第3話 未来の過去の記憶


 次に目を覚ますと、私の体の痛みは大分だいぶ和らいでいたので、動かすことの出来る首から上だけで周りを見渡し、右足は簡易的なギプスで固定され、右腕には点滴の針が固定され何らかの薬品がポタポタと私の腕へと注がれている。


 私はそれから、3日間体を動かせずにベッドの上で寝たきりだった。そして3日目のある日私は右足の状態とこれから手術を行う為に炎症を抑える処置を行う事の説明を受けた。


 私は100メートル走で11秒60台をマークしていた。


 この数字は歴代の中学生女子の100メートル走の日本記録に近い数字であった。つまり私は次の全国大会での優勝候補であった。走る事しか取り柄も無く、そして走る事しか考えずに生きてきた。そんな私を瑞穂は


「まるでジョナサン・リビングストンみたいね。」


と笑っていた。私からすれば他の人達の様に沢山の物事が出来ずに走ることに集中してただけだが、周りの人達は私が誰よりも早く走れる事を賛美してくれた。私はその事が誇らしく、更に早く、更に速く、と走る事を追い求めていった。

 


そんな自慢の脚は壊れてしまったのだ。



 それから、1週間後に私は手術を受けた。手術は成功したと告げられたが、それは歩ける程度の範囲で、縫いあとだらけになり所々が変形した姿を見る限り、私はもう二度と走る事が不可能である事を悟った。


 私は人生を速く走る事に賭け過ぎた。その事を知ったのは1ヶ月後だった。その間に入院中の私を、小学校からの友達の瑞穂や、事故に合った私を助けてくれた国東くん、クラス委員の時枝ときえだくん、同じ陸上部の槍投げの香我美かがみ、長距離走の愛美えみ、他にもたくさんの友達がお見舞いに来てくれて、私はそんな友達に慰められながらリハビリに励んだ。


 そして1ヶ月後、私はリハビリの成果も早く現われ杖を突いて学校へと戻る事が出来た。


 しかし、そんな私を待っていたのは。全国大会への出場辞退と、希望校の推薦取り消し。100メートル走以外をやって来なかった私の成績では進学出来る高校が一つも無かったことだった。


 それから私は学校も家も、あれほど大好きだったグラウンドも居心地の悪いものに為った。


 あの日、中学校の校舎の隣に建つ時計塔から飛び降りた日。母が朝食を作っていなかった事を私が問うと


「貴女はもう、走れないんだから料理の一つも出来ないとダメよ。」


その一言に私は、遂にこの人生にすら疎外感を感じ、時計塔から飛び降りる事を決意したのであった。そして私が時計塔を選んだのは私が中学2年生の時に、虐めを苦に自殺した生徒がこの時計塔から飛び降りて死んだ事もあり、私はこの時計塔からで有れば確実に死ねると思ったからである。



 ―――それが、私の記憶する先月の出来事であったが。



 私は保健室のベッドから起き上がり、記録簿や黒板の日付けやカレンダーを見る限り。



 ―――今は去年の4月23日であった


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