第32話 蝉時雨

 朧は美貌を歪めて、無惨な屍を見下ろした。

 猟師の屍に無数の蠅がたかり、人肉の焼け焦げた臭いがする。胸部に大きな穴が空き、傷口が焼け焦げていた。両耳がない。切断面が綺麗な事から、刃物を使用した事が分かる。道具を使う程度の知能は残されているようだ。


「威力は焙烙玉以上、抱え大筒未満という処か」

「そうですね。抱え大筒なら胴体を貫通しております」


 薄紅色の蛾が、朧の感想に追従した。


「威力は調整能うか?」

「無理だろうな。彼女は『炸裂眼さくれつがん』の威力を調整する修練を受けていない。これが彼女の限界。最大出力だ」

「才能に恵まれていないというのは、どうやら本当のようですね。潜在能力を限界まで引き出されて、墨川家の標準を下回る威力……これなら楽勝です」

「あからさまに、儂を油断させようと致すな。十分に人を殺傷し能う威力ぞ」


 おゆらの戯れに惑わされず、朧は屍を凝視する。


「眷属を用いて殺したか」

「視線で殺したのであれば、弥助の前方に立たなければならない。然し周りには、樹木が立ち並んでいる。遮蔽物が多過ぎて、遠くから弥助の姿を捉えられない。余程近づかなければ、凝視する事も難しいだろう」

「然れど他の猟師は『神寄カミヨリ』を見ておらん。遠間より蝉を飛ばし、こそりと猟師の胸に貼りつけ……どっか~ん」


 朧は左手を開き、小規模な爆発を表現した。


「して……見張りの猟師は何処いずこじゃ?」

「俺は此処にいるんだホー」


 すきを担いだ猟師が、巨木の陰から顔を出した。

 無精髭を生やした中年男で、手足が土で汚れていた。


「お主、木陰で何をしておった?」

「屍を見張りながら、穴を掘っていたんだホー」

「穴を掘れとは、申しつけておりませんが?」

「検分が終われば、屍を埋めてやりたいホー」

「お主……己の意志で動いておったのか?」

「勿論だホー。早く埋めてやりたいホー」


 髭面の猟師が、不自然なほど陽気な笑顔で応えた。


「あらあら。私とした事が……一本取られてしまいました」


 おゆらの眷属が「うふふっ」と笑う。

 人喰いの妖怪であろうと、損壊の激しい死体や保存状態の悪い死体は食べられない。猟師の屍も蛇孕神社に運ばれる事はなかろう。

 この猟師は妖術で操られていながらも、命令違反にならない行為を見つけて、自主的に行動を起こしたのだ。


「お主、名は何と申す?」

彦造ひこぞうだホー」

「ふむ……お主は今日から髭面と名乗れ。喜助は日焼けじゃ。日焼けは果報者よ。兄弟と仲間に恵まれた」


 勝手に他人の名を決めて、朧は鷹揚に私見を述べた。


「髭面は独身臭いのう。嫁はおるのか?」

「嫁はいないホー」

「日焼けは?」

「俺は、嫁と娘がいるホー」


 髭面と日焼けの顔を見比べた後、朧は「ふむ」と顎に手を当てた。


「畢竟、男の価値は顔で決まる。不細工な髭面が、精悍な日焼けに後れを取るのも無理からぬ。然れど世をはかなんではならぬぞ。おそらく一生独り身であろうが、死ぬまで生き続けるがよい」

「なんか……急に涙が出てきたんだホー」

「何を泣く? お主を褒めておるのだぞ」

「そんな褒め言葉があるか」

「領民を苛めないでください」

「……」


 朧は唖然とする。

 獺や蛾に非難されると思わなかった。


「それに私の妖術で支配された者に、余計な情報を与えるべきではありません。記憶に矛盾が生じれば、精神的な抑圧となります」

「御曹司の記憶は、好き勝手に書き換えておるではないか?」

「記憶とは、様々な逸話や映像が複雑に絡み合う情報の塊。好き勝手に書き換えられるものではありません。これでも奏様の記憶に矛盾が生じないように、細心の注意を払いながら、記憶の改竄や精神操作を施しているのです。奏様の精神的な抑圧は、私の身体で解消しております」

下衆げすが。さえずるな」


 朧は酒を呷り、低い声で会話を打ち切る。


「――来た」


 獺が顔を上げて、急に語気を強めた。


「近くにおりますね」


 薄紅色の蛾が、朧の言葉を首肯する。

 朧は注意深く周囲を見回した。


「おそらく『神寄カミヨリ』の眷属であろう。当人が近くにおれば、すでに儂は死んでおる」

「どちらが先に対手を見つけるか――だな」

「その勝負は儂の勝ちじゃ。『神寄カミヨリ』を見つけた」

「――早ッ!?」

「あらあら」


 獺と蛾が、驚愕の声を発した。


「白い着物に……アレは寝巻か? 髪を短く切り揃えておる。右手に脇差。顔を伏せておるゆえ、面立ちや年の頃は分からぬが……獺殿、相違ないか?」


 朧は山裾を見下ろし、獺に確認を取る。


「間違いないと思うが……よく見つけられたな」


 獺が呆れたように言う。

 辺りは樹木が生い茂り、符条もおゆらも山裾を視認する事はできない。

 朧は嗤いながら、大刀の柄を掴んだ。


「忘れたのか? 儂は八町先の男女なんにょも見分け能う。木陰の暗闇も見通し能う」

「鷹と梟を足したような奴だな」

「流石に儂も鷹や梟には及ばぬ。寧ろ獺の方が、儂より五感も優れていよう」

「眷属の五感は、使役する使徒と変わらない。そうでなければ、蛾は声も聞こえない」

「是はしたり」


 朧は一人で納得すると、大仰に腰を捻りながら、大刀の柄に右手を添える。刀身で美貌の右半分を隠し、右手の人差し指を立てた。

 如何なる時でも、朧は美意識を忘れない。


「運良く地の利を得たようじゃ。儂らが上を取り、敵の動きは丸見え」


 幽玄オサレに大刀を抜き放つと、朧は首を傾げた。


さても偖も『神寄カミヨリ』は、山登りが不得手か? 己の足下に気を取られ、顔を上げる余裕すらなさそうじゃ。眷属を介して、此方の位置を把握しておるゆえ、遭難する事はなかろうが……斯様な有様では、此処に辿り着くまで半刻近く掛かろう」

「『神寄カミヨリ』に堕落した処で、身体能力が上がるわけではありません。所詮は世間知らずの箱入り娘。抑も山登りに慣れていないのでしょう」


 日焼けの右肩の上で、蛾が穏やかに説明する。


「実戦経験もなく、頼りの『炸裂眼さくれつがん』も三流以下。『神寄カミヨリ』に堕落した為、知能も低下しております。不意を衝けば、容易く討ち取れましょう」

「『神寄カミヨリ』も周囲に眷属を配置しておろう。そろりと背後に忍ぶ込む事も適わぬ。何よりコソコソと忍び寄るなど、儂の美意識にそぐわぬ。さて……如何したものかのう」

「私の眷属の側にいる限り、蝉を恐れる事はないぞ」

「それもつまらぬ。ゆえに思案しておるのじゃ」

「全く……中二病というものは、面倒臭い生き物ですね。符条様の力を借りて、早々に始末すれば良いものを――」

「お主には、永遠に理解能わぬ。中二病には、中二病の矜持があるのじゃ。加えて敵を利用するのは面白いが、観衆を利用しても面白うない。面白うなければ、立ち合う理由もなくなる」


 朧は泰然と言い捨て、瓢に口をつけた。


「なれど、文字通りの睨み合いとなってしもうた。飛び道具がないゆえ、此方から攻めたくても攻められん。然れど此処に居付けば、獺殿に守られておるのと変わらぬ」

「日が沈むまで待てばよかろう。『神寄カミヨリ』は、夜襲に慣れていない。夜が更ければ、夜目の効くお前が有利だ」

「却下じゃ。それもつまらぬ」


 朧は大刀を抜いたまま、あれこれと考え始めた。


「念の為に伝えておくが……」


 沈思する朧に、獺が声を掛けた。


「なんじゃ?」

「『神寄カミヨリ』は無知な素人ではない。戦巧者から武勇伝を聞かされた程度には、合戦の極意を会得している」

「奇妙な口振りですね。合戦の自慢話を聞いたら、素人が玄人に変わると? ならば、足軽の子は、皆一流の軍師となりましょう」

「念の為に伝えただけだ。気に留めなくていい」


 獺の忌々しげな口調から、朧は言外の意図を察した。

 おゆらに伝えたくない事があるのだろう。


「試してみたい事がある」


 おゆらの追求を避ける為、朧は話を逸らした。


「何か策でも思いついたのか?」

「我が身を囮として、『神寄カミヨリ』の視力と妖術が発動するまでの時間を調べる。彼奴きゃつが顔を上げた刹那、杉の木に身を隠すのじゃ」

「死ぬぞ」

「殺されますよ」

「絶対とは言い切れまい」


 両者に断言されても、朧は躊躇いを覚えない。


「俄然意欲が湧いてきたぞ。儂の体捌きと『神寄カミヨリ』の妖術。どちらが速いか、勝負じゃ」


 朧は唇の端を吊り上げて、木々の隙間から『神寄カミヨリ』を見下ろす。


「……私には、中二病と自殺志願者の区別がつきません。どうぞ御勝手に」

「お主の許しなど求めておらぬ。取り敢えず、獺殿と日焼けと髭面は、木陰にでも隠れておれ」


 朧の指示に従い、猟師達が移動する。


「私は何をしましょう?」

「何も致すな。山火事の心配でもしておれ」

「畏まりました。然し山火事の心配はありません。朧様は『神寄カミヨリ』討伐に専念してください」

「……?」


 一瞬、おゆらの言動を訝しんだが――

 それより気になる事がある。


「蝉の数が増えておらぬか?」


 鼓膜を叩く蝉の声。

 蝉の鳴き声が、爆音の如く耳をろうする。


「付近の蝉を集めているのだろう! 私の妖術で近づく事はできないが、向こうは準備万端のようだ!」


 獺が大声で応えた。

 互いに声を張らなければ、意思疎通も覚束ない。


 此方の聴覚を封じたつもりか? 

 或いは、威嚇?


 『神寄カミヨリ』の狙いが読めない。


「た……大変だホーッ!」

「如何致した!?」

「自分で掘った穴に落ちたんだホーッ!」

「自力で這い上がれ!」

「ホー?」


 髭面に続いて、日焼けが間の抜けた声を放つ。


「今度はなんじゃ!?」

「何か背中に――らどっぴおッ!!」


 突然、日焼けの背中が爆発した。

 前方に二間も弾き飛ばされて、日焼けが前のめりに倒れ込む。


「何――――ッ!?」


 朧が大声で叫んだ。

 日焼けの背中が抉れて、傷口が焼け焦げていた。ぶすぶすと黒い煙が舞い上がり、臓腑の焼けた臭いが漂う。


「如何にして爆発した!?」

「分からん! 見当もつかない! すでに蝉を接近させないように、妖術を発動させている! 蝉の成虫だろうが、幼虫だろうが、絶対に近づく事はできない!」


 朧は『神寄カミヨリ』に視線を戻したが、彼女は此方を見ていない。弱々しく俯きながら、斜面を登り続けている。

 『神寄カミヨリ』の直視ではない。


 なんじゃ!? 

 一体、何が起きておる!?


「『神寄カミヨリ』が何体も来ておるのか!?」

「有り得ない! 『神寄カミヨリ』は一体だけだ!」


 獺も困惑しながら周囲を見回す。


「だが、おゆらの蛾も爆発に巻き込まれたようだ!」

「ざまあ! 然れど窮地である事に変わりなし!」

「ひイイイイイイイイッ!? な……なんだよ、これ!?」


 今度は髭面の悲鳴が、朧の耳に届いた。

 墓穴から這い出てきた髭面が、蝉の抜け殻のような日焼けの屍と胸部の爆ぜた弥助の屍を発見し、狂乱して喚き散らす。


「あの腐れ雌狗プッタ――」


 瞬時に状況を理解し、朧は怒声を上げた。

 おゆらは極限の状況下で、敢えて髭面の精神操作を解除したのだ。


「落ち着け! その場より動くでない!」


 錯乱した髭面は忠告を聞かず、全力で駆け出した。

 再度、派手な爆発音が響いた。


「べらみたん!!」


 忽然と地面が爆発し、髭面の左脚が吹き飛んだ。

 転倒した髭面の左脚が消えている。焼け焦げた左膝の下から、脛骨けいこつ腓骨ひこつが剥き出しになり、髭面の混乱が頂点に達した。


「なななな……なんで――――ッ!?」


 朧は、チッと舌打ちをする。


「獺殿! この辺りに見晴らしの良い場所はあるか!?」


 珍しく朧が、焦燥を滲ませて尋ねた。


「それは……」

「心当たりがあるならく答えよ!」

「頂上を目指せば、見晴らしの良い場所に行き着く!」

「承知!」


 持ち手の人差し指をぴんと立て、ゆるりと大刀を鞘に納めた。

 如何なる時でも、朧は美意識を忘れない。

 刀身を鞘に納めた後、獺を右脇に抱えて走り出した。


「おわ!? なんなのだ、一体!?」

「喋りたもうな! 舌を噛むぞ!」


 朧は茂みの中に跳び込む。

 同時に――

 背後から無数の爆音が轟いた。

 幾度も地面が爆発し、粉塵が舞い上がる。


「ま……待ってええええ! 俺を見捨てないでええええ!」


 髭面の懇願が虚しく響いた。

 然し朧は意に介さない。

 アレは死人だ。

 たとえ朧が中二病でも、戦場で死人を助ける余裕はない。

 武芸者の俊足は、確実に爆発音を引き離す。ジグザグに杉の木を躱しながら、全く速度を落とさない。


「奴から離れた!」

「まだ油断能わぬ! 一気に進むぞ!」


 一心不乱に駆け続けると、目の前に岩壁が立ち塞がった。


「是は……見晴らしが良すぎであろう」


 呆れた様子で呟き、朧は岩壁を見上げた。

 意を決すると、袖の中からたすきを取り出し、木履ぼくりを脱ぎ捨てる。


「獺殿、儂の肩に乗れ」

「お……おう」


 獺を左肩に乗せた後、襷で結んで身体に固縛こばく。瓢の紐を右腕に巻きつけて、岩壁の僅かな窪みに指を掛ける。腕の力で身体を持ち上げると、両足が宙に浮いた。続いて両足の爪先を岩壁の突起物に乗せる。

 岩壁に貼りついた朧は、駆け足の如き速さで這い上がる。

 武芸八十二種が一つ。

 登攀とうはんだ。

 岩壁登攀は、武芸者の一般的な修行法である。素手で岩壁を這い上がり、柔軟性や心肺機能を高めつつ、全身の筋肉――特に深層筋を鍛える。平衡感覚も養われる事から、平安時代より武士の鍛錬に用いられてきた。

 山育ちの武芸者であれば、岩壁を這い上がるなど造作もない。

 岩壁の中腹――落下すれば即死という高さまで這い上がり、蜥蜴の如く岩壁に貼りつきながら振り返った。

 すでに日は没していた。

 朧は星辰せいしんの瞬きを頼りに、眼下の森林を見下ろす。


「是で一安心という処か」


 朧が気楽に呟くと、獺が溜息を漏らした。


「私は不安しか感じていないぞ」

「獺殿は、高い所が苦手か?」

「苦手ではないが……いや、私の事はどうでもいい。それより訊きたい事がある。どうして我々は、逃げ場のない岩壁に貼りついているのだ?」

「逃げ場はないが、見晴らしが良い。お陰で『神寄カミヨリ』の動向を見張り能う。儂に感謝致すが良い。獺殿を死地より救うたのじゃ」

「眷属の一匹くらい見捨てても構わんぞ」

「馬鹿を申すな。獺は貴重ぞ。高く売れる」

「……」

「戯れを真に受けるな。幼い頃からの性分での。尼寺で育てられたゆえ、戒律で殺生を禁じられておった。ゆえに儂は、無益な殺生を見過ごせん。特に快楽けらくを伴わぬ殺生は好かぬのじゃ」

「有益な殺生は有りなのか? どうも腑に落ちないが……一応礼を言う」


 やはり中二病の思考は理解し難い。


「で――これからどうするのだ?」

「儂も考えあぐねておる。元の場所に戻うた処で、すでに髭面も死んでおろう。『神寄カミヨリ』も話に聞く以上に難敵じゃ。対手の奥の手も拝めたゆえ、此度は物見という事にしておくか」

「爆発の原因を突き止めたのか?」

「なんという事はない。爆発したのは、蝉の尿じゃ」

「蝉の尿……?」


 獺が、朧の背中で怪訝そうに言う。


「儂が視認能うたのは、髭面の左脚が吹き飛ばされた時じゃ。日焼けの時は、『神寄カミヨリ』の動向を注視しておったからのう。全く気づかなんだ。加えて蝉の声がやかましく、蝉の尿が落ちる音など聴き取りようがなかった」

「……」

雌狗プッタは、己の眷属が弾け飛んだ刹那、『神寄カミヨリ』の攻め手に気づいたのであろう。敢えて精神操作を解除し、素面の髭面を乱心せしめ、儂に『神寄カミヨリ』の攻め手を伝えたのよ。お陰で蝉の尿が地面に落ちる瞬間を目視できたわ」


 ふんと不快そうに、朧は鼻を鳴らした。


「待て待て。蝉の尿を爆発させるなど聞いた事がない。何より命中率が高過ぎる。確実に日焼け……もとい、喜助の背中と彦造の左脚に尿を当てたというのか?」

「下手な鉄砲も数を撃てば当たる。あの場に、どれだけの蝉がおった? あられの如く蝉の尿をばらまき、標的に命中した尿を任意で爆発させたのじゃ。それが獺殿を助けた理由に繋がる」

「どういう事だ?」

「儂は日焼けと喜助の屍……最悪、髭面を搔楯の代わりに使う事も能う。然れど獺殿は、己の身を守る術がない。己の眷属が放つ妖気を消したうえで、二人と一匹に蝉を近づけない――これだけでも厳しい筈じゃ。加えて降り注ぐ蝉の尿を防ぐなど、獺殿でも難しかろう?」

「……そうだな。流石に胃が保たなくなる」

雌狗プッタの眷属が吹き飛んで良かったの。獺殿が知らなんだのは、墨川家が他の分家衆に隠していたからよ」

「それは――」

「有り得ぬ、と断言できまい。獺殿も雌狗プッタに隠し事をしておろう。言うなれば、墨川家秘伝の奥義じゃ。先祖代々創意工夫を重ね、先代か先々代の頃にでも開眼かいげんしたのであろう。狭い土地で何百年も隠し通せると思えぬ」

「爆発が止んだのは、必要な餌贄えにえを確保したからか?」

「人の耳など喰うた事がないゆえ、必要な餌贄えにえの数など分からぬ」

「おゆらが、お前に対手の戦術を明かしたのは……?」

「無論、親切ではあるまい。儂に屈辱を与える為じゃ」


 あの状況で髭面を助ける事は、無謀を通り越えて無理だ。

 獺一匹では、朧を守る盾にもならない。それを承知の上で、おゆらは髭面を精神支配から解放した。

 超越者チートであれば、髭面を死地より救う事もできただろう。然し超越者チートに到達し得ない中二病は、死地より逃げ出す事しかできない。敢えて卑劣な手段で対手の攻め手を伝える事で、マリアを除く中二病の限界を思い知らせたのだ。

 さらに邪推すれば、髭面に罰を与えたとも考えられる。

 おゆらに精神を支配されながらも、自発的に動いた髭面を処分したのだ。

 正気を取り戻した髭面は、脈絡もなく地獄に叩き落とされた。忽然と仲間の屍を見せつけられ、その場より逃げ出すも左脚が爆発。蝉の尿の絨毯爆撃で身動きが取れなくなり、朧に助けを求めるも見捨てられ――

 恐怖と絶望で震えながら、最後は『神寄カミヨリ』の手で殺される。

 刹那の間に、これほど陰惨な処刑法を思いつくとは……機転が利くと言うより、性根が腐り過ぎている。

 謀略や裏切りを好み、柔和な笑顔で周囲を欺き、兵法と算用に秀でた奸臣。今頃、鼻歌でも歌いながら、本家屋敷で宴の支度をしているのだろう。


雌狗プッタは脇に置こう。それとり『神寄カミヨリ』じゃ」


 朧は厚めの唇に舌を這わせ、愉快そうに言う。


「弱々しく山を登り、対手の意識を己が身に向けつつ、不意を衝いて一網打尽。実に見事な手際じゃ。とても素人の生兵法とは思えぬ。世間知らずの箱入り娘で、知能も低下した化物ではないのか?」

「……私が話した事を覚えているか?」


 獺が神妙な様子で尋ねてくる。


「戦巧者の武勇伝を聞かされた程度には、合戦の極意を会得しておるとか」

「近くにおゆらがいたので、詳しい説明ができなかった。墨川家の娘は、武士の首級を差し出し、己の潜在能力を限界まで引き上げた。加えて何を考えたのか……願い事をもう一つ叶えてほしいと告げた」

「ほう」

「自分の髪を餌贄えにえに変えて、殺害した武士の実戦経験を求めたのだ。一応、その願いも叶えたが、私の妖術も万能ではない。おゆらの言う通り、他人の戦自慢を聞いたくらいだ。その後、『神寄カミヨリ』に堕落して知能も低下した。今では獣同然と捉えていたが……私の認識が甘かった」

「面白い……狩りに特化した戦巧者というわけか」


 戦場で働いた事もなく、武芸者と立ち合いをした事もない。だが、限りなく玄人に近い素人。野生の獣が、兵法という武具を手に入れたようなものだ。

 初めから油断していたわけではないが、考えを改めなければなるまい。『神寄カミヨリ』は危険極まりない強敵だ。

 朧は眼下の樹海を見下ろし、ニヤリと嗤った。


「『神寄カミヨリ』の強さは嬉しい誤算じゃ。儂も存分に太刀打たちうち能う。次に出会うた時は、互いに全力で殺し合おうぞ」


 爛々と双眸を輝かせ、岩壁に両手の指を突き込む。

 対手は人喰いの妖怪。

 人ですらないが――

 渡辺朧という武芸者も、大凡おおよそから程遠い存在であった。




 八町……約907.2m 太閤検地後


 二間……約3.6m

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