第15話 光伝寺

 新庄邸での殺し合い事件がまだ治まらない中、西根夫妻と新庄夫妻は共に墓参りを装って光伝寺を訪ねた。待ち構えていた住職は人目に付かない庵に四人を案内した。妻の千恵子が茶の湯で出迎えた。その空間では、これから話すこととは対照的に静かな空気が流れ、互いの心が一本の糸で張られた。茶の湯を済ませると、千恵子は静かにその場を去って行った。

「…何から話しましょうか」

 住職は穏やかに口火を切ってくれたので、まず桜子が吉田翔の妻・和乃の失踪の真相に関してこれまで知り得たことを話し始めた。


 その日…鷹ノ巣に出向いた関根保巡査は偶然和乃に会って呼び止めた。しかし彼女は和乃の双子の姉・昭乃だった。昭乃は関根保が警察官であることを信頼し、佐々木家の秘密を話し、内緒にしてくれるよう懇願した。そしてふたりはその日を境に恋に堕ちた。和代が吉田家に嫁ぐ際、佐々木家を訪れたきぬは、そのことを姉の昭代から打ち明けられた。


 桜子の話を聞き終わった住職の松橋龍念は頷いた。

「よくぞ、そこまでお調べなさったね。これで亡くなった関根保さんの魂も浮かばれよう」

 西根巡査は率直に疑念を伝えた。

「和尚さん…関根巡査は本当に浮かばれるのでしょうか? 彼はこの村の住人に汚名を着せられたままなんです。保は昭代さんとの純粋な恋をしただけです。それなのに、保の家は保に着せられた汚名を晴らそうともせずに侮辱を受け入れていたのは可笑しくありませんか !?」

「西根巡査の仰ることはご尤もだ。では、関根家と俵家のお話をしましょう」

住職は、関根家と俵家の過去の関係を話し始めた。関根家は祖祖父の代に事業の失敗で竈が返ったが、俵家の先祖がそれを支えた。竈を建て直した関根家の先祖は、以後、俵家への忠誠を誓った。保の祖父・繁蔵は徳蔵と同級でいつも一緒だった。常に徳蔵の矢面に立つことを義務付けられて育った。住職の話で、西根の疑惑の対象である俵徳蔵は確かに関根家の背景でその鎌首をもたげていることが分かった。

「鷹ノ巣の庁舎に出向いた副村長時代の加藤が偶然、綴子神社の関根保さんと昭乃さんを見掛け、佐々木家の秘密を知らない加藤は、昭乃さんを和乃さんだと思ってしまったんだな。息を切らして話しまくっている加藤の姿をきぬさんが目撃していたんだ」

「きぬさんが !?」

「嫁の醜行となればきぬさんも穏やかではなかったろう。しかし、きぬさんは佐々木家の秘密を知っていた唯一の人だった。姉の昭乃さんに打ち明けられるまでもなく、何しろその手でふたりを取り上げた産婆でもあるんだから」

「きぬさんは産婆さんだったんですか !?」

「この村の多くの大人はきぬさんに取り上げてもらってる。ただ、佐々木家の双子を取り上げて以来、きぬさんは産婆をやめた」

「どうしてですか !?」

「…さあ、どうしてかね。でも、きぬさんだからこそ加藤が昭乃さんを和乃さんだと思い違いしたことにピンと来たんだ」

 住職は寂しげに膝の上に持った数珠を指で送り始めた。


 当時、関根保は鬼ノ子村に広がる警察官不倫の噂で窮地に立たされた。すぐに村中から関根巡査に対する執拗なバッシングが始まった。昨日までは満面の笑みで接していた村人の誰もが、関根巡査が巡回で通ると聞こえよがしに罵倒を浴びせる日々が続いた。交番に帰ると、入口一面に “死ね”“不倫男”“消えろ”“村から出て行け” などの正義の暴走が下手な字で紙に書き殴られていた。

 関根保にとってつらかったことはそうした罵倒ではなかった。先祖の忠誠にあった。この先、関根家の子孫は永久に俵家に犠牲を強いられ続ける。悪習は自分の代で断ち切らなければならない。とすれば自分が関根家の血を絶やすしかなかった。そして関根保は、佐々木家の秘密をも守るために自殺を選んだ。

 西根たちが住職を訪れたことで残されていた疑問は解けたが、事態は何も変わらない。噂を立てた人間、この村の悪習にでんと居座った人間たちが未だ好き放題をしている。

 和代が、自殺した関根と姉の真実を話せば、佐々木家の秘密が村中に知れ渡る。加藤のゆすりは陰湿だった。事情を知れば更に卑劣なものになったろう。

「見掛けに寄らず、男に優しいんだな。オレにも優しくしてくれないかな。旦那の吉田翔くんを悪いようにはしない」

 和乃は何も言えなかった。執拗に言い寄る加藤から逃げることにも疲れ果てていた。そんな時、きぬが声を掛けて来た。

「私に話せない事情でもあるのかい?」

 和乃は、不貞の嫁と思われるのは忍びなかったが、きぬにだけは話すしかないと思った。

「…実は」

「知ってるよ」

 きぬは佐々木家と俵家の因縁を和乃に告げ、しばらく姿を消すよう促した。

「でも、翔ちゃんには…」

「大丈夫、あの子はそんな馬鹿な子じゃない。あんたを信じてる。暫くの辛抱だから…」

 和代は涙腺が怒涛のように緩んだ。誰にも相談できずにずっと張り詰めていた。きぬを信じ、鷹ノ巣の実家に隠れ住むことにした。その日以来、和乃は姉・昭乃のもとに身を隠すべく、鬼ノ子村から消息を絶った。関根保が自殺し、今度は和乃が失踪したとあって、鬼ノ子村には再び心無い噂が飛び交った。

 住職と話し終えた西根は大きな溜息を吐いた。

「理不尽ですね」

 一同は西根の次の言葉を待った。

「加藤邦治は部下の村田恒夫の妻である郁子と深い仲です。郁子がその加藤の姪でもあることも村の住民は知っている。でも、誰もその事には触れない。身内には無神経になってる」

 西根巡査には警察官としての一線を越えることの出来ない枷がある。新庄は西根のボヤキを聞きながら思った。村八分同然の自分に出来ることがそこにあると。郁子は奔放な女である。村田は半ば強引に郁子と結婚させられた。罅を入れるなら郁子からが最も効果的だろう。

 諸悪の権現は先祖の忠誠に胡坐をかいて、村を我が物顔に牛耳る徳蔵。その徳蔵の虎の威を借る村人は身内の悪行には目を瞑る習性になっている。移住者や場違いな正義を語る一部の住民は悉く村八分という同調圧力の犠牲になるしかない。この住職にしても、結局は寺の中心的檀家である徳蔵の傘下に違いない。今日の会話の一部始終はすぐに徳蔵の耳に入るだろう。新庄は寺の庵では一言も発しなかった。郁子を揺さぶりのターゲットに決めたからだ。

「お気を付けなさい」

 庵からの帰りの飛石の道で、新庄に一瞬緊張が走った。、住職が後ろから語り掛けたのは、西根巡査に対してだったことで新庄はほっと胸を撫で下ろした。

「背中に “復讐の相” が出ていらっしゃる」

 西根巡査は無言だった。西根巡査を牽制したところで “どうにもならないぞ” と、新庄は後頭部で住職を冷視した…が、住職の牽制は西根ではなく、やはり自分に向けられたものだと新庄が悟ったのは、寺を出ようと西根巡査より先に振り向いた時だった。住職の刺すような視線が新庄の腸を貫いていた。しかし、新庄は微笑みを湛えてゆっくりと一礼し、素知らぬ態で寺を後にした。西根巡査が自転車に乗って新庄を追い越しざま、笑いながら声を掛けて来た。

「どうやら戦闘開始だな!」

 そう言ってペダルを勢い踏んで去って行った。

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