第10話 招かれざる死体
今朝も早朝から何やら騒がしいなと、今起きたばかりの新庄がベランダに立って驚いた。鉄柵門の前に住民が群がって大騒ぎしていた。住民が盛んに指差すゲンの墓のオブジェの絞首刑台を見ると、村田恒夫が首を吊って揺れていた。
「新庄さん、この鉄柵の扉を開けてください!」
西根巡査が叫んでいた。新庄は急いで沼田に入口の鉄柵を開けさせた。渡辺キヨを筆頭に興奮した住民たちも我先に入ろうとするので、新庄は怒鳴った。
「あんたらは駄目だ!」
管理の沼田が西根巡査を入れるなり素早く鉄柵門を閉めた。
「おい! てめえ、引籠りのくせにいい気になるなよ! ここを開けろ!」
村一番の気性の荒い笠井貞三が鉄柵を揺らして喚いた。
「耕一、何でお前は移住者の使いっパシリをしてるんだ! ここはオレらの村だろ! おい、新庄のクソ野郎! 村の許可なくこんな柵を作りやがって!」
新庄は笠井をまじまじと眺めて冷笑した。
「まるで動物園のゴリラだな」
「何だと、この野郎!」
「あ、ごめん。動物園じゃなかった。刑務所の檻の中だな」
「くそ、ただじゃ置かねえ! 耕一、ここを開けろ! おめえ、どっちの味方なんだ!」
「ここは俺の私有地だ。おまえみたいな心も体も薄汚え奴が入れる場所じゃねんだよ」
「ぶっ殺してやる!」
「西根さん、笠井貞三さんが私に殺害予告で脅してるんですがね」
「笠井、また豚箱に入りたいのか!」
西根のどすの利いた言葉に笠井は黙った。新庄はベランダから笠井に満面の笑顔を残しながら、西根巡査が検分する絞首刑台に向かった。笠井は不満治まらない溜息を吐いてキヨの顔を見た。キヨは笠井のだらしなさに舌を鳴らして顔を逸らした。
「新庄さん、まずい事になったね。あんたがこんなものを作るから」
「西根さん、私の所為じゃないでしょ。どんな事情があったか知らないが、この死人が勝手に鉄柵を越えて首吊りしたんでしょ。大迷惑です。どう見たって不法侵入でしょ。他人の庭を勝手に死に場所に選ぶなんて、無神経にも程が有る」
「あんたは関与してないんだね」
「どういう意味ですか? それより、誰ですこいつ?」
「知ってるでしょ、副村長の村田恒夫さんだよ」
「えっ !?」
新庄は驚いて、首を吊って息絶えている男をまじまじと見た。
「こいつ、選りによってこんなとこで…」
「新庄さん、何か知ってるのかい?」
「…いえ、別に何も」
「もし知ってる事があるなら話してもらえないかな?」
「副村長とは付き合いがないんでね…って言うか、西根さんも知ってるでしょ、私が村八分同然だということは」
「…まあ」
県警のパトカーと救急車がやって来た。吉田翔も駈け込んで来て鉄柵の外から叫んだ。
「西根さん、夕べから郁子が帰ってないんです!」
新庄は沼田に合図して鉄柵を開けさせ、刑事2名と救急隊員3名を通した。再び笠井が沼田を押し退けて強引に入ろうとするのを西根巡査が制した。
「笠井! 余程、住居侵入罪で逮捕されたいようだな!」
笠井は仕方なく黙って引き下がり、申しわけなさそうに再びキヨを見た。キヨはこれ見よがしにそっぽを向いた。
検分を終えて戻ろうとする西根巡査に、入口の吉田翔が強く訴えた。
「西根さん!」
「分かった、こっちの件を済ませたら事情聞くから」
「待ってください、西根さん! 副村長の首吊りと何か関係があるかもしれないんです!」
吉田の必死の表情に、西根巡査は新庄を呼んだ。
「何か事情がありそうなんで、彼を中に入れてもう一度話を聞いてもいいかな」
新庄が断わるわけはなかった。事情は知っている。郁子の行動も想像は付いていた。吉田は妻と副村長との関係の噂を県警の刑事らに話し、昨夜から妻が消息を絶っていることを説明した。西根が吉田の事情聴取を終えると、県警の刑事らの鋭い視線が新庄に向けられた。
「あんた、何でこんなものを作ったんだね」
「こんなもの !? これ、殺されたゲンの墓ですよ」
「ゲン !?」
「飼っていた犬ですよ」
「何だ犬か…」
「“何だ、犬か” だと !?」
失言を指摘された沢口
「いや、人間だと思ったんでね」
「あんた、犬を飼ったことがないね。飼犬は家族同然なんだよ、いや、飼っている人間によってはそれ以上かもしれないんだよ」
「済まなかった…墓…ね。何でまた飼犬の墓を絞首刑台にしたんだ?」
「害獣に殺されたからだよ。天国のゲンに、殺した害獣を見付けたら此処に吊るしてやる約束をしたんだ」
「…なるほど。で、殺した害獣の目途は?」
新庄は鉄柵の外の野次馬村民に視線を投げた。
「さあ、今頃どの辺りでのほほんとしているんだか…刑事さんも捜査してくれませんかね」
「まあ、一応心掛けておきます」
救急隊員らに手伝って遺体の収容を終えた西根巡査が戻って来た。
「沢口刑事、移動の準備が出来ました!」
「そうか…新庄さん、この絞首刑台は撤去してもらえませんかね」
「ゲンを殺した害獣を吊って無念を晴らす儀式を済ませたら撤去する予定です、ゲンとの約束なんで。刑事さんも害獣退治にご協力くだされば、撤去も早まりますので宜しくお願いします」
沢口は苦笑いして去って行った。西根も吉田を促して帰ろうとすると、吉田は新庄に向き直り、丁寧に一礼した。吉田を見送る新庄は鉄柵の外に強い視線を感じた。見ると住民たちの後ろに吉田きぬが立って居た。
遺体を収容した救急車と県警の鑑識や刑事たちのパトカーが去ると、野次馬村民が再び鉄柵に群がり、笠井が怒鳴り始めた。
「おい、移住野郎の新庄! てめえが副村長を殺したんだろ! てめえこそ首吊って詫びろ!」
野次馬村民も笠井に同調して騒いだ。
「前科者の笠井!」
新庄が大声で怒鳴ると一瞬にして野次馬村民らが静まった。
「強請る相手が死んじまって気の毒だったな…住民の皆さんは知らなかったでしょうけど、この笠井は副村長の村田さんをずっと前から強請り続けて金をせびっていたんですよ!」
「出鱈目いうな! そんな証拠、どこにある!」
「郁子が夕べから帰って来ねえんだ!」
きぬが言葉を挟んできた。
「死んだ村田といい仲だちゅう噂が立っちまって、郁子はそのことで笠井に強請られて苦しんでたんだ」
野次馬村民らの空気が変わった。
「郁子まで死にでもしたら…笠井…どうする?」
「オレには…」
「関係ねえと言わせねえよ。おい、貞三! おまえはガキの頃からろくでもねえやろうだったな。仕事にも付かねえ強請り集り野郎のくせに、どの面下げて人前に出てんだ?」
笠井は幼い頃からきぬが苦手だった。笠井がしゅんとすると、野次馬村民らは後味悪げに一人去り、二人去り、結局、渡辺キヨまでが笠井を残して去って行った。笠井は身の置き所がなくなった。
「邪魔が居なくなった。じっくり話を聞かせてもらおうか」
「…オレの知ったことか」
笠井は捨て台詞を吐いてそそくさと足早に去って行った。
「新庄さん…」
「はい?」
「あたしはね、あの絞首刑台が気に入ってるんだよ。早く害獣が吊るされて欲しいと願ってるんだ」
「もしや、ゲンを殺した犯人に心当たりが…?」
「さあね…ただ、一番いいのは自滅させることなんじゃねえのかな」
そう言って笑いながら去って行った。きぬの一言は新庄にとって無二の励みになった。
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