取調室に、三人

取調室に、三人 前編

「お前がやったんだろう!」

 梶倉はバン、と机を叩いて、目の前の容疑者を睨みつけた。容疑者は怒るでも怯えるでも、ましてや嘲笑うでもなく、鼻をすすりながら、ただじっと梶倉の顔を充血した目で見ていた。その動じない様子に、梶倉は更に怒りを燃やす。

 芽具露署の取調室。机を挟んで二人が対峙している。

 語気荒く詰め寄っているのは刑事。対面に座っているのは、容疑者として刑事本人が連行してきた男だ。


 事件が起きたのは三日前の四月四日。公園で赤ん坊が苦しんでいるという一一九番通報があった。救急隊が駆け付け、赤ん坊を急いで病院へ搬送。懸命の処置が施されたが、まもなく赤ん坊の死亡が確認された。

 通報したのは母親、関加寿子。被害者は彼女の次男、関修一郎。

 修一郎の死亡原因は中毒死だった。事件性を疑った病院は警察に通報。駆け付けた警察が加寿子から話を聞くと、事件が起きる直前、加寿子は修一郎と近所の公園に来ていた。いつものように修一郎を抱えてベンチに座ろうとすると、ベンチに箱が置いてあった。木製の積み木が入った箱だ。箱の隙間には『ご自由にお使いください』とメモが挟まっていた。

 これまでにも、砂場には子どもの名前が書かれたスコップやバケツ、鉄棒にはネットに入ったサッカーボールや縄跳びが括りつけられていることがあった。子どもが大きくなり不要となった物を勝手に置いていくのは、正直褒められたものではないが、それを使って遊ぶ子どもがいるので黙認されていた。この積み木も同じ理由で置いていかれたものだろうと加寿子は思い、お言葉に甘えることにした。箱から積み木を取り出し、一緒になって遊んでいた。そんな時、修一郎が積み木を口に入れて舐めてしまった。一歳くらいの子どもは物を口に入れてしまうことがある。加寿子も気をつけていたが、止める間もなく積み木を齧った。それからしばらくして、修一郎の様子がおかしくなった。嘔吐し、呼吸が乱れ、意識を失った。ここで加寿子が病院に通報し、現在に至る。

 鑑識の調べで、修一郎が舐めた積み木には農薬が塗布されていたことが分かった。農薬は一般に販売されているもので毒性はそこまで強くはなく、大人であれば死ななかったかもしれないが、幼児の体では耐えきれなかった。警察は無差別事件として捜査を開始。聞き込みを重ね、ある人物が浮上した。

 楯川良晴、三十四歳。独身。職業、介護士。

 訪問介護士である彼は、訪問先に移動する際にその公園のトイレをよく利用していた。また、ベンチに座っている彼らしき人物の目撃証言が多数報告が挙がっている。

 何より、積み木から検出された積み木の箱やメモには、関親子と楯川の指紋しか検出されなかった。彼の指紋は一部が欠けたり、薄れたりしていて特殊な形状をしていた。

 目撃証言、そして指紋という証拠。楯川の犯行に疑う余地はなかった。

「修一郎君はな、まだ一歳だ。わかるか。お前は一歳の子どもを殺したんだ。いたずらじゃすまされないんだぞ!」

 ドン、と机を叩く。しかし楯川は臆することも、良心の呵責にさいなまれる事もなく、梶倉の話を吟味するように聞いていた。

「何とか言ったらどうなんだ!」

「なんとか、と言われ、へ、へ」

 中途半端なところで楯川は言葉を切り、顔をくしゃりと歪めた。一拍の後、盛大なくしゃみを連発した。唾が飛び散り、彼の鼻から鼻水が垂れた。「失礼」と楯川は断り、鼻水が出ている方とは別の鼻の穴を指で押さえて鼻をすすった。しかしすすりきれないのか後からどんどん溢れてくるのか、つつっと鼻から水が垂れて机に落ちた。

「申し訳ない。花粉症なんです。ティッシュもらえませんか」

「ふざけてんのか」

「ふざけて花粉症になる人間はいま、せ」

 再び、楯川はくしゃみした。ため息なのか呼吸困難なのか荒く息をつき、彼は恨みがましい目を梶倉に向けた。

「わからないでしょうね。花粉症じゃない人に、この苦しみは。外に出るにもカバー付きの防塵眼鏡をかけ、高いマスクをつけ、花粉が髪につかないようパーカーのフードをかぶり、暑いのに全身を覆う。外に出るだけでこの手間暇がかかるんです」

 任意同行を根に持っているようだ。舌打ちして取調室を出て、ティッシュ箱を掴んで戻ってくる。楯川はどうも、と言うのと同時進行で流れるようにティッシュ箱からティッシュを抜き、鼻に当てて盛大な音を立てる。ティッシュを丸め、ついでに机に落ちた水滴をふき取った。記録係は顔をしかめながら、その様子を文字に変換して記入している。

「えっと、なんでしたっけ」

 楯川が尋ねた。先ほどの話が鼻水と一緒に出てしまったようだ。苛立ちを机にぶつけ、梶倉が怒鳴る。

「お前が、毒を塗った犯人だろう!」

「毒って何ですか?」

「舐めてんのか!」

「毒を?」

 馬鹿にしているのか、それとも酸欠で頭が朦朧としているのか、さっきから会話が成り立たず埒が明かない。

 まあいい、と梶倉は呼吸を整える。そもそも起訴できるだけの証拠は揃っている。動機だけは不明だが、どうせただの愉快犯だろう。遊び半分でした事がどんな結果を迎えるか、想像する事すらできない馬鹿の類だ。こんなしょうもない奴に未来を奪われた犠牲者である修一郎君がどれほど無念であったか、そして母である加寿子さんの心痛察して余りある。自分にできることは、こいつが何をしでかしたか理解させ、重い罰を与えることだ。

「梶倉君」

 楯川を問い詰めようと前のめりになった時、ドアが開いて自分の名を呼ぶ声が入ってきた。

「横山さん」

 梶倉が振り返ると、先輩である横山が顔をしかめて立っていた。

「言葉遣いに気をつけなさい。今の会話は人の尊厳を傷つける、不当な取り調べを受けたと訴えられてもおかしくないわよ。熱くなるのは良いけど、熱くなり過ぎたら何も見えなくなるわよ」

「すみません」

 まったくすみませんと思っていそうにない梶倉の態度に、横山はため息をついた。

「こんにちは。横山さん」

 鼻をぐずぐずいわせながら、楯川が言った。横山は答えず、苦虫を噛み潰したような顔で楯川に視線を向けた。

「知り合いだったんですか?」

「少しね」

 梶倉が尋ねるも、横山は短く答えるのみだ。あまり聞かれたくない話のようで、梶倉はそれ以上の追及を避けた。

「申し訳ないが横山さん。彼に代わって、僕に説明してもらえないでしょうか」

 しかし楯川は彼女のそんな様子を気にもせず話かけた。

「どうもこの方、ずいぶん感情的に話をするので、僕には何のことだかさっぱり理解できないんです」

「何だと!」

「梶倉君」

 掴みかかろうとした梶倉を横山は腕を掴んで制し、後ろへ引っ張った。入れ替わるようにして取調室の椅子に横山が座る。

「横山さん! 俺が挙げた容疑者ですよ!」

「わかってるわよ。少しだけ。五分でいいから代わって」

 納得いかない彼を、時間制限を設けることで何とか押しとどめ、横山は楯川と向き直った。

「事件が起きたのは三日前。あなたが良く行く公園で、幼児が中毒死した。原因は、公園内に置いてあった積み木と考えられている。その積み木の入った箱と自由にお使いくださいと書かれたメモには、間違いなくあなたの指紋がついていた。これについて説明してくれる?」

 少し考えるそぶりをして、楯川が言った。

「ああ、ええ。間違いないです。朝八時の訪問の後、少し時間が空くのでその公園でトイレを借り、ベンチで休憩していました。確か、かなり風が強かった記憶があります。花粉酷かったので。休憩中、目の前を貼られていたメモが飛んでいったから、拾って、確か箱の隙ぃっまっひゃあん!」

 盛大なくしゃみをして、鼻をかみ、楯川が続ける。

「すみません。隙間にメモを挟み直しました。昨日の夕方にはなかったんですけどね。誰が置いたんだか」

「じゃあお前しかいないだろうが!」

 横山の後ろから梶倉が叫んだ。

「そのすぐ後だ! 一一九番通報があったのは! 加寿子さんがどんな悲痛な声を上げていたかわかるか! その時の彼女の気持ち、考えたことあるのか!」

「梶倉君、マジでちょっと黙ってて」

 横山に睨まれ、荒い息を吐きながらも梶倉は歯を剥いたまま黙った。

「しかし、あの公園には僕の他にも多くの利用者が訪れるはず。どうして僕をピンポイントで?」

 鼻にティッシュを詰めて楯川が尋ねた。声が少しこもっている。

「被害者の母親が、立ち去るあなたを目撃していたそうよ」

「本当ですか?」

「お前言うに事欠いて、彼女が嘘ついてるってのか」

「梶倉君。まだ五分経ってない。静かにできないなら出ていって。邪魔よ」

 横山は引き下がる梶倉から、再び視線を楯川に戻す。

「箱には被害者家族と楯川さん、あなたの指紋しか検出されていない。目撃証言もある。事件当日、自分が公園にいたこともさっき認めた。だからあなたは容疑者として連れてこられ、今、ここで取り調べを受けている」

 反論できるものならやってみろ。楯川を見下しながら、梶倉は彼の言い分を待った。

「質問してもいいですか」

 しばらく考え込んでいた楯川が、横山に尋ねた。

「ええ。どうぞ」

「被害者は次男なんですか?」

 予想外の質問に、どんな言い訳も反論も論破してやろうと身構えていた梶倉は肩透かしを食らった。

「え、ええ。そうよ。長男に慎太郎君という、小学生がいるわ。それがどうかした?」

 横山にとっても想定外だったらしく、驚きながらも返答した。

「いえ、『一郎』は、長男につける名前っぽかったので、不思議に思いまして」

「ああ。慎太郎君は母親の前の夫との子どもだからかも」

「なるほど」

「質問は終わり?」

「あ、いや。まだです。毒のついた積み木の箱について。毒は、積み木のどこに付着していたんでしょう?」

「私の拳くらいの大きさの球体よ」

「他の積み木には?」

「いや、口に入れた形跡は無かった」

「被害者は他の積み木も口に入れたんでしょうか?」

「いや、被害者の唾液が付着していたのは、その球体だけよ」

「なるほど。じゃあ次に、目撃証言のことを教えてください。母親は、僕の顔を見たんですか?」

「そう証言しているわ。防犯カメラにも、付近を通過するあなたらしき人物が映っていた」

「ありがとうございます。あ、あと、母親は、前から僕があそこで休憩するのを知っていたのでしょうか?」

 なぜそんなことを尋ねるのか梶倉は不思議に思った。こんなくだらないことに時間を使う意味があるのか。さっさと立件すればいいのではないのか。歯がゆい思いをしながら先輩の背中を見守る。横山は優秀な刑事だ。以前も殺人事件を解決している。彼女のやり方にも、何か意味はあるのだろうと自分を納得させた。後ろの葛藤など知る由もなく、横山は質問に答えた。

「いや、普段は誰かいても気にしたことはないと言っていた。事件当日のことだから、よく覚えている、と」

「なるほど。ああ。ではもう一つついでに」

 そう言って楯川は梶倉に視線を向けた。

「そちらの刑事さん。梶倉さんでしたか。もしかしてですが、その母親と知り合いですか?」

「えっ?」

 横山が驚いて振り返った。全員の視線を集める梶倉は声も出せずにいる。

「ああ、なるほど。そうなんですね」

 反応で理解した楯川はうんうんと頷いた。

「ありえ、え、えまっしょんっちくしょうらぁあああ!」

 盛大なくしゃみをして、負け惜しみみたいな声を張り上げた。

「失礼」

 少し顔を赤らめて、楯川は続けた。

「僕が犯人であることは、ありえません」

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