第8話 公僕
村挙げてのつるの葬儀も済み、木々の葉が青葉から色づき始めた頃、新庄は異常な臭いで起きた。地面からは堆肥のような強烈な臭いが空間を支配していた。新庄は冷静だった。すぐにその全貌を暗視カメラの映像に収めてSNS上にアップした。“移住者に対する次の嫌がらせメニューをUPしました。実行犯は誰でしょう?”。夜明けを待って外に出ると、家の周囲一面に人糞が撒き散らされていた。部屋に戻ってSNSを確認すると、既に “子供じみていますね”、“当然、倍返しでしょう”、“警察? 役場? 消防?”、“恐怖の心霊スポット!? ”、“観光がてら犯人捜査に行っていいですか?”、“宿泊の受け入れありますか?” などの想像を上回る数のコメントが続いていた。
一瞬ではあるがSNSの映像には徳蔵の犯行が映っていた。気付いた一つのコメント“あのオッサンは誰!? ”がバズった。その人間の素性はすぐに突き止められた。
朝になると賢太郎を罵倒する徳蔵の大声が響いた。
「おまえが役立たずで寝込んでるからこのざまだ」
徳蔵自慢の家の前の庭園には、新庄の家の周辺に巻いたはずの人糞が山と積まれて戻されていた。そこには伝言を添えた枯れ枝が刺さっていた。
“俵徳蔵さま 昨夜お預かりした貴重な堆肥をお返しします。一応、今、堆肥のDNA鑑定を確認させていただいておりますので、結果が出ましたら追って郵送させていただきます。尚、堆肥郵送に掛かりました費用50.000円のご請求書を同封させていただきました。 新庄 要 拝 ”
「あのガキめ…」
翌日、新庄の家の前に立った徳蔵は驚いた。家の周囲を頑丈な鉄柵で覆う作業が続けられていた。作業員に徳蔵の敵意剝き出しの言葉が投げられた。
「あんたら何だ?」
「おたくこそ、どなたですか?」
「わしはこの土地のものだ。何を勝手にこの土地で仕事をしてるんだ」
「我々は新庄さんの依頼で作業をしています。あなたがとやかく言える立場にはないでしょ?」
「この土地にはこの土地の掟がある。好き勝手なことをされたら困る!」
「あんた、何様 !? あれー !? この人、映像に移ってた犯人じゃない !?」
SNS仲間のひとりが徳蔵が映像に移っていた犯人であることに気付き、全員が作業の手を止めて徳蔵を取り囲んだ。
「ほんとだ。映像に移ってたやつはこいつだよ!」
「何の事だ!」
「あんたの犯行現場がSNSの映像で世界に拡散されているんだよ。有名人だよ、あんた」
全員が大笑いした。そこに西根巡査が自転車で急行して来た。
「新庄さん、徳蔵さんから苦情が出てましてね…おや、徳蔵さんいらしてたんですか!」
徳蔵は苦虫を噛んだままだった。即、SNS仲間が突っ込んだ。
「あんた、お巡りさんを呼んだということは、自首でもするつもりですか?」
「自首 !?」
「言ったでしょ、写ってたんですよ、犯行現場が」
「犯行現場 !?」
「異常を察知した新庄さんがすぐに暗視カメラの録画ボタンを押したんですよ。そこにこの方が桶でウンチをばら撒いているのが映っていたわけです」
「SNSではこの犯行現場が限定スイーツよりバグってますよ」
困り果てている西根巡査に、中から出て来た新庄が嘯いた。
「農家さんにとっては貴重な堆肥です。暗がりの所為で散布する場所を間違えたんでしょ。ですから持ち主にお返ししたまでです。それとも器物損壊罪 第261条で訴えた方が良かったですか?」
「いや…徳蔵さん、どうかね?」
無愛想な徳蔵が帰ろうとする背中に新庄は叫んだ。
「郵送に掛かった費用は払ってもらえますね、徳蔵さん。それに、DNAの結果も出ました。貴重なあんたの “自己資産” でしたよ」
新庄の言葉で歩が止まっていた徳蔵に、作業に来ていたSNS仲間たちも追い打ちを掛けた。
「支払うか、訴えられるか…どっちに賭けようかな」
「お巡りさんの前で賭け事の話はやめましょうよ」
一同の笑いを背に怒り心頭の徳蔵は小刻みに震えながらその場を去って行った。
地面に沁みた糞尿の臭いも消える頃、訪れるSNS仲間の観光客の足もやっと治まって来た。管理係となって新庄の客間の一部屋に住むようになった沼田耕一も、新庄の薦めで放火の被害に遭ったままの自宅の補修を手掛けるようになった。たまには新庄や彼のSNS仲間も手伝うようになったことで、放火被害を受けた悲惨な火災現場も沼田耕一の傷付いた心とともに、見る見る回復して行った。
新庄のSNSを通して一躍悪名高さが世に拡散されてしまった鬼ノ子村だったが、その後も興味本位の観光客や地方新聞の記者やノンフィクション作家が時折新庄を訪ねて来るようになった。徳蔵初め警察や役場にとってそのことは爆弾を抱えた腫れ物扱いになり、新庄の安全が確保される結果になっていた。
「この村の悪口をネットにあまり載せないでもらえないかな」
副村長に引き立てられた村田恒夫が新庄を訪ねて来た。
「悪口 !? 私は日々の事実しか載せてませんよ。それを悪口と受け取るということは、村で起こっていることは公表憚る悪い事だと認めるということですか?」
「そうではありません。この村の行政にあたかも問題があるという誤解を生む事態を招いているということです」
「こういう事態を招いたのは誰だと思ってらっしゃるんです?」
「…! それは…」
「それは誰です?」
「誰がどうということではなく、住民はあなたのことで困ってるんです」
「私が住民の方に何かご迷惑を掛けてますか?」
「この家の前の絞首刑台とか…」
「あれは害獣に殺された飼犬のゲンの墓のオブジェです。それがどう迷惑なんですか?」
「それに家の周辺の鉄柵が威圧的だと…」
「私の土地に勝手に侵入して、放火はするは、糞尿は撒き散らすはで、自己防衛のための苦肉の策です。それともあんたら役場が私の安全を守ってくれますか?」
「・・・」
「出来ますか?」
「・・・」
「どうなんです?」
「個人の問題なので…」
「そのとおりです。個人の問題です。あなたは、その個人の問題に不当に介入してるんですよ」
「…すいません」
「どなたに、どういう要求を通すように仰せつかって来ているか知りませんが、公僕の自覚を以って法律に則った対処をしていただけませんか?」
「この土地には古くからの慣習というか、掟というか…ここに住む以上、そうしたことを守ってもらわないと…」
「驚きましたね。この土地の非合理とも思える掟に従わなければ、この村から出て行けと仰るんですか?」
「そういうわけではありません。もっと住民の方々と穏便に交流していただきたいと…」
「それはこちらが望んでいる事ですよ。それにも拘らず、飼犬の殺害、放火、糞尿の撒き散らし…そうした住民と、どうしたら穏便に交流できるんでしょうね? 教えていただけますか?」
「土地の実力者の徳蔵さんともっと意思の疎通を取って頂けないかと…お互い至らない部分があったと思うんですが、そこはお互いに謝罪して…」
「お互い !? 謝罪!? お互い至らない部分!? あなた、気は確かですか? 一方的に被害を蒙っているのは私ですよ。では伺いますが、私は何をどうご迷惑を掛けたんですか?」
「こちらはあなたを移住者として快く受け入れたんですから、あなたもこの土地にそれなりの貢献をしてくれませんと」
「貢献 !? 具体的にどういう貢献ですか?」
「土地の実力者の徳蔵さんを立てて頂ければ、全てがうまくいくんです」
「あなた、ご自分の仰っていることが本当に分かっていますか? 多分お分かりじゃないと思いますので,SNSの判断を参考にしてみましょうか?」
「この会話をSNSに乗せるんですか !?」
「ええ、これは取りようによっては移住者への脅し発言です」
「…そんな…私は許可できません!」
「あなたは公僕です。あなたの発言は公にしても法的に何の問題もないんです」
「証拠は…会話の証拠がないでしょ! 私は否定します!」
新庄は村田の眼前に徐に超小型のボイスレコーダーを出した。
「なんですか、これは!」
「あなたの仰る会話の証拠です。裁判になったらこれを提出します…それと、村田さん、あなたは同僚の吉田翔さんの奥さんと暫く前から成さぬ仲ですよね。その証拠もお見せしましょうか?」
村田の顔から血の気が引いた。
「そのことも同時にSNS仲間に判断を委ねてみようと思っています。SNS仲間が送ってくれたんですよ、この画像…」
新庄はスマホの画像を村田の目の前に差し出した。そこには車の中での不自然な二人がばっちり映されていた。
「それはやめてください!」
スマホを奪い取ろうとしたが、村田の腕は虚しく宙を舞った。
「あなたの奥さんは大丈夫ですか? 村長の加藤邦治さんとも、とても仲がお宜しいようで…役場内は和気あいあいで羨ましいです」
「妻と !? 加藤村長は妻とどういう関係なんだ!」
「ほんと…どういう関係でしょうね? 奥様に直接聞いてみたらどうです?」
村田は打ちひしがれた。
「公僕はいいですよね。職権を乱用して好きなことが出来るんですから」
「失礼します!」
村田は急ぎ足で去って行った。
「ほんとに失礼しちゃってるよ、クソ野郎が…」
新庄は今日の一件をSNSにUPするために中に入って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます