第1話 転性
取り戻した感覚が最初に捉えたのは、温もりだった。
後頭部に伝わる柔らかな感触と心地よい温度。
俺はその正体を確かめるように瞼をゆっくりと開いた。
「あっ、目を覚ましたよ! ママ!」
目の前にいたのは、狐耳の少女だった。
少女の頭からは、ふさふさとした金色の毛で覆われた耳が生えている。
え……? 誰? この子。
「良かったぁ~! このまま起きなかったらどうしようかと思ったわよ」
少女の目線は俺の頭上に向いていた。釣られて俺もその視線の先に顔を向ける。そこには大きな尻尾があった。白くてふわふわな狐の尻尾。
それが、まるで意思を持つ生物であるかのように動いている。そして、尻尾の影から現れたのは豊満な胸と美しい白髪の女性の顔。
彼女は安心したような表情を浮かべながら、俺の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫? どこか痛むところはない?」
「あ……え…………?」
状況が理解できず、言葉が上手く出てこない。
現状を理解するために、まずは記憶を呼び起こす。
確か……俺は仕事帰りに繁華街でケーキを買ったんだ。それから……家に帰って……稲荷寿司を食って……俺はあの時……窒息して……
ダメだ。どう考えてもこの状況になる理由が思い浮かばない。その時、俺は自分の身体に変化があることに気づいた。
服が変わっている。
真っ黒なスーツではなく、袖がゆったりとしていて、丈の短い着物のような物を身に着けている。
なんだこれ……コスプレか? 俺は戸惑いながらも、部屋の中を見渡す。そこは、まるで旅館の一室かのような広い和室だった。
畳の上には布団が敷かれていて、枕元には水の入った桶が置かれている。壁には掛け軸がかけられており、その前には刀のようなものが置かれていた。
「お姉ちゃんどうしたの? なんかおかしいよ?」
……? お姉ちゃん? 何を言っているんだ?
彼女の瞳は真っ直ぐと俺のことを捉えており、俺に向かって言っているのは明白だ。しかし、言っている意味が微塵もわからない。
「きっと頭を打ってすこし混乱しているのよ。無理もないわ」
「そっか! じゃあ、ゆっくり休ませないとね!」
狐耳の少女はそう言うと、優しく微笑みかけてきた。
彼女たちの会話の意味は全くわからないが、自分の置かれている状況は少しずつわかってきた。
俺は見たこともない和室で膝枕をされながら、謎の狐耳の女性二人に囲まれている。これは一体どういうことだろう。夢か? あり得るな。あんなケーキと稲荷寿司を食ったあとだし、夢に出てきてもおかしくない。
「もう少し横になってなさい。起きたばかりだし、疲れてるでしょ?」
言われるままに、力を抜く。
女性の太腿は柔らかく、程よく弾力があり、いつまでもこうしていられる気がする。
「それじゃあね! お姉ちゃん! ゆっくり休むんだよ!」
お姉ちゃんと言う彼女の瞳はやはり俺のことを捉えていた。
「ええ、ありがとう。あなたはもう戻りなさい」
狐耳の少女は笑顔を残して部屋から出て行った。残されたのは、大人びた様子の彼女と俺だけ。女性は、優しい眼差しで俺のことを見つめてくる。
「全く、庭で転んで頭を打つなんて、まだまだドジなのね。あなたも」
「…………」
頭を打った記憶なんてない。俺は稲荷寿司を喉に詰まらせて気を失ったはず。
「でも……無事でよかった……本当に」
彼女は俺の頭を撫でると、ホッとしたように息を吐いた。
「それそろお腹が空く頃かしら。何か、作ってくるから安静にして待っていなさい」
「……」
女性は立ち上がって部屋の外へ出て行った。
俺はしばらく呆然と天井を見上げていた。何が起きたのかは未だによくわかっていない。
もしかしたら、これは夢なのかもしれない。
でも、感触がリアルすぎる。それに、こんなリアルな夢なんてあるんだろうか。考えれば考えるほど頭がこんがらがっていく。
少し、部屋の中を見てみるか……。
俺は先程ふとんの上に移された自分の体を起こす。体が重い。まるで、身体中に鉛が巻き付けられているようだ。どうにか立ち上がると、何か違和感を覚えた。
……床が近い。いつもならもっと高いはずだ。
それに腰のあたりにいつもは感じない重量を感じる。
まさかと思い、手を後ろに回して触れてみると、そこにはモフッとした柔らかい感触があった。
「えっ……」
恐る恐る手を前に持ってきて確認する。
そこには、白い毛に覆われたモフりとした尻尾があった。
「はっ!?」
尻尾を手で持ち上げてまじまじと見つめる。
間違いない。俺の尻尾だ。いや、ちょっとまて。なんで俺に尻尾がついているんだ。
そんなのまるで……
いやいやまてまて、落ち着け。落ち着くんだ。そうだ。きっとあれだよ。あれ。コスプレ。そうに違いない。うん、それ以外に考えられない。
「あはは……何考えてんだ俺……」
ん? 今誰が喋った? 俺……な訳ないよな。
俺の声はもっとダミダミとした声のはず……
「あー、あっあーー……」
いや、やはりこの声は俺の口から発せられている。
いつも聞いている俺のダミ声とは似ても似つかない透き通ったような綺麗な音。まるで女の子みたいな声……
いやいや、落ち着け。そんなわけがない。きっと風邪か何かで喉を痛めているだけだ。うん、そうだ。
俺は咳払いをすると、今度はいつも通りの声で話そうとする。
「ゴホン……あー、あー、あー……よし。これでいつも通りだ。さあ、次はいつものダミ声を……」
ダメだ。やはり俺の喉からは可愛い女の子のような声しか出ない。
「う……嘘だ……」
これは現実なのか……俺は……人間をやめてしまった上に女の子になってしまったのか……
そういえば、音の聞こえ方もなんだかおかしい。いつもよりクリアに聞こえる気がする。
それに尻尾がついているのならもしや……
恐る恐る頭の上に手を伸ばす。指先が頭の上のモフりとした何かに触れる。
その瞬間、ゾクっとするような感覚に襲われた。
「ひゃうんっ!!」
思わず変な声が出てしまう。
慌てて口を押さえるが、今のはどう考えてもオスが出していいような声ではなかった。
「うぅ……なにこれぇ……」
目尻に涙を浮かべながら、頭の上についているものを両手で掴む。
それは、俺の頭にしっかりとついていた。
この前触った猫の耳に似た形。しかし、それよりも遥かに大きい。まるで、本物の動物の耳みたいに、ピクピクと動かせるし、音もよく拾える。
それに……なぜか妙に敏感だ。
「あ……あぁ……だめ……だ……め……!」
自分で触っているだけで、全身が熱くなり、甘い感覚に襲われる。
ダメだ……これ以上触っていたら……おかしくなってしまう……俺は、なんとか理性を保つと、耳らしきものから手を離した。
「はぁ……はぁ…………」
荒くなった呼吸を整えるように深呼吸をする。
「はぁ……はぁ……な、なんなんだよこれ……」
自分の身体に起きた変化に困惑しながらも、俺はもう一度自分の身体を確認する。
着ている服は、真っ黒なスーツではなく、真っ白な着物になっていた。下は青い袴のようなものを履いており、足は裸足のままだ。
そして、極めつけは俺の頭についている大きな狐の耳と、お尻から生えている大きな尻尾。
「ど、どうなってんだこれ……」
待てよ……。もし俺の推測が正しいとするならば、アソコは? アソコはどうなっているんだ!? 俺は咄嵯に股間に手を当てる。
そこには、いつもの感触はなく、ただふわりと柔らかい布の感触が伝わってきた。
「はは……やっぱりか……」
俺は男として大切なモノを失ってしまったらしい。
「はあ……」
俺は深いため息をつくと、その場に座り込んだ。どうしてこうなったんだろう……俺はどうすればいいんだ……
「あら? 起きれるようになったのね。良かったわ」
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