第12話 忍びのママさん会
桜子とハルは初対面の時から気が合った。桜子の夫・西根巡査は丁度ハルが夫の新庄と別居暮らしが始まる頃にこの村の駐在に赴任して来た。ハルはこの村での夫との暮らしに終止符を打って去ろうとしていたその時に桜子と初めて会った。西根巡査は赴任の挨拶回りで妻の桜子を伴っていた。西根にとってこの村は生まれ故郷であり、村民は皆旧知の存在である。西根巡査は、前任者である関根保という同郷の先輩の急死に疑問を持ち、生まれ故郷の村への赴任を願い出ていた。
5年前…ハルの事情を知った桜子は妙な親近感を持った。
「村を脱出しても、たまには帰って来るんでしょ?」
「…どうかな? ほんとにここがうんざりなのよ」
「どれくらい住んでたの?」
「5年ぐらいかな…私には地獄の5年だったわ」
「ほんと、この村、面倒臭そうね。そのうち私もハルさんみたいに入院を口実に実家に帰ろうかな」
「おい、桜子!」
「何で私まで一緒に挨拶回りしなきゃならないのかさっぱり分からない」
ハルは桜子の不満に大声で笑った。
「ハルさんだってそう思わない !?」
「思う」
「ハル!」
今度は新庄が止めた。
「たまでいいから、この村に帰るんじゃなくて、私とどこかで会いましょうよ」
「分かった。桜子さんとだったら話が合いそう」
「情報交換しましょ、ハルさん。あなたからは開かれた世の中で起こってる情報を聞きたいわ。私はこの閉鎖空間で何が起こっているかの情報を提供する」
西根巡査が口を挟んだ。
「個人情報に関することは…」
「あなたのお仕事に迷惑は掛けないわ。あくまでも私個人が知り得た情報なら問題ないでしょ?」
「それはまあそうだが…」
「じゃハルさん、いいわね」
「ええ!」
それが桜子とハルの初対面の会話だった。しかしハルが鬼ノ子村から居なくなるとふたりはそのまま疎遠になった。桜子が大学の同窓会で上京し、偶然同じホテルで食事をしていたハルと再会するまでは。その後、何回か中間地点の仙台で会い、そしてハルが忍んで鬼ノ子村の夫に会いに来る日を利用して、鬼ノ子村から40キロ離れた隣町の道の駅「たかのす」で落ち合うようになった。鬼ノ子村にも道の駅「あに」がある。そのため、鬼ノ子村の村民がわざわざ鷹ノ巣の道の駅まで来るはずもなく、ここのレストランなら不特定多数の人の出入りも激しく、ふたりが会って話をしているのも気付かれることはまずない。ふたりはいつものように道の駅「たかのす」の限定名物“ししとうアイス”を駆け付け三杯代わりに食した。そしてでかい海老天が乗った名物“太鼓丼”の前のコーヒータイムを情報交換に当てていた。
無言でししとうアイスをほおばり続けた甘い口の中をコーヒーの苦みが洗い流して興奮気味の胃を沈め、二人は満足の溜息を吐き、糖分の渇きを鎮めてから愈々ふたりの “忍びのママさん会” の情報交換が始まるのが常だった。
「ご主人の赴任後どう?」
「どうもこうも、住民の様子見の貢物ラッシュね」
「始まったのね」
「はっきり言っていらない。確かに地元で採れたての野菜なんかは新鮮だけど、夫と二人で食べ終わる頃には半分以上腐ってる量だわ」
「ありがたいけど度が過ぎて迷惑なのよね」
「目的は見え見えだわ。私の品定めと私の家の観察ね。あの貢物の量が多いのは計算づくね。腐らして捨てようものなら絶好の攻撃材料にする魂胆でしょ」
ふたりは噴き出して笑った。
「私は最初、それが読めなかったの。だから腐らして捨てるしかなかった。村の人は見ていないようでしっかり目を光らせている。どんな些細なことでもすぐに村内を駆け巡るわ」
「暇なのかしら」
「重箱の隅突きの暇は侮れないわよね」
「貢物の後はそのお返しを待ってるでしょ、飛んだ散財ね」
「そうはいかないわ。私には決まった対応策があるの」
「対応策 !?」
「第一弾は“抽選で警察の限定キャラクターグッズ・ピーポ君が当たりますから、それまで持ってくださいね” って番号札を渡してるの」
桜子は貢物を持って来た村民全員に番号札を渡していた。
「それをどうするの?」
「毎月当選番号を玄関に張り出すつもり」
「何名に当たるの?」
「毎月一名だけ」
「きっと不満だろうけど警察グッズじゃ文句も言い難いわよね。でも頂いた野菜は腐らしたら大変でしょ !?」
「それが第二弾よ」
「どうするの !? 玄関前に野菜を置いて行かれても迷惑なだけだわよね。置いて行った主を突き止めて、返礼をしなければならないし、知らんぷりすると “貴重なものをわけてやったのに一言もないなんて非常識だ” と騒がれて、結局、どこかで村との人間関係に罅が入るように出来ているのよね」
「そこで編み出したのが “公開糠漬け作戦”」
「公開糠漬け !?」
「いただいた野菜を全部糠漬けにして日にちを入れるのね。そして “皆さまからの頂き物を我が家だけでは頂き切れないので糠漬けにしました。ご自由にお持ちください” って表示して玄関先に出したの」
「どうなった?」
「糠漬けの樽が玄関の前にずらーっと並んだわよ。だけど誰も手を付けないから片っ端から腐って行ったわ」
「大顰蹙 !?」
「ところが何の御咎めもなく日々の貢物ラッシュは終わった」
「やるわね」
「その糠漬けの樽はどうしたの?」
「そのままにしてあるわ。我が家の厄除け代わりに」
ハルは桜子の天晴れぶりに涙が出るほど大笑いしてしまった。
「村人の人情は、仕掛けられた落とし穴のサバイバルゲームよ。私、ゲーム得意だから。ほんとはご期待に応えて豪華に倍返しの返礼をしたいけど、毎日の貢物攻撃だから警官の給料じゃ経済力が持たないのよ」
力なく笑う桜子にハルはまた笑った。
「ハルさんはお仕事どう? 私は貞淑からは程遠い専業主婦だけど、ハルさんはお仕事持ってるから」
「設計の仕事が好きなの。規格どおりに建てれば頑丈に建つ。でも誰かが規格外なものを使用すると、そこから問題が起こって最悪崩壊するわ」
「あの村もそろそろ崩壊ね」
「建物は適切な補強をすれば持たせることが出来る。ご主人はそのために愛すべきこの村に赴任なさって来たんじゃない?」
「…そうみたいなのよね」
「私は知らないけど、前任のお巡りさんのことを聞いたことがあるの」
「誰に !?」
「住職よ、確か松橋龍念さんっていったかしら、光伝寺の住職」
「そうなの…まだ私は挨拶に行ってないから知らない」
「私たちの入るお墓を作ろうと思ってね…でも、ここに骨を埋めるつもりがなくなって、やはりやめたのね」
「前任の巡査のこと、どう言ってたの?」
「気の毒なことをしたと…」
「気の毒な?」
「どんなことがあったのか聞いたんだけど、“いずれ知る時期も来るだろう”と肝心な焦点ははぐらかされたわ。何でもその方が亡くなられたのを機にご一家が村から引っ越されたとか言ってたわ」
「事情が込み入ってそうね」
「ご主人なら少しは詳しく聞いてらっしゃると思うわ」
「仕事のことになると石のように黙して語らなくなるのよ、主人は」
「警察官だから仕方ないわね」
ハルたちは自分の近況を話し、仕上げの“太鼓丼”を平らげてから今回の“忍びのママさん会”はお開きとなった。
帰途の桜子が国道105号を南下しながら吉田翔の妻・和乃のことをあれこれ考えていると携帯が鳴った。
「見付けたわ!」
ハルからの電話だった。
「見付けったって、何を !?」
「和乃さん!」
「和乃さんて、あの消息不明の !?」
「そう、吉田和乃さん。恐らく実家よ。表札に“佐々木”ってある。和乃さんの旧姓は“佐々木”よ」
「ていうことは、今、彼女の家の前 !?」
「人違いかも知れないと思って、後を付けたの」
「やるわね」
「でも、これからどうしていいか…」
「分かったわ、私もすぐにそっちに向かうから、そこで待ってられる?」
「分かったわ、場所は…」
和乃の実家らしき佐々木家は、古門扉のある旧家の佇まいの家だった。ハルのカーナビには現在地・綴子が表示されていた。道の駅「たかのす」から程近くにある綴子は、かつて最寄鷹ノ巣駅北側を東西に跨る羽州街道の宿駅で津軽藩主の本陣が置かれた宿場町として栄えた。現在も宝勝寺や綴子神社などの歴史的建造物が当時の名残を齎している。歴史は古く弘長2年(1262年)に創始の夏の伝統行事『綴子神社例大祭』が今に継承されている。鬼ノ子村の獅子踊り同様、大名行列の出陣を模し、上町が徳川方、下町が豊臣方に分かれて1年交代で綴子神社に大太鼓を奉納し、虫追いや雨乞い、五穀豊穣を祈願する祭りだ。当初は年に一度の無礼講の日と定められたが、上町下町の先陣争いが余りにも過激になり、住民同士が険悪な一年を過ごすまでになったため、昭和5年以来、隔年交代となった。それまでの意地の張り合いで、イソップ寓話の“かえると牛”の如く、大太鼓の大きさが年々大きくなり続け、ギネスものとなって久しい。
桜子の車が静かにハルの車の後ろに付けられた。ハルが車から降りようとすると携帯が鳴った。
「まだ車から降りないで…このままでちょっと計画を立てましょ」
「そうね」
「和乃さんは15分ほど前にあそこの…“佐々木”という表札のある家に入ったわ。その後は出入りがない」
「私たち、探偵みたいね」
「ほんと…それにしても素敵なお家ね。今時、古門扉のある家なんて殆どなくなったわよね」
「佐々木家は俵家の二男が養子に行った先らしいわよ」
「詳しいわね」
「夫の書類がちらっと見えたのよ」
「ちらっとね。ちらっとなら仕方ないわね。今、誰が住んでいるのかしら?」
「ちらっとだから、そこまでは分からない」
「ご主人に報告したほうがいいのかな?」
「いや…私たちでもっと調べてからにしましょ? 私の見間違いかもしれない。和乃さんだと決まったわけじゃないし…」
「それもそうね」
「伺うしかないかしら」
「でも、何て言って伺えばいいんだろ」
「そのまま、“和乃さんを見掛けた” って言うしかないでしょ」
「そうよね」
「急に居なくなったので、村中が心配していると…」
「それは嘘っぽくない? あの村の連中は心配なんかしない。好奇の目を向けるだけだよ」
「それもそうね…だったら私たちが心配していると伝えればいいんじゃない? 見掛けたのが和乃さんに間違いなかった場合、この事を知られたくない場合もあるでしょ」
「よし、じゃ、当たって砕けるしかないわね」
「でも、あんたは入院してる事になってるから…」
「忘れてたわ。でも、“忍びのママさん会” の名に掛けて、やるしかないでしょ!」
「金田一少年の台詞みたいになって来たわね」
「初仕事よ!」
「兎に角、行くしかないわね!」
ふたりは車を降りて、佐々木家に向かった。旧家の前に立つと、やはり敷居が高かったが、桜子は思い切って古門扉のドアホンを押した。
「はい」
女性の声がした。
「和乃さん、いらっしゃるでしょうか? 鬼ノ子村で巡査をしております西根の妻ですが…」
ハルは成程と思った。窺うにしても、どう名乗ればいいのか考えていなかった。巡査の妻と名乗れば “何事か” とは思うが、心なしかオブラートに包んだニュアンスになる。案の定、少しの間があってから古門扉が開き、不安げな和乃が顔を出した。
「どういうご用件でしょうか?」
「やはり、和乃さんね。無事で良かった!」
「あの…どなた様でしょうか?」
「え !? 西根の妻です。桜子です。こちらはハルさん、新庄ハルさん」
「ハルです。急にいなくなったから心配だったの。でも偶然、道の駅の帰りに自転車で走っている和乃さんと擦れ違ったの」
「ちょっと待ってください…私は…和乃じゃありません」
余りにも意外な返答に桜子もハルもフリーズした。
「お姉ちゃん、その方々に中に入ってもらって?」
奥から瓜二つの女性が出て来た。
「そこに居るのは私の姉の昭乃です。私たち、双子なの」
「…ふたご !?」
「兎に角、中に入ってください」
ふたりが通された部屋は、表の佇まいとは対照的にお洒落で現代風な洋間だったが、大きなガラス戸からは
黄緑に澄んだ緑茶が儚げな湯気を引いて目の前に差し出された。
「ここに来たのは、義母のアドバイスなんです」
和乃は唐突に切り出してきた。
「義母って…きぬさん !?」
「はい」
和乃は桜子とハルに、鬼ノ子村から突然姿を消し、夫・吉田翔のもとを去った経緯を話し始めた。
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