腹部から出血したカネ子が立ち塞がっていた。

「…カネ子 !?」

 徳蔵は青褪めてフリーズした。そこにジャムとバターを連れた沼田耕一が西根巡査を連れて駆け込んで来た。

「遅かった!」

 カネ子はその場に頽れた。

「沼田さん !? どうして !?」

「こうなることは予測が付いた。西根巡査には思い過ごしだって言われたけど強引に引っ張って来て良かった。でも…遅かった…」

 床に臥したカネ子を見て、沼田は膝を叩いて号泣した。西根巡査は既に徳蔵から猟銃を取り上げ、救急に連絡を入れていた。新庄は俯せに倒れているカネ子に駆け寄った。仰向けにした途端、吹き出したカネ子の血飛沫が新庄に飛び散った。新庄は撃たれたカネ子の腹部を押さえた。

「今すぐ救急車が来ますから!」

 徳蔵が西根巡査を撥ね退け、新庄も押し退けてカネ子の両肩を持った。

「カネ子ーっ!」

 西根巡査はすぐに徳蔵をカネ子から引き離して、後ろ手に手錠を掛けた。

「何するんだ!」

「殺人未遂の現行犯で逮捕します」

「殺人未遂 !?」

 その言葉で徳蔵は我に返った。自分が撃った被害者が目の前に血だらけで倒れている…自分が撃ったのはカネ子だ…その現実に気が付き、その場にへなへなと頽れた。

 ジャムとバターが興奮気味に吠えた。見ると徳蔵の飼い猫が異様な鳴き声を上げて泡を吹いてもがいていた。見ると、新庄に出された膳の食べ物を漁っている他の猫も次々に異様な鳴き声を上げて泡を吹いてもがき、動かなくなった。沼田が悲痛な声を出した。

「…やっぱり!」

 新庄が西根巡査の視線に気付いた。

「オレは一口も箸を付けてないすよ。沼田さんのお陰です」

「沼田さんの !?」

「朝、来てくれたんですよ。彼はありとあらゆる嫌がらせを、この徳蔵から受けて来たようで、その手口は熟知してるようです。毒善の予測も沼田さんが今朝忠告してくれてたんです」

 沼田はカネ子を見詰め、嗚咽を堪えて遠くから土下座していた。カネ子は虫の息だったが最期の力を振り絞って沼田に手を伸ばした。

「沼田さん、早く!」

新庄に急かされてカネ子のその手を握り返した沼田にカネ子は囁いた。

「あんたに見守られて死ねるんだね…良かった…」

 そう言って微笑み、息絶えた。血だらけのカネ子の顔は穏やかだった。沼田は再び号泣してカネ子に土下座した。

 カネ子の父・藤島清彦は鬼ノ子村の火葬船の船長だった。海のない村に育った清彦は海に憧れ、村を出て海技士の資格を取った。貧しい藤島家は息子・清彦のために俵家を頼った。徳蔵の祖父も父も人望があり、多くの村民の糧となって尽くした。カネ子の父・清彦も恩恵を被った一人だった。清彦は鬼ノ子村の両親が高齢となり、村に帰らざるを得なくなった。両親の前に現れた清彦は、若くして他界した妻・八重との忘れ形見の娘・カネ子を連れていた。カネ子は俵家に請われ、暫く下働きをしていたが、祖父も父も矢継ぎ早に他界し、徳蔵の妻・つるまでが亡くなると、徳蔵はカネ子に執着し始めた。その当時、カネ子は付き合っていた男がいた。沼田耕一である。もうすぐ結婚という段になって、徳蔵は過去の恩を笠にカネ子を沼田から強引に奪った。沼田の土下座は、駆け落ちしてまでカネ子を守ろうとしなかったことへの慙愧の念に他ならない。


 新庄にとって、徳蔵の招待は飛んで火に入る夏の虫だったが、カネ子の死は極めて残念な想定外だった。新庄の報復はこれからだというのに、カネ子の自己犠牲がなければこんな所で無駄死にするしかなかった。徳蔵にはまだまだ苦しんでもらわなければならない。息の音が止まるその瞬間まで目の前で生き地獄を味わってもらうしかない。徳蔵が逮捕されたところで、新庄には達成感など微塵もなかった。

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