カティ・サークのお導き

「えっと……それで、ここは何をしている部なんですか……?」


 さくっと名前だけを伝える自己紹介を終え、海林女子中等部一年、この春に入学した新一年生、内藤ないとう晴海はるみは、内心で冷や汗をかきつつ強引に引き込まれた部室を見回す。

 棚という棚、壁という壁に瓶詰めされた船の模型が飾ってあった。作業台には細かな木片と塗料類、ピンセットや長い鋏のような器具、細いノコギリにヤスリにナイフまである。他には自分を見つめる瞳が八つ。ひとり二個分。当然だが。


「ここはね」


 ふたつお下げの女子が両手を広げた。


「海林女子中等部! ボトルシップ部です!!」


 緑の襟章は二年生の証。八つの瞳の六つが緑で、三年を示す赤い襟章は涙目でマスク着用の腕組みさんだけである。


「ぼ、ボトルシップ……部……」


 晴海は復唱することしかできない。てんで意味がわからないからだ。もちろん、名前と飾られた模型で想像くらいはできるが、なんでそんなところに四人も入っているのかが分からない。


「つまらなそう、と思ったでしょう?」


 ふごふごとマスク越しに美舞みまが笑った。


「でも、とりあえず、これを見てちょうだい!」


 言って、美舞が首を振って部員を動かす。晴海の前に、ついさきほどまでいじくっていたであろう、大型の帆船模型を封じ込めた古びたシャンペンボトルを置いた。


「……えっと……それじゃあ……失礼して……」

 

 晴海がボトルに手を伸ばした瞬間だった。


「ダメ! 触らないで! まだ接着剤が乾いてないからぁ!」


 異口同音、圧倒的な音の圧力。晴海は咄嗟に両手をあげた。触りません、という風に。

 

(……触れもしない模型を作って何が楽しいんだろ……)


 子供のころ、遊びにいった叔父の家でブンドド遊んで叔父が涙目になっていた記憶を朧げに思い出しながら、晴海は大型模型に目を凝らす。


(こんなの、何の変哲もない、どこにでもある帆船模型――じゃない!?)


 晴海は思わず目を見開いた。

 帆船の胴をつくりだす、優雅なカーブを描く一枚一枚の板切れに、。曲げた一枚の板に刻みを入れて木船の胴のように仕上げたのではなく、一枚一枚の細い板を曲げ、接着されているのである。

 ピン、と美舞が片眉を跳ねた。


「晴海ちゃん、だっけ。もしかして、分かったの?」

「え!?」


 問われ、晴海は思わず背筋を伸ばした。


「わ、分かるって……いえ、私は……」


 言いつつ、視線はシャンペンボトルの口に向かう。すぐに気づいた。細すぎ、また長すぎた。板を入れることはできない。ならば、


「そうだよ」


 美舞はマスクの向こうでニヤリと笑った。


「それはね、我ら栄光ある海林女子中等部ボトルシップ部が、何年もの歳月を費やして作り上げてきた、本物の帆船なの」

「そんな……でもだって、この船底のカーブはどうやって……!?」

「オーク材――ナラの木を薄い板にして内側から熱を加えながら曲げていくの。……まぁ、釘どめじゃなくて接着剤なんだけどね」

「当たり前じゃないですか! 釘を打つなんて不可能だし……でも、これ……!」

 

 晴海は息を飲んだ。


(こんなの……人間技じゃない……!)


 ボトルシップに見惚れる晴海を一瞥し、副部長は美舞に言った。


「……部長」


 美舞は少し待ってとばかりに手で制し、優しく晴海に呼びかけた。


「その船の名前はね。カティ・サークっていうの。紅茶を運んだ船なんだよ」

「紅茶を運んだ船……ですか?」

「そう。当時、世界で最も早かった船。――だからかな。たったいま完成したばっかりなのに、もう晴海ちゃんのことを連れてきてくれた」


 美舞はゆっくりと席を立った。


「紅茶の時間にしよっか。お砂糖はいる?」

「えっと……じゃあ、ふたつ……」

「ふふっ」美舞はマスクの奥で微笑んだ。「それと、入部届もね」


 

 

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