第7話 ある善良な村人

 深夜に家の前で人の気配がした。新庄は飛び起きて外の気配を窺った。犬は2頭とも吠えなかった。その時、影が動いた。新庄は猟銃を構えて照準を合わせた。しかし、新庄の予想したあの男ではない。男は時折声を潜めて新庄を呼んだ。

「…誰だ」

 新庄は勤めて穏やかに一声発すると、その男は答えた。

「沼田耕一です」

 新庄は一度も会った記憶がない男だった。

「何の用だ」

「大事な話があります」

「明日じゃ駄目なのか?」

「人目があるので…」

 新庄は沼田と名乗る男を警戒しながら玄関の鍵を開けドアを開いた。この集落では多くの集落と同様、玄関にカギを掛ける習慣はない。移住者にとっては施錠が普通の習慣だが、村人には必ずその事を咎められた。“人を信用できない土地に来たのか”と。結局、移住者もその慣習に倣うしかなかった。すると彼らは勝手気ままに玄関から入って来て、勝手気ままに振る舞った。移住者は人間関係をこじらせたくないために、礼儀知らずの “不法侵入者” に耐えるしかなかった。沼田耕一は中学時代にそんな村人のひとりに、“自慰” の現場を見られた。見られた相手が悪かった。

まだ女盛りだった渡辺キヨは沼田の母親・咲江の所に来て愚痴を零していた。亭主に駆け落ちされて逃げられたばかりだった。駆け落ちの相手はキヨの小学校の同級生だった。帰り掛け、キヨは土産に持って来た駄菓子を耕一にあげようといきなり部屋を開けると耕一は自慰の最中だった。

 噂は一瞬に村中に広まり、蔑みの目で登校すら出来なくなった。以来、耕一は引籠りになり、その存在すら忘れ去られていた。父が他界した葬儀の夜、家が火事で半焼した。改築する金もなく、母と二人で火災後の掘っ立て小屋での生活を強いられてきた耕一は五十歳になっていた。その母も去年の暮れに苦労が祟って他界したが、村の住民の誰一人その事を知らなかった。

「話ってなんだ?」

 新庄は沼田に頼まれるまま、部屋に灯りを付けず、暗がりの玄関で話を聞いた。

「放火されます」

「放火 !?」

「畑を荒らして犬を殺したのはあのジジイです」

「あのジジイ !?」

「あのジジイの手口です」

「誰なんだ、あのジジイって?」

「徳蔵…俵徳蔵」

「徳蔵 !?」

 新庄も犯行は徳蔵にほぼ間違いないと考えていたので沼田の話の信憑性を信じることにした。沼田は自分の過去の恥とその後の経緯を全て話した。

「犬を殺されたのはオレんちだけじゃない。あんたも恐らく知ってるだろ。移住者の笹島文雄さんて人…」

「笹島さんも !?」

「徳蔵は飼犬を殺しても自分に靡かないと、その家に火を点ける。あんたが首吊りの台を作ってジャンパーを吊るしたことで、徳蔵の手前、誰もが首吊り台に目くじらを立てるしかない。村の者は皆、犬を殺したのは徳蔵の仕業だと分かっている。」

「やはりあのジャンパーは徳蔵のものだったか…徳蔵の野郎、ざまあねえな」

「必ず火を点けに来る。この村には徳蔵の身勝手を止められる者は誰もいない」

「だろうな…家が燃えたら燃えたで仕方ねえな。沼田さん、ありがとよ。オレにはオレのやり方がる。まあ、見ててくれ」

「新庄さん、徳蔵は普通じゃない」

「普通じゃないな。それに頭も性格以上に悪い」

「新庄さん…」

「心配してくれてありがとよ、沼田さん。オレは大丈夫。そろそろ帰ったほうがいい。人に気付かれないようにな」

 沼田は新庄を気遣いながらも、動物のように闇に消えて行った。

「優しいやつだ…今度は火事か…」

 数日後、沼田の懸念どおり、その火事は起こった。新庄は勢いよく延焼する自分の住まいを絞首刑台の上からスマホで撮影していた。その火災はすぐに新庄のSNSに上がった。“今度は放火されました。犯人はきっと畑を荒らして飼犬のゲンを殺した害獣です”・・・反響は大きかった。新庄は更に駄目元でクラウドファンディングで新居の資金提供者を募った。新庄の予想を遥かに裏切って、資金は見る見る集まった。資金ばかりではない。SNS上の建築技術者らが多数手を挙げた。その結果、火災から一カ月余りで新居が完成した。住まいばかりか、訪問者を受け入れる簡易的な宿泊スペースまで備えた “村には不釣り合いなほどの瀟洒なログハウス調の建物” が建った。セキュリティから何から要塞並みとなった。新庄は建物の管理を沼田に頼むことにした。初めのうちは躊躇していた沼田だったが、“ここに一緒に住んで徳蔵を潰そう” という新庄の囁きに、涙を潤ませて管理することを承諾した。

 苦虫を噛む徳蔵は手出しの仕様がないところまで追い詰められていた。新庄が自宅の火災をSNSにアップして以来、物見遊山にくる “放火犯を推理する観光客” が絶えなくなった。結局彼らの行き着く家は俵徳蔵邸だった。来る日も来る日も俵徳蔵邸前では “放火犯を推理する観光客” のレンズが向けられるようになった。

 そのたびに徳蔵からの要請で西根巡査が人払いに駆り出された。

「個人のお宅を撮影するなら、そのお宅の許可を取ってください!」

 そういうと観光客全員が承諾を得るため徳蔵邸のインタホンに殺到するので、西根巡査はそれをも止めるのに必死になった。

「大勢で押しかけると迷惑になりますから、節度を守ってください!」

「おまわりさん、放火犯はまだ見つからないんですか?」

「交番の地主が放火犯だということで、警察も手を出せないって本当ですか?」

「過去にも同じパターンの被害が何度もあったそうですが、その犯人はどうなりました?」

「飼犬はどうやって殺されたんですか?」

「過去の被害者は今、どうなさってますか?」

「住民同士助け合いの土地だと聞いてます。未だ火災の被害に遭ったままになっている家があるそうですが、援助の手は差し伸べないで放っとくんですか?」

 何れも西根巡査には答えようのない質問責めが始まるのが常だった。

 そこに新庄が現れた。

「皆さん、うちでお昼してってください!」

 新庄の号令で、やり玉に挙げられた今日の徳蔵邸タイムは終了し、“観光客” は挙って新庄邸に向かって行った。西根巡査はいい加減うんざり顔で窓の隙間から覗いている徳蔵にちらっと眼をやり、徳蔵夫婦が慌てて隠れるのを確認してから去るのも常となった。


 そうした最中、妻のつるが病に伏せった。徳蔵のやるせない不満は、そのつるに向いた。

「役立たずが…いつまで生きてるんだ」

 つるは一点を見詰めたまま、無表情だった。つるが病の床に臥すようになると、下働きの通いで来ていた藤島カネ子がその世話をするようになった。カネ子は沼田耕一の幼馴染で、家に籠る耕一の一番の理解者だった。かつて、カネコの励ましの甲斐あって、耕一が少しづつ立ち直り、各種の免許を取るなどして県外に働きに出るようになると、ふたりは結婚を約束するまでになった。そんなある日、徳蔵はカネ子を通いから住み込みでつるの世話をさせるようになり、耕一と会う機会をなくしてしまった。

 ある夜、深酒の徳蔵が、つるの看病のためにすぐ隣の部屋で寝入っているカネ子を襲ってきた。抵抗しようにも徳蔵の力にはどうすることも出来ずに一線を越えられてしまった。地獄の苦痛の中で、つるに呼ばれた気がした。必死に伸ばした手で僅かに開けた襖の向こうで、手を合わせて詫びているつるが目に入った。そしてそのまま容体が急変し、つるは果てようとしている。カネコは徳蔵を振り払ってつるの床に這い寄ると、つるはカネコに手を差し伸べた。

「奥様、すぐに医者を呼びますから!」

 つるはかぶりを振った。

「カネ子…逃げなさい!」

 つるはそう呟くと、そのまま息を引き取った。カネ子はつるの言葉を繰り返した。

「逃げなさい…逃げなさい…逃げなさい…どこへ…もう遅いのよ」

 カネ子は耕一のことを思い、息を殺して号泣するしかなかった。

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