第11話 ゴミ溜めの正義
役場職員の吉田翔の妻・郁子が消息を絶ってから一週間が経った。首吊り死体で発見された副村長の村田恒夫の事件が意外な形で飛び火した。村長の加藤邦治があろうことか、いわば被害を蒙っている側にも拘らず吉田の懲戒免職を言い出した。しかし、責任は副村長にあるとして議会の承認は通らなかった。その件以来、加藤にケチが付き始めた。
村長の加藤邦治を担いでいた村の実力者である俵徳蔵は、本家筋の長老で村一番の権力者である。加藤邦治は前村長・小笠原清次の清廉潔白ぶりを疎ましく思い、叔父にあたる徳蔵に頼んで小笠原清次を失脚に追い込んだ張本人だった。しかし、西根巡査の周到な調査と準備で、村田恒夫が買収に手を染めたのは、加藤邦治の指示だということを突き止め、買収に無神経になっていた村民の証言が次々に押さえられた。加藤邦治は叔父の徳蔵に助けを求めた。徳蔵は住職の松橋龍念を訪ねて、事の仔細を話し、事態の収拾を図った。
「徳蔵さん、本家筋が立つようにせねばね」
住職はただそう言って、勤行に入った。
通常、本家は長男が家督を継ぎ、次男以降は分家となる。また、
鬼ノ子村のような集落は本家筋から枝分かれして網の目のような繋がりが張り巡らされている。婚姻で繋がる近隣集落を含めて一帯が親戚といってもいい。本家筋の一挙手一投足には大きな責任が伴う。徳蔵は犯罪者に肩入れすることは絶対に許されない。そこで住職の松橋龍念を矢面に立てれば打開策もあろうと踏んだのだが、住職は靡かなかった。
徳蔵は常に本家筋の緊張感の中にある。村の者ならぬ移住者如きが土足でその張り巡らされた糸に触れようものなら、村中からとんでもない意趣返しを受けることになる。
俵徳蔵は加藤の誤采配の無様を見て、彼を見限った。途端に村での後ろ盾を失った加藤のリコール運動が始まり、署名は数日で既定の3分の1を遥かに超え、住民投票でも加藤の解職に賛成過半数となった。そして首長選では当然のように前村長の小笠原清次が返り咲いた。
しかし、徳蔵は小笠原を次期村長に推したわけではなかった。遠縁の俵賢太郎を立候補させたが、幼い頃から甘やかされて育った賢太郎の、弱者と見れば傍若無人な性格の悪さを曝すことを知る村民には受け入れられなかった。小笠原の返り咲きとは逆に、加藤のかつての村長選での買収疑惑が尾を引き、後ろ盾だった徳蔵の暗躍も浮上した。情報源は加藤の為体ぶりに嫌気がさして離縁した妻の恒子だった。徳蔵は必死に揉み消しを図った。しかし、西根巡査にまで向けた圧力が仇となって更に墓穴を掘る結果となった。結局、加藤邦治が逮捕されて有罪が確定し、芋蔓式に村役場で加藤の肩を持って買収に手を染めた職員らも全員辞職に追い込まれてブタ箱行きとなった。
「随分と風通しが良くなったな」
小笠原は村長席で新副村長に抜擢した吉田翔に語り掛けた。
「その後、奥さんの件は?」
吉田は気怠く首を横に振った。
「きぬさんはどうしてる?」
「母は相変わらず元気です」
「そうか、きぬさんは強いからな」
小笠原の顔には笑顔がこぼれた。
「私はあんたのお父さんの昭男くんとは同級生でね。きぬさんを奪い合ったもんだ…でも、きぬさんはあんたのお父さんを選んだ…今から思えば大正解だったな」
「どうしてですか?」
「ほら、これだよ」
小笠原は自分の禿げ頭をポンと叩いた。
「きぬさんがオレと結婚してたら、あんたもこうなっていたかもしれないぞ」
吉田は思わず噴き出した。
「やっと笑ってくれたか」
「すみません」
「お父さんは亡くなるまで髪がふさふさだった。亡くなってから何年になる?」
「もうすぐ一年です…郁子の心が離れて行った頃です」
ふたりは暫く無言だった。
「有給をやるから墓参りに行って来い。これは村長命令だ」
吉田は冗談交じりの小笠原の思い遣りが有難かった。
やっと平穏を取り戻したかに見えた鬼ノ子村だったが、自治体のゴミ集積所でトラブルが発生していた。
「おまえ、何のつもりだよ。誰がここにおまえのゴミを捨てていいと言った」
笠井貞三が移住間もない八神に絡んでいた。
「ここはな、村の掟をちゃんと守ってる者でないとゴミを捨てちゃダメなんだよ」
「規則は役場の指示どおりに守っています。役場ではここのゴミ捨て場に捨てるように言われてるんですが…」
「それはこの村の掟を守った上での話だろ」
「村の掟 !?」
「おまえ、加藤さんとこのガソリンスタンドで燃料買ってるか? 隣町に買いに行ってるって言うじゃないか」
笠井の言っていたとおりだった。しかし、役場では隣町で買い物をしてはならないとは言われていないので、笠原の忠告は受け入れない決心をしていた。
「隣町のスタンドのほうが安いもんで…」
「そういう問題じゃねえんだよ。この村の人間はこの村で買わなきゃならねえ決まりなんだよ」
「役場ではそういう風には言われてないんですが…」
「役場、役場って、役場はオレたちの税金で動いてんだよ。それにおまえ、偉そうに見積もりをあちこちに出させやがって、挙句の果てに隣県の業者使って家を直させてんじゃねえよ!」
「しかし、少しでも節約しないと無駄な費用が…」
「無駄だと !? この村に金を落とすことが無駄なのかよ。なら、無駄なあんたがこの村から出てけよ!」
「いくら何でもそういう言い方はないんじゃないでしょうか?」
「夢ばっか見やがって、現実に目を瞑って来たおめえらに責任があるんだよ」
「夢を見て何が悪いんでしょう。あなたたちに迷惑は掛けてないと思いますが」
「迷惑掛かってんだよ! おめえらが来た所為で医療費が嵩んで役場は火の車なんだよ」
「それは違うんじゃない、笠井さん」
西根鉄陽巡査の妻・桜子が新庄の妻・ハルと現れた。
「医療費は移住者のせいじゃなく、この村の高齢化が主な原因よ。このゴミ集積所にしたって、村民なら誰でも利用できる場所よ。この村の住民になった八神さんも当然利用できますよ」
「あんたは黙っててくれ」
「いえ、あなたこそ黙りなさい」
「何だと!」
桜子は威圧的な笠井に少しも怯まなかった。
「その威圧的な態度、感心しませんね。主人を呼んだ方がいいようね、八神さん」
「はい、そうしてもらえますか?」
八神は申し訳なさそうに桜子に会釈した。
「好きにしろ。オレは当然のことを言ったまでだ」
笠井は急にトーンを落とし、舌打ちして去って行った。
「待ちなさい、笠井さん!」
「なんだよ、うるせえな!」
「あなた、税金を滞納しっぱなしなそうじゃない? 村中の専らの噂よ」
「知るか!」
「税金払いなさいよ!」
笠井はそそくさと去って行った。
「なに、あの態度…」
「八神さんがおとなしいからよ」
「おとなしくないうちの主人にさえ攻撃的よ」
「もともと気が荒い人なのよ」
「何が不満なんだか、気の弱いくせに、いつも目付きが肉食動物のようにきついのよね」
帰り損ねて困って立ち尽くしている八神に気付いた。
「あら、ごめんなさい。私は西根巡査の妻です…初めまして…かしら?」
「ええ、そうです。八神です。先日移住して来た八神一徳です」
「こちらは新庄さんの奥さん。ハルさんよ」
「新庄の妻です」
「お元気だったんですか !?」
「お元気も何も、私、死んだことになってたでしょ」
ハルと桜子は大笑いした。
「あのバカ、ハルさんに気付かなかったみたいね」
「コロナ過でマスクしてるしね」
「聞かれたら私の姉ということにしておきます」
「姉か…」
「いや、妹ということに」
「いや、やっぱり姉かな」
「姉だわね」
「桜子さん、しみじみ言われるとね…」
「でも、安心しました。お二人とも移住者の大先輩ですよね。宜しくお願いします!」
「移住者の先輩と言っても、うちの夫は村八分同然ですから参考にはなりません」
「じゃ、村八分の先輩ということで」
「でも、私は新庄さんのような移住者に憧れます」
「じゃ、相当苦労するわよ。私はこの村の今のようなドタバタ劇にうんざりして都会の自宅に戻ったの。今日は遥々、桜子さんに会いに来たのよ」
「じゃあ、これからご主人に?」
「いいえ、これから桜子さんと隣町まで買い物に行くの。私はそのまま帰るわ」
「ご主人に会わないんですか !?」
「もう会って来たわ。私は妻というより食料その他の配達係よ」
「…そうなんですか」
「そんなわけないでしょ、この人はもう愛する夫と熱~い時間を過ごして来たのよ」
「…そうなんですか」
「 “そうなんですか” じゃなくて、あなたも一緒に買い物に行く?」
「いえ、私は…」
「笠井の言うことなんか気にしないでね」
「はい」
「でも、気を付けたほうがいいかもね。あの男には犯罪の臭いが充満してるわ。触らぬバカに祟りなしっていうでしょ」
「やめてよ。警察官の奥さんが言うと妙に説得力があるじゃない」
三人は笑って解散し、桜子たちはそれぞれの車で隣町に向かった。
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