荒波を越えろ

 着々と出来上がり、横手に積まれていく部材に対し、美舞みまは微動だにしない。残り時間は減っていく。何か算段があるのか。

 対岸を見れば、茉莉まつりの前のボトルではすでにプラバンの像ができつつあった。そして、作業台に新たに部員が飛び乗る。


「ジャスミン様! タイムレジン入ります!」

「――レジン!?」


 晴海はるみは思わず顔を上げた。模型に使われるレジン――すなわち樹脂といえばエポキシレジンやUVレジンが代表されるが、どちらも硬化には数十時間を要する。今から流し込んでも、とうてい固まるはずがない。


「――あっ、痛っ!」


 晴海は理解しがたい動きに気を取られ指を切った。左の人差し指に血がにじむ。


「晴海さん! 集中!」


 部員の声に晴海は頷く。手当をしている暇はない。傷口を吸い、作業に戻った。

 いったいどれほどそうしていたか。

 美舞が動いた。


「タイムレジン!」


 ボトルをおよそ五度の角度に傾け、薄青のレジンを流し込む。大量に。大量に大量に大量に。驚くべきことに、入れた端から固まりつつあった。


(そうか! !)


 晴海は自らを強引に納得させる。


「皆! 船底を作っていくよ!」

「はい!」

 

 気づけば、晴海も声を揃えていた。

 美舞がロング鉗子を握り、部員が整えた部材を次々とボトルに挿入、レジンに半ば埋め込むようにして組み立てていく。やがて船底は波の上を滑り、新たに加えられた白いレジンによって全貌が現れる。


「船が――波を乗り越えてる!?」


 そう。ボトルが水平を取り戻すと、そこには荒波を乗り越えたばかりのジャッカスバークがあった。上甲板の破れは歴戦を示し、畳まれたマストは風に耐える姿を現しているのだ。

 晴海がボトルシップに心を奪われているそのとき、


みゅぃぃぃぃぃぃぃん!!


 と、モーター音が響いた。

 茉莉が作業台に昇っていた。


「あれは――何!? 美舞さん! あの、先っぽにマニ車みたいなのがついてるのなんですか!?」

「マニ車?」

 

 言いつつ、美舞は作業を続行する。


「――ああ。そっか。晴海ちゃん、仏師なんだ」

「へ!?」


 頓狂な声をあげる晴海の肩を、副部長が叩いた。


「あれはね。超ロングルーター」

「超ロングルーター!?」

「さすがは闇のボトルシッパー……削り出す気よ」

「――闇のボトルシッパー!?」


 新たな謎の単語に、晴海の当初の疑問は吹き飛んでいった。

 もはや両者は仕上げに入りつつある。かたや完全フルスクラッチのボトルフィギュア。方やレジンの荒波を越えるボトルシップ。どちらがより優れているのかは分からない。あと少し、もうマストを起こすだけ。そのときだった。


「ふっ、く」


 とうとつに美舞が身を捩り、そして。


「ふぇぐしっっ! ぶしっ! ふぁ――ふぁぐしょ!!」


 くしゃみを始めた。

 副部長が叫ぶように言った。


「ぶ、部長!?」

「くっ、ふっ、こっ、抗ヒスタミン薬が切れた! へぐちっ!」

「えっ!?」

「猫アレルギー! ばぐちっ!」


 もはや、美舞の顔は涙と鼻水でドロドロだった。


「ふっ、勝負あったわね! ワルツ! 帆の寝た船は沈むだけ」

「ふぇぶっ! あまいまちゅりっ、ぶしっ! わた、わたしにぁ仲間がいりゅっ!」 


 美舞はロング鉗子を握り変え、晴海に差し出した。


「――え!? 私ですか!? 副部長じゃなく!?」

「ふぇぶっ! あにゃたにしかできなぶっ! もう、もう目が見えにゃぶしっ!」

「猫飼っててごめんなさい猫飼っててごめんなさい!」

 

 涙目になる晴海に、副部長が言った。


「お願い、晴海ちゃん」

「で、でも――!」

「部長が、美舞さんが言ってたの。あなたにはボトルシップの才能がある。あなたなら、絶対に、光のボトルシップ戦士になれるって――!」

「わたしが……光のボトルシップ戦士!?」


 晴海は先輩部員を見回した。皆、一様に頷いた。対岸を見る。

 もこが、憎しみすら籠もる目でこちらを見ていた。

 ギッ、と歯を食いしばり、晴海はロング鉗子を受け取った。


「晴海、いきます!!」


 ほとんど同時に、部員全員が声を揃えた。


「集中ぅぅぅぅぅぅ!!」

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