第16話 成長が止まる村

 鬼ノ子村の渦に巻き込まれる前の関根巡査は笠井貞三に手を焼いていた。笠井には鈴木 匤代ただよという小学生の頃から思いを寄せる初恋の女がいた。その匤代が大和田基樹という移住者に恋をした。旅行が趣味の大和田は東京都内のホテルで料理マンとして働いていたが、長期休暇で訪れた鬼ノ子村の狩猟文化であるマタギの風習とその自然に魅了されて移住して来た。マタギの狩猟シカリだった匤代の父・春生の指導のもと、大和田は狩猟免許を取得して山猟やまさつ生活に傾倒して行った。匤代とはすぐに親しくなった。それを知った笠井は大和田を逆恨みし、何かと敵意を向けるようになった。

 大和田の借家への小火、盗難、畑荒らしなどが頻繁に起こるようになったため、匤代は笠井を疑ったが、大和田は何食わぬ態でやり過ごそうとした。しかし、事がエスカレートして、匤代への暴力に発展したため、大和田は関根巡査に相談することにした。

 関根巡査は巡回で偶然会ったふうに装い、笠井に話し掛けた。

「笠井さん、苦情が出てますよ」

「何だ、藪から棒に」

「匤代さんと何があったんです?」

「おまえに関係ねえだろ」

「彼女、怪我してるんでね。警察としてほっとけないんですよ」

「ほっといてくれ」

「交番に来て怪我に至った状況を詳しく話してもらえませんか?」

「うるせえんだよ!」

「あのね、笠井さん。匤代さんが被害届を出せば、どっち道あんたを逮捕して事情聴取をしなければならなくなるんだ」

「任意だろ。オレは行かねえよ」

「任意の事情聴取に従わなければ逮捕によって事情聴取されるんです」

「被害届は出てねえだろ!」

「笠井さんが任意の事情聴取に応じてくれて、もう二度と匤代さんへの暴力は振るわないと約束してくれれば被害届は出さないと言ってるんですよ」

「大丈夫だよ、もうしねえよ」

「ですから、交番で書類にその旨の誓約書を出してもらいたいんです」

「面倒臭えな! 本人の口からやらないと言ってるんだからいいだろ!」

「そうもいかないんですよ」

「好きにしろ! オレには用がある」

 笠井はさっさと関根巡査から去って行った。数日後、県警のパトカーがやって来て、笠井を逮捕して連行して行った。

 3日程すると、留置所を出て田圃の畦道を歩く笠井の姿があった。畑仕事に出ていた匤代は、偶然にその姿に気付き、交番に走った。気配に振り向いた笠井に、走る匤代の後ろ姿が目に入った。

「匤代! 匤代ーっ!」

 匤代は笠井に見向きもせず一目散に交番に向かった。関根巡査は暇そうに立番をしていた。関根巡査の計らいで匤代が被害届を取り下げたが、笠井にはそんな思い遣りなど通じていなかった。

「匤代が来ただろ」

「匤代さんが被害届を取り下げてくれたんだ。彼女に感謝しないとな」

「匤代を出せ」

「笠井…まだ分からないのか」

「分からないのはおまえらだ! あいつらはこの村の女を狙って来てる」

「あいつら !?」

「移住者の連中だよ!」

「移住者の人たちにも随分と辛辣な態度だそうじゃないか? 皆あんたの粗暴さには迷惑してる。匤代さんもそういうあんたを怖がってるんだ」

「そんなはずはない。オレたちは小学校からの幼馴染だ。家も隣同志でいつもオレと一緒だった。大きくなったらふたりは結婚することになってたんだ!」

「匤代さんは、あんたが勝手にそう思っているだけだと言ってたぞ」

「そんなはずはない! 匤代を出せ! 匤代がここに逃げて来たのは分かってるんだ!」

「笠井、冷静になったらどうなんだ?」

「匤代は誰にも渡さない、オレのもんだ!」

「いい加減にしてーッ!」

 交番に匿われていた匤代が堪らずに出て来て叫んだ。

「やっぱりここに居たか、匤代。オレと一緒に帰るんだ」

「私に関わるのはもうやめて!」

「匤代…おまえはあの男に騙されてるんだ」

「あんた、頭おかしいんじゃない !?」

「なんだと…」

 笠井は匤代のその一言で切れた。いきなり笠井に髪を鷲掴みにされ、交番の戸に叩き付けられた。ガラス戸が激しく破壊され、倒れた匤代の額から鮮血が流れた。関根巡査は暴れる笠井を羽交い絞めに手錠を掛け、素早く救急車を要請した。

「笠井、今度は当分帰れなくなるぞ」

 匤代は救急車で搬送され、笠井は再び逮捕されて県警のパトカーに乗せられた。その目は関根巡査への筋違いな憎しみに溢れていた。以来、笠井にとって都会からやって来た移住者全てに対するコンプレックスが憎悪へと変わった。

 笠井貞三の成長は、山深い集落で童心のまま初恋の匤代に執着し、自分の描いた妄想の中に閉ざされて育った。外部からの移住者の風は、笠井にとって余りにも異物的で、愛する匤代までも奪って行く憎いものでしかなかった。笠井は外部から入って来る者は全て敵と見なした。同郷の関根といえども、匤代を奪った移住者の片棒担ぎでしかなかった。


 現在、匤代は移住者の大和田基樹と結婚し、村外れでジビエ料理を出す小さな規模の民宿を営んでいる。大和田は狩猟免許を取り、土地の猟友会に入って久しいある深夜、その民宿に忍び込もうとした者がいた。大和田は獣と間違えて威嚇発砲したが、獣ではなく半年ぶりに釈放されたばかりの笠井だった。

「笠井さん…どうしてここに !?」

 突然、匤代が大和田から猟銃を奪い取り、発砲した。

「あら、ごめんなさい、貞三。久し振りに銃を持ったから暴発しちゃった。折角来たんだから銃の練習に付き合って的になってよ」

 匤代は更に2発、笠井ギリギリに発砲した。

「おまえにオレが撃てるわけはない」

 笠井が言い終わらないうちにさらに発砲された弾丸は笠井の頬を掠った。

「腕が落ちたわ。今度はしっかり命中させるわね」

 引き攣った笠井の顔に、匤代は銃口を定めて構えた。

「練習は終わりにしよう、匤代」

 大和田が言うと匤代は素直に従って猟銃を大和田に渡した。

「また、的になってね、貞三。私たち、幼馴染でしょ。私と結婚したいぐらい想ってくれてるんだから、命なんて惜しくないわよね。次は絶対に外さないって約束するから」

「こんなことして許されると思ってるのか!」

 貞三は半泣きで喚いた。

「あら、貞三。漏らしたの? 一気に村の笑い者だわね」

「お前の所為だ! 誰にも言うな!」

「そんな約束なんか出来ないよ。精々村の恥晒しになればいいんだ、おまえは!」

 脱兎のごとく逃げ出した笠井は、大和田がわざと自分を撃ったと村中に触れ回ったが、匤代の父・春生の機転で、既に “小便漏らしの笠井” の噂が伝播していて、逆にからかわれる羽目になった。日頃からの性質の悪さが裏目に出て、誰もが匤代の肩を持ったため、大和田が責められることはなかった。以来、笠井は匤代に近付くことはなくなった。


 “小便漏らし” のほとぼりまだ冷めぬ笠井は、新庄にも固執していたが、新庄が立てた絞首刑台に副村長だった村田恒夫が首を吊っているのを見た時から、次は自分がやられると新庄を恐れ、荒々しく毒吐くことで何とか自分を保って来たものの、被害妄想甚だしくなり、先に新庄を殺らなければ自分が殺られるという恐怖に憑り付かれていた。

 時同じくして新庄邸に忍び込んだのは、古老の徳蔵に見放されそうになった俵賢太郎だった。それまで思うままに振る舞えていたはずが、徳蔵に貸したジャンパーが犬に剥ぎ取られたことで、腹癒せに新庄に報復されると思い込んで戦いていた。

 新庄からの見えないプレッシャーで二人はそれぞれに被害妄想マックスの殺意満々で、偶然にも同じ日の深夜、新庄邸に忍び込んで鉢合わせし、互いが新庄に待ち伏せを喰らったと勘違いし、殺し合いに至る妄想の成せる自業自得の顛末だった。

 閉ざされた情報弱者に甘んじる村人は、往々にして外部から入ってくる人間に異物感を覚え、“余所者=敵・自分=村のための正義” という認識を持つ。その考え方は時に村の多くの住人たちの賛同を得るが、“余所者=敵” と見なした相手によっては、その自己中心的な正義は脆くも捻り潰される危険を孕んでいる。

 笠井貞三と俵賢太郎の妄想は、誰の利にもならない自己都合による正義のため、村民の賛同すら得られなかった。 “敵” は自分一人の力だけで討たなければならなくなった。情弱が故の自死と変わりない。一部の賢い村人たちには、妄想で命を落とした二人の愚かな空回りに映ったかもしれない。自分の思いどおりにならない結末の責を、新庄に押し付けても無理がある。被害者は新庄なのだ。閉鎖されたムラ社会に住み続けるうち、心が病んでいく己に気付けるはずもないふたりは、利己的愚か故に命を落とした。しかし、これから先も村は何ら変わらない。地方創生など、情弱で時代の変異に頑固に鈍感な集落にとっては、恐ろしい都会からの招かれざる波なのだ。移住者が理不尽と感じる生活環境を、合理的にしようとすればする程、村民は異物視し、排除の対象にする。村八分は村にとって外部からの侵入者に対する最後の防衛手段なのだ。

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