第5話 移住者(新庄 要)

 5年前、新庄要は田舎暮らしに夢を馳せ、妻のハルと共に移住して来た。ゲームエンジニアのヒットメーカーとして知る人ぞ知る存在だった。クライアントとゲームプログラマーの間を取り持つ経営者としての経験から、土地の人たちと仲良くやって行くことには自信があった。しかし、思っても居ない所から住民との間に罅が入った。

新庄の妻・ハルがタバコを吸うところを俵家の下働きの渡辺キヨに見られて以来、住民たちのハルに対する見方が変わった。

「それだけのことで !?」

「ええ、挨拶しても無視。まるで醜穢なものにでも寄って来られたかのような避け方をされ続けてるわ」

「厨坊かよ」

「こんな綺麗な大自然に、あんな腐った連中が棲んでるなんてミスマッチだわ」

「男尊女卑というか、長兄制度というか…結局、無理して余所者を受け入れた結果のバグ?」

「村八分ってこういうのを言うのかしら?」

「面倒臭えけど、次から見られねえところで吸うしかねえな」

「冗談じゃないわよ。今後も堂々と吸いたい時に吸うわ…あの婆さん、まるでストーカーだわ。この家をずっと監視してる」

「渡辺キヨか…彼女は昔から俵家の住み込みの下働きとして台所を切り盛りして来た婆さんだ。徳蔵が妾を取ったのが我慢ならなくて一時俵家を出たらしいが、徳蔵にとっちゃ厄介払いが出来て良かったんじゃねえのか? ところがそれも束の間、今度は通いの下働きで縋り付いてる。ババアの深情けはゾッとするね」

「徳蔵と特別な関係なの?」

「都合のいい女ではあったろうが…」

「気が付いたらババアになっていたって哀れな話?」

「執着があるんだろう。妾への怨念を何かに転嫁しないとやり切れんのだろう」

「迷惑な話だわ、早く死ねばいいのに」

「世の中は、ああいうの類が中々死なないように出来てるんだよ」

「あ~あ、やだやだ」

 ハルは一級建築士としてのキャリアだった。かつてはハル以外にも何人かのキャリア女性移住者が来たことがある。その中のひとりはICU経験者の看護師で、僻地医療の強い要望に応えて現れたが、公民館で村民の挨拶に立った彼女は愕然とした。男連中から飛び交う言葉は医療の問題ではなく“彼氏はいるのか”から始まり、セクハラに満ちた低俗な言葉だった。その女性は言葉なく立ち尽くし、翌日、村を去って行った。この集落は未だモラハラの男社会のまま、時が止まっている。村民は男も女も、その異常に気付いていない。

 ハルがこの地を去るきっかけになったのは、年に一度の集団検診だった。検診は集落毎に検診日を決めて行うのだが、当然、見知った顔ばかりだ。検尿、検便を提出するにあたって、机の前には『生理の方は申し出てください』という案内札が立った。“今日、生理なんです” と言えばみんなに聞こえる。ハルは役場の女性担当者に改善を申し出たら “毎年そうやってますから” の一言で終わった。そういう時には決まって渡辺キヨの憎悪の目が光った。ハルは冷静を装って集団検診を拒否って帰るのが精一杯だった。その帰り道、ハルは “この村から出よう” と心に決めた。

 翌朝、ゴミ捨てに指定されている無色透明のビニール袋に名前を書いている時だった。中身が丸見え。プライバシーのない過干渉の土地にこれ以上居ることは出来ないと思った。今までは生理用品など汲み取り式の浄化槽に流せないものは、遠くの街に買い出しに行った時にゴミ箱に捨てていたが、ハルにはもう限界だった。


 田舎独特の男女格差、そして既婚女性と独身女性の扱われ方の違いはガキじみている。男衆は既婚者も独身者も、無神経に若い独身女性に群がる。嫁の来手や後継者不足の原因を彼ら自身が撒き散らしている。

 風光明媚な風景に酔って何もかもがうまくいくはずと浅はかな夢を懐いてしまった後悔は、移住のその日から解禁される。安く手に入った田畑付きの古民家を改築して輝ける明日を見た気がした。小さいながらも家庭菜園をしながら堅実に暮していければと、一息ついたのも束の間、地元住民の過干渉が始まった。最初のうちは村人の親切に感動すら覚え、この村を選んで良かったと心躍る夢の明日に期待しかなかった。しかし、その夢の田舎暮らしは、日に日に堪え難い現実を突き付けられ、砂時計のように加速して崩れ落ちる日々が始まった。度重なる親切は見返りを期待してのことで、親切を受け流していると村人の態度は一変した。渡辺キヨの憎悪が闊歩し、“根拠なき噂話” が村中に伝播されて、その移住者はいけにえの標的となるのだ。そんな最中に村の外にでも買い物に出ようものなら最後…ムラ社会の掟破りとして理不尽な村八分の憂き目に遭うのだ。


 妻のハルは出先での怪我による入院という表向きの理由で土地を離れ、そのまま元の都会暮らしに戻って行った。移住前の役場の説明と余りにも掛離れた生活に耐えに耐えた挙句の最も波風を立たせない策だった。村の誰もが退院したらまた戻って来ると思って気にも留めなかった。

 帰る日…

「あなたはどうしてこんなとこで暮らし続けるの !?」

「オレにはまだこの村でやることがある」

 新庄をよく知っているハルは“じゃ、お先に。向こうで待ってるね”と言って暮し慣れた古巣に帰って行った。田舎暮らしに誘ったのは新庄だった。妻に苦労を掛けた分、この土地で償おうと思っていた。しかし、何もかもが妻に煩わしい思いをさせる結果ばかりとなった。役場の見え透いた誘いのパンフレット如きを信用した自分がやり切れなかった。しかし、このまま妻とこの地から逃げ出すわけには行かない。妻の蒙った屈辱の分はしっかり返さなければ気が済まなかった。

 かつて、ハルの気分転換になればと新庄は家庭菜園を始めた。家庭菜園と言えども無意味な予算が飛んだ。耕運機や土づくりで協力してくれる近所の住民たちは、これ幸いとまたしても我が物顔で家に上がり込んで来た。そういう事を扇動するのは決まって渡辺キヨだった。毎日入れ代わり立ち代わりやって来る村人を持て成すだけでも相当な散財を強いられた。新庄はプチ耕運機を買い、土づくりも近郊からの業社に頼み、近所の住民の協力は辞退するようになった。こうした対処は地元住民にとっては完全敵対を意味する。渡辺キヨは待ってましたとばかりにいきり立った。

 しかし、新庄夫妻はババアに構わず、敢えてそうした移住生活を歩き出した。村八分は覚悟の二人だった。しかし、新庄夫妻が自立に向けば向く程、村八分はより凄惨なものになっていった。家庭菜園の破壊から始まり、度重なる付火、水源の拒絶、倉庫内に保管した車やプチ耕運機の損壊と犯罪レベルの嫌がらせは耐えなかった。いよいよ、命の危険すら覚えるようになり、妻のハルに村からの離脱を提案した。二つ返事のハルは二人一緒でなければと食い下がったが、新庄はひとりでやることがあるとハルを先に村から脱出させると頑なだった。村からの脱出と知れば、住民は黙ってはいない。そのため新庄はハルを白昼堂々とひとり軽トラを運転させて郊外への買い物を装わせた。ハルはそのまま帰ることはなかった。

 ハルが消えたことでキヨは勝ち誇るかと思いきや、苦虫を噛んで地団駄を踏んでいた。ハルを完膚なきまでに苦しめたかった。

「戻って来たら倍返しだ!」

 絶好の憂さ晴らしの対象を失ったキヨは暇さえあればハルの帰りを待って新庄の家を監視した。


 数日後、村の連中が騒ぎ出した。いつまでも帰らないハルを不審に思った。移住間もない八神がイソップ寓話でいうべリングキャットに鈴を付ける鼠役に駆り出されて新庄のもとを訪れて来た。

「奥さん、どうなさったんですか?」

「あんたも迷惑な役回りを押し付けられたものだな」

「…すみません」

 八神はきっと自分が徳蔵に傅き始めていると新庄に思われているに違いないと心が痛んだ。

「謝ることはないよ…こう伝えてくれ。出先で事故を起こして入院していると」

「事故を !? お怪我の状態は!? どちらの病院ですか !? 出来ればお見舞いに伺いたいんですが…」

 新庄は黙ったまま、また荒された畑の手入れを始めた。

「すいません…そう伝えます」

 八神の報告を聞いた徳蔵はほくそ笑んだ。移住者が何に一番耐えられないか…それはこの土地の人間が一番よく知っていた。徳蔵の下僕に堕ちた理由の最も多いのが伴侶の死である。移住者は何年経っても移住者の孤独からは逃れられない。徳蔵は、何れ新庄が行き詰って目の前で平伏す姿を想像して満足した。

 しかし、新庄の妻はいつまで経っても戻って来なかった。鬼ノ子村の住人の間で疑念が囁かれるようになり、ハルは入院中に亡くなったのではないかという “新庄にとっては都合のいい” 噂が立った。徳蔵は徳蔵で、それにも拘らず新庄が平然と暮らしたまま中々落ちて来ないのはどういうことだと苛立った。

 最近では鬼ノ子村の住民にとってはハルの死が確実なものとなって久しかったが、当のハルは元の生活環境の中で活き活きと暮らしていた。新庄は新庄で新しいゲームの製作に燃えていた。主人公は自分そのものの移住者である。移住先での想定外の難関から脱出するゲーム『風光明媚な地獄へようこそ!』のシュミレーションが始まったばかりである。


 ハルは鬼ノ子村を去ってから、西根巡査の妻・桜子との交流が続いていた。桜子は口が堅かった。ハルとの交流は夫にすら内緒にしていた。ふたりともムラ社会の息苦しさに限界だった。桜子は夫の使いと称して毎週のようにドライブがてら場所を決めてハルと会い、互いの憂さを晴らしていた。

「あんた、死んだことになってるわよ」

 桜子の言葉にハルは大笑いした。

「死後の世界は楽しそうね」

「桜子が毎週私のお参りに来てくれるもの」

 桜子も思わず笑った。

「うまい具合にあの面倒臭いムラ社会から脱出で来たわね、ハル」

「忝い」

「夫が警察官じゃなかったら私も別居したいわ」

「決心が付いたら協力するわよ」

「どんな?」

「脱出の送迎車を送るわ」

「目立つわよ」

「最高の送迎車があるよ」

「何よ」

「…霊柩車」

「それ、いいかも!」

 ふたりが定期的に会うようになったのは、桜子が大学の同窓会で上京した折に、偶然同じホテルに食事に来ていたハルと出会って以来のことだ。鬼ノ子村でも気の合っていた二人は、久し振りの再会に話が弾み、深夜になった。桜子は同窓生と別れ、ホテルの宿泊をキャンセルしてハルの自宅に泊まることになった。ふたりの話題は専ら、ムラ社会の不合理に沈んでいく鬼ノ子村からの脱出だった。このままでは桜子の夫もハルの夫もその巻き添えを喰らってしまう。自分たちの手で何とか夫を助けることは出来ないのかという共通の目的に辿り着き、これからも定期的に会うことにした。

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