第46話 ご馳走様

「うん、美味しい」


 何なのだろう。さも、当たり前のように同じ食卓を囲み、全てを平らげ、平然としている彼女は、一体何なのだろう。


「真白は食べないの?」


 不思議そうに尋ねてくる彼女に、俺は困惑していた。どうして、この子はここまで堂々としているのか……。

 俺は琥珀の方をチラリと見る。琥珀は先ほどから一言も発していない。ずっと押し黙ったまま、ただ雲雀を睨みつけている。


「食べるもなにも、雲雀が全部……」


 ついさっきまでここには脂の乗った焼き鳥と、白く輝く白米、それに羊羹ようかんだってあったはずだ。それがどうして、今目の前にあるのが空になった皿とお茶なのか。

 琥珀は相変わらず口を開かない。ただただ沈黙だけが部屋を支配していた。

 そんな中でも、雲雀はマイペースに茶を飲んでいる。その仕草はどこか優雅で、まるで一羽の美しい蝶が舞う様のようだ。


「ほら、まだ残ってるよ」


 そう言うと、彼女は一つの花を差し出してきた。菊だ。料理を美しく飾っていたそれは、今は見る影もなく、ただのゴミと化してしまった。


「あ、ありがとう……」


 俺は戸惑いながらも、その花を受け取った。

 口に運んでみると自然の味がする。今まで菊が生きてきた大自然の優雅な味わいが口いっぱいに広がっていく。


「あぁ……」


 思わず声が出てしまった。この味はあれに似ている……小学校の帰り道に食べた比較的美味しい雑草……苦くて、青臭かったあの時の思い出が蘇ってくる。


「おいしいでしょ」

「う、うん……」


 正直あまりおいしくはない。ただ、自然を感じられるという点では、素晴らしいと思う。


「雲雀は食べないの……」

「いらない。それ飾りだし。あまり美味しくない」

「……」


 本当に堂々としている。少しでも彼女を見習えたら俺ももっと強くなれるのかな……

 いや、でもやっぱりこんな風にはなりたくないないかも。


「焼き鳥にしよう……」


 琥珀はボソッと呟くように言った。彼女の声はどす黒く、何かしらの恨みが込められているような……そんな声色で……。


「え……」

「ほら、お姉ちゃんも手伝って」


 焼き鳥が刺さっていたはずの串を手に取り彼女はおもむろに立ち上がった。半開きの目から読み取れるのはそこ知れない殺意。視線の行先はもちろん雲雀だ。


「私は食用じゃない。美味しくない。よって焼き鳥にするべきではない」

「うるさい……」


 琥珀はそう呟くと、手に持った串を思い切り振り下ろした。しかし、その攻撃はひらりとかわされてしまう。


「ちょっと、危ない」

「避けないでよ」


 琥珀はその後も何度も雲雀に攻撃を仕掛けるが、その全てが軽々と避けられていく。

 俺はその様子をぼーっと眺めていた。もちろん止める気なんてさらさらない……。

 しばらくすると、琥珀の攻撃は止んだ。肩を上下させながら荒くなった呼吸を整えている。


「もう終わり?」

「はあ……はあ……思ったよりすばしっこいね……」

「諦めた方がいい。琥珀じゃ、一生串を刺すことはできない」

「へぇ〜。随分な言いようじゃん……」


 琥珀の声は震えている。怒りの感情を押し殺そうと必死になっているのが伝わってきて……。見てられない。


「まだ続けるというのは、愚かな行為だと言わざるを得ない」

「はぁ……? ふざけんなよ……お前」


 琥珀は俯き加減になり、その表情は見えない。けど、怒りのボルテージが上がっていることは確かだ。


「ふぅ……」


 琥珀は大きく息を吐いた。その動作に呼応するように、炎が大きく揺らめく。

 やばい。あんなことをしたら旅館が火事になる!


「いい加減にしてください!!」


 突然の怒号に驚いたのか、琥珀がビクッと跳ね上がる。

 声の主は依狛だった。

 彼女は割れんばかりにテーブルを叩きつけると、血走らせた眼で二人の方を睨んでいる。


「なに……」


 雲雀は眉をひそめ、依狛の方を見る。


「なに、じゃないですよ!! 貴方がご飯を全部食べるからいけないんでしょう? それに琥珀様! 怒る気持ちはわかりますが、本気で焼き鳥にしようとしないでください! ここに来た意味がなくなります!」


 依狛の言葉に、琥珀は耳を伏せた。


「ごめんなさい……」


 琥珀はしゅんとして謝っている。その姿は、まるで飼い主に注意された犬のようだ。


「まったく……。真白様も真白様ですよ。なんで止めなかったんですか」

「え……」


 俺が……悪いのだろうか……。

 いやまあ、確かに俺も傍観していたけれど、依狛だって今まで放置していたような……。


「まあまあ、そんなに責めなくても。真白も琥珀も悪くないよ」


 雲雀はそう言って二人に笑いかける。その笑顔はまるで聖母のような微笑みで……。


「何で貴方が平然としているんですか!?!?」


 普段、温厚な依狛も、これには堪忍袋の緒が切れたらしい。彼女は、顔を真っ赤にしながら、雲雀に詰め寄っていく。


「だって、私は何もしてないし……」

「したでしょうが!!!」

「だから、なんにも……」


 雲雀は困ったように笑みを浮かべると、ふいっと目を逸らす。


「もしかして……本当にわかっていないんですか……自分がなぜ怒られているのか……」

「わかんない」

「……」


 一切の曇りもない、純粋な瞳で雲雀は答えた。もはや頭を抱えることしかできない。

 どうすればいいのだろう。このままでは埒が開かない。


「……よし。焼き鳥にしましょう」


 ついに依狛までも焼き鳥派に寝返ってしまった。


「だから私は……」

「黙っててください。今焼き鳥のタレを買ってくるので……」

「ちょっ……」


 もはや俺一人ではこの場を収めることは不可能だろう。こうなったら、あとは……


「何やってんの……」


 俺が絶望していると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返ってみるとそこには千鶴の姿があった。

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