第6話 絞首刑台

 一ヶ月もすると新庄の家庭菜園はやっと元の態を成した。土づくりが良かったせいか、種々の野菜の双葉が揃い出した。荒されはしたが、この分だと霜が降りる前には何とか収穫出来そうだった。

 夜中、ふと嫌な違和感に目を覚ました。すぐに暗視カメラから送られて来る画面を覗いた。家庭菜園が白い。まだ初雪でもなかろうと外に出て驚いた。菜園一帯が真っ白になるほどの大量の農薬が巻かれていた。

「やられた!」

 しかし、新庄はほくそ笑んだ。新庄にとってはこの上ない展開だった。


 翌朝、新庄は菜園には見向きもせずに愛車のジムニーシェラに飛び乗った。ハルと移住を決めた時に手に入れたものだ。向かったのは隣町の動物病院。保護犬の里親を探していて引き取る手筈になっていた。その日から新庄は犬を飼い始めた。住民からそのことを知らされた徳蔵の表情が変わった。

 深夜、その保護権がむっくり起き上がり、唸り出した。次の瞬間、裏の倉庫で悲鳴が上がった。新庄が家の周り一帯に仕掛けた獣用の罠 “がんばさみ” に何かが掛かったのだ。

 その一報をくれたのは八神だった。八神はかつて、徳蔵の使いで新庄の妻の安否を探りに来させられたことを気に病んでいた。徳蔵の依頼を断る勇気がなかった自分をずっと責めていた。深夜、夜釣りの帰りに偶然通りかかった時、暗がりの中で声を憚りながら苦痛に喘いでいる声に気が付いた。暗がりをよく見ると、人間が罠に掛かっている。恐らく良からぬ目的で倉庫に忍び込んだのだろうことは八神にも察しが付いた。すぐに主の新庄に報告することでせめてもの償いになればと、震える手で新庄に連絡したのだ。新庄は電話に出た。

「…誰だ」

 八神は声を殺して話し出した。

「…夜分に済みません、八神です。今、新庄さんの家の倉庫で唸ってる人がいます」

「…誰が?」

「分かりません、この村に来てまだ住民の名前を覚えるまでには…出て来てもらえませんか?」

「今、出先で家に居ないんだ」

 新庄は嘘を吐いた。

「…そうでしたか」

「どうするかは君に任せる」

 そう言って電話は切られた。八神は考えた。考えた挙句、結局、八神は黙認してその場を去った。その様子を新庄は2階のモニターで見ていた。八神は自分の行為が信じられなかった。しかし、新庄邸から離れるに従って、この村で生きる覚悟が八神の心に芽吹いた。新庄は罠で苦しむ輩を一晩放っといた。朝になり、やっと気付いた素振りで西根巡査に連絡した。

「こういう場合は救急車なのか、それとも警察なのか迷いまして、西根さんに来てもらいました」

「救急には連絡したのか?」

「ええ、すぐには来ないと思いますが…」

 西根巡査が罠に掛かった男を見るなり叫んだ。

「何だ、賢太郎さんじゃないか !? どうしてここに !?」

 賢太郎は気まずそうに顔を伏せた。

「お知り合いでしたか?」

「徳蔵さんの親戚だよ」

「…そうでしたか」

 賢太郎は痛みで声も出せない程のやつれようだった。

「取り敢えず“がんばさみ”を外そう! あんた、“わな猟免許” を持ってるんだろ?」

「いいえ、今申請中です。狩猟免許を取得して、狩猟者登録の申請中です。猟友会の支部に入会すれば山に行けるんですが、取り敢えず自宅の庭で慣らしてたんですが、人間が掛かるとは思いませんでした」

「申請中に罠を掛けたらいかんだろ」

「でも、ここは自分の家の中ですから」

「そうか」

「一人じゃ何なので笹島さんにも来てもらおうと…」

「笹島さん?」

「同じ移住者の方です」

「それは知ってるが、笹島さんも “わな猟免許” を持ってるのかね?」

「ええ、彼は移住のために第一種銃猟免許(装薬銃・空気銃)、第二種銃猟免許、網猟免許、そしてわな猟免許を取得したんだそうですよ」

「…そうだったか」

「ただ、何度も連絡してるんですが通じません。釣りか猟をしてるんだと思います。この村は携帯電話がほぼほぼ圏外ですからね」

「早く外してくれ!」

 苦痛に耐える賢太郎が思わず叫んだ。

「死にたくなければ救急車が来るまで我慢しろ」

 新庄は西根巡査に罠を解くのを求められたが、クラッシュ症候群の可能性を考えて断り、救急車を待った。救急車が到着し、点滴後に罠を外すと、賢太郎はこの世の終わりの如く呻いた。

「天罰だ、よく覚えとけこのガキが!」

 新庄は一目憚らず吐き捨てた。

 遠ざかる救急車を後目に、新庄は西根巡査に質問した。

「無断で他人の居住地に入ったあの人はどういう扱いになります? 住居侵入罪とか…刑法130条でしたっけ?」

「何か被害がありました?」

「この畑の様を見てくださいよ。昨日、家庭菜園に一面農薬を掛けられました。賢太郎さんでしたっけ? 彼が散粉器のミニダスターで散布するのが暗視カメラに映ってました。見ます?」

 新庄邸の2階に上がってモニターを確認した西根巡査は唸ったまま考え込んだ。賢太郎は徳蔵の従順な片腕である。警察沙汰になればかなり面倒臭い事になる。西根巡査は関根保のことを思い出していた。


 前任者の巡査は西根巡査の尊敬する先輩だった。郷里も同じこの鬼ノ子村で、小学校の頃から西根の世話をしてくれる兄のような存在だった。彼の名は関根保…祖父・繁蔵の代から警察官だった。その彼がこの地で任務の途に自殺した。そのことをきっかけに、県警にいた西根は鬼ノ子村への転属願いを出し、今に至っている。保は自殺するような人間ではないことを西根は一番よく知っている。転属願いが受理され、この村に転属になった西根は、関根が自殺に至った経緯を調べるうち、この村の闇を見てしまった。彼の祖父も父も保の死を受け入れ、その事に触れようとはしなかった。関根家の背景には俵家があった。関根家は祖祖父の代に事業の失敗で竈が返った。それを支えてくれたのが俵家の先祖だった。以来、関根家の先祖は代々に渡って俵家への忠誠を誓った。保の祖父・繁蔵は徳蔵と同級でいつも一緒だった。常に徳蔵の矢面に立つことを義務付けられて育った。西根は保の自殺は徳蔵と何らかの関係があると睨んでこの村の交番勤務に就いたが、知りたくない背景を知ってしまった。

 この村では徳蔵の思いどおりにならない存在はあらゆる手段で潰される。特にムラ社会の不合理に意義を訴える移住者らが次から次と被害に遭って来た。今、その毒牙が移住5年目の新庄に向けられている。村の住人の犠牲と移住者の犠牲は意味が違う。一旦、一線を越えた事件が起これば、今までのように村内での問題として揉み消すことは不可能となる。


 かつて(2013年7月)山口県の集落で5人が撲殺され、被害者の家屋2軒が放火される事件が起こった。被害に遭った特定住民の悪意ある噂や挑発行為、嫌がらせは執拗だった。放火されて小火の被害を受けた犯人が自宅玄関脇に貼らざるを得なかった「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という訴えが、あろうことか犯行声明として大々的に報道された。挙句の果てに精神鑑定で「妄想性障害」があると異常者にされた。この裁判では、執拗な追い詰められ方をして妄想性障害に陥り、已む無く犯行に及んでしまった者を元来からの異常者扱いにし、強引に事態に収拾を図ろうとしたお花畑裁判官が愚の手腕を発揮した。

 田舎の人々が純朴だという妄想は都会人独特のものだ。現実は嫉妬に満ちたどろどろしたものが息を潜めているのが田舎なのだ。一旦波風が立つと怒涛の如く激しい嫉妬が渦巻いて羨望の的を根絶やしにするまで陰険且つ執拗に責め続ける。件の事件の犯人はその蟻地獄から這い上がろうと必死にもがき続けていたのだ。そして自分を苦しめている根源を断腸の思いで断ち切ったのだろう。ムラ社会に於いては、断ち切れない理由があればその村を脱出するか、自殺する以外に苦痛から逃れることは出来ない。

 保は、先祖が忠誠を誓った俵家に対し、自死によって諫言の意を伝えようとしたに違いないと西根は考え、保が何に追い詰められていたかを探ろうと決意していた。赴任当初、西根は光伝寺の住職・松橋龍念に会った。龍念から初めて関根家と俵家の深い関係を聞き、保の苦しみが薄らと見えて来た。それにしても、保はそのことだけで自殺に至るような人間ではないと西根の疑念は一向に晴れなかった。

 新庄に起こる被害は、徳蔵が賢太郎にさせるというこれまでのパターンである。今まで警察も役場も無視して来た前例を、新庄が己の手で報復しようと決意していることは西根にも理解出来た。恐らく、新庄は俵家と関根家の繋がりに関しても誰かから聞き及んだのだろう。西根巡査は、このままでは最悪、山口の事件の轍を踏むことになるかもしれないと思った。移住者は元より、この村の被害を最小限に食い止めるにはどうすべきか急いで考えなければならない。そうした矢先、また事件が起こってしまった。新庄の飼い犬・ゲンが殺されたのだ。


 昨夜は犬が吠えていた。獣と格闘しているような狂暴な唸り声がしたかと思うと一瞬犬の悲鳴が轟き、闇は静かになった。新庄は猟銃を片手に急いで外に出た。懐中電灯の明かりの先にゲンがいた。ゲンはもう動かなかった。首を鋭い刃物で掻っ切られ、辛うじて皮が繋がっている状態でも、その牙は格闘した相手のものと思しきジャンパーを銜えていた。すぐに2階に上がり、昨夜のモニターの記録を確認した。そのモニターに記録された映像を見て、新庄は悲しみを越えて怒りで涙も出なかった。

 倉庫に行き、庭先に丸太を運んで作業を始めた。東の空に陽が昇り出す頃、新庄の作業が終わった。陽光を浴びるゲンの墓…ゲンが葬られた場所の上には絞首刑台が立ち、首を吊るロープにはゲンが銜えていた血に染まったジャンパーが吊られていた。

 新庄が庭先に作った絞首刑台の噂は一気に村中を駆け巡った。犬の散歩の振りをしたり、軽トラでゆっくり通過したり、空のリヤカーを押したり、庭先の絞首刑台の見学者が絶え間なく通り過ぎて行った。


 西根巡査の自転車が停まった。西根巡査が訪ねて来てジャンパーが吊られた庭先の絞首刑台のことを聞いて来た。

「新庄さん、居るかい?」

「ああ」

 新庄は朝飯中だった。

「ありゃ何だね?」

「何がです?」

「庭に首吊り台のようなのがあるけど…」

「趣味の芸術活動ですよ」

 西根は新庄の答に困った。

「墓でも建てようかと思ったんですが、絞首刑台のほうが相応しいので…」

「相応しい !? …この絞首刑台のことで住民が動揺してるんですよ」

「なぜ動揺するんです?」

「飼犬が亡くなったそうですね」

「ええ、夕べ首を掻っ切られて殺されました。それでお墓をと…でも、ゲンはこのほうが喜ぶと思ってね」

「飼犬が亡くなったのはお気の毒です。しかし、絞首刑台というのは…村の人たちの目もあるので…」

 新庄は真顔になった。

「これはゲンの墓です。ゲンの首を掻っ切って殺した害獣への警告です。そのことに関して、村の人々の目を瞑らせる気はありません」

「害獣…あの吊るしているジャンパーは?」

「ゲンが銜えたまま死んでたんで吊るしました。害獣のジャンパーじゃないですか?」

 そう言って新庄は冷笑した。

「撤去してもらえませんかね」

「何故撤去するんです? ここは私の土地です。私が何を作ろうと私の自由ではありませんか? それとも、この村では自分の土地で何を作るにも、いちいち届出が必要なんですか?」

「…いや、そういうことでは」

「この村にゲンを殺すような人はいないと思いますが、もしいるとしたら、鎌の使い手ですね」

「鎌の !? 」

 西根巡査はとっさに徳蔵のことが思い浮かんだ。徳蔵は若い頃から猟の時は鎌を携帯した。徳蔵が鎌の使い手であることは村で知らない者はいなかった。そればかりか、徳蔵はキレるとすぐに鎌を持ち出してそこら中の物を切り付けて当り散らした。

「もしかして、西根さんには心当たりが有りますか?」

 西根巡査は返答に困った。

「西根さん、何か思い当たるんですか?」

 新庄は畳み掛けた。

「…いや、特には」

「だから、趣味の芸術活動でいいじゃないですか。これは畑を荒らしたうえに飼犬まで殺した害獣への警告です。猪だか熊だか知らないが、次にジャンパーの代わりに吊るされるのはその “害獣” の番だとね」

「新庄さんの気持ちは分かりますが、住民の方々が怖がっているんでね」

「住民の誰がそんなに怖がっているんですか?」

「誰という事ではなく、この集落の人たちが…」

「あのね西根さん、被害に遭ったのは私ですよ。怖いのは私です。被害にも遭ってもいない住民の方々がなぜ怖がるんです? 住民の中に畑を荒らして飼犬を殺したことに思い当たる人でもいるんですか?」

「…いや」

「この村は平和ですから、住民にこんなあくどいことをする人はいませんよね。これは間違いなく “この村にとっての害獣” の仕業ですよ。“この村にとっての害獣” は駆除しなければなりません。ですから…次は発砲して駆除するつもりです」

「発砲 !?」

「ええ、発砲に因る駆除です」

「もし人間だったら大変なことになりますよ」

「人間なんですか?」

「いや、それは…」

「私は害獣を退治するまで、この絞首刑台は撤去しません。この下にはゲンが首を掻っ切られた悔しさを堪えて眠っているんです。一刻も早くゲンの無念を晴らしてやりたいんです」

「発砲による駆除となれば、取り返しの付かない万が一ということも…」

「じゃ、万が一が起きないように、もし畑を荒らして飼犬を殺したのが人間なら、すぐに名乗り出て謝罪してもらわないと…それを住民の方々に伝えるのは、西根さん、あんたの仕事でしょ?」

「まあ、そうですが…」

「犯人が人間なら、一刻も早く名乗り出てもらうよう取り計らってください。これから出掛けるもんで他に用がなければ…」

「どちらへ?」

「犬を貰いに行くんですよ。SNSで夕べの被害を話したら大館に犬を譲ってくれるという人がいたんで。猟犬になる気の荒い秋田犬が2頭。顔が不細工で貰い手がなかったみたいで、でも “この村にとっての害獣” を八つ裂きにしてくれると思うんで、発砲よりは平和的ですよね」

「SNS…」

「ええ、この村は余りにも面白いことが起こるんで、随分前からこの村で起こる “想定外の事象” を毎日アップしてるんですよ。この村、今ではSNS上で “怪奇村” として大人気ですよ。起こることが常軌を逸していることが多いんでね」

「村を貶めるようなことは…」

「そんなことはしていませんよ。事実だけありのままにアップしてます。西根さんも “この村にとっての害獣” に気を付けて。最近の獣は畑に肥料まで散らかして困りますよ」

 新庄は笑いながら軽トラを走らせて出掛けて行った。遠くなる新庄の軽トラを見送りながら、西根巡査にも思うところはあった。村と都会の大きな違いは“噂”である。都会では “噂” など取るに足らない情報でしかない。しかし、ムラ社会での “噂” は命取りになる。悪意ある噂は常に生贄を探している。一旦悪意ある噂が流れるとその噂は真実として一気に集落を支配する。噂を立てられた者はサンドバックのようにリンチに遭うしかない。真実で対抗しようとしても噂には勝てない。犠牲者が善であろうと悪であろうと、噂が真実であろうと、根も葉もない嘘であろうと関係ない。“噂” の生贄にした相手が嘆き悲しむ姿を見て満足するするのがムラ社会に於ける心貧しい者の唯一の娯楽であり、その事に対する罪の意識など毛頭ない上、当然の権利だとすら思っている。そして移住者こそがカースト制度の最下層に置かれるのだ。


 2~3日すると集落に普段見慣れない人たちがちらほらと現れるようになり、次第にグループ単位になって訪れる機会が増えてきた。彼らは皆、新庄の家に寄って村の配置図を受け取り、それから村見学に向かって行った。

 生贄にしたはずの余所者・新庄が嘆き悲しむどころか、益々その敵意を剝き出しにするかの如く不穏な動きを広げていることに、徳蔵一派には一気に緊張感が走った。

 賢太郎が徳蔵のもとに呼び出されていた。

「…寒くなったな。その足は治ったろ」

「はい」

 徳蔵の意を察した賢太郎はその場を去った。

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