第3話 土地の古老

 任期満了に伴い、村長選挙が行われた。立候補は現職の小笠原清次と、反旗を翻した副村長の加藤邦治で争われたが、結局、加藤邦治は支援する徳蔵の財力に任せて金をばら撒き、現村長の小笠原清次が破れ、僅差で加藤邦治が新村長に当選した。この集落の村民はひとりひとりはこの上ない善良な人たちばかりだ。しかし、古からムラ長には絶対服従の慣習が今なお根深い。従って、貧困に喘ぐムラ社会は、集落の将来よりムラ長の施しによる導きを信じる。俵家の買収は正義なのだ。

 小笠原清次は新しい村独自のパンフレットの完成を見ず、高関春枝と吉田翔の二人に送られ、一度も振り返ることなく役場を去って行った。2階の窓辺に立った総務課長の福田完、住民福祉課長の神成博康、振興課長の千葉元子らがその後ろ姿を複雑な表情で見送った。


 風光明媚な鬼ノ子村に第2の人生を夢見て来る移住者には、このところ年金生活者が多い。新村長は老いた移住者たちを舌打ちして敬遠した。彼らは税収にはならない。何れ病院漬けになるだけだ。高齢化で医療費が嵩み、村の運営を圧迫する招かれざる客でしかないと嫌った。前村長の小笠原は、移住者が田舎に期待するのは、人が少なく、土地が広く、のんびりしていることだ。そのため彼らには田舎は何事にも都会で暮らす以上に費用が掛かることを理解してもらうべきだと言っていたが、それだけでは村の運営が持たない。村が移住者に期待するのは、人口増ではなく税収増だ。

「この村は法人税収が極端に貧しい。移住ブームのバカ騒ぎに乗せられた年金暮らしの移住希望者など受け入れてはならなかった。これからは年金生活者と住民票を移さない者は受け入れるな。村のために一銭にもならない。血気盛んな若いバカだけを大歓迎で入れろ。やつらこそ金のなる木だ。住民票を移させ、公営住宅を勧めろ。どうせいずれ暮らせなくなって村を出て行く身だ。搾り取れるうちは搾り取るんだ」

 加藤にそう言わしめたのは古老の徳蔵だった。新村長になった加藤は移住者の選択を徹底させた。

「都会に家を持っている人間は我々より上かもしれないが、それ以外は都会からの脱落者だ。やつらは東京で散々いい思いをして、年を取ったからって風光明媚な田舎暮らしなどと虫が良過ぎる。わしらの税金に寄生されるのは大迷惑だ」

「そのとおりだな、徳蔵さん。前村長の綺麗事のせいで、都会ではぶかれた連中ばっかりが来やがった」

「そうは言うが、土地のことをろくに知りもしない業者に宣伝パンフレットを丸投げして、事業実績の体裁を繕ってやがるあんたらにも問題があるだろ」

「あれは前村長のしたことだ。兎に角これからは移住希望者は厳しく選択することにする。年齢制限を前提に、耳触りのいい釣り餌を前面に出す。働き盛りの就労支援、住宅購入支援、定住支援、各種補助金…これらの釣り餌で一年後に税収をたっぷりふんだくる。一年住んでくれればこっちのもんだ。一年後に税金さえ払ってくれたらいつでも出てってもらっていい。国民健康保険、介護保険、住民税、固定資産税がどっと圧し掛かって仰天する面が見物だ」

 加藤の燥ぎようは徳蔵をニンマリさせた。

「移住者は一年後に固定費で地獄を見るというわけか…それまでにだって燃料代や年間を通した補修費が思いの他掛かるってことなど気付かないだろ」

「税金の滞納でやつらが村から出るに出れなくなったら、愈々徳蔵さんの出番だな」

 加藤のふりに徳蔵はご満悦だった。加藤は選挙資金の借りを今後の村運営で返さなければならなかった。自宅に戻ると、俵参りでぐったりと疲れた体をソファアに横たえた。妻の出た家の中は静かだ。天井を見詰めながら、自分が何のために生きているのかすら分からなくなった。そして徳蔵の顔が浮かんだ…自分は何故あの老人に忖度し続けているのだろう。自分だけじゃない。今迄も、この村に移住して来た者のうち、かなりの者が徳蔵の柵に屈していった。移住前の蓄えも尽き、生活費に困窮してギリギリの家計で綱渡り状態に陥っている中で、配偶者の入院が致命的となって経済破綻に追い込まれるケースが増えていた。そうした移住者にとって徳蔵の財力は地獄に仏だった。徳蔵の援助のお陰で何とか急場を凌いだ移住者は、以来徳蔵の従順な僕となり、ムラ社会は徳蔵の意のままとなった…自分とは違う。移住して来るやつらは自分より遥かに低水準の存在だ。自分は徳蔵の絶大なる信頼のもと、この地位にいる。

 移住者は何年この土地で暮らしても移住者であり、徳蔵の従順な僕として仕えない限り移住地での未来はなくなる。移住のために帰る場所を処分してまでこの鬼ノ子村に夢を賭けた者は皆丸裸にされて路頭に迷い、老いた身で宿無しになって村を去る定めが待っている。自分とは違う。

 住民として永遠に認められることのない風光明媚な土地に理想を求めて来た移住者は、ここで生きぬく限り土地の古老の僕となって村の掟に縛られながら底辺でもがくことになる。そのことによってムラ社会は守られる。徳蔵の圧力はムラ社会からはみ出そうとする者へと向く。ムラ社会の住民は徳蔵の意を得たりと、一斉にそのはみ出し者へ陰険な攻撃が始まる。最も使われる武器は “根拠なき噂話”だ。その “根拠なき噂話” は、はみ出し者を追い詰め弱者にする。弱者のうち、最も底辺に位置付けられるのが移住者なのだ。彼らが従順でも、時には“憂さ晴らし”の対象に、時には “嫉妬” の対象にさせられる。自分とは違う…自分とは違う…加藤は混とんとした葛藤の末、やっと眠りに就いた。


 風光明媚なムラ社会の偽善の裏から漏れるヘドロはどす黒い。“根拠なき噂話” を移住者たちに撒き散らし、彼らから苦しみ悩む姿を絞り出す娯楽を覚えてしまった。もし、そのことに異議を申し立てる移住者がいたならば、ムラ社会は更に陰険の限りを尽くしてその移住者を追い詰め、村八分の防衛線を強いて徹底的に叩き潰した。前村長の小笠原清次は移住問題にはそのことが限界集落に向かうのを早めると見ていた。子孫は殆どが村を出て生活の基盤を県外に根付かせている。従って集落はムラ社会を形成する住民の高齢化で、近い将来完全に絶える。この移住ブームをうまく利用出来ない限り、鬼ノ子村の未来はないのだが、徳蔵の息の掛かった加藤が村長になったことで、鬼ノ子村の未来は限りなく潰えてしまったのだ。

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